最終章 百万回と一回目⑨滅びの巨神
リヒトはレイルモービルのアクセルを全開で走り続け、機体が悲鳴を上げるように軋み、激しく振動している。制御できる速度を超え、今はただ全力で避難するしかない。横目で見た先には地平線を塗りつぶすほどの黒い激流が砂塵を巻き上げて迫ってくる。
「このままじゃ飲み込まれる……」
後部座席に座っているビリアが呟いた。裾を握る手の力が強くなっているのを感じる。それに呼応するようにリヒトはアクセルを更に捻った。もう速度が上がるはずもないのに。
「マリーク! 合わせて!」
「御意」
ローザの後部座席に乗っているマリーク、ビリアは迫り来るヴィールたちに手を翳した。翡翠と紫紺の光のエネルギーがヴィールたちを薙ぎ払った。地面が弾け飛美、肉の焦げ付く不快な匂いが風に乗って運ばれる。が、手前のヴィールを倒しても、後続のヴィールたちが死体を踏みつけて押し寄せてくる。それでも二人は力を振り絞って攻撃を繰り返した。
リヒトたちは辛うじて国の中心部を抜け出し、丘の上でレイルモービルを止めた。ビリアはリヒトの背にもたれ、甲高い呼吸を繰り返していた。マリークも同様に疲労困憊の様子。彼女たちの息が戻るまで、待とうとしたが背中を叩かれる。呼吸の整わないビリアが丘の頂上を指さしている。唇を引き結ぶリヒトに向けて、ほとんど息のような声で「行って」と声を溢す。頷いたリヒトはゆっくりレイルモービルから降り、丘の頂上に駆け出し、そこに立つと目を見張った。
眼下に広がるその地はもう都市としての形を成していなかった。建物は瓦礫に変えられ、中心には黒く蠢く巨大な肉塊があった。リヒトは無意識に傍らにあった枯れ木の幹に手をかけた。
中心に押し寄せるヴィールたちがまるで溶け合うように吸収され、更に大きさを増していく。もしカタリーナが助からないとしたら、と嫌な想像をしたリヒトの指が樹皮を破り、幹に深く食い込む。
「大丈夫……。例え飲まれても、あの子には影響、ないはず。あの子が持っている力は……奴らには毒みたいなものだからね」
まだ息が戻っていないビリアが歩み寄ってくる。
「そうだと願うよ。出ないと俺は……」
「戦う意味がない?」
ビリアの真っすぐな視線を胸に刺さる。彼女の表情には諦めの文字は見えない。
「いや。戦おう。約束したんだ」
その時、視線の奥にいる脈動する肉塊が不意に動きを止めた。地上を駆けずり回るヴィールもまた呼応するように動かなくなる。騒然としていたこの地に風の音さえ消えたような静寂。完全な無音が数秒続いた後、それが鼓動。最初は小さく、徐々にテンポが速くなり、鼓動も大きくなる。心臓に耳を当てた時のような音が空気を伝わる。やがて、一度大きく鼓動した後、地響き。肉塊が蠢き、巨大な身体を形作る。隆起する筋肉とヴィールと同じ赤黒い肌。そして天を突くほどに巨大な上半身。まるで巨神だった。ヴィールとは異なり人間の顔が形作られ、白銀の長い髪が生えていた。
その巨大な顔の額で青白く光る結晶。リヒトは目を細めた。
「カタリーナ……」
結晶の中に静かに目を閉じて祈るように胸の前で手を合わせたカタリーナの姿があった。
突如。巨神が両腕を広げて天を仰いだ。口が耳元まで裂け、地を揺るがす咆哮。轟音。リヒトは大地を強く踏みしめ、凄まじい風圧に耐えていた。枯れた木々が引き抜かれ、空中で粉々に砕け散る。根源的な恐怖である死の文字が脳裏にちらつく叫び声だった。
「我のすべてをかけてこの世界を滅ぼしてくれる。覚悟しろ。矮小なる人間どもよ」
幾千もの声が折り重なった腹の底に響く太い声。しかし、リヒトは動じることなく息を吐き、首を捻って骨を鳴らした。
——絶望なんて何度も経験した。それに比べればこんなもの……。
オルフェニアを倒すか、人類が倒れるか。決着はこの二つだけ。
