テテ村/参
がらんとした室内に夕日が射した。赤色を反射する硝子窓。部屋へ真っ直ぐに伸びる夕日の線が、室内に少量の埃が舞っていると気付かせてくれた。
(もう夕方か)
そろそろ帰り支度を始める職員たちは、あと1時間もすれば窓硝子に緑色のカーテンを閉めて家路に就き、夜は警備員が巡回を始めるのだろう。
暖房機はこの階にも設置されているはずだ。昔よりも良質の物を使っているようで、稼働音はまったく聞こえない。
シュルツは、硬直したまま身動き一つしない少年を小突いて、溜息をはく。
あの少女の言葉は羅衣を震撼させたようだ。シーマの実よろしく真っ赤な顔で、「コ、コ、コ」と鳥の鳴き声のような奇声を発する姿は、なんともいい難い哀愁を誘う。
——前言を撤回しなければな。
鳥になる女誑しなどいないだろう。
そのうち翼を生やして、窓から飛んでいきそうではないか。
この子と可憐な美少女との交流に、自分が水を差してしまったようだ。
せっかくいい雰囲気だったというのに邪魔をしてしまった、と後悔する。
しかし、彼が物影から青春を見守り続けるのも限度があった。そろそろ役場を出なければ、今日の帰りが遅くなるだろう。
「ほら、羅衣。買い物もしたい。そろそろ儂らも行こう」
「コ……コォ……?」
「うむ、大丈夫だ。話は帰ってから聞いてやるぞ~」
おちょくるような口調で聞き流し、階段まで小さな背中を押しながら、ふと前を見る。
一人の男と目が合った。
❂❂❂
その者は、二階から階段を上って来た。
彼にもシュルツの姿は予想外だったようで、放心したように後退り、後ろに転げ落ちそうになったが——……後ろの職員二人が慌てて体を支え、突然の危ない場面を乗り切った。
男性は階段を上り切ると、静かに知性を湛えた双眼でシュルツと羅衣を交互に見つめた。
小柄な人物。身長は160cmほどで、シュルツと比べると10cm以上背が低い。
年配の男だが、唇を柔らかく結び姿勢の良い佇まいは、少年の隣にいる男性と同じく年齢を感じさせない。とても痩せており、けれども端然とした風格がある。学者然としている。
役場の職員ではないらしく、後ろの二人とは異なる服装で、羅衣がシュルツに買ってもらった異種族用の日用衣類とも似ていない。カツ、カツ、と固い靴音がする白い革靴を履いている。
ちらほら白髪が目立つが、彼の髪は濃い灰色だ。耳も獣耳だが丸く小さい。獣人であることは間違いないだろうが、キテオン族ではない。尾は出しておらず、緑色の高級そうなローブを纏い、左胸には丸い形——何かのエムブレムが縫い付けてあった。
彼の持つ、太い杖の先端にある青白い球体が、夕日を浴びてきらりと光った。
「……リチャード、久しいな」
「——ああ。君もかわりないか」
シュルツとは知り合いらしい、リチャードと呼ばれた男は穏やかな表情で首肯した。
「ここにまた来てくれるとは、万感の思いだ。村でも噂になっている、その子のためなのだろう。自分もできる限りの助力を約束しよう」
「…………」
シュルツは黙って目を閉じて、片手を上げると人差し指を神紋に付ける。
キテオン族の感謝の意を表す動作、なのだろうか。
羅衣は、張り詰めている空気に首を竦めて戸惑った。普段温厚な雰囲気のシュルツとは思えない、険しい表情だ。怒っているような、悲しんでいるような、それでいてどこか……。
「——自分も異種族人なんだ。よければ名前を教えてくれないか?」
——……話し掛けられてる。
羅衣はぴくんと我に返り、早く答えなければ! と手をばたつかせ、息を吸い込んだ。
「コォ、んん、ラ! ゴ、ラハァァ」
この場で一人だけ焦り「コッ」と声を出してしまい、馬鹿! それはもう終わった、と自分を叱責し、羅衣です、そう答えようとするも言葉がつっかえ、盛大に噎せた。
