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流行り神  作者: 方舟
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廊下の暗がりに潜む

 風呂場からシャワーの音が響いている。

 食後のお茶を飲んだあと、義兄は「シャワー浴びてくるね」と声をかけてリビングを出ていった。


 僕はスマホを確認して「くろいくねくね」を検索したが、すでにトレンドから外れてしまったのか、あの画像を見つけることはできない。


「なんだったんだろ、あれ」


 本当にくねくねだとしたら、それが何なのか理解してしまえば僕も危ないと言うことになるけれど。トレンドのコメントにはそれらしい言葉は見つからなかった気がする。


「とはいえ、義兄さんのせいで本当に一瞬だったもんなぁ」


 義兄のいう通り、見ない方がいいのか。それとも思い過ごしで、ただのイタズラや勘違いなのか。


 もちろん、義兄が心配してくれているのもわかるし、こういう時の勘が鋭いことも知っている。

 それでも、……その。


「好奇心は抑えられない、というかぁ……」


 と苦笑気味に自分に向かって言い訳をしてから、僕はもう一度、今度は対話型AIに向かって質問を投げる。


「『くろいくねくね』って知ってる?」


 しばし、検索をかけた後。


「はい。『くろいくねくね』とは2026年5月23日ごろからインターネット上でうわさに上がった正体不明の黒い人影のことと思われます」――


 噂の概要や初出と思われる投稿などを紹介され、情報を確認していく。


 数日前、とあるアカウントがどこかの廃屋で撮影した「黒い人影」の写真を投稿したのが始まり。


「あ、これか、さっき僕が見たの」


 そのアカウントがコメントに使った表現「くろいくねくね」がそのまま定着したようだ。


「うわ、いろんなアカウントが位置情報付きで投稿してる」


 もう一度SNSで検索してみれば、明らかにいたずらとわかる画像も含めて大量に「人影のような黒いもや」を投稿しているアカウントがヒットする。

 そりゃトレンド入りもするわけだ。にしても。


「黒い人影、ねえ」


 そう呟いたとき、ふとシャワーの音が消えているのに気が付いた。

 義兄がシャワーを終えて出てきたのだろうか。それにしてはドライヤーの音もしないけれど。


 不思議に思って、ソファから立ち上がる。

 リビングを出て、廊下をのぞき込んだ。


 向かって左に姉の遺影がある仏間。

 その向かいが風呂場。

 奥にトイレ。


 その、トイレの手前。黒い何かが動いたように見えた。


 ――人影? 義兄だろうか。

 あの人はいつも黒の上下だしとんでもない長身だから、暗がりに立っていると時々ぎょっとすることがある。


「……義兄さん? シャワー、終わったんですか?」


 ……返事は、ない。


「あの、トイレ行く前にドライヤーくらい使いません? 風邪ひきますよ?」


 ――やはり、返事はない。


 代わりに、ゆらり、とその全体が揺れた。

 まるで海藻みたいにゆっくり左右に揺れている。


 その動きはまるで、「骨がない」ような。

 けむりの、ような。


(――ちがう)


 唐突に気が付いた。

 それは、……それは、義兄ではない。

 何か別の、別の「何か」だ。


 音が遠い。

 それは、ゆっくりと左右に揺れながら、こちらに向かって「振り返ろうとしている」ように見えた。


 まずい、と頭の片隅で警鐘が鳴り響く。


 振り向かれたら終わりだ、となぜか思った。

 振り返ったら「わかってしまう」。

 あれが、何なのか。

 「わかってしまった」ら、終わりだ。


 真っ白になりかかる頭で、とっさに叫んだ。


「――に――!

 義兄さん! シャンプーのボトルは使ったら毎回同じ場所に戻してくださいっていつも言ってるじゃないですか!」


 ……その、瞬間。

 ――音が、戻った。


 シャワーの音の向こうから、義兄の叫び声がする。


「えー、はるちゃんなんでばれたの!」

「だ、大体わかります。元に戻しておいてくださいね、お願いですから!」


 はあい、と不満そうな義兄の声が聞こえ、ほっと息をついた。

 廊下の奥をちらりと見る。


 トイレに通じる暗がりには、何の影も見えなかった。


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