テテ村/弐
待合所の長椅子に腰掛けて、背凭れにだらりと寄り掛かる。
5分前まで、羅衣の膝はちいさく貧乏揺すりをしていた。アテウがその振動に迷惑そうな目を向けており、すぐに止めたものの、彼の表情は曇ったままだ。
(女の子に見えるのかぁ)
溜息を一つ。ここだけの話、鏡の前に立つと自分でも、女の子がいる……、と暗くなる。
この長い髪が誤解させてしまうのだ。
——切ってしまおうか。
いや「もしも万が一、ご両親が探しに来てわからなくては困る」夫婦はそう懸念を伝えると、ばっさり切って短くすることに難色を示した(今はミラに散髪してもらっているが、短くするのではなく整えているそうだ)。
羅衣は、もとから迎えに来るとも思っていない。
——親なら、たとえ子どもが丸坊主になっていても、ちゃんと気付くものじゃないのかな。
知らないけど。
心中では両親を気にもしていない自分を、我ながら薄情な人間だと評して落ち込む。
とはいっても、もし自分が捨て子であるのなら、子どもを捨てる親など気に懸ける価値も、
——……止めよう……気が滅入るだけだ。
どのような仕組みなのかはわからないが、役場内部はどの階も室温が一定に保たれており、とても快適だ。室内を暖める魔法機があるのかもしれない。
昼食を食べてからそう時間を置かずに外出したからだろう、だんだんと眠くなってくる。
アテウの眉間を撫でながら、こっくり、こっくりしていると。
「あ、あの……」
か細い声が聞こえた。
「——んん?」
見上げると、肩まで伸びた狐色の髪をはらりと流し、左右の横髪に青く細い紐リボンを巻くように着け
ている、清楚な雰囲気のキテオン族の少女が立っていた。
羅衣は女子の服装には詳しくないが、白い長袖のワンピース、という衣装だろうか。この時期には寒くないか、と心配になる。とはいえ、ここは暖かいから上を脱いでいるのだろう。彼が見ただけではわからないが、生地に秘密でもあるのかもしれない。襟には少年のバンダナにも止めてあるピンと同じ花柄、五角形のシュカンの花模様が刺繡されている。
少女は赤色のコートを抱えた手を太腿の前で軽く握り、勘違いかもしれないが表情を固くしていた。ミラのそれのように、しっかり毛並みを整えてある尾だけが時折左右に揺れる。
「なんじゃらほい?」
「——…………。……あたしは、シエラっていうの。あの、きみはシューヴィルさんちの子でしょう?」
彼女の言葉で、羅衣は夫婦の苗字を知った。
——シューヴィル・シュルツ、違うか。
この世界の人たちは名前がまえで、苗字がうしろだから……。
お二人はシュルツ・シューヴィル、ミラ・シューヴィルっていうんだな。
「シューヴィル。ああ、……ん! あれ? あなたはトート語を話せる、の?」
「え? うん。一応ね。お父さんが国から輸入した魔機を村で販売する、大きな協会の責任者だから」
君も共通語を習いなさい、って。彼女の話を聞き流しながら、羅衣は衝撃を受けたように口を開けて硬直した。事実、大変な衝撃だった。
俺はトート語を話せる、これが少年の、これまでの自信だった。彼と話をしてくれる身近な同世代はいなかったが、もしいたのなら得意げに自慢していたのは確実だ。
キテオン語は理解できずとも、この村の人口の七割は話せない世界の共通言語を扱える。
記憶を失い、何かをなしとげた経験によって自身を肯定できない少年にとって、ある意味ではトート語を、一種の自尊心を満たす道具として使っていた嫌いがあったのやもしれない。
ところがどうだ。村の少女が、羅衣よりもよっぽど流暢に話しているではないか。
なにも、自分だけが特別ではなかった。いいや、特別でさえなかったのである。
それなりに努力してきたつもりで……自信満々に歩いて来た道の前から、大きな腕で後ろに突き飛ばされたような感覚に、羅衣は唇を噛みしめる。
とんだ思い上がりだった。
勘違いは、まだある。シューヴィル夫妻はトート語を、少年の将来に良かれと思って教えてくれた、にも関わらず、その善意に胡坐をかいていたことだ。
——キテオン語の勉強を、俺はしなかった……そうじゃないな、しようとも思わなかった。