代わってくれ、なんて百人に頼んでも百人が首を振るであろう、羞恥という劇場の主演男優は、次は両手を広げたまま石像の役を演じている。
(石像になっても顔は赤いけど)
あの劇団にでも雇ってもらえないだろうか。お金を稼ぎたい、と考えていたのだ。
今日の不貞寝は長くなるなぁ、心中嘆きながら、遠い目でどこか他人事のように現実逃避。
先刻とは種類の違う沈黙が、一帯を包んだ1分後。
「ぷふっ」
リチャードに付き添っていた職員の一人が堪えられずに噴きだすと、堰を切ったように笑いの渦が巻き起こった。
唯一、シュルツだけは(少年の奇行の理由にも大体は感付いていたのか)羅衣を励まさんと親指を立て、彼らに——……やはり耐えきれず。
「わはははは!」
薄情にも、大笑いされてしまった。
前方に立つリチャードは、申し訳なさそうな表情こそ浮かべているが、口元のにやけを消す努力が足りない。くるっと後ろを向くと、口元を手の平で抑えて震えている。
とにもかくにも、この日の屈辱一生忘れまじ、と羅衣は心に刻んだ。
❂❂❂
アテウは少年のマフラーに引っ込んだままだ。
シュルツは羅衣に「すまない」と一言謝ると、今一度リチャードに向き直る。二人の間にはいつしか、長年のわだかまりが溶けていったような、温かい空気が流れていた。
「リチャード、話し合いたいことがある。この子の入学について。あとは……いろいろなことをな」
「自分もだよ。時間と場所を作ろう。手帳を。——……よし、3ヶ月後には学び舎の新学期が始まるだろう? その二日前には保護者の懇談会があるんだ。名前は、——ライというのか。そのときに彼の事情を聞くという名目で。どうだ?」
「ああ、それでいい。儂らが直接表立って話し合うとなれば、住民に要らん誤解を与えてしまう恐れもあろう」
シュルツは前族長、リチャードはその後継の村長を務めている。
そして、シュルツは約30年間村を離れていたのだ。その二人が村で会談するとなれば、再びよほどの事件が起こったのかとでも邪推されてしまう。
その可能性は誰にも否定できまい。
ましてや、今のリチャードは村の住民に伝えていない『重大な案件』があるのだから、その用心にも頷けるというものだ。
「今回、役場に戻ってほんとうによかった。このあと、国の要人との会談があってな。下手に気負ってしまったのか、万年筆を忘れたので取りに来たのだよ。高価な物でもないが、そうはいっても長く使うと手放せなくなる」
「情が湧くか」
「まさしくそうだ。新しい物もいいが、自分は、——おっと、そろそろ時間だ。ではな、二人とも。また話をしよう」
「リチャード。要人というのは、つまり」
「任せておけ。もう二度と失敗しない。——信じられないだろうが……」
「そんなこと、ないさ」
リチャードは一瞬、少しの風が吹いただけで消えてしまいそうな笑みを見せると、ぎゅっと口元を結び直し、二人を引き連れて階段を足早に上がって行った。忘れ物を取りに行ったのち、四階の連結通路から会館の会談部屋に向かうのだろう。
(あいつと向き合って、また話せた)
この役場に足を踏み入れられた自身にさえ、驚いていた。たった一日で……夢でも見ているのか。橙の微光が映る今の光景は、幻術ではないだろうか。
「——慌ただしい奴だ」
「…………」
「ライ」
「…………」
「行こうか……」
「——今日の出来事……忘れて、くれる……?」
「——いやあ……」
赤く染まる夕焼けの村。
家に帰る住民、仕事帰りの男、手を振って別れる3人の子ども。
この村に着いた時にはあれほど賑わっていたというのに、今ではどこか物悲しい。
(俺の心境は恥ずかしい)
役場を出て、道歩くさなかそんなことをふと思い、今度は空虚感が押し寄せてきた。
気温も下がり、着込んでいても鳥肌がたつ寒さだ。
村を囲んでいる大きな柵から、朱星が頭の先だけを主張していた。
