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1章 灯り⑦戦う理由

前回のあらすじ

ラピス教国を脱出したリヒトはカタリーナを連れてステルスシェルに乗り込んだ。しかし彼女はアトルサへ移住する条件として致死率の高い人体改造手術『バイオリモデル』を受けるよう命じられてしまう。反発しながらも何も変えられない自分へ苛立つリヒト。そんな中、ウルスラとの会話を通して、彼はカタリーナを最後まで守る覚悟を固める。そしてその想いは、ローザたちにも少しずつ伝わり始めていた。

 二日ほど荒野を進み続け、オベリア部隊はようやくアトルサに到着した。ラピス教国ほどではないが、ここもまた見上げるほど高い壁によって国全体を囲まれ、金属質な壁面が陽光を鈍く反射していた。


 特徴的なのはアトルサ全体に覆いかぶさるシャボン玉のような薄い透明の膜だ。壁面や壁の上には近代的な兵器が隙間なく並び、周辺を彷徨うヴィールたちに容赦なく銃火を浴びせていた。乾いた銃撃音が昼空へ響き渡る。撃ち抜かれたヴィールが赤黒い液体を撒き散らしながら崩れ落ちていく。


 リヒトたちを乗せたステルスシェルは周辺のヴィールが駆逐されるまで待機となった。やがて激しい銃撃音が収まり、ステルスシェル内部に通信が入る。


「オベリア部隊。入国を許可する」


 感情の一切感じられない無機質な声。それが合図となり、ステルスシェルは壁付近の巨大な昇降装置へ乗せられた。大きな駆動音を響かせながらゆっくり上昇していく。ステルスシェルが壁の上に到着すると待機していた兵士たちは探知機のような機器を無遠慮にステルスシェルへ押し当て始めた。まるで汚染物でも扱うみたいに。


 リヒトは腕を組みながら壁に背を預け、その様子を窓越しに眺めていた。


 その時、隣の小さな気配に気づく。カタリーナだ。彼女は両手を窓へ当て、食い入るように外を見つめている。


「ここがアトルサ。なんだか――すごく発展していますね」


 窓の向こうに広がる景色にカタリーナは目を輝かせている。規則正しく並ぶ街並み。宙を横切る輸送機。昼の光を反射する白い建築群。ラピス教国とは違う人の文明の匂い。


 しかしリヒトはその姿をどこか冷めた目で見つめていた。


「そう見えるか。俺にはただの檻にしか見えないけどな」

「檻、ですか。そう例えるならラピスと似てる気はします。あの国に自由はありませんから。でもこの国には、オベリアの皆さんみたいになにかを変えようとする人がいる。私は……この国の人たちが羨ましいです」


 カタリーナは窓の向こうを見つめたまま、小さく呟いた。瞼を弛ませ、口元に柔らかな笑みを浮かべていた。リヒトはそんな彼女の姿に目を細めた後、視線を窓の外へ逃がした。


「……あまり期待しない方がいいぞ」

「それはどういう……」


 言葉の置き場に迷うような声が聞こえた。ふと窓の外にいた軍人と目が合う。男は途端に表情を鋭くし、こちらを露骨に睨みつけてきた。そして、こめかみを指先で突きながら、その指をくるくると回転させる。リヒトは何も言わない。慣れたように視線を切った。


「あの人、態度悪いですね」


 カタリーナがむっとした顔で呟く。リヒトは小さく鼻を鳴らした。


「こんなこと気にしていたらきりがないぞ」


 やがてステルスシェルが低い駆動音を響かせながら動き出した。壁の上をモノレールみたいに滑るように進んでいく。窓の外には、ビルのように高い建物群や綺麗に整地された公園、規則正しく並ぶ集合住宅地が次々と流れていった。やがてステルスシェルは人通りの多い住宅街付近でゆっくり速度を落とし、そのまま地上へ降下していった。


 近代的な建物と自然が上手く調和した街並み。タイルで整地された道路脇には細葉の木々や色鮮やかな花壇が整然と並び、噴水広場では子供たちが遊んでいる。カタリーナの表情が柔らかさを取り戻した。そんな穏やかな街の大通りを巨大なステルスシェルがゆっくりと通過していく。


