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1章 灯り⑧瑠璃色の残響

前回のあらすじ

ヴィール討伐を終えたリヒトたちは巨大都市国家アトルサへ帰還する。しかし街の人々は命を懸けて戦うオベリア部隊へ冷たい視線を向けていた。理想と現実の落差に戸惑うカタリーナ。そんな彼女にリヒトは「戦う意味」を問われたような感覚を抱く。基地へ戻った後、リヒトは自らの過去を連想させる消えない傷跡に触れながら、忘れている“何か”への違和感を募らせていた。そしてアトルサ軍総司令官ディノスとの会話を通じ、未来のために戦う意味を少しだけ見出していく。一方その頃、カタリーナとウルスラは物陰からそんなリヒトの様子をこっそり見守っていた。

 その日の夜。ベッドの上に寝転がりながらぼんやりと天井を眺めていると、リンクギアの通知音が響いた。


 リヒトは表示された内容を確認する。ローザからだった。内容は短い。――0番研究室へ来い。しばらくの間、その文字列を見つめた後、長く息を吐いて、ゆっくりと体を起こした。


 リヒトはミリタリージャケットを羽織り、足早に階段を降りる。静まり返った基地の廊下にブーツが床を叩く音だけが長く響いていた。



 一階へ辿り着くとカタリーナとウルスラの姿があった。二人は手を繋いでいる。小柄なウルスラと、すらりとした体型のカタリーナ。俯瞰して見れば姉妹のように見えた。リヒトは二人を横目で流した後、小さく鼻から息を抜いた。


「盗み聞きは良くないぞ」


 そのまま二人の前を通り過ぎ、エレベーター横の認証パネルへリンクギアを翳す。すると背後から慌てたような声が飛んできた。


「違うよリヒト!たまたま!たまたまそこにいただけだもん。ね!そうだよね!」

「そうですよ!ウルスラちゃんの言う通りです!たまたまそこにいただけなんです」


 二人とも忙しなく身振り手振りをしている。リヒトはそんな様子を横目で眺める。鼻で笑い、呆れて終わる程度のやり取り。しかし、今は胸の奥に引っ掛かった感情が消えなかった。


 やがて電子音が鳴り、エレベーターの扉がゆっくり開いた。地下から流れてくる冷たい空気が肌を撫でる。


「お前たちも乗るんだろ。0番研究室で間違いないな」


 抑揚のない低い声でそう言うと、カタリーナは小さく頷いた。彼女の手をキュッと握るウルスラの顔には影が落ち始めている。繋がれた小さな手が微かに震えている。


 そんな様子を見たリヒトは感情を押し隠すように大きく息を吐いた。平然としていなければならない。そう自分へ言い聞かせるように。


 しかし、カタリーナは違った。彼女はウルスラの前にしゃがみ込むと、その震える小さな手を包み込むように優しく握った。


 彼女の表情には覚悟が滲んで見えた。自分の進む先を理解した上で、それでも逃げずに歩こうとしている人間の目だった。


 エレベーターの扉が閉まりかける。リヒトが先に中へ乗り込むと、続くようにカタリーナとウルスラが乗り込んでくる。三人を乗せたエレベーターは低い駆動音を響かせながら静かに地下へ降りていった。



 浮遊感から一気に重力が身体へ戻り、エレベーターが低い駆動音と共に停止した。ゆっくり扉が開かれる。三人は無言のまま、その通路を真っ直ぐ進んでいく。壁や床は白と銀の無機質な造りで統一されており、微かな機械音だけが静寂の中に響いていた。


 やがて0番研究室へ辿り着く。鈍い光沢を放つ分厚い金属製の扉。三人がその前に立つと、扉は機械的な電子音と共に開かれた。



 研究室の中央には長い机が一台だけ置かれている。しかし、それ以外の空間は大量の電子機器によって埋め尽くされていた。青や緑の光を点滅させるモニター。コードが複雑に絡み合った大型装置。透明な液体が循環する筒状の装置が並んでいる。


 席にはローザが座っていた。深紅の長い髪を背中に流し、腕を組んだままこちらを見据えている。普段は冷静な彼女の表情にも、今は僅かな硬さが滲んでいた。


 リヒトたちが部屋へ入ろうとした、その時。ローザの頭上を飛び越えるように、小さな影が猛烈な速度で突っ込んでくる。


「リヒトや!今回手に入れたコアは素晴らしいぞ!久しぶりにあんな綺麗なコアを見たわい。ほれ。褒美にチョコでもどうじゃ?」


 気付けば目の前に、小柄な老人が立っていた。立っていたというより飛び込んできたに近い。


「い……ただきます」


 目の前の老人こそオベリア部隊創設者にして0番研究室の責任者、バルムンド博士だ。老人とは思えないほど目がぎらぎらしている。そして何より目を引くのはその髪型だった。真っ白な髪が頭頂部から縦へ向かって大きく伸びている。まるでパイナップルだ。縁の細い丸眼鏡の奥では小さな瞳が忙しなく動いている。