夕飯の買い物帰りだろうか、幼い息子と何か話しながら、野菜やハム、細長いパンといった食材がぱんぱんに詰め込まれた木……ではなく、植物の茎(アタと呼ぶそうだ)で編まれた篭をぶら下げて歩く母親。
親子をなんとなく目で追っているうちに気付いたが、キテオン族の耳や尾は成長するにつれて長く豊かになるらしい。楽しそうに会話する二人とすれちがう。
「…………」
二人の長い影が遠ざかって行く。ずっと目線を向けていても、仕方ない。
まだ落ち込んでいる羅衣は、シュルツに手を引かれて、ある場所へと足を向けていた。
村の西北、小高い丘への道を進んで15分ほど。
辺りには住宅もない。店もない。人もいない。
静寂だけだ。
村唯一の墓地である。
墓石は白く、良く磨かれた透き通る石だった。夕日を反射してそこらかしこに光の円を描き出し、辺りに生える草花の色を見事に輝かせる。強く、心を揺り動かされる風景だ。
美しさに泣きたくなるような、表現の難しい感情が羅衣の心をゆさぶった。
墓地全体を取り囲むように、間隔を空けて台座が置かれている。何やら魔法機らしい物がはめ込んであるのだが、作動しているかも定かではない。どれも価格が高く、全て貴重な道具がこれほどたくさん設置されている以上、きっと理由があるに違いない。
村の記録にもない、シュルツでさえ知らないらしい、ずっと昔からここにある魔法機だ。効果もわからないという。説明を受けるまでは、少年の指の輪ほどの薄い鉱石だと考えていた。
現在も一応、起動だけはできている証明に、円形部中央の魔法陣は光り続けている。
キテオン族は亡くなったあと、遺体は火葬され、遺灰はほぼ必ずこの墓地に埋葬される。
墓石の周りは、繊細な造りでありながらも頑丈そうな囲い(聞くと、シュカンの樹で作られた物だそうだ)で、一つ一つ守られているかのよう。それらは羅衣の膝ぐらいの高さしかないとはいえ、これらを乗り越えようなどと試みる者は罰当たりにもほどがあると思った。
墓地は広く、見渡す限り墓石が立ち並ぶ。それぞれの眼前には、花びらの装飾が付いた銀色の鉄板が固定されており、一つ一つに名前らしき文字が刻まれている。
キテオン文字で羅衣には読めないが、これだけはわかる。
(ここに眠る人は、シュルツさんとミラさんの大事な人)
❂❂❂
死者の安寧を願う場所。短い髪を風に揺らしながら眺めていると、ここの景色は絵本の中に入り込んだのかと疑ってしまう。人の哀しみと安らぎが、別れの丘に儚い美観を添えている。
アテウが小さく「クー」と鳴いた。今まではずっと大人しかった狐獣、その鳴き声を初めて聞いた羅衣は視線を下に向ける。
アテウは紅色から耳を、顔を出すと、くりくりの眼で墓地を見つめ続けていた。
シュルツは、ようやくこの地に来る事ができた、と実感して。
夕景、薄っすら茜色に染まる鱗雲を見上げても、込み上げる涙を抑え切れなかった。
当時は、葬式の場で弔辞を読んだ時でさえ我慢できた筈なのに、本当に涙脆くなった……、そう情けなく思うが、羅衣は何も尋ねてはこない。
少年はこの丘に足を踏み入れてから、一度たりとも自分の顔を見上げなかった。ただただ、老いた右手を優しく握ってくれていた。
哀しみに押し潰されて立っていられなくなるのではないか、心が砕けてしまった、あの日の再来となるのではないか、そうなってしまったら自分は立ち直れるのか、図体だけは大きい、この身が信じられなかった。妻の腕までも引っ張って、巻き添えにして、目を背けていた過去が——……いいや、『現実』が目の前にあった。
昨夜、ここに赴く腹を据えたシュルツの恐怖は尋常ではなかったというのに。彼は隣にいる少年(と狐獣)のおかげで今、淋しい、立ち去りたいと咽び泣く心を慰められている。
結局は羅衣に、誰かに、子どもの人生を知ってもらいたかったのだ。