 カタリーナはまた身を乗り出すように窓の外を見つめていた。しかし、その表情が少しずつ曇り始める。通りを歩いていた人々がステルスシェルを見るなり、表情を変えていたからだ。子供の手を引いた母親は慌てるように道の端へ寄る。若い男たちは露骨に眉をひそめ、年配の女性は嫌悪を隠そうともしない。


 進む先々で同じ反応が繰り返されていく。カタリーナは瞬きを繰り返す。何かを言いたげに唇が開いたり、閉じたりしている。彼女の瞳が小さく揺れていた。


 リヒトは腕を組み、窓の外を眺めているだけだった。


 カタリーナは胸元でぎゅっと手を握り、小さく視線を落としていた。リヒトは彼女の口が開くのを静かに待っていた。しかし彼女は何も言わない。重たく沈む空気だけがゆっくりと二人の間へ流れていった。



 野放しにされた木々、土の地面を押し固めただけの道を抜けると、ステルスシェルはゆっくり動きを止めた。オベリア本部基地へ辿り着いたのだ。そこはまるで領地の端へ追いやられたみたいな場所だった。広々と開けた荒れ地。訓練用と思われる無機質な地面。そして五階建ての横に長い簡素な建物だけが存在している。街中にあった整った景観や賑わいはどこにもない。乾いた風が砂を転がし、建物の外壁を静かに撫でていた。


 リヒトは未だに眉間に薄い皺を寄せているカタリーナを横目で見る。彼女が何を思っているのか、おおよそ理解はできる。

 

「……オベリアの皆さんは命をかけています。それなのに。この国の人たちはなんであんな顔ができるんですか……」


 口元が小さく震えている。空色の瞳は戸惑いと悔しさの間で行き場を失っているようだった。


「命を懸けているからって偉いわけじゃない。有難迷惑って思う連中もいる」

「でもこれじゃあ……あんまりです」


 カタリーナは俯き、胸元で握った手に力を込める。細い指先が白くなっていた。リヒトはそんな彼女を見つめた後、何も言わずに窓の外へ視線を戻した。


 リヒトたちが外へ出ると、駆け寄ってきたウルスラがカタリーナの手を引っ張る。「こっちこっち!」と明るい声を響かせるウルスラに連れられて、カタリーナも小走りで基地へと向かっていた。


 彼女たちの背中を目で追った後、リヒトは無意識に小さく息を吐く。そしてそのまま何事もなかったように基地の中へ足を向けたのだった。



 コンクリート製の階段を上り、四階にある自室の扉を開ける。ベッドと机と椅子しかない部屋。少し埃っぽかったので窓を開けると爽やかな草木の匂いが、涼しい風と共に部屋の中へ吹き込んできた。リヒトはミリタリージャケットを脱ぎ捨て、そのままタンクトップからも頭を引き抜いた。薄い皮膚の下から浮かび上がる筋肉。俊敏な動きを支えているのはこの鍛え上げられた体だ。


 背中。そして腹部。まるで何か長いものに貫かれたような小さな傷跡が残っている。


 どれだけ傷を負っても再生する身体。それなのにこの傷だけは能力を使っても治らなかった。リヒトはその傷に触れた。指先に感じる僅かな凹凸。痛みではない。しかし、この傷を見るたびに息が詰まりそうになる。何か大切なものを失ったような。取り返しのつかないことがあったような。そんなやるせなさだけが胸に広がっていく。思い出せないことが余計に気持ち悪かった。


 リヒトは眉間に皺を寄せ、その感情を振り払うようにロッカーを開ける。中から着替えを取り出し、無言で袖を通した。前とまったく同じ黒い服。何も変わらないし、変えようとも思っていない。着替え終えたリヒトは窓の外を一度だけ眺める。


