最終章 百万回と一回目⑭約束の花園
アトルサを出発したリヒトとカタリーナ、および元オベリア部隊の面々はほどなくしてラピス教国跡地へとたどり着いた。見るも無残な有り様。大地は荒れ果て、建物の殆どは倒壊し、今や無残な墓標のように崩れ落ちている。その光景を見つめるリヒトの胸を占めていたのは悲しみだけではなかった。この地に初めて足を踏み入れたあの日から、行き詰まった人生の歯車が動き出したのだ。込み上げる多くの思い出が脳裏を掠めていく。
ステルスシェルがさらにこの地の奥へと進んでいく。見えてきたのは遠目で見ればクレーターのような、それでいて深い穴だった。ステルスシェルが停止。浮遊していた機体が砂塵を上げ、地面に着地する。リヒトは機体から降り、カタリーナもその後に続いた。
穴の周りには大量の土砂が詰まれ、天高くから降り注ぐ陽の光が真っ直ぐにその底を射抜いている。落ちた奈落よりも格段広いそれ。自分たちを救出するのにどれだけの人員と労力が必要だったか。改めてローザたちに感謝が溢れてくる。その穴は陽の光に照らされ、底まで見ることができた。
リヒトは目を細めて覗き込むと口を引き結んだ。救助用のロープを下に垂らしてもらい、リヒトとカタリーナはかつての墓地だった場所へと滑り降りていく。
冷ややかな静寂が支配する地底。隆起した大地の一角にリヒトが見つけたそれはあった。陽の当たる色を失った灰色の大地の上にひっそりと。薄青色の花弁が織りなす中心が黄色い花が一輪だけ咲いていた。
リヒトはリンクギアでマリークを呼んだ。ほどなくしてトパーズの双眸を激しく揺らした彼女がこの場所に滑り落ちてきた。
その花を見たマリークは唇を震わせ、吸い寄せられるようにそこに歩み寄る。その場にしゃがみ込んだ後、しばらく動かなかった。その後、彼女は花を傷つけぬよう慎重に掘り起こし、壊れ物を扱うように両手で包み込んで、リヒトたちの元へと戻ってきた。
「ビリア様が……一番好きだった花だ」瞼を弛ませたマリークの表情に悲壮の中にほんの少しの郷愁。その花をリヒトの前に差し出した。「大切にしてあげてほしい」
リヒトは静かに、はっきりと首を振った。
「ビリアと約束したんだ。たくさんの花に囲まれた場所で暮らそうって。俺たちはビリアがその花を一番好きだったことを知らなかった。それはマリークとビリアの二人の思い出の花だから……。その花はマリークが持っていてほしい」
リヒトは眉尻の下がったマリークを真っ直ぐに見据えた。口を噤むマリークは手の中の小さな命を見つめ、戸惑うように瞳を揺らしている。
「……私でいいのだろうか」
いつもの凛とした響きは影を潜め、沈んだ、震えるような問い。リヒトはさらに言葉を重ねた。
「俺たちはここに沢山の人が暮らせる場所を作る。だからマリーク。旅が終わったらここに帰ってきてくれ。その方がビリアも喜ぶはずだ」
意志の強く、それでいて優しくマリークへ言葉を渡す。彼女の手の中にある薄青の花弁を震える。カタリーナが花を支えるマリークの手を下からそっと包み込む。
「私が今生きていられるのはビリア、そしてマリークさんがいたからです。だからあなたを一人にはさせません。気が済むまで世界を見て、それから必ず帰ってきてください」
マリークはリヒトたちに背を向けた。小さく震える背中から見える花弁が落ちてくる雫によって揺れている。微かな花の香りがこの場所を満たした。それはまるでマリークの幸せを願うビリアの微笑みのように。
リヒトたちは穴の底から地上へと戻り、新たな生活の礎を築くべく荒れ果てた大地の再生に取り掛かった。大きなこの穴を埋める作業から始め、元あった場所へと土を戻していく。機械の唸る音と砕かれた石が立てる乾いた音。時間はかかったが、三日程作業を続けると、あの深い穴は埋まり、平らにならされた大地にはたっぷりと水が撒かれた。
次に住む家の建設。かつてヴィールを殲滅する武器を作っていたオベリアの兵器設計部隊が図面を見ながら、手際よく木材を組み上げていく。リヒトはその流れるような手際にただ茫然と立ち尽くし、家ができていく様を眺めていた。
完成したのは想像を遥かに超える立派な三階建ての木造邸宅だった。晴れ渡る空から差し込む陽光をたっぷりと浴びれそうな広く突き出したウッドデッキに風が吹き抜けるバルコニー。カタリーナと二人で住むには広すぎるほどのその家はこれから二人が築く長い月日の器となるようだ。
リヒトは共に戦い、この場所を築いてくれた仲間たち一人一人と力強く握手を交わした。言葉にできないほどの感謝を思うがままに伝えるた。そして最後にローザとも。柔和に笑む彼女はどこかすっきりとしたような、少しばかり寂しげな表情を滲ませていた。
