ガミリア共和国 第34話 北門の肉屋⑤ (先代網元・・国王から領主)
北門の門番は、不遇職。
入門料や出門料を取れない。
顔見知り以外通らない。
朝から夕方まで休みが無い。
出て行った冒険者を覚えて、帰ったか調べる。
戻らない時は引き継ぐ。
3人交代、2人が出て1人が休み。
それを繰り返す。
魔獣や獣は、護衛の傍ら倒す。
護衛がいない時は、中に逃げて門を閉めればいい。
東門や南門に比べて、仕事量が少ない。
それで、給金は安くなる。
たださえ安い衛兵や門番の給金。
なり手がいないので、引退した衛兵や門番が務める事になる。
俺たちが、冒険者デビューした時も、年老いた門番だった。
孫の小遣い稼ぎにちょうどいい、と言っていた老人は、話し相手に飢えていた。そんな、老人との話を思い出した。
老人がまだ入隊したての衛兵だった頃。
日々の訓練の他に、当時作業中だった城壁の見回りがある。
ほとんど完成した城壁だが、北門では、網元と石工の間で揉めていた。
網元は、”トリイ”を作ると言って、図面を石工に見せていた。
その形を、地面に書いてくれる。
”円”の形なのだが、上の四角から横に角が四本出ていた。
これが”トリイ”か、と聞くと、そうだと答えた。
ただ、この島の住民は、”トリイ”がどういう物で、その意味も知らない。
網元は、城壁は、大海から飛び出た出島だと言い。出島の中に不浄なもの(魔物や魔獣)が入らないようにする”結界”としての役割があると言っていた。漁師にとっての大地は大海であり、魔が住む森は魔境なのだと言う。
結界を張る”トリイ”が必要だと言うのだが。
網元は、この形に石を抜いてくれと言う。
石工は、無理だと言う。
第一に、”円”の上部が下に垂下がっている。
石は、アーチに組む、石自体が押し合って崩れるのを防ぐ形になっている。ところが、これは、アーチが反対になっている。これでは、落ちてくれと言わんばかりだ。
次に、この四か所の出っ張りだ。なんの意味も無い、無駄に石の連結を邪魔して、城壁を弱くしてしまう。
なら、”この上の木で石を支えればいい”とか、網元、本気で行ってるんですかい?
雨が降れば、石の隙間からしみ込む。あっしらは、そんな水の流れも考えて、中に溜まらない造りにしているのです。
そこに、こんな大きな木を埋め込んだら、いっぺんで水を吸い込み、数年でボロボロになってしまいます。
これも一言で、網元はおれた。
四か所の角を諦め、上辺も平らにすることにした。
ただ、石工はそう見えるだけで、実際はゆるやかなアーチになると。
それは、”冂”という形になる事であった。
そんなやり取りだったそうだ。
それだけではなかった。
城壁の施工責任者からも、意見が出た。
門の高さと幅に、それでは実務に対応できないと、交渉してきた。
網元の図面では、柱径50mm・外幅2500mm・高さ3500mmになっていた。
幅が足りないと言う。
これをと言って、石積を示す。
城壁の幅を決める時、仮積をして城壁を組んでみた。
ただ、丁寧に隙のない積み方だったそうだ。
そこに猩々が来た。
あいつらは、石積を見上げると、隙間に爪を入れスルスルと上がって行った。頂上に着くと、こちら向いては、”キャッキャッ”とバカにしたように笑っていた。
これで石工のおっさんがキレた。
石は、”ハ”の形で組む。
組む時に一工夫しておいた。
通常の角度より、ホンの少し角度をきつくした。
その上の石を、ホンの少し余計に外に出した。
この積み方で、積んでいる途中で猩々がやって来た。
見ていると、隙間に飛び上がり、爪を差し込む、その状態で体を引き上げ、爪を外せない・・で、落ちて行った。
どや、猩々返しだぞ。おっさんのドヤ顔がうっとうしい。
この積み方は、神経をすり減らすので、”ハ”の2/3までで、これ以降の上部は、ほぼ垂直に積んである。
猩々もただのサルではない。
城壁近くの木に登り、左右に木を振る、頂点で壁に飛び移りそのまま駆け上がった。
見ていると、石の隙間に爪を入れていない。
石にぶつかった圧力を生かして、その状態で上に移動していた。
全部の猩々が出来る訳ではないが、石工は苦笑いをするだけだった。
この話の後、更に説明は続く。
猩々が飛び移れるのは、森との距離が8mだと半数が出来。
10mだと、数匹しかできません。
そのため、森との間隔を10m以上にする必要があります。
その為、この範囲の木を伐採します。
ただ、この作業を木こりだけでは危険ですので、護衛が必要です。
その護衛に、猩々を間引きしてもらえれば、町への侵入を防げます。
更に続く。
その木ですが。
指を指された木は、優に10mを超えていた。
この木の枝を払って荷車に載せ、門から引き入れます。
門の幅は、荷車の幅と両側にいる木こりが、優に入れる必要があるのです。
実際に、大型の荷車の両側に人が立つと2mを超す。
施工責任者は、ほぼ倍の4mを主張した。
この寸法なら、多少横に触れても門にぶつからないと言う。
それに合わせると、6m弱の高さがいると網元が説明。
これには、石工が反対した。
門の上の石積に必要な高さにならない、橋なら幅があるから何とかなるが、幅の狭い城壁だと十分な強度にならないと言い出した。
三者それぞれの主張をいれ、幅3m高さ4.5mとした。
施工責任者の懸念は、更にあった。
次に問題にしたのは、柱。
この図面だと柱は、径50mmとあります。
だとすると、扉も厚さ50mmとなります。
この厚みだと、猪なら持つでしょう。
しかし、オークならどうですか。
あの突進に耐えられないのでは?