リヒトは首に掛けてある瑠璃色の石を取り出した。欠けている一つはあそこにある。グッと握りしめ、強い視線を奴に向けた。その時、背中を叩かれる。彼の横にはビリア、マリークそしてローザ。彼女たちも覚悟は出来ているようだ。
リヒトは目を瞑り、細胞一つ一つに意識を向ける。湧き上がるようなエネルギーが、リヒトの身体からオレンジ色の光が溢れ出した。その光が辺りに散らばると恐怖で俯いていた草木が息を吹き返したように瑞々しく色づき始める。リヒトの黒瞳の奥に燃え上がるような闘志が宿った。
強い風がリヒトの青みがかった黒髪を靡かせる。リヒトは岩壁を見下ろした。そして高くそびえる丘から真っ逆さまに落下していった。漆黒の外套が激しくはためき、凄まじい風切り音が耳を裂く。オレンジの光が流星のような軌跡を描いた。リヒトはバルムセイバーを崖に突き立て、減速。地面に足をつけると、弾かれるように飛び出した。疾風の如く駆けるリヒトの元に、しばらくしてレイルモービルに跨ったマリークとビリアが募る。彼女たちを一瞥するとリンクギアに通知が入り、ローザの声が聞こえてきた。
「アトルサ諸君! 最後の任務だ! 中心部へ集結しろ! 力の全てを出し尽くし、ヴィール共を殲滅せよ!」
ローザの号令が、各地で戦う兵士たちの雄たけびがこの地に響き渡り、リヒトは小さな笑みが口の端を掠めた。
そして、敵も動く。巨大な身体から剝がれるように新たなヴィールが生まれる。どれも中型や特殊個体ばかり。四足歩行で地を這う個体、背中から鋭い骨が剥き出す個体など、見たこともない新種のヴィールが大地を揺らして迫ってくる。
「邪魔だ……。そこを開けろ!」
オレンジ色の流星が黒く塗りつぶされた闇に衝突した。今まさに最後の戦いの火蓋が斬られた。
リヒトはバルムセイバーを振るって、突き進んだ。リヒトの刃に斬られたヴィールたちは身体が再生しない。しかし、死など恐れないそれは構わずリヒトに襲いかかる。
「はぁ!」
バルムセイバーが弧を描くたび赤黒い血が宙を舞う。が、斬っても斬っても視界は黒い肉壁に遮られたまま。その時、後ろから翡翠と紫紺の光がリヒトの周りのヴィールたちを引き剥がす。
「僕が道を作る。だからリヒトは構わず進んで」
リヒトの前に割って入ったビリアが両手に翡翠の光を宿している。
「ありがとう。ビリアも気をつけろ」
ビリアの背中を軽く叩いた。ビリアが圧縮されたエネルギーを前方へ放つと同時にリヒトは駆け出した。闇の中に一筋の光が見える。そのまま突き抜けようとした時、巨神となったオルフェニアが動き出した。空を覆うほど大きな手を振り上げる。
「リヒト、避けて!」
ビリアの悲鳴のような警告の束の間、オルフェニアが手を地面に叩きつけた。まるで虫でも潰すかのように。ギリギリのところで避けたリヒトだったが、衝撃を殺しきれず、吹き飛ばされ、隆起した岩に背中をぶつけた
「……っ、ガハッ……!」
肺の中の空気が吐き出され、視界がちかちかと瞬く。蹲るも大きく呼吸をし、頭を振った。口の中に広がる鉄の味を外に吐き出す。そして歪めた顔を挙げると、リヒトが目を見張り、ゆっくりと立ち上がった。
「何だ……」
視線の先にいるオルフェニアが大地に両手をつき、口を大きく開いていた。彼の口内に黄金の耀きが集まる。ビリビリとした空気が肌に伝わる。無意識のうちに駆け出したリヒトはリンクギアを起動し、喉が割れるほど叫びを上げた。
「全員離れろ!デカいのが来るぞ!」
刹那。音が消えた。放たれた金色のレーザーが大地を抉った。遅れて、凄まじい衝撃波がリヒトを襲う。爆風に煽られ、地面を転がったリヒトは無理やり身体を起こした。。視界に飛び込んできたのは生を拒絶するように白く焼き払われ抉り取られた無残な地表だった。
「嘘だろ……」
戦慄に震える。
「敵も味方もお構いなしかよ」