 柔らかな風が部屋へ流れ込み、白いカーテンを静かに揺らしていた。リヒトは小さくため息をつき、そのまま自室を後にした。



 長い廊下に規則的に配置された窓から昼の陽光が差し込んでいる。白い壁と床に反射した光が基地特有の無機質さを少しだけ和らげていた。そんな静かな廊下に高らかな笑い声が響き渡っている。ちょうど廊下と階段がぶつかる場所にプラウドとアトルサ軍総司令官であるディノスの姿があった。リヒトはその声を聞いた瞬間、僅かに肩の力が抜けた。


 ディノスはリヒトを見つけると、白い軍服を纏った大きな身体を揺らしながらこちらへ歩いてきた。まるで熊が歩いてくるみたいな圧迫感だ。そして豪快に片手を上げる。


「よう!ローザから聞いたぞ。お前また命令違反したんだってな」


 腹の底に響く低い声。凛々しい眉に彫りの深い顔立ちが目の前まで迫ってくる。


「いや。ちゃんと報告はしましたよ。報告は」

「結構結構!それぐらいの方がローザもやりがいあるだろう。現場は任せっきりだから俺は何も言わん!」


 耳を塞ぎたくなるほど野太い高笑いが廊下中へ響き渡る。周囲の空気まで震えるようだった。リヒトは微かに片眉を上げた。するとディノスの後ろからプラウドが現れ、薄い笑みを浮かべながら巨大な肩を軽く叩く。


「僕に感謝してほしいね。ああなったローザをなだめるのは毎回大変なんだからさ」

「それが副隊長の役目だろう。俺にはその役目は務まらん。火に油を注ぐ気しかしないからな!」


 ディノスはまた豪快に笑い、プラウドは呆れたように肩を竦める。


 リヒトはそんな二人を見つめ、小さく鼻を鳴らす。この二人と話すといつの間にか張り詰めていた空気が緩んでいく。遠慮なく冗談を飛ばし合う二人を羨ましく思った。


 そんな中、奥の階段から焦茶色のツインテールと桃色のロングヘアが飛び出したり、引っ込んだりしている。明らかにこちらの様子を窺っていた。なにしてるんだ……。リヒトは呆れたように眉を寄せる。


 しかしその瞬間、ふと先ほどのカタリーナの表情が脳裏をよぎった。


 リヒトは小さく目を伏せる。戦う意味など考えたことはなかった。戦っている間だけは余計なことを考えなくて済む。それで十分だった。しかし、カタリーナは違う。あの納得できない悔しそうな顔を見ればわかる。彼女には彼女なりの戦う理由が必要だ。


 リヒトはゆっくり顔を上げ、真っ直ぐな瞳をディノスへ注いだ。


「ディノスさんから見て、俺たちがやってることってどう思いますか」


 落ち着いた声でそう言うと、ディノスは一瞬だけ拍子抜けしたように目を丸くした。普段のリヒトならこんなことを聞かないと言わんばかりの顔。やがて彼は針金みたいに太い顎鬚をゆっくりと擦った。


「そうだな……。今を見るか、はたまた数百年先の未来を見るか。世界は残酷だから急に明日が来ないこともある。だが俺は未来を見たい。もっと明るい未来を。大抵大事なことってのは、目を背けたくなるもんさ。だから未来のために戦うお前たちを、俺は誇りに思っている」


 ディノスの声は驚くほど真っ直ぐだった。――誇りに思っている。そんな言葉を向けられたことはなかった。リヒトは固く結んでいた薄い唇から、ふっと力を抜く。胸の奥に沈んでいた重苦しさが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。


 すると隣でプラウドが二度柏手を打つ。


「ディノス。熱い話はありがたいけど、そろそろ行かないと会議に遅れるよ」

「おっとまずいまずい。俺もなかなかここに来れないが、今度またゆっくり話をしよう」


 そう言うと二人は足早に廊下を歩いていった。リヒトはしばらくその背中を見つめた後、奥の階段に視線を向ける。しかし、いつの間にかウルスラとカタリーナの姿は消えていた。

読んでくださりありがとうございます。

組織のトップはディノスのように先を見る人間であってほしいものです。

次回、カタリーナの『バイオリモデル』が実行。揺れ動くリヒトの心に注目です。


感想や評価をいただけると、今後の執筆の励みになります。よろしくお願いいたします。白モン

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