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てんせヰのゑゐゆう  作者: 皐月雨皐月晴
一章:安寧の日々
13/28

テテ村/肆

 帰りは早く感じる。下り坂だからか、献立の希望が通った喜びからか足が軽い。


「よおし。それなら今夜は特別に、(おとこ)()グーロアをご馳走しよう」

「ふおお」


 パチパチと頭上で拍手して「実はもう仕込みは終えている」と胸を張るシュルツを(おだ)てた。

 そんな羅衣には漢気グーロアと通常のグーロアの違いもわからないとはいえ、なんとなく凄そうだ、とわくわくする。嬉しい偶然もあるものだなぁ、と感心したあと、グーロアしか作れない人だというミラの話を思いだして微妙な気分になる。

 彼が今夜の食事当番であるのなら、それは偶然ではなく必然だった。

 眠り人に一時の別れを告げて、腕を伸ばし道の影だけを踏みながら、シュルツの後ろをちょこちょこ付いて歩いて来た。近場で振る舞われている酒、つんとアルコール臭が漂ってくる。

 暗くなる道、家々の灯りが二人を歓迎してくれる。しばらくは些細な会話を楽しんだ。

 行きは通り過ぎただけの商店街に入ると、飲食店から空腹を痛感させるいい匂い。

 年配の吟遊詩人が椅子に座り、羅衣が名前も知らない弦楽器を弾いて、店員の邪魔にならない位置取りで歌っている。

 足元には賽銭用の小箱が置いてあるが、小銭稼ぎだけが目的ではないだろう。現に店は注目されている上に、寒い中、通行人に音楽を届けている彼の顔は楽しそうだ。

 木造の店舗が多いが、長い歴史を誇るという商店街に出店するのだから、火の管理に抜かりはないと信じたい。川魚の串焼き屋では老主人が火の温度を強めたのか、濃い煙が店内の換気扇から屋根の上へと伸びている。

 キテオン族は魚好きだと聞いていたが、住民達が通過するとき、あの店に必ず視線を向けている様子から、この話に疑いはなくなった。シュルツも目がないと言っていた。

 石の頑丈そうな井戸を横切り、比較的人通りの多い場所へ。

 村でも評判だというパン屋ができたようだが、これが捜し歩いてもなかなか見つからない。

 聞くところによると、シュルツも知らなかった、最近開店した店らしい。


「野菜とお肉は、家に、あるんだよね」

「ああ。近所の市場で買っておいたが、パンだけは購入せねば。ミラにも頼まれた」


 その店の名前はムイラランという。店の看板はあちこちに架かっているが、シュルツは難しい顔で首を振って、そのまま歩き出した。もう少し奥を探すのだろう。

 いつものように、子どもはここでも役に立たない。


(キテオン語がわかれば)


「ライ。あったぞ。この店だ」


 指差す方向に目を向けると、煉瓦の外装を着た、小ぢんまりとした三階建ての店があった。

 石の階段を数段登り、精巧な花の彫刻で飾られた扉を開けた。

 チリン、と入店を告げる鈴の音。

 想像よりもずっと広い店内。二つの長細い机の上に置かれた——木のバケットに収まる焼き立ての商品が、二人の視線を捉えて離さない。何個でも食べられそうだ、と一目見て思った。

 色も形も多様だ。何回捻ったのかと尋ねたくなるパンや丸く厚いクッキーが袋詰めされて、壁に吊るされた篭の中に入っている。それ以外にもあれもこれもと購入したくなる。

 評判通り繁盛しているようで、客は、(トングというらしい)道具を使ってトレーにパンを乗せ、会計する形式を取っていた。子連れ客が目立ち、作業場の硝子、その一枚向こうでパンを焼く職人を、商品そっちのけで眺めている子ども達も多い。

 羅衣も本音では、硝子に張り付いてでも見てみたかった。

 店の中は寒くも暖かくもない適温だとシュルツは言うが、羅衣には少々暑いと感じていた。マフラーを脱ごうと、手を——……。

 寝息を立てる小動物を目にして、その手を止める。

 念のために羅衣は入口に留まった。シュルツが店員に尋ねると、案の定、動物の来店はご遠慮願いたい、との事だった。額を一度小突き、彼は「儂が、目ぼしい物をぱぱっと買って来るよ」と提案した。







 ——お金の数え方も勉強しないと。

 単位は『円』だけど、ミラさんは金貨よりも高価な貨幣があるって言ってたっけ。

 店の前には、利用客が購入したパンを食べる事ができる丸机と椅子が数セット用意されている。店内で接客をしている従業員が、そう呼び掛けていた(と、シュルツが教えてくれた)。