他人の善意を、好意を、さも当然であるかのように受けとるだけだった、自分自身が恥ずかしい。口達者な心の声も押し黙っているが、減らず口さえ一言たりともでてこないのか。
二人の親切な心配り。この巡り合わせを、神様が助けてくれたのかな、とまで考えた得難い幸運。
それらをあたりまえだと、心のどこかで驕っていたのでは。
(なんの役にも立たない、こんな俺を)
薪割りも、料理も、掃除も、今もってなお人並み以下。使えない子どもだ。
こんないたらぬ身だと弁えたうえで、受け入れてもらえるように努力しなければならなかった。
嫌われまいと口を閉じて、ときどき愛想笑いをうかべてしまう頬を、抓ってでも戒める。
まずは現地の言語を覚えるところから始めよう、羅衣は決意を新たにした。これから先は、いつまでも他人の同情だけは買える、哀れな記憶喪失男ではいられない。
(最初の第一歩を、踏みだすんだ)
「——ねえ。聞いてる? ねえってば」
少女に肩を揺すられる。無視をしていたわけではないのだが。
「考えごとを、してた」
「無視しないでよ」
(なるほど)
俺は無視してたんだなぁ、と、複雑な心境になる。
少女は握った両拳を太股に置いてむくれながら、羅衣の顔を覗き込んだ。
無言で目を合わせて見つめ合っていたが、その後つんとした態度で隣にすとんと腰掛けて、丸めたコートと鞄を膝に乗せた女子に疑問が湧く。
「……なぜに…………隣に?」
「いいでしょ。——やることないって、暇そうにしてたじゃない」
前を向いたまま、そんな聞き捨てならない言葉をぼそっと呟く。
「眠たかったの!」
「あっそ。まあ、そんなことよりも」
彼女は羅衣の胸もとから顔を出すアテウが気になるらしく、ちらちらと視線を向けながら。
「君、名前は? マフラーとバンダナ、暑くない? 多種族の子でしょ? 何しに役場に来たの?」
顔合わせのときに見えた遠慮はどこへいったのか、矢継ぎ早に質問してくる。
「名前は羅衣。種族は不明、今日は住民、登録? に来た」
「不明? ふぅん、それじゃあこの地域で暮らすのね。あのお二人の養子として……いや、保護ってところかしら」
「…………」
「あ、ごめん。詮索されたら不愉快よね」
その言葉に、いよいよ黙り込む。
不愉快、なのか。違う気もするのだが。
今の複雑な感情を伝えられる表現を、少年はまだ知らなかった。
そんな羅衣の様子に、自分が怒らせてしまったとでも勘違いしたのか、シエラは怯えたような表情で頻りに謝罪する。
「ごめんね。ごめん。あのっ、あたし」
「い、いや、待って。君はべつに悪いこと、してないよ!」
おそらく年上らしい少女は、自分に質問しただけではないか。彼は慌てて両手を振った。
「どうして、そんなに……?」
「——あたし、目の前のいろんなことに首を突っ込んで……。誰かのために、良かれと思ってやってみるんだけど、みんなにとっては有難迷惑みたいで。変に勘違いされたりしちゃうの。……うまく、できないの。お父さんにも、出しゃばるのは控えろって言われて」
「親のくせに、んなこというの!?」
「言われた。『求められていないのに、むきになってやろうとするんじゃない』。君は家の将来を考えて、勉強しろ、勉強しろ。二言目にはそればかりよ。嫌になっちゃう」
シエラは話の途中から鼻声になり、目には涙を浮かべていた。
自分とそこまで歳の離れていない少女が、隣で感情を吐露し思い悩む様子は、幼い心をしめあげ、慌てさせた。女性に泣かれてしまうと、こんなにもおちつかなくなるとは知らなかった。
——この子は胸を痛めて悩んでいるのに、俺は……。
夕ご飯グーロア食べたいとか、そんなんばかりだ。
今日から頑張ろー、と気合を入れた心中には、反省はあっても悩みはない。そういうたちだ。
——おまけに、これまで俺はトート語を話せるからって気を大きくしてて、今は今でこれといった悩みがないんだから恥ずかしいな。
記憶がなくなっちゃったから仕方ない! と開き直りたいが、そんなことをするときではない。
こんな自分でも、隣の少女を励ませられると意気込む。
——いけぇ、羅衣ぃ!