ミラとはできなくなった、息子の思い出話がしたかった。自慢の息子だと誇りたかった。
この、裂けてしまいそうな胸の苦しみこそ、大事な人の死を悼む感情だ。
30年間、つらい別れと向き合えなかった自身を、彼は責め続けていた。
それしか、できていなかった…………。
「息子だよ」
風の音で遠くへ運ばれそうな小さい声も、隣の少年が拾い上げてくれる。
「そっかあ」
「あやつは19年生きた。戦って、死んだ。精一杯生きてくれた」
「…………」
「戦争だった。この村が所属する国パプラと、隣国ミステールの領土争いだ。パプラは……、奪われた領土をとりもどすべく、西のシェアトラ平原に攻め入ったが。戦果は挙がらなかった。それどころか、護りを固めたミステールの陣営を崩す計画すら頓挫し、撤退したと聞く」
年取った男の指、息子の名前が刻まれたプレートの表面をゆっくりと撫でる。
「テテ村がパプラに所属したのは、今から220年ぐらい前だったか。それ以前に奪われた、あの国の領土など知った事ではない。儂はそう言って、戦争の援助要請を断った。あやつにもそう話した」
「——シュルツさんが、断った……」
連合国家パプラは自国の傘下——連合に加わった町村に、月に一度の税と、年に五度の食料を届けさせている。税は銀行から、食料は長に任命された者達が自ら旅団を結成し、荷送人として首都ウトーへ届けなければならない(役場職員の職業人気が、どん底の理由がこれだ)。
テテ村からウトーまでの道のりはすこぶる険しいもので、山賊や魔獣、《蟲》の襲撃、略奪にまでも備えなくてはならず、旅団には平時、警吏や村の防衛に就いている手練れを同行させるのは常識である。
あの魔輪車が通っても十分な幅ができるタエラ公道を歩いて行くというのに、それでも毎度重傷者や死傷者が出てしまう。幅8mもの石の道が増設される前は、彼らの長旅は苦行という言葉でも表せられない、男たちの——生きるか死ぬかの往復だった。
傘下の町村の中でも、特にテテ村は、パプラから距離が離れている。これは一概に悪い要素ばかりではないとはいえ、荷送人を持ち回りでこなす担当の男性職員と護衛達には堪ったものではなかろう。毎回命の危険を冒して、課せられた任務を全うする責任と、覚悟を問われる。
「キテオン族は戦闘には秀でておらん。呼び出せる狐火も、対象を燃やす火炎魔術のような使い方はできぬ。術の練度をいくら高めても……儂らの紫火は、敵数人に幻を見せて混乱させるぐらいが関の山だ」
だから、戦では物の役には立たない。身を守る『術』がなく、殺し合いにたじろいてしまった者は終わりだ。弱者は真っ先に狙われて、善悪なき戦場にてその命を散らす。
どうしてパプラと共に戦わないのか、と激昂する息子の前で、シュルツは同じように種族の限界を伝えた。勝ち目はなく、目的もなく、死ぬだけだと。
国は軍隊を率いて戦争に臨む。敵軍を制圧するために作戦を共有し、剣、槍、弓、多種多様な継禄や魔法、日々の訓練で培った身体能力を武器に、形振り構わず敵を殺戮する。
そんな相手と、どうやって戦えというのだろう。
キテオン族も戦争と無縁ではなかった。それでも彼らは、たとえ戦火に巻き込まれようとも……、戦神信奉を執り行った過去は一度たりとも、ない。
古い羊皮紙に掠れた墨で記された、過去の記録がそれを教えてくれる。
種族存亡の危機とも思える悲劇に見舞われようとも、先人達は戦いを回避できるよう、涙を呑んで一方を切り捨て、現実と折り合いを付けて選択してきたのだ。
「——これぞ、俺達の誇りであろう」
約30年前の夏。役場の最上階、五階の族長室。
17代目の族長、シュルツ・シューヴィルは44歳。書類に目を通しながら、荒い息を吐いて部屋に転がり込んで来た息子の意見を聞いて、そう咎めるように返答した。