 この時間帯は一人しか利用していなかったが、商品を手に持っていない自分が座っても良いものか、と躊躇する。

 利用者は若い女性で、席に座って抱いた赤子をあやしていた。


(二人だった)


 狐人ではない、多種族の親子だ。自分よりも色彩の濃い赤色の眼に、白い耳と水色の髪。この村では外を歩くだけでも注目されそうだ。 

 キテオン族の手の形は、少し爪が厚く鋭い以外は羅衣と大差ないが、親子のそれは動物の手、とでも表現するのか、白い体毛に覆われた五本指だった。

 通行人を眺めて2分ほど待った。会計には客が並んでいたので、まだ時間は掛かるはず。


「ねえ、君。君。誰かを待っているの?」


 背後からの声に振り向いた。

 わざわざ、羅衣に一番近い席まで赤子を慎重に抱き抱えて移動した女性は、軽い調子でそう尋ねてくる。半袖の白いブラウス姿には、見ているこちらが寒さを覚えてしまう。

 言葉自体は丁寧な発音のトート語だ。少年にも聞き取りに支障はなかった。


「そう、です。今、パンを買ってます」

「そっかー。——よぅし。それならここに座って、おばさんの話し相手になってくれない? 飲み物奢っちゃう」


 赤いジュースの入った容器を傾け、彼女は片手だけで苦労しながら紙コップに注いだ。


「あ、だけど。ここは、パンを食べる所では……?」

「うん、そうだね。でも今、お客さんはいないでしょ?」


 あたしもパン買ってないし。女性はからからと笑った。


「——嬉しい、です。お姉さんの好意に、甘えます」

「まあ、お上手」


 近くの席を引いて座るように促され、机を挟んで互いに自己紹介。

 笑窪(えくぼ)を見せて微笑む28歳の彼女は、名前をアンといった。


「——アンさんの旦那さんは、このお店の店主さんなんですか」

「そうよ。すごいでしょ?」

「すごいです」


 話好きらしいアンは、おそらく一回り年の離れた少年にも気さくに語った。

 兎人(うさぎびと)、ウシャーラ族の夫婦二人がテテ村に越して来たのは、2年前の冬だったそうだ。


「冬に、引っ越すのは、大変でしたか?」

「すんごく大変! 『放浪(ほうろう)(みん)』の旅は険しいわ。荷物はそんなにはなかったけど、雪が積もった山を徒歩で越えるのはもうこりごり。やあっとテテ村に着いて滞在許可を貰った次の日に、周辺の山で大規模な雪崩があったと聞いたの。ほんと怖くなっちゃった」


 赤子が「あうー」と呻いているような、怒っているような、拗ねているような声を出した。

 これは羅衣の勘違いだろうが——赤子の細い目は、横に移動した自分を見てはいるのだが、気にしてはいないのではないか、そのように疑った。というのも、去年の9月に産まれた——まだ0歳の乳児ジュリオのこちらを見る目線は、自分の体表面を貫通して、内部の『何か』に向いているように思えてならないのである。


「よしよし。いい子」


 青と白の縞模様が入った毛布で体全体を包まれた息子を、優しくリズム良く揺らしながら、母親は小さい息子の機嫌を取る。二の腕が覗くトップスには言及しようかと迷ったが、そのまえにアンは「これぐらいの肌寒さはへっちゃらよ」と豪語していた。


「可愛い、ですね……。やっぱりもう、耳が生えてる」

「兎耳って、あたし達はよんでるの。ウシャーラ族の耳は、遠くの音までちゃんと拾うのよ。しっかり音を、話を『聴く』こと。あたし達種族の、神様の教えでもあるの」 

「しっかり、聴く。——なんだか、あの、深いなぁ」


 言葉とは裏腹に、あまりわかっていないであろう少年。女性は彼に温和な眼差しを向けた。


「君もキテオン族ではないけど……周りの人に、良くして貰ってるんだね。あたし達もだよ。生きてると辛いこともあるけど、それ以上に楽しい体験があるの。ジュリオをこの村で産んでから、そう思えるようになったかな」


 愁いを帯びたその表情、沈む夕日よりも眩しく、見惚れた。小さく高い鼻、耳に掛けた髪は小川の流れを想起させる。彼女の神秘的とも思える横顔は、羅衣の青い心をどぎまぎさせた。