「ん~…………お父さんは、知らないけど。俺は君に、気にしてもらえたら、元気になるよ。間違いない」
「……!」
——俺が、——元気になんのかい。
自分の発した言葉に羅衣も泣きそうになったが、まばたきの回数を増やしてなんとか我慢した。
もしもそんな醜態を曝してしまえば、羅衣は『男の子』を辞めて、道端かそこらの石ころへの転生を余儀なくされるからだ。これは間違いない。
伝えたい内容がばらばらになって、かきあつめた貧弱な語彙と接続語ではくっ付かない。
なぜか汗まで出てきたが、もはや後戻りはできなかった。
親指で自分の胸を指して、捲したてるように励ます、つもりで言葉を紡いでいく。
「あれだ。あのー……、たとえばこいつは、記憶が吹っ飛んで、なんにも覚えてないけど。それでも、毎日生きてます。だから問題ない。君も。まあ、どうにか、なるんだ。全部」
「…………」
(ぐだぐだと、何を言ってんだろ)
「——だから! えっと」
「ふふふ……」
シエラが忍び笑いをもらす。
涙をハンカチで押さえたあと、手の掛かる弟に向けるような眼差しを注いで、囁いた。
「励まそうと、してくれたんだ」
「ん、いや」
「ありがと」
彼女は前髪を掻き分けると、茶化すように付け加える。
「まぁ、正直? 励ますにしては漠然としすぎ、だったけど」
「うええ」
「あははは」
(もう、大丈夫そうだな)
少女は足をぶらぶらさせながら後ろに手を付いて、天井の輝明機の光に目を向けた。
ワンピースの裾と靴下の合間から、白い足首がのぞく。
「でも、嬉しかった。あたしは村の男子にいい思い出がないから、特にね」
「シエラさん。俺を男だって、わかってたんだ」
「え? きみ、ちょっと低い声で、『俺』って言ってるじゃない」
「あ……」
「はじめて顔を見たときには、どっちかわからなかったわ」
だから緊張したの。シエラの言葉にがっくりと項垂れる
「ねえ、ライ。そのバンダナとマフラーの色は」
「いいだろ? 駄目だよ。あげないよ?」
「そうじゃなくて。その、赤色はね、キテオン族では女子の伝統衣装に使われるから、男子は絶対からかったりしてくるわ。これからはきみも、学び舎に通うことになると思うし」
——学び舎ってなんだろ。
『寺小屋』みたいなものかな? ——……寺小屋ってなんだ? あれ?
……何も知らないな、俺は。
とかく、それは初耳だが。他人に何をされようとも、羅衣にこれらを外す考えは更々(さらさら)ない。
「べつに、決まりで駄目だって、わけでは、ないんだから」
「それはそうだけど、彼らはうるさいわよ。最近は、嫌になるぐらいベリオールが増長して、講師でも注意できないから好き勝手してるの。取り巻きたちと授業を妨害するし、聞いてもないのに自慢話。女の子にも酷いことを」
甚だ鬱憤が溜まっているらしい。堰をきるようにベリオールとやらを扱き下ろす。
「——……だから、なるべく目立たないようにして。あんなのに関わっても時間の無駄よ」
「うん。わかった!」
「うん。わかってないと思うけど、きみは気にしないか」
しょうがないな、と肩を竦めたシエラ。
唇を、拭うかのようにゴシゴシと指の腹で擦って、どこか寂しそうにほほえんだ。
「最近、自分のやりたいことがわからなくなっちゃった。お父さんは、あたしに勉強して、将来はこの村を出て、国の王族や貴族の目にとまるように礼儀作法を身に付けろ、って言うけど」
あの人は、家の利益拡大にしか関心がない。感情をおしころした彼女の声は痛々しい。
「あたしは『お貴族様』の妾になんかなりたくない。お金に不自由しなくても、自由がないのは嫌よ。でもね、これを否定したら、あの人の言葉に従ってばかりだった、14年間の人生そのものまで否定しちゃいそうに思えて……。そうしたら、あたしには何が残るのかなって」
羅衣は、ふん、ふん、と頷き、相槌を打つ。
自由という言葉の概念だけが(勉強不足で)曖昧だったとはいえ、悲痛さが滲む声色。
とても深刻に悩んでるんだな、と伝わったが、あいかわらず掛けるべき言葉が見つからない。
これがシュルツやミラならば、豊富な人生経験からきっと、背中を押すような助言の一つもできるのだろう。では、自分はどうなのか。何ができるか。
「ライは記憶喪失、なんでしょう? 周りには自分と同じ種族の人が一人もいないし、言葉も…………。心細い、よね」
「いんや? 今はまったく」
これは、彼のまぎれもない本心だった。
「そうなの?」
「そう。シュルツさんとミラさんに、拾ってもらえたから、こうして生きてられる。そうじゃなかったら、今頃、雪山で凍え死んでた。死体は、食べられてた。俺に残っているのは、名前、と所持品ぐらいだけど。生きてるだけで、めっけもんだよ」
「生きている、だけで……」
(うまいことをいおうとするから、舌が回らなくなるんだ)
無責任な助言ではない。彼はいつしか、シエラに元気になってほしいと悪戦苦闘していた。
向かい合って彼女の潤んだ大きな瞳を見つめ、口をぱくぱくさせて懸命に伝えようと試みるが、努力虚しく空気しか出てこない。
そもそも、伝える内容が固まっていないのだ。いやしかし、何かいわなければ。
彼女のぱっちりとした二重瞼の下——本紫色の瞳には、表情だけは必死な自分が映って、
(これじゃあ、馬鹿みたいじゃないか)
顔が熱くなった。思わず視線を逸らしてしまった。
誰かに教えてもらうまでもなく、赤面しているのがわかる。困った。困った。
——いったい、どうすればいいんだろう。
亜人と戦ったときなんかより、ずっと緊張する……!