攻撃の余波に晒されたヴィールたちが跡形もなく消滅していた。山を思わせるその巨神は醜悪な肉体を反らせ、空気を震わせる不快な笑い声を響かせた。
「いいぞ……。最初からこうしておけばよかった。この世界など不要なのだ。すべてを無に帰し、我が望む形へ書き換えてくれるわ!」
巨神が移動を始めた。ぬかるみに囚われた怪物の如く身体を捩り、大地を引き裂きながら進んでいく。それが通り過ぎた後には、底なしの闇だけがへばりついている。それがどれほど深く続いているのかわからない。
「リヒト! 大丈夫?」
安堵の表情を浮かべたビリアが駆け寄ってきた。
「一体、どうすれば……」
あれがヴィールの集合体であるならば弱点はあるはずだ。コアを破壊すればいい。しかし、視界の中にあるそれらしきものは巨大な額に埋め込まれた結晶ただ一つ。そしてその中にはカタリーナが閉じ込められている。
「やるしかない」声を振り絞る。「ビリア。あれを倒すにはコアを破壊するしかない。そうだろ」
ビリアに目を向けるが、彼女は顔をうつむいたまま口を開かない。あの結晶を砕くことで中にいるカタリーナがどうなるかを彼女は知っているのだろう。
「手を貸してくれ」
「でも、そんなことしたらあの子が無事かわからない! ちょっと待ってて。今別の方法を考えているから」
リヒトはビリアの張った肩にそっと手を置いた。
「約束したんだ。あの男を倒して、救い出すって。だから頼む。俺たちで……終わらせよう」
ビリアは顔を俯き、頷いた。
リヒトは走った。足元の砂を巻き上げ、迫りくる黒い波濤をオレンジ色の輝きで薙ぎ払いながらただ前へ。脳裏にはカタリーナと過ごした日々、彼女の柔和な笑みが灯火のように浮かんでは消える。彼女の願いを、約束を叶えるために。
突如、リヒトが巨大な影に覆われた。オルフェニアの手が迫り来る。
「そのまま進んで!」
ビリアの声と共に放たれた翡翠の光が巨大な掌を退ける。リヒトは垂直に切り立つオルフェニアの腕を駆け上がっていく。一歩踏み出すごとにオレンジ色の波動で赤黒い肌が爆ぜ、巨漢の体表を泥のように飛散させる。
そして、脚に力を込め高く飛んだ。目の前にカタリーナを捉える。未だ目を覚さぬ彼女。幸せな日々が脳裏をよぎる中、リヒトは奥歯を噛み締める。雄叫びを上げながら、渾身の力でバルムセイバーを振り下ろす。甲高い音が鳴る。硬質な結晶に阻まれ、微かな傷はつくも断ち切れない。
突如リヒトはバランスを崩した。オルフェニアが身体を大きく逸らしたのだ。一度近づいたカタリーナとの距離が離れていく。そして、オルフェニアが羽虫を払うように巨大な手を振り下ろした。
凄まじい衝撃。リヒトの身体は弾丸のように吹き飛ばされ、砂地に身体を打ち付けられた。内臓がひっくり返るような感覚と、全身に電流を流されたような激痛。しかし、リヒトは軋む身体を無理やり動かして立ち上がった。
何度も、何度も同じことを繰り返した。二度、三度……。途中で周囲の怒号や爆音さえ聞こえなくなった。戦況がどちらに傾いているのか、自分以外の誰が生き残っているのかさえ定かではない。それでもリヒトの瞳にはただ一点。あの青白い結晶だけが映っていた。何度目の登攀。脚が鉛を流し込まれたように重い。ぬかるみに足を取られるような感覚。それでも跳躍し、バルムセイバーを叩きつけた。結晶に微かな、だが確かなヒビが入った。
直後、再びオルフェニアの巨大な掌に叩きつけられたリヒトは硬い地面の上をバウンドした。転がり、擦り切れる身体。重い身体を引きずるようにして上半身を起こす。背中が上下に波打つほど呼吸は乱れ、意識の端が黒く霞んでいったのだった。
読んでくださりありがとうございます。
最後の敵が巨大化するってちょっとロマンを感じます。
次回、戦いが終わります。が、リヒトの命の灯火も、ね。
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