第14話 お金の価値
第14話 お金の価値
十二月の夜だった。
外では北風が吹き、窓ガラスがかすかに震えている。夕食後の居間には暖房のぬくもりが広がり、テーブルの上にはみかんの籠が置かれていた。
望はソファに座り、編み物をしていた。
毛糸の柔らかな手触りが指先をくすぐる。
義母は隣で家計簿を書いている。
最近始めたばかりの「おかねノート」だ。
「牛乳百九十八円……」
義母が真剣な顔でつぶやく。
「お義母さん」
望が笑う。
「そんなに気合い入れなくても大丈夫ですよ」
「だって間違えたくないもの」
義母は眼鏡を直した。
その時だった。
向かいのソファから突然、大きな声が響いた。
「うおおおっ!」
拓也だった。
望と義母は同時に振り返る。
「どうしたんですか」
「見ろよ!」
拓也はスマホを突き出した。
興奮で頬が赤くなっている。
「この人、一年で資産が十倍だって!」
望は画面を覗き込んだ。
動画サイトだった。
派手なサムネイル。
『元手十万円から一億円!』
『今すぐ買わないと手遅れ!』
『人生逆転の秘密!』
文字が踊っている。
望は思わず苦笑した。
「また見てるんですか」
「だって面白いんだよ」
拓也は真剣だった。
「この人たちみんな金持ちなんだぞ」
義母も興味津々で画面を覗く。
「すごいわねえ」
「でしょ?」
拓也はうれしそうだった。
まるで宝探しの地図を見つけた少年みたいだ。
望はみかんを一つ剥いた。
爽やかな香りが広がる。
そして一房を口に入れながら言った。
「ねえ拓也さん」
「ん?」
「その人たちが本当に儲かったかどうか分かります?」
拓也は固まった。
「え?」
「見せてるのは成功した話だけですよ」
「うっ……」
「失敗した人は動画にならない」
義母が頷いた。
「それはそうね」
拓也は少し勢いを失う。
だがすぐに反撃した。
「でも望だってビットコインで成功したじゃん」
「たまたまです」
「たまたま?」
「うん」
望は即答した。
拓也は納得していない顔だった。
「そんなわけないだろ」
「本当です」
望はみかんをもう一房食べる。
甘酸っぱい果汁が口の中に広がった。
「私は未来が見えてたわけじゃない」
「でも億単位になったんだぞ」
「結果論です」
拓也は腕を組んだ。
「じゃあ何が違うんだ?」
望は少し考えた。
そして静かに言った。
「お金は増やすより守る方が難しいよ」
部屋が少し静かになった。
暖房の風の音だけが聞こえる。
拓也は首を傾げた。
「どういう意味?」
「例えばね」
望はテーブルに置かれたみかんを指差した。
「十個のみかんを二十個にする方法はいっぱいある」
「うん」
「でも二十個を二十個のまま残すのは意外と難しい」
拓也は黙る。
「人は増やすことばかり考える」
望は続けた。
「でも減らさないことの方が大事だったりするの」
義母が感心したように頷いた。
「なるほどねえ」
「詐欺に騙されない」
「無駄遣いしない」
「借金しない」
「生活費を使い込まない」
望は一つずつ指を折る。
「そういう方がよっぽど難しい」
拓也はスマホの画面を見つめた。
そこには派手な高級車。
豪華なタワーマンション。
札束。
まるで夢のような映像が流れている。
「俺さ」
拓也がぽつりと言った。
「実は焦ってたのかも」
望は顔を上げた。
「焦る?」
「うん」
拓也は笑った。
少し寂しそうな笑顔だった。
「望がすごい資産持ってるって知ってから」
「……」
「俺だけ何もない気がして」
望は何も言わなかった。
拓也は続ける。
「だから一発逆転したかったのかも」
その言葉を聞いて、望はようやく理解した。
拓也はお金が欲しかったのではない。
置いていかれるのが怖かったのだ。
夫として。
家族として。
自分だけ何も成し遂げていない気がしていたのだ。
義母が優しく言った。
「拓也」
「なに?」
「あなた、お父さんに似てるわ」
「え?」
「すぐ焦るところ」
義母は笑った。
「昔、競馬で儲けようとして全部なくしたことあったのよ」
拓也が吹き出す。
「親父らしいな」
「その時ね」
義母は懐かしそうに目を細めた。
「お金は急いで増やそうとすると逃げるって言ってた」
望も笑った。
「名言ですね」
「失敗した本人が言うと説得力あるでしょう?」
三人は声を上げて笑った。
笑い声が部屋いっぱいに広がる。
その後。
拓也は動画を閉じた。
代わりに本棚から投資の入門書を取り出す。
「今日はこっち読む」
望は目を丸くした。
「動画は?」
「なんか疲れた」
拓也は苦笑した。
「見てるだけで金持ちになった気分になるし」
「それは危険ですね」
「だろ?」
義母も笑う。
「現実は牛乳百九十八円だものね」
「お義母さん、それ言います?」
外では冷たい風が吹いている。
だが部屋の中は暖かかった。
望はふと父の言葉を思い出した。
お金は人生を楽にする。
けれど人生そのものではない。
守るべきものは通帳の数字だけではないのだ。
家族。
健康。
信頼。
毎日の食卓。
そういうものもまた財産なのだと。
やがて夜が更けていく。
拓也は本を読みながらメモを取っていた。
義母は家計簿を閉じた。
望は湯呑みに新しいお茶を注ぐ。
湯気がふわりと立ち上る。
その光景を見ながら、望は静かに思った。
本当のお金の価値とは、増やすことではない。
大切なものを守るために使えることなのかもしれない。
窓の外では冬の星が冷たく輝いていた。