 博士はチョコを渡した後も落ち着く様子はない。カタリーナを見た瞬間、彼の動きがピタリと止まる。


「その子じゃな……」博士はどこか申し訳なさそうに眉をひそめた。

「すまないの。何とか成功率を上げようとはしているんじゃが、いかんせんバルムエネルギーの抽出が難しくてな。ただ今回はほんの数パーセントだけ成功率があげられる気がするんじゃが……」


 バルムンド博士は頭を掻いたり、手を擦り合わせたりと落ち着きなく動き回っている。いつも豪快で掴みどころのない彼だが、この手術の時だけはいつもこうなる。成功率一割という重たい現実。それでもカタリーナは逃げずに博士を見返していた。やがて忙しなく動いていた博士の手が止まる。


「お嬢さんに戦う覚悟はあるのかい?」


 その言葉が研究室へ落ちた瞬間、リヒトの眉間に深い皺が寄る。知らず知らずのうちに拳を握っていた。別の道はないのか。そんなリヒトの迷いを切り裂くようにカタリーナは口を開いた。


「はい、あります」


 力強い声色だった。顔を向けると彼女と目が合う。澄んだ空色の瞳。それでもリヒトは固く結んでいた唇から力は抜けなかった。


 バルムンド博士はローザと短いアイコンタクトを取り、バイオリモデルの準備に取り掛かった。



 研究室の奥には実験室があり、そこは更に無機質だった。広々とした白い空間の中心には、人が一人入れるほどのカプセル状の装置が鎮座している。その装置へ無数のケーブルや管が蜘蛛の巣みたいに繋がっており、周囲の電子機器が絶え間なく作動音を響かせていた。やがて準備が整った。


 実験室へ入る前、カタリーナが足を止める。振り返り、小さく微笑んだ。


 その笑みを見た瞬間、リヒトの胸が強く軋む。何か言わなければと。言葉が喉の奥で絡まり、声が出ない。結局、リヒトは彼女の背中を見つめることしかできなかった。


 カタリーナがカプセルの中に入る。濃い灰色の装甲が閉じられるともう外から彼女の様子はほとんど見えなくなった。急に世界から切り離されたような感覚が押し寄せる。


「それじゃあ。いくぞい」


 バルムンド博士が電子機器へ向かい、呪文みたいに長いコードを猛烈な速度で打ち込んでいく。連続して無機質な電子音が鳴り響く。しかしリヒトの耳には何も入ってこなかった。聞こえるのは自分の鼓動だけ。暴れるように脈打つ音が頭の中を支配していた。


 やがて光が走る。青白いエネルギーが無数のケーブルを伝い、彼女の入ったカプセルに流れ込んでいく。最初は淡かった光が徐々に強さを増していく。研究室全体が白く染まり始める。リヒトは反射的に目を細めた。それでも視線だけは逸らさない。逸らしてはいけない気がした。


 光はさらに強くなる。まるで太陽を至近距離で見ているみたいな暴力的な白い光。やがて――眩い光が、ゆっくりと消えていった。


 直接見続けていたせいで視界が真っ暗になる。リヒトは何度も瞬きをし、目を擦る。ぼやける視界の先。カプセルには何の動きもない。嫌になるほど、静かだった。


 恐る恐るバルムンド博士の方を見ると、彼は機械へ身体を預けるように項垂れていた。小さな背中が急にひどく老いて見える。ウルスラは床にへたり込み、肩を震わせながらすすり泣いていた。ローザは腕を組んだまま、その腕を壊れそうなほど強く握り締めている。誰も何も言わない。何も言えなかった。


 リヒトの唇が微かに開く。胸の奥が重く沈んでいく。取り返しのつかない場所へ落ちていくみたいに。


「彼女をひとまず寝かせてあげよう。全ては私の責任だ」


 ローザの振り絞るような言葉だけが落ちた。彼女の声を最後に、リヒトの記憶はこの冷たい部屋の中へ溶けていった。



 気が付くと仮眠室のソファに身体を沈ませていた。青白い照明の光が滲んで見える。どれだけ時間が経ったのかも分からなかった。周囲を見回す。誰もいない。静かだった。


 ふと目の前のベッドを見ると端から桃色の髪が見えた。顔から力が抜ける。立ち上がろうとするも身体が重い。鉛でも流し込まれたみたいだった。


 リヒトはゆっくり目を閉じ、大きく息を吸う。肺が軋むように痛い。それでも無理やり立ち上がると足元がふらついた。


 カタリーナがベッドに横たわっている。長い桃色の髪が白いシーツの上に広がっていた。

 

