第15話 月一万円会議
第15話 月一万円会議
年が明けた。
一月の朝は冷たい。
窓の外では白い息を吐きながら通勤する人たちが足早に駅へ向かっている。近所の公園では霜が芝生を白く覆い、冬の太陽が弱々しく光っていた。
望は台所で七草粥をよそっていた。
湯気の向こうで義母が嬉しそうに言う。
「今年は胃に優しいお正月だったわ」
「食べすぎたんじゃないですか?」
「ちょっとだけ」
義母は笑った。
その向かいでは拓也が新聞を広げている。
しかし視線は新聞ではなくスマホだった。
投資関係の記事を読んでいるらしい。
望はその様子を見て少し笑う。
以前のように派手な動画ばかりではない。
最近は経済記事や投資の基礎を読むようになっていた。
朝食を終えた後だった。
拓也が真面目な顔で言った。
「なあ、望」
「なんですか?」
「投資って結局いくらから始めるのが正解なんだ?」
望は洗い物をしながら首を傾げた。
「正解なんてないですよ」
「またそれだ」
拓也が苦笑する。
「でもさ、少ないと意味ない気がするし」
「そう思うでしょ?」
望は蛇口を閉めた。
そして振り返る。
「だからみんな失敗するんです」
「え?」
「一気に増やそうとするから」
義母も興味津々でこちらを見ていた。
望は少し考えた。
そして言った。
「じゃあ、月一万円だけ投資してみる?」
部屋が静かになった。
拓也は瞬きを繰り返す。
「一万円?」
「うん」
「それだけ?」
「それだけ」
義母も拍子抜けした顔をした。
「もっと大きなお金かと思った」
望は笑う。
「投資って本来そんなものですよ」
拓也は腕を組んだ。
「でも一万円じゃ全然増えなくない?」
「そうですね」
「ほら」
「でも減っても困らない」
拓也は黙った。
その言葉は妙に説得力があった。
その日の夜。
食卓にはノートが置かれていた。
表紙には望がマジックで書いている。
『第一回 夫婦投資会議』
拓也は吹き出した。
「なんだこれ」
「会議です」
「本格的だな」
「形から入るタイプなので」
夕食は豚汁だった。
大根、人参、ごぼう、こんにゃく。
たっぷりの野菜から甘い香りが漂う。
焼き鯖の香ばしい匂いも食欲を誘った。
食事を終えた後。
三人はこたつを囲んだ。
義母はみかんを剥いている。
望は家計簿を開いた。
「さて」
まるで会社員みたいな口調だった。
「月一万円をどう作るか考えます」
拓也は笑う。
「財務大臣かよ」
「そうかもしれません」
望も笑った。
ノートには家計が細かく書かれている。
食費。
光熱費。
通信費。
日用品。
娯楽費。
拓也は数字を見て首を傾げた。
「意外と使ってるな」
「使ってますよ」
「何削る?」
義母が言った。
「お菓子?」
「それは嫌です」
望と拓也が同時に答えた。
義母は大笑いした。
しばらく三人で話し合う。
すると拓也が言った。
「そういえば先月、外食三回行ったよな」
「行きましたね」
「一回減らせば?」
望は計算する。
「四千円くらいですね」
「じゃあ残り六千円」
義母が言う。
「コンビニ?」
拓也が固まる。
望は吹き出した。
「図星ですね」
「いや、でも仕事帰りについ」
「週三回は多いです」
拓也は観念した。
「確かに」
さらに計算する。
コンビニコーヒー。
お菓子。
雑誌。
何となく買った飲み物。
積み重なると意外な金額になる。
「これでいけるかも」
拓也が驚いた顔をした。
「本当だ」
一万円という数字が見えてくる。
誰かが我慢するわけではない。
少しだけ見直すだけだ。
望は嬉しくなった。
昔ならこんな話し合いはできなかった。
家計は自分一人で抱えていた。
相談しても理解されないと思っていた。
でも今は違う。
「じゃあ決まり」
望が言う。
「来月から積立開始」
拓也は頷いた。
「よし」
そして少し照れくさそうに笑う。
「なんかワクワクするな」
「儲かるから?」
望が聞く。
拓也は首を振った。
「違う」
「え?」
「一緒にやるから」
望は少し驚いた。
そして胸の奥が温かくなった。
義母がみかんを食べながら言う。
「それが一番いいわね」
外では冷たい風が吹いている。
けれど居間は暖かかった。
翌週。
拓也はコンビニの前で立ち止まった。
新発売のスイーツが並んでいる。
甘い香りが漂う。
少し迷う。
だが財布を見て笑った。
「今日はやめとくか」
そのまま家へ向かう。
玄関を開けると夕食の匂いがした。
シチューだった。
バターと牛乳の優しい香り。
居間から望の声が聞こえる。
「おかえりなさい」
拓也はふと思った。
投資というと、お金を増やすことばかり考えていた。
けれど本当は違うのかもしれない。
何かを我慢することではなく。
何かを失うことでもなく。
未来の自分たちへ少しずつ贈り物をしていくこと。
そんなものなのかもしれない。
食後。
望は積立設定の画面を見せた。
月一万円。
小さな数字だった。
だが二人には妙に頼もしく見えた。
大金ではない。
派手でもない。
誰かに自慢できる金額でもない。
それでも。
夫婦で初めて決めた未来への約束だった。
窓の外では冬の星が静かに輝いていた。