若者は一度深呼吸をして、鋭く父親を睨む。父と同じ短髪だが、シュルツの体格の良さは遺伝しなかった。背は同世代の者達よりも少し低いが、向かい合った親子は良く似ている。
青年の目元に目立つ傷跡は、警吏の任に就いた彼が魔獣との戦闘で負った傷だ。ミラはこの傷をとても心配していたが、息子は掠り傷だと一言連絡したのみで、それきりになっていた。
彼が家を出てからだ。家族は疎遠気味になっていたのである。
主張したい内容が出てこないのか、荒れた唇は細かく震え、彼の動揺を物語っている。
息子だけではない。この日は村全体にも動揺が走った日だ。
昼は雨が強く降った。雨脚が強まった午後、役場の通信部に前触れなく、連合国家パプラの第三次ミステール遠征が伝わった。パプラは領土奪還を掲げ、連合町村に戦力となる兵士を公募したのだ。
ユグダムの決定ではない。王家の強制権の発動だった。
実際は公募というよりも徴兵に近いそれは、町村中の働き盛りの男達を奪っていった。
眼の周りだけを隠す独特の仮面を被った監査員が国から派遣され、彼らは町村の役場に戸籍の開示を要求した。病気や怪我といった、戦争参加拒否の明確な理由がない者は魔輪車に押し込まれ、容赦なく部隊に組み込まれたらしい。
らしい、というのは、シュルツ率いるキテオン族が頑として戦争には参戦しなかったため、その詳細を把握できていなかったからだ。
パプラの横暴は後年問題になったが……、強制権そのものは国の『法律』にも記されている王家の権利である以上、泣き寝入りするほかなかった。
ともかく当時は正誤問わず情報が飛び交い、村の上役は無意味に右往左往を繰り返した。
しかし、下の者が意味なく狼狽えようとも、彼ら役員たちを束ねる今代族長シュルツの選択に迷いはない。
「徴兵には応じない。誰が何をいおうとな」
「どうしてだよ! 僕達も国家の一員だろう!? 国の悲願を果たす、その手伝いをしないと。卑怯なミステールに鉄槌を下すんだ」
「馬鹿らしい。どのみち、我ら一族が加入する以前の話だ」
シュルツは鼻で笑う。
「馬鹿なことあるもんか。この村は、200年前からずっと、パプラが守ってくれていた。山賊団イビの討伐も、国の警備隊がやってくれた。その前のクワイサ町との諍いだって……。困ったときだけ助けてもらって、それで国の危機には応じないだなんて虫のいい話はとおらない」
「危機? 今はパプラ王家が領土を奪還しようと躍起になっているが、それの、どこが、国の危機だ? 400年以上前の旧領を気に懸けるまえに、やるべき事があるだろう。ユグダムの決定を尊重すべきだ。戦など誰も望んでおらん」
シュルツは湯呑の茶を飲み干すと、一人で熱くなる息子を冷ややかに見つめる。
「リチャードの個人授業とやらはどうした? ——おお、喧嘩でもしたか? この忙しいときに……のこのこと、公務の邪魔をしに来るとは」
「……っ! 先生の意見や思いこそが、村を変えてくれるんだ。勉強も捗って充実してるよ、お生憎様。ここへはわからず屋の族長様を説得しに来たのさ。今の平和はパプラの武力あってこそだ。周辺国は軍拡を続ける国ばかりなんだぞ! また以前の、辛い戦いの歴史に戻りたいのか!」
「その覇権主義を唱える国が、当時のパプラだっただろうが! ご先祖様が好きこのんで、あの国の傘下にくだったとでも考えておるのか!」
二人の言い合いは、いつしか怒鳴り合いにかわった。
扉の外で騒ぎを聞きつけたのだろう。職員が一人、血相変えて部屋に飛び込んで来た。
族長は片手を何でもないというように振って、彼女を下がらせたあと、感情を落ち着かせるように、トン、トン、と資料を指で叩く。
両肘をその上に付いて、まるで小さい子に語り聞かせるように言葉を発した。
「……テテ村はな。税も食料も、他の町村より三倍以上支払い納めてきた。これはひとえに、国に戦時の義務の除外を認めさせる目的からだ。それも、先人が交渉に交渉を続け、ついにユグダムの会議場にて王家に直談判して、ようやく叶った」