 リヒトは上着のポケットに手を入れ、あの瑠璃色の石を取り出した。淡い光を宿した石が掌の上で小さく揺れている。頭の中であの日の言葉が浮かぶ。


「一緒に来い。役に立てばお前の命は俺が守ってやる」


 その言葉が、今はひどく空虚だった。リヒトは石を握り込む。掌に伝わる痛みだけがやけに現実的だった。


 リヒトは激しく表情を歪め、更に強く握りしめる。鋭利な断面が掌へ深く食い込む。皮膚を裂き、血が滲む。


 その直後、握った拳の隙間から深く青い光が漏れ出す。目を見開いた。


 急に視界が不規則に回転した。頭の奥を直接掻き回されるような激痛が走る。脳が焼けるようだった。同時に断片的な映像が雪崩のように流れ込んでくる。どこだかわからない。薄暗い森の中を必死に駆けている。湿った土を蹴る感触。荒い呼吸。木々の隙間を抜ける風。


「なんだ。これは……」


 リヒトは苦痛に顔を歪め、手で顔を覆った。しかし流れ込む映像は止まらない。視界の先に馬車が見える。その扉に手を伸ばした瞬間。急激に視界が傾く。顔を上げようとするが、霞んでうまく見えない。誰だ。群衆が迫ってくる。怒号。そしてまた場面が変わる。激しい剣幕で襲い掛かってくる誰かを殴り飛ばしている。骨が軋む感触。血飛沫。断片的な映像が拒絶する脳に無理やり流れ込む。


 リヒトは思わず口元を押さえる。呼吸が乱れ、視界が明滅する。それでも映像は止まってくれない。


 誰かを抱えている。華奢な女性だった。腕の中でぐったりとしている。腹部が赤く染まっていた。溢れんばかりの焦燥感が胸を埋め尽くす。嫌だ。失いたくない。そんな感情だけがぐちゃぐちゃに流れ込んでくる。リヒトの胸が激しく脈打つ。


 どこで間違えた。何を間違えた。ただ、その瞳をもっと見ていたかっただけなのに……。


 細い体を揺すっている。すると彼女がゆっくりと目を開く。空色の瞳が濡れている。


「ごめんね」と彼女は掠れた声でそう言った。


 リヒトは立っていられず、そのまま前へ崩れ落ちた。肩で激しく息をする。頭が割れるような痛み。鼓動が暴れている。


 リヒトが目を開くと、すぐ目の前に未だ目を閉ざしたカタリーナの顔があった。まるでおとぎ話から抜け出してきたように整った顔立ち。柔らかな桃色の髪。息を乱したまま彼女の顔を改めてじっと見つめる。


 研究室を照らす光が瞬きをするようにちらついていた。その時だ。彼女の長い睫毛が微かに震えた。艶のある唇が動く。リヒトは目を細めた。


 やがて、彼女の瞼がゆっくりと開かれた。空色の瞳がリヒトを映した。


「リヒトさん……。どうしましたか?」


 空気に溶けるような声。カタリーナはそう囁くと、汗ばんだリヒトの頬にそっと手を触れた。呼吸が共鳴するような一瞬の静寂が漂う。


「気分はどうだ……」


 ようやく絞り出した声は掠れていた。


「いい感じです」


 カタリーナは小さく微笑みながらそう答えた。彼女の声を聞いた瞬間、張り詰めていた何かがふっと緩む。


 リヒトはゆっくり身体を起こすと全体重を預けるように近くの椅子へ腰を下ろし、そのまま天井を見上げた。冷たい青白い光がはっきりと目に映る。ふと手の中に鈍い痛みを感じ、拳をゆっくり開く。瑠璃色の石の鋭利な箇所が掌を深く傷つけており、血が滲んでいた。リヒトは無言のまま上着で血を拭うと、石を静かにポケットへしまい込んだ。



 それからは少々忙しかった。リンクギアでカタリーナが目を覚ましたことをウルスラ、バルムンド博士、ローザに伝えると、数分もしないうちに彼らがここへ飛び込んできた。


「カタリーナちゃん!」


 真っ先に飛び込んできたウルスラは大粒の涙をぼろぼろ零しながらそのままカタリーナの胸へ顔を埋めた。涙を拭う余裕すらない。小さな身体を震わせながら子供みたいに泣き叫んでいる。カタリーナは柔らかく微笑みながらそんな彼女の頭を優しく撫でていた。


 バルムンド博士とローザに状況を説明しても、二人は揃って不思議そうな顔をするだけだった。バイオリモデル自体は成功している。しかし、こんな事例は誰も見たことがなかった。検査で分かったのは、カタリーナの体にもリヒトと同じ超高濃度のバルムエネルギーが流れているということだけ。それが何を意味するのか。誰にも分からない。それでも、カタリーナが生きている。今のリヒトにはその事実だけで十分だった。


 それから数日後。カタリーナは正式にオベリア部隊へ加入し、彼女の訓練はリヒトが担当することになった。


 空っぽだったリヒトの心に静かな熱が流れ込んでいく。少なくとも今のリヒトはその熱を胸に前を向いていた。

読んでくださりありがとうございます。

やはり、二人の持つ瑠璃色の石には何かがありそうです。

次回、のんびりした回です。ローザの人間味ある言動や動きに注目。


感想や評価をいただけると、今後の執筆の励みになります。よろしくお願いいたします。白モン

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