「頼まれていたものは到着している。ちょっと待っててくれ」
ローザはそう言うと、小走りでステルスシェルへ戻って小さな布包みを抱えて戻ってきた。
「一応希望通り色んな花の種を取り揃えておいた。私は花の種類とかよくわからないが……。いつかここ一面が花で埋め尽くされるのを楽しみにしておくよ」
ローザは満足そうに新しく拓かれた大地に視線を巡らせた。乾いた砂が今では湿った土の香りに変わっている。
「隊長。何から何までありがとうございます。そして今日までお世話になりました」
「もう隊長じゃないけどな」
「隊長はずっと隊長です。俺は隊長がいたから今この場にいます」
リヒトの真っ直ぐな言葉にローザは目元を震わせて、天を仰いだ。
「それはそうだな。まったくお前ときたら本当に言うことは聞かないわ、命令違反はするわ」
「……すいません」
「それでも自分で考え、苦しみ、掴んだものは何事にも変えない価値がある。私はお前を誇りに思うぞ」
「ありがとうございます」
その言葉はリヒトの心に温かな火を灯した。ローザは次にカタリーナに向き直る。
「カタリーナ。リヒトをよろしく頼むな。お前は優しすぎるから少しぐらい尻に敷いてやれ」
「任せてください! おいたしたらローザさん直伝のあの技を使いますから」
「ほう……。それは楽しみだな」
顎に指を沿わせるローザと冗談めかして笑うカタリーナ。二人を見てリヒトは頬を掻いて笑うしかなかった。
「ローザさんも。プラウドさんとここに遊びに来るのを楽しみにしてます」
「ん、な! な、なぜ今、プラウドの名前が出てくるのだ。私はその……。別にあいつのことなど……」
「素直になっていいと思いますよ。私はローザさんの幸せも願っています」
「……少し考える」
カタリーナが優しく畳み掛けると、ローザは顔を真っ赤にして口を尖らせていた。
終始笑いの絶えない穏やかな時間を過ごした後、ローザたちはアトルサへと帰っていった。リヒトは彼らが地平線の彼方へ消え、音も聞こえなくなるまで、ずっとその場で見送っていた。
「よし。やろうか」リヒトが腰に手を当て、清々しい表情をカタリーナに向けると彼女は「はい!」と弾むように返事をした。
二人はローザから受け取った小包を開いた。そこには多種多様な花の種が区切られたケースに保管されていた。丁寧に種別ごとに分けられた種。それは約束した礎と未来への希望だった。
家を囲むように耕された土に一つ一つ丁寧に種を埋めていく。
どんな花が咲くのか。花が咲いたらこの地はどんな景色になるのか。ビリアは喜んでくれるだろうか。そんなことを考えながら二人は汗をかきながらその作業をひたすら繰り返した。
一通り種を植え終えた頃には、空は濃藍に染まっていた。二人は疲れ果てた身体を広いウッドデッキに投げ出した。ローザとの過酷な稽古を思い出すほどの心地よい疲労。
一時の休息の後、カタリーナが汗を流すために浴室へ。彼女が出た後リヒトも汗を流した。
べたついた汗をさっぱりと洗い流し、窓の外を見るとウッドデッキに佇むカタリーナの姿があった。リヒトが隣に腰を下ろすと、石鹸の清涼な香りと、彼女のミルクのような甘い香りがふわりと混ざり合う。空を見上げれば、そこには吸い込まれるような満天の星空。新たな生活の始まりを祝福するように無数の光が瞬いていた。
天を仰ぐリヒトが熱い視線に気づいて、静かに息を吐き、顔を向ける。カタリーナが潤んだ上目遣いでこちらを見つめていた。星の光に照らされた彼女の柔らかな髪、空色の瞳の中に星々が瞬くような。リヒトは彼女の陶器のように滑らかな手に触れると、カタリーナが導かれるように静かに身を寄せてきた。胸のかかる重み。いつまでもこうしていたいと、そんな熱い想いが胸を焦がす。リヒトは口元に弧を描く。
高鳴る鼓動のまま、彼女の頬に手を添わす。そして、艶やかな唇に口付けをした。
一度離れると潤んだ瞳が、物足りなそうな彼女の表情がリヒトの理性を優しく溶かしていく。リヒトはもう一度口付けを交わした。
理性の檻が壊れる。そのまま彼女の身体を力強く抱き上げた。リヒトは彼女を抱いたまま、木の香りが漂う家へと足を進めた。ゆっくりと扉が閉じられる。静まり返った夜の荒野に、その家だけが確かな生命の熱気を孕んで、静かに佇んでいた。
読んでくださりありがとうございます。
長い長い、リヒトの物語もようやく終わりです。
次回、エピローグ。これでこのお話は終わりです。最後までよろしくお願いいたします。
感想や評価をいただけると、今後の執筆の励みになります。よろしくお願いいたします。白モン