 マフラーからアテウが急に顔をのぞかせて、上を向いてぷるぷる身震いした。わあ。とアンは目を大きくしたが、ジュリオはもっと驚いてしまったのか、片手を握って口元に持っていくと大声で泣き始めた。


「うふふ。ジュリオ、びっくりしたねー」

「あててん、こら! 赤ちゃんを泣かせちゃ、いだ、痛い!」


 ——こいつぅ、俺の言葉を全部理解してるのか、…………賢い。


 この星の動物が備える知能と、牙を剥き出して指にがじがじ噛み付くアテウに引いていると、店の裏口を開けてもう一人、肩を回しているウシャーラ族の男性が顔を見せた。


「おお? ジュリオ、どしたい?」

「ピート。大丈夫よ。動物を見るのは初めてで、びっくりしたみたい」


 噂をすれば。彼がアンの夫で、ジュリオの父親にちがいない。


「お店はいいの?」

「ちと休憩だ」


 アンの肩を叩いた、中肉中背で人の好さそうな雰囲気の男性は、もふもふとした白い手でジュリオの頭に触れる。


「男が小っちゃい動物を見て、泣いちゃあいけないぞ~」


 彼は油でも跳ねたような()の汚れが付いたエプロンを着て、上が膨らんだ白長帽子を被っている。兎耳は意外にも、その帽子のなかにすっぽり納まっていた。

 椅子に腰掛けて、羅衣と目が合った。


「こんにちは。羅衣って、いいます」

「ん! こんにちは。君は……男の子だな。くっ、くく。——ああ、わかったぜ」


 腕捲(うでまく)りして、即座に両の(ちから)(こぶ)を見せたおかげか、少年の性別は伝わった。

 アンがジュリオの薄い髪を撫でる光景に気を取られながら、羅衣はピートに質問する。


「ピートさんは、パンを焼く職人さん、なんですよね?」

「そうだぜぃ。16歳の頃から始めたかな」

「——こんな事。失礼かも、しれませんが、その手では、大変じゃないですか?」


 ウシャーラ族の白い手では、パン粉を()ねるのは難しいのではないか。パン作りの工程には疎い

(これをいうのなら、世界の大半に疎い、が正しい)羅衣も、これには心配になった。


「おう。確かにそうだ」


 ピートは自身の手の平を見せる。自然と桃色の肉球に注目してしまう。


「このままでは、とてもじゃないがパンは作れない。ウシャーラの手は熱にも弱いしな」


 下手すりゃ、毛が燃えてしまうだろう。そう言って、ピートはあかるく笑い飛ばした。


「情けないが、俺達はあれも駄目、これも駄目だ。根性出せばやれるかもしれないってのに、始める前から諦めて。進歩にも、戦いからも逃げてきた、要するに臆病種族なんだよ」

「うえっ、いや、あの」

「ああ、わかってる。きみが純粋に、俺の身を案じてくれたんだってな。……だがなぁ、これは事実なのさ。だから、酷いめにも遭う。ウシャーラは臆病者って(さげす)まれても、きっといいかえせないだろう」

「そんな」


 少年には、彼らが臆病だとは思えない。目を伏せて言葉に詰まってしまう。

 店の明かりが映す腰の曲がった年配の女性が、店員に手を引かれてムイラランに入店した。


「ピートさん」

「わるい。こんな男の自虐、聞きたくないよな」

 ピートは、飛んできて丸机の縁に止まった、親指ほどの大きさの虫を指で追い払った。


 ——……あれ? 指が——……?


「きみの質問の答えが、これだ」


 彼の手が、羅衣と話している間に形を変えた。人間や狐人と同じ、肌色の腕と同色の手肌。五本の細い指が、得意げな表情の前で振られる。


「……! うわ、これって」

「魔法だよ」

「初めて見た!」


 羅衣は心から感動した。魔法機のそれではない、目の前でおこった奇跡とも思える事象が、少年に腹から驚嘆の声を上げさせたのだ。

 しかしすぐに口を押えて、妻と息子に「ごめんなさい」と謝る少年を面白そうに見た夫は、身を乗り出しながら説明を始める。


「【変化の魔装(まそう)】。俺の少年時代は、ほぼ(ここで変化した指をぎゅっと握る)、この魔法の習得に費やしたといってもいいだろう。親には呆れられ、友人には笑われたもんだが、トート語を覚えて魔素を操る力を得た達成感! 格別だった!」