記憶を失って10日ほど。自身の最大の危機を迎えていた少年への救いの手は、意外なところから差しだされた。
❂❂❂
「ライよ。登録は終わったぞ」
「へ……?」
「あっ! シュルツさん! ——ですよね。は、はじめまして。あたしは」
「ああ、キースのところの娘さんだな。噂どおりの別嬪さんではないか」
「い、いえそんな……」
シエラは頬を桃色に染めた。もじもじと身をよじって謙遜する。
呆気に取られたようにぽかんとしていた羅衣だったが、素早く再起動すると立ち上がって、声量を上げて自分に話し掛けてきた。
「ちょうどよかった! シュルツさん、この子……悩み、があるみたいで!」
「ううん、もう大丈夫」
「……えー……」
遮るように言葉を発して、シエラはシュルツの目を見つめると質問する。
「お会いできて光栄です。あのう、ご相談ではなく、お訊ききしたいことがあるのですが」
「うむ、いってみなさい」
「その、……ライが、学び舎に通う予定はありますか?」
「——ああ。儂らは、そうさせてやりたいと思っている」
そうですか。と表情を崩す少女は愛らしい。
羅衣には女誑しのけがあるな、と、ある意味感心する。
「お二人さん……、なーに話してんのー?」
普段はおとなしいこの少年の、こんな仏頂面を見るのははじめてだ。
——儂に嫉妬しているのかな?
ここにきて、老人は表情のにやにやが治まらなくなっていた。
❂❂❂
今しがたの二人の会話はキテオン語だった。羅衣には何一つ聞き取れなかった。
なんだよう、内緒話かぁ、少年はそう不機嫌そうに頬を膨らませているが、内心ではシュルツの登場に胸を撫で下ろしていた。
(あのままだと、どうなっていたか)
シエラはワンピースの裾近くまで隠れるコートを着込み、鞄から取り出したマフラーを巻いて帰り支度を済ませた。
品の良い、赤いコートと桃色のマフラーは、14歳の華奢な少女にとても似合っていた。
シュルツに別れの挨拶を告げると、羅衣に近付いて「あたしのことは、呼び捨てで呼んでね」と厳命した。にこやかながらどこか圧を感じる相好、自分の講師になぜだか似ている。
「それじゃあ——……、シエラ?」
「うん。じゃあね、ライ。今度は、学び舎で会いましょう」
巻いたマフラーの裾を振って、機嫌の良くなった彼女はにこりと笑みを見せた。
「今度、は? 学び?」
首を捻る羅衣の首元から、タタッ、と素早くアテウが跳ね出て、少年の頭上へ駆け上った。いだあ。と下から声を上げる頭部を足場にシエラの肩まで身軽に跳ぶと、彼女の頬をぺろりと舐める。
「ひゃあ! な……、な、に……?」
アテウはすぐに羅衣のマフラーに収まったが、シエラは目を丸くして驚くばかり。
それはあっというまの出来事だった。彼女の動揺も無理はないだろう。
「元気出せ、ってさ」
羅衣は少女の肩をポンと叩いた。
「……あたしはべつに、そこまでおちこんでは」
「ええー? ほんとかなぁ。すんごく、おちこんでたよな~? あててん?」
羅衣はアテウの耳をつつくが、その名前は不本意! とばかりにがぶりと指に噛み付かれ、跳びはねながら苦悶の表情で悶えている。
そんな少年を見て、シエラはシュルツと二人で笑い合った。
別れぎわに、彼女はこんな言葉を残していった。
「でも、あのときはどきどきしたわ。ライったら、あんなに真剣な顔で見つめてくるんだもの。てっきりあたしに『一目惚れしたんだ!』って、告白でもするのかと思っちゃった」




