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第29話 見栄を捨てた輝き

第29話 見栄を捨てた輝き


九月の終わりだった。


夏の名残を残しながらも、風には少しずつ秋の気配が混じり始めている。


空は高く澄み渡り、夕暮れの陽射しが街を柔らかな黄金色に染めていた。


望は義母の家の台所で夕食の準備をしていた。


鍋の中では豚汁がぐつぐつと音を立てている。


ごぼうの香り。


人参の甘い匂い。


味噌の深い香り。


出汁の湯気が立ち上り、窓ガラスを少し曇らせていた。


コンロの横では鮭が焼けている。


皮がぱちぱちと弾ける音が心地よい。


炊飯器からは炊き立てのご飯の香りが漂っていた。


今日は久しぶりの家族の食事会だった。


義母も朝から機嫌が良かった。


「望さん、今日は栗ご飯にしない?」


「いいですね」


「スーパーで安かったのよ」


義母は嬉しそうだった。


以前よりずっと明るくなった。


家計簿も続いている。


おかねノートは今では三冊目に入っていた。


玄関のチャイムが鳴ったのは夕方六時過ぎだった。


「ただいまー」


聞き慣れた声がする。


玲奈だった。


拓也も一緒だ。


義母が玄関へ向かう。


「いらっしゃい」


「お母さん、こんばんは」


望も台所から顔を出した。


そして少し驚く。


玲奈が以前とまるで違っていたからだ。


白いブラウス。


紺色のカーディガン。


グレーのロングスカート。


足元はシンプルなスニーカー。


ブランドのロゴが目立つバッグもない。


ネイルもしていない。


アクセサリーも小さな銀色のピアスだけだった。


数ヶ月前なら考えられない姿だった。


だが不思議だった。


以前よりずっと綺麗に見えた。


顔色が良い。


目の下の隈もない。


笑顔も自然だった。


無理をしている感じがしない。


「どうしたの?」


義母が笑う。


「なんか若返った?」


玲奈は照れた。


「それ褒めてる?」


「褒めてるわよ」


拓也も頷く。


「確かに」


「本当?」


「うん」


玲奈は少し恥ずかしそうだった。


食卓には料理が並んだ。


栗ご飯。


鮭の塩焼き。


豚汁。


ほうれん草のおひたし。


かぼちゃの煮物。


梨。


秋の香りが食卓いっぱいに広がる。


「いただきます」


みんなで手を合わせる。


しばらくは穏やかな食事だった。


栗ご飯の甘み。


鮭の香ばしさ。


豚汁の温かさ。


自然と会話も弾む。


「そういえば」


義母が言った。


「借金どうなったの?」


玲奈が笑った。


「だいぶ減ったよ」


「本当に?」


「うん」


玲奈は頷いた。


「あと一年ちょっとかな」


その言葉に義母の顔が明るくなる。


「頑張ったじゃない」


「まだ途中だけどね」


玲奈は味噌汁を飲んだ。


湯気が眼鏡を少し曇らせる。


「ブランド品ほとんど売ったし」


「うん」


「パートもシフト増やしたし」


拓也が感心したように言う。


「偉いな」


玲奈は苦笑した。


「最初は嫌だったよ」


「だろうな」


「でもね」


玲奈は少し考えた。


「意外と平気だった」


望が顔を上げる。


「平気だった?」


「うん」


玲奈は笑った。


「ブランドバッグ持ってなくても誰も気にしないし」


みんな笑う。


「高い服着てなくても生きていけるし」


「まあそうだね」


「むしろ楽」


その顔は本当に晴れやかだった。


食事が終わる頃には外はすっかり暗くなっていた。


食後は温かいほうじ茶が出された。


梨も切り分けられる。


甘い香りが漂う。


その時だった。


玲奈がバッグからノートを取り出した。


「望さん」


「はい?」


「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


望は目を瞬かせた。


玲奈が差し出したのは家計簿だった。


表紙は少しくたびれている。


毎日使っている証拠だった。


「今月ね」


玲奈がページを開く。


「食費が予算オーバーしたの」


望も身を乗り出した。


二人でノートを見る。


以前なら考えられない光景だった。


玲奈は昔、望の話を聞こうともしなかった。


むしろ見下していた。


それが今では真剣な顔で相談している。


「外食?」


「ううん」


「じゃあ何だろう」


二人で数字を追いかける。


義母と拓也は少し離れた場所から見ていた。


義母が小声で言う。


「本当に変わったわね」


拓也も頷いた。


「うん」


「玲奈が人に教わるなんて」


「昔は絶対なかった」


二人とも少し笑った。


一方、玲奈は真剣だった。


「ここかな?」


望が言う。


「お弁当用の冷凍食品が増えてます」


「あっ」


玲奈が声を上げる。


「そうか」


「忙しかったんですね」


「そうなの」


玲奈は苦笑した。


「シフト増やしたから」


原因が分かると安心したようだった。


「ありがとう」


玲奈が言う。


「いえ」


「本当に助かる」


その言葉は心からのものだった。


望は少し照れる。


玲奈はノートを閉じた。


そして静かに言った。


「望さん」


「はい」


「前にね」


玲奈は視線を落とした。


「私、あなたのこと全然分かってなかった」


部屋が静かになる。


「玲奈さん」


「ごめんね」


その言葉に望は驚いた。


玲奈がこういうことを言う人ではなかったからだ。


玲奈は続ける。


「私はずっと見栄ばかりだった」


窓の外では虫の声が聞こえる。


秋の夜だった。


「でも望さんは違った」


玲奈は笑う。


「ちゃんと地面を見てた」


望は何も言えなかった。


玲奈は少し照れながら続けた。


「私ね」


「うん」


「今は本当に尊敬してる」


その言葉に望の胸が温かくなった。


許してもらいたいわけではない。


褒められたいわけでもない。


ただ、こうして心が通じ合えたことが嬉しかった。


帰り際。


玄関先で夜風が吹いた。


涼しい風だった。


「また家計簿見てね」


玲奈が笑う。


「もちろんです」


「先生」


「先生じゃありません」


「じゃあ師匠」


「もっと違います」


二人とも笑った。


車に乗り込む玲奈の横顔は穏やかだった。


昔のような焦りも見栄もない。


ブランド品を失った。


お金も失った。


けれど代わりに手に入れたものがあった。


それは地に足のついた暮らしだった。


そして本当に信頼できる人との繋がりだった。


夜空には星が輝いている。


望はその光を見上げながら思った。


人は失うことで初めて見えるものがある。


玲奈が手放したのはブランドバッグや見栄だった。


そして手に入れたのは、自分らしく生きる強さだった。


今の玲奈は以前よりずっと輝いていた。


それは高価な宝石では決して作れない、本物の輝きだった。



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