 ピートの話は魔法の専門的な事柄に移り、少年にはちんぷんかんぷんだった。

 とりあえず、彼の魔法は魔力の続く間、己が肉体を変化させて造り変えるものだそうだ。

 その際には「想像力が大事だぞ」と、熱心に羅衣に(さと)す。


「——とまあ、こんなところか。べらべら話しちゃったな。俺の説明なんて当てにしちゃ駄目だぜ。魔法学校にも通ってない、独学なんでな」

「変化——……俺も、変わりたいです」


 紙コップの中に満ちる赤の色味。まるであの日、雪に斑点(はんてん)を塗った自身の血の色。


「ん……。羅衣は、なんになってみたいんだい?」

「『強いやつ』に」


 このときだ。

 このときはじめて、羅衣は他者に自分の理想を語った。


「腕っぷしが強くて、誰にも、どんな理不尽にも、敗けない男、です」


 それは、あんな亜人を容易に打ち倒す男だ。戦うと誓ったあとに、恐怖で震えない男だ。

 暴力を暴力で叩き潰し、戦場を駆け抜けてでも生き残る、屈強な不屈の男になりたかった。


「腕力、か。それはきみが、仮に魔法で変化できようとも手に入らないもんだが……、気持ちはわかるぞ。俺にも、似たような考えを持った覚えはあるんでなぁ。それなのに30をすぎても、俺は弱っちいままだ」


 アンはジュリオが泣き止まないため、二人が語り出して間もなく二階の家に引っ込んだ。

 階段を登って行った家族がいる二階に目線を移し、ピートはジュースをちびりと飲む。


「アンと家族になって、身に染みて痛感した。『本当の力』ってのは、女がもってんだ」

「本当の力、ってなに?」

「……うわっ、恥ずかしいな! なんかこういうの!」


 ピートは自分の言葉に悶えながらも。


「『耐える力』だ」 


 少年の興味津々な顔に観念したように、ぽつりと口にした。


「それは物理的なもんじゃあないぜ。例えていうなら——……ライ。相手を殴って、驕って、無理やり誰かに何かを強要する、そんな奴を、君は強いだなんて思わないだろ?」


 勿論です。羅衣は、彼の問いを聞き終わる前に強く肯定する。


「暴力から身を護る力は必要だが、すぎた力は不要だ。この力ってのも、いろいろでな。その中でも一番上等なのが、男には耐えられないことにも耐えてみせる、女だけの力ってわけだ」

「耐える、力」

「まー、いわゆる出産だな」


 ピートは消沈したように項垂れるまえに、唇を噛むと額を押さえていた。


「子どもを産むってのは、あんなに立変なんだな。アンの激痛を堪える辛そうな叫び声を聞いて、俺は心底後悔した。男は——……産ませるだけだ。あたふたするだけで、何もしてやれなくて、アンをあんなめに遭わせるぐらいなら、っ! いいや、駄目だ! こんなの、口が裂けても絶対にいっちゃあいけないな」

「俺らには帰る場所がなかった。だからかなぁ、この平和な村は楽園に思えるよ。キテオン族は多種族に冷たいだなんて、噓っぱちだぜ。あの日の深夜に、この村一番のお医者さんが駆け付けてくださった。アンは痛みに耐えて、血だらけになってもジュリオを産んでくれたんだ。全ての人に、感謝しかない」


 少年には想像も付かない内容に圧倒された。ぞわりと鳥肌が立って、数回瞬きをした。


「血だらけ! ——うう。痛いの、無理」

「俺も無理さぁ。ははは——……はぁ。しっかし女は将来、苦しい出産の痛みを経験するかもしれないってのに、誰しもああやって、可愛く笑えるんだぜ。敵わないよなぁ」


 お気に入りだというおしゃぶりを口にしてご機嫌のジュリオと共に、ふんわりと微笑しながら下りて来た妻を見上げて、パン職人の夫は声を潜めると羅衣にこそりと言った。


「凄い、ですね」


 ——俺の『力』は、なんだろうか。


「ふぅ、泣き止んでくれたわ。ほら、ジュリオ、ライ君だよー」

「ぁう」


 今度は、しっかりと目が合った。

 俺の顔で泣かれないかな、なんて心配しながら恐る恐る覗き込むと、満面の笑顔。


(わ、わ、もう)


 気付いたときには叫んでいた。


「超可愛い!」



 夫婦の笑い声に、何人か通行人が振り向いた。







 アンが注いでくれた赤いジュースは、シューヴィル家の果樹園でも栽培しているシーマの実を絞ったもので、とても酸味が強かった。未だに口内には、顔を(すぼ)ませる後味が残っている。

