1章 灯り④薄明の教国
前回のあらすじ
夢の中で桃色の髪の女性と穏やかな時間を過ごしていたリヒト。しかし突然、その女性は血に染まり、悪夢のような光景と共に夢は途切れる。目を覚ましたリヒトはヴィールに包囲された夜の中で一人の信者の女性と出会った。ラピス教徒を強く警戒するリヒトだったが、カタリーナは光の結界を維持し、彼を守っていた。襲い来るヴィールを撃退した後、カタリーナが持つ瑠璃色の石と自身のペンダントの欠片が完全に一致していることを知る。それは失われた過去へ繋がる確かな手掛かりだった。猜疑心と微かな期待の狭間で揺れながらも、リヒトはカタリーナへ共に来るよう告げる。こうして二人は新たな朝へ歩き出した。
青白いドーム状の光に覆われたラピス教国。夜明け前だというのに、無骨なブルータリズム建築が並ぶ街並みには張り詰めた空気が漂っていた。冷えた石畳の上をローブや修道服を纏った人々が忙しなく行き交っていた。その中でもひと際巨大なゴシック様式の建物だけが異様な威圧感を放っていた。尖塔は空を突き刺すように伸び、薄明かりの中で黒い影となって街へ覆い被さっていた。
その建物の最上階。重厚な扉の前でマリークは赤いローブを着た男たちから伝令を受け取っていた。侵入者たちは既に国外へ逃亡。 そしてこの戦いで五名の司教が死亡。淡々と報告される言葉にマリークは表情一つ変えない。しかし長い睫毛の奥でトパーズのような琥珀色の瞳だけが微かに揺れていた。
「映像データです」
差し出された記録媒体を受け取る。マリークは無言のまま手の平サイズのプロジェクターを起動した。青白い光が壁へ投影される。映し出されたのはオベリア部隊とヴィールの戦闘映像。崩れ落ちる建物。飛び散る血。断続的に響く爆発音。中型ヴィールと戦う男の姿。
その男が瞳に映った瞬間。片目にかかるバイオレットの髪の隙間から獲物を捉えた鷹のような目が光った。しかしその一瞬だけ。映像が終わる頃には再び冷静な表情へ戻っている。赤いローブを着た男たちはマリークに深く頭を下げ、この場を後にした。
静寂。プロジェクターの微かな駆動音だけが残る。マリークはゆっくりと息を吐いた。その吐息には僅かな熱が混じっていた。
小型プロジェクターを深紫色のローブの内ポケットへ乱暴気味に押し込むと、紅を差した艶やかな唇を静かに結んだ。そして深く呼吸する。感情を押し込めるように。その後、長い指の先が目の前の鈍い光沢を放つ巨大な扉へそっと触れた。
その瞬間、扉の表面に幾何学模様が浮かび上がる。低く唸るような音と共に、扉がゆっくり開いた。冷たい空気が流れ出てくる。
見上げるほど高い天井にあるすりガラスから夜明け前の微かな光が差し込んでいる。入り口から奥へ真っ直ぐ伸びる深紅の敷物は薄暗い空間の中で鈍く落ち着いた光沢を放っていた。敷物の先には階段。その上は白く薄い幕によって仕切られている。マリークは視線をそこに据えたまま、階段の手前で一度立ち止まり、頭を垂れた。
「構わない。開けていい」
重みのあるメゾソプラノの声が静寂へ染み込むように響く。
マリークはゆっくりと階段を上がった。そして白い幕を開いた。微かに漂うジンジャーのような甘く刺激的な香りが鼻をくすぐる。幕の奥には褐色の肌をした華奢な女性が腰掛けていた。エキゾチックで神秘的な顔立ち。その幼さやあどけなさを残すその顔にはどこか疲労の影が滲んでいる。猛禽類を思わせる鋭く大きな目は光を失った宝石のように陰っていた。彼女の足元に小さな薄青色の花が一輪咲いた鉢植えが。中心だけが仄かに黄色い。それが静かに揺れていた。この冷たい空間の中でその花だけがどこか儚い生命感を宿している。
少女の傍らには一本の大きな杖が立て掛けられていた。黒曜石のような質感をした長い杖の先端には、幾何学的なキューブが静かに浮遊していた。透き通る青色の光は一定ではない。生き物の呼吸のように、ゆっくり明滅を繰り返していた。
マリークは彼女の前で膝をついた。
「サフィラス様。侵入者はすでに国外へと逃亡しました」
「頭を上げていいよ。僕を楽しませてくれると思ったのに残念だ。やつらはまたこの地に来てくれるだろうか」
サフィラスと呼ばれた少女は生命力を感じさせない眼差しで天井から差し込む淡い光を見上げていた。その横顔は美しいというより壊れかけた彫刻のようだった。マリークは無表情を装い、抑揚を押し殺した声で答える。
「どうでしょう。この期に及んで死地にくるやつらですから。命がいくつあっても足りないかと」
「そうか……。マリーク。大司教及び司教の皆に次に備えろと伝えなさい」
サフィラスが動くたびにボリュームのある褪せたアッシュグレーの髪が小さく揺れる。傍らの杖に浮かぶ青いキューブもそれに呼応するように淡く瞬いた。マリークは隙のない冷徹な顔つきのまま手を胸へ当てる。
「御意。事が終わり次第戻ってまいります」
マリークは彼女に一礼した後、部屋を後にした。重たい扉の閉じる音が薄暗い廊下に低く響き渡る。その音が消えると同時にマリークはゆっくり目を閉じた。そして細く長い息を吐く。
ローブの中から小型プロジェクターを取り出し、壁に映像を投影した。映し出されるのは中型ヴィールと戦う男の姿。青白い閃光。血飛沫。マリークはそれを鋭く見据えていた。その眼差しには微かに迷いが混じっている。人の気も知れず……いい加減にしてほしいものだ……。
マリークは無言で映像データを抜き取る。そしてそれを虫でも潰すように握り潰した。次の瞬間、彼女の表情から一切の揺らぎが消えている。鋼のような無機質な真顔だけが薄暗い廊下に残されていたのだった。
読んでくださりありがとうございます。
マリークはリヒトの何を知っているのか。会ったことがあるような口ぶりも気になります。
次回、リヒトとカタリーナがオベリア部隊と合流。彼女を受け入れてもらえるでしょうか。
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