息子は黙って聞いている。
「彼らの長年の努力が、今を生きる俺達を惨劇から遠ざけてくれている。確かにパプラの武力は周辺国を威圧し、結果、傘下の町村は守られているだろう。しかし、物事は一面だけではない。過去をふりかえっても、あの国の暴挙は数知れない。今回、パプラ国の横暴な態度を、お前もまのあたりにした筈だ」
ユグダムの会員を兼任するシュルツは、パプラ王族、貴族達の思い上がった態度に辟易していた。他の町村の会員達も、同じ思いを抱いているにちがいない。
(あんな連中では、冷静な判断一つ望めまい)
「——金と食い物だけ差しだして、あとは守ってください、か」
「口がすぎるな。お前の言う金も食い物も、村の民が懸命に働いて生みだした——得難い物。その歳になっても……このありがたみが実感できんとはな」
語尾が、震える。
いい加減にしろ! 叱責して、一度殴り付けてしまえば、あの勘違いを続ける性根もましになるのか。こうした思想の暴走も、持ち前の義侠心からきているのだからたちが悪い。
シュルツの耳がピンと立ち、毛が膨らんだ。尾が勝手に動き、椅子の手摺をパンッと叩く。感情が怒りや恐怖で大きく動くと、キテオン族は自然とこうなる。
——説得に来たとほざいたか。
こいつはいったい、何をいわんとしているのか。
俺を怒らせようとしているのなら、それは十分に成功している——……!
「お前は、村の若者に『死んで来い』とでも焚き付けるつもりか? 村の族長は、血筋で決まる者ではない。民意を束ね、責任を背負い、一族の命運を引き受ける男が任命されるのだ。勝手な主張で、彼らを戦争に駆り立てる者ではないぞ」
「だから、僕も戦争に行くよ! 覚悟がある!」
「吠えるな!」
席を立って一喝する。書類が三枚ひらひらと下に落ちた。
「最近、こそこそと『峨煉』を習い始めたようだが……、リチャードの教育に問題があるな」
そう結論付けて「思想を毒されたか。奴も碌な男ではない」と吐き捨てると、息子は憤怒の表情そのまま激情に駆られたように、父親でさえ聞いたことのない大声で叫んだ。
「————!!」
ほんのりと草の匂い。墓地の雪は月に一度、町内会の担当者が丁寧に除雪している。
シュルツはポケットからハンカチを取り出すと、押し付けるようにして目元を拭いた。
10分は経っただろう。羅衣はいつからか、両の掌を合わせて目を閉じている。
目を開けて、墓石に目線を下げる。そしてぽつりと。
「『御疲れ様』でした」
そう言った。
「ライ……」
「戦うのは、怖いよ。それなのに、息子さんは凄いね」
亡くなったら、人はどうなるの? 羅衣は墓石の表面に張り付いた雪を払いながら、なんとも難しい問いを投げ掛けてくる。
「儂らは。……一般的には、魂は主神の元へ還り、また旅立って、世界を巡ると聞くがなぁ」
「それなら! シュルツさんもミラさんも、また会えるよ。絶対に会える!」
キテオン族には、というよりも、この星の人々には死後の世界という思想はあまり馴染みのないものであった。魂は巡るもの。とどまるものではない。しかしそうであっても。
少年の言葉は下手な慰めでは表せない、心動かす力強い響きに溢れていた。
自信満々に断言する少年の整った顔が、シュルツの眼を見つめて破顔する。
見る者を幸せにしてくれそうな笑顔。そんな言語表現がうかんだ。
(この子は)
「——そう……だろうか」
「信じれば、叶うんだよ。俺は、そう思うな」
「信じる」
「ん」
強い風が吹いた。目を細めて、頬に当たる左に垂らしたバンダナを手で押さえると、羅衣は大きな欠伸をした。
すでにアテウは、少し前に眠ってしまったらしい。
「——はふ。……お腹、すいた。グーロア、食べたいです」