 パン屋の一家に「また買いに来ます」と告げて、羅衣は数10分待っても出て来ないシュルツを入口の硝子から探した。

 羅衣の背よりも高い位置にはめ込んであったゆえに、扉の前で跳ねながら、だったが。

 見ると何があったのか、彼は客や店員から握手を求められていた(ピートと話していた時に来店した女性が、感極まった様子で泣きながら彼と話をしている)。

 扉を少しあけて、むーっと睨んでいると、シュルツはすぐに気付いた。慌てている。

 びくりと肩を上げて、周りの人だかりに断ったあと急いで駆け寄って来た。


「いや、参った。すまんな、寒い中待たせて」

「気にしないで。シュルツさんが人気者、だって、わかったから」

「ううむ」


 照れ臭そうに頬を掻く彼の挙動に、少年は少し前の意趣返(いしゅがえ)しを思い付いた。


(大笑いされた事、忘れてないぞ)


「わっはっはっはっはぁ。わっは、わうわああ」



 髪をくしゃくしゃにされた。








 南門側のアーチはそう遠くない。羅衣はもう一度、あのパン屋に来ようと決めていた。広い商店街の道を覚える目的で、辺りを真剣に注視する。

 ピートの話を()()()、少年の心には感じ入るものがあった。

 シュルツは、無言になった少年の首に巻かれた夕日に同化するマフラーを見つめているが、「どうしたのだ?」とは尋ねなかった。たくさん購入したパンは紙袋に詰め込まれている。

 朱星が沈み切って、柱に巻かれた縄が明るく光る。ねじれた太い縄が、ではなく、それに間隔を空けて掛けられた提灯に灯りが点いていた。

 ここを光の道だと呼称しても、あながち誇張でもないだろう。

 夕方よりも人通りが多いと感じる。あちこちで酔っ払いの熱唱が聞こえてきた。

 仕事帰りなのか、男たちが肩を組んで「今日はあの店に行こう」とでも盛り上がっていた。

 暖簾(のれん)をくぐって店に入って行く、だぼだぼのズボンにねじり鉢巻きを巻いている彼らは大工だろう。あの移動劇団が公演していた付近に建っている、鉄の高台を工事していた後ろ姿を覚えている。見張り台として利用されているのだから、1日も早く直してもらわなければ。

 近場には、車のようでもあの魔輪車とは比べられないほどに小さい、人一人で押して移動できる屋台が出ていた。そこの椅子に一人だけ座っている利用客は、物静かな声で主人と世間話をしながら、大きいジョッキに入った酒を美味しそうに飲んでいる。

 この騒音のなかで、なぜ自分が声と姿を認識できたのかがわからない、寂れた中年男の背中。羅衣は名前も知らない彼を——漠然とだが——格好良いと思った。

 大人は星がまったく瞬かない真っ暗闇の夜、縦に伸びる提灯の灯りに自然と集い、仕事で疲れた心身を癒しているのだ。給仕を担当する若い女性達の(はな)やかな装いに、男たちの財布の紐は弛むどころか抜き取られた勢いで我先にと注文している(羽振りを良くすれば、彼女達からの『受け』も良くなった)。

 帰り道も発見ばかりで飽きない。行きにも横切った吟遊詩人が、楽器の弾き語りを披露していた。近くの机で食べて飲んでを繰り返す人々も、視線は向けずとも会話の声量を下げて耳を向けている。


「キテオン族の、民唄だな」

「民……唄?」

「儂らなら誰でも知っている唄だよ。祭りの時にも、テテライヤ様に捧げられる『奉納(ほうのう)(ばい)』だ」


 懐かしさと寂しさが()い交ぜになったかのような調べに、思わず足を止めて聴き入る。

 肩によじ登って来たアテウも、尾を羅衣の首に当てて身動きせずに耳を傾けている。

 楽しげで軽快、されど初秋(しょしゅう)の風の如く心地良い、涼しげな旋律。

 土地神の愛する季節、作物の実りを歓迎する澄んだ秋の唄だそうだ。

 感じ入った風の羅衣だが、惜しいことに(狐人の唄ならば当然だろうが)キテオン語だ。

 歌詞の意味がわからない。ひどく、もどかしい。


(唄か)





 この村に、住民たちに、もしくは土地神に受け入れてもらえるように。

 自分がどう行動し、何を努力するべきか、答えをつかんだ気がした。




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