話合いの結果、扉は100mmとなった。
施工責任者は、予想される門の重さを計算して見せる。
強度のある金属だとトン単位で書かれ、柱が100mmだとしても、とても支えきれそうに無い。それに、木の枠を付けると木と石が常時接続するので、腐敗が進み交換の時期が短くなると説明した。
一旦持ち帰った網元は、次の日、別の図面を出してきた。
門の寸法は、打ち合わせの、幅3m高さ4.5m。
扉は、厚さ100mmとし、水に強い木製とする。
大型の丁番6個を石に埋め込み、両開きの扉を取り付ける。
扉は内開きとして、突進する魔獣対策に、閂を付ける。
”トリイ”は、金属で作り門に張り付ける方式とした。
その寸法が図面で支持される。
柱は、100mmで他にも細かい数字が書いてあったが、当時の技術では再現するのは、無理があった。素材を大量に無駄にしないと出来ないと言われ、全て100mmに近い寸法となった。
出来上がった”トリイ”の板を張り付ける際、網元は森の奥に入って見ていた。まじかで見ると、”トリイ”の全体像が見えないそうだ。
施工責任者が、そこは伐採した木を旋回させる為、広場にすると言い出したので、立っている位置を測らせた。
40mですね。
その位置まで、広場を広げる事になった。
もっと遠くから見て欲しいので、出来るなら広げて欲しいとも要望していた。
ただ、遠くから見ればいいのだが、誰もが”トリイ”のほぼ真下から見上げる様になる。”円”の真ん中の貫と上の笠木がつながって見えるのだ。
閉まった状態で、みんな離れて見てくれればいいのだが。
見れるのが、門が解放されている時。
門は、半分になり左右に分断される。
扉の反対か、城壁沿いに見るしかない。
最も、結界が必要になるのは、人の居ない夜間なので、これで納得するしかなかった。
それでも”トリイ”の誇張をする事にした。
真ん中の貫の位置を下げ、中間の額にあたる部分を省略したのだ。
出来上がった”トリイ”は、朱色に塗られ、完成後は観光名所となり、引っ切り無しに見学に訪れていた。
網元が領主と代が変わり、色あせた”トリイ”はくすんだ扉と同色となり忘れ去られた存在になっていた。
それが、急に存在を主張し始める。
内部に熱を発生させる魔術は、”トリイ”を加熱させ、扉を焦がす。
”トリイ”から伝わる熱で、次第に炭化する扉。
魔術が終わり、何とか現状を維持していた扉だったが、急激な衝撃には耐える事は出来ない。
先代領主・・・迷い人から網元、国王そして領主となる
先代の網元は、不思議な人だった。見たこともない固い布の船に乗って、村にやって来たと言う。
言葉が通じないので、他の島からやって来たのだろうと皆思っていた。
寝る所もない様子なので、不憫に思った網元が、寝場所と仕事を与えてやったそうだ。
根が真面目なのか、誰よりも働くし、漁は村で一二番を争う程だった。
いつの間にか、網元の一番上の娘と恋仲になって、そのまま夫婦になっていた。
娘が三人の網元は、男を婿に迎えて後継ぎにした。すると、どうだい。見る見る間に、閑散だった村が大きくなっていった。
それからは、今の場所に館を作り、大きくなる町を守るために城壁を作ったりと、大層働きなさった。
町が大きくなると、交易も活発になる。
この町の他にも、大きな町がいくつも出来ていた。
それを往来し、商売にする行商人が現れると、”ここが巨大な島で、中央に大きな山々があり、島の北側には巨大な森になっている事”など、さまざまな知識が伝わって来た。
この町は、その森の南にあって、森沿いに大きな町が3つ出来ている。
西から、この町、中央に穀物の町、東には山の麓に鉱山の町。
行商人は、この町を行き来して商売していると言っていた。
ここと穀物の町は、さほど遠くないのだが、穀物の町と鉱山の町は距離があるので、その間にキャラバンの休憩地が出来ているとか、見知らぬ他の町の話を聞かせてくれた。
その後、巨大になった町を、魔獣や獣・他国の侵略から守る為、新たな城壁を作る。
漁民は、新たな漁場を求めて、南に移住していった。
穀物は、周囲にある畑では到底間に合わないので、行商人達が魚を買い取り、穀物と武器防具、生活や仕事用の鉄器を売っていく。
城壁は、他の町でも作っていたようで、完成に合わせて”国”を宣言していた。
網元も同様に、城壁の完成から”国王”を名乗る。
それからは、4つの町が集まり、不可侵、軍事同盟、通商協定から、更に”4つの町による共同統治”へと、歴史は流れていく。
いまだに、先代網元がどこから来たのか、誰も知らない。




