第13話 玲奈の秘密
第13話 玲奈の秘密
十二月の風は冷たかった。
空はよく晴れていたが、頬を撫でる風には冬の匂いが混じっている。駅前の銀杏並木はすっかり葉を落とし、歩道には黄金色の葉が敷き詰められていた。
望はマフラーを巻き直しながらスマートフォンの画面を見た。
そこには珍しいメッセージが表示されている。
『今度ランチでもどう?』
送り主は玲奈だった。
望は思わず二度見した。
玲奈から個人的に誘われることなど、今までほとんどなかったからだ。
家族の集まりでは会う。
LINEで連絡が来ることもある。
だが、そのほとんどは頼み事だった。
店の予約。
母親の病院。
手土産の相談。
そんな用件ばかりだった。
「どうしたんだろう……」
数日後。
二人は駅前のイタリアンレストランで向かい合って座っていた。
店内にはクリスマスソングが流れている。
焼きたてのパンの香り。
トマトソースの酸味。
コーヒーの香ばしい匂い。
若い女性客たちの笑い声があちこちから聞こえてくる。
玲奈はいつものように華やかだった。
ベージュのロングコート。
ブランド物のバッグ。
綺麗に整えられたネイル。
雑誌から抜け出してきたような姿だ。
だが望は違和感を覚えた。
目の下に薄く影がある。
笑顔もどこか硬い。
「珍しいですね」
望が言う。
「こうして二人で会うの」
玲奈は苦笑した。
「そうね」
ウェイターが料理を運んできた。
きのこのクリームパスタ。
湯気が立ち上る。
チーズの香りが食欲を刺激する。
しばらくは他愛ない話だった。
寒くなったこと。
義母の家計簿のこと。
拓也が最近皿洗いを頑張っていること。
玲奈も笑っていた。
だが何か言いたそうだった。
フォークを持つ手が落ち着かない。
何度も水を飲む。
そして食事が終わり、コーヒーが運ばれてきた時だった。
玲奈がぽつりと言った。
「望さんって……私のこと嫌い?」
望は驚いた。
「え?」
「まあ嫌いよね」
玲奈は自嘲気味に笑う。
「今まで散々嫌なこと言ってきたし」
窓から差し込む冬の日差しがカップの縁を照らしていた。
望はしばらく考えた。
「嫌いというより……」
「うん」
「苦手でした」
玲奈は吹き出した。
「正直だなあ」
「すみません」
「いや、いいのよ」
玲奈はコーヒーを一口飲んだ。
そして急に静かになった。
店内の賑やかな音楽が遠く感じる。
「実はね」
玲奈が小さな声で言う。
「相談したいことがあるの」
望は黙って耳を傾けた。
玲奈はバッグから封筒を取り出した。
何枚もの明細書。
カード会社の利用明細だった。
望は思わず目を見開く。
「これ……」
「カードローン」
玲奈が笑う。
だがその笑顔は痛々しかった。
「結構あるの」
「いくらですか?」
玲奈は少し迷った。
そして小さく答えた。
「三百八十万」
望は息を飲んだ。
想像以上だった。
「そんなに……」
「でしょ?」
玲奈は窓の外を見た。
「私ね」
冬空を見上げながら続ける。
「ずっと見栄張ってたの」
風が窓を揺らした。
玲奈の声はどこか疲れていた。
「ブランドバッグも」
「服も」
「アクセサリーも」
「全部?」
「ほとんど」
望は言葉を失った。
玲奈はいつも成功者に見えた。
仕事もできる。
おしゃれ。
社交的。
自信に満ちている。
そんな人だと思っていた。
「SNSもね」
玲奈は苦笑する。
「映える写真ばかり載せてた」
スマホを取り出す。
そこには華やかな写真が並んでいた。
高級ホテル。
アフタヌーンティー。
ブランドショップ。
夜景の見えるレストラン。
どれも羨ましくなる写真ばかりだった。
「すごいですね」
望が言うと、玲奈は首を振った。
「全然すごくない」
その声は震えていた。
「写真撮った後、値段見て後悔してた」
望の胸が少し痛んだ。
玲奈は続ける。
「みんなにすごいって思われたかった」
「……」
「仕事できる女だって」
「……」
「成功してる女だって」
玲奈は笑った。
だがその目には涙が浮かんでいる。
「でも本当は貯金ゼロ」
望は初めて知った。
玲奈は強い人ではなかった。
強く見せ続けていただけだった。
「なんで私に?」
望が尋ねる。
玲奈は少し黙った。
それから照れくさそうに言った。
「家計簿」
「え?」
「お母さんの家計整理したでしょう?」
望は頷いた。
「お母さん、あの日すごく安心した顔してた」
玲奈の声が少し震える。
「私、羨ましかったの」
望は何も言えなかった。
玲奈がこんな表情をするなんて思わなかった。
「私ね」
玲奈は笑う。
「お金が欲しかったんじゃないのかもしれない」
「え?」
「安心したかっただけなのかも」
窓の外では夕暮れが始まっていた。
街路樹の影が長く伸びる。
クリスマスのイルミネーションが少しずつ灯り始める。
望はゆっくり頷いた。
その言葉はよく分かった。
投資を始めた時も。
家計簿をつけた時も。
欲しかったのはお金そのものではなかった。
安心だった。
「玲奈さん」
「なに?」
「一緒に整理しましょう」
玲奈の目が大きくなる。
「怒らない?」
「怒りません」
「呆れない?」
「少しは呆れます」
玲奈は吹き出した。
久しぶりに心から笑ったような顔だった。
店を出る頃には空は薄紫色に染まっていた。
吐く息は白い。
イルミネーションが街を彩っている。
玲奈は空を見上げた。
「私、初めてかも」
「何がですか?」
「助けてって言ったの」
望は少し驚いた。
そして微笑んだ。
今まで見えていたのは玲奈の強さだけだった。
ブランド品の向こう側。
派手な笑顔の向こう側。
その奥にある弱さを、望は初めて知った。
人は案外、自分が見せている姿とは違うのかもしれない。
冷たい冬の風が吹く。
けれど二人の足取りは、来た時より少しだけ軽くなっていた。




