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3章 空白⑭夜明けの煌めき

 塞ぎ込むような闇夜が薄白くなる頃。ローザはベットの上で目を開けた。まだ寝ていたいのに、夢の中に飛び込みたいのに、決まった時間に目を覚ましてしまう。


 間違っては……いない。と頭の中で自答するが、胸の奥には釈然としない何かが蠢いている。逃げ帰る他に選択肢はなかったのだろうか。マルクスだったら……。静寂に耳を傾けるが、何も聞こえてこない。硬いベットから身体を起こし、洗面所の冷たい水で顔を洗った。


「ひどい顔だ」


 鏡の中に映った自分を見て、嘲笑うように鼻を鳴らした。魂がするりと抜け落ちたような顔つき。白い肌に流れた雫が細い顎からぽとりと落ちる。


 綺麗に畳まれたタオルで顔を拭い、櫛で深紅の髪を溶かした。その後ロッカーを開き、灰色のインターを被って、厚手の丈の短いミリタリージャケットに袖を通すと、項垂れしばらくその場に立ちすくんでいた。


 マルクス……。私はどうすればいいのだろうか。


 ゆっくりとベットに腰を下ろし、いつもより時間をかけてブーツの紐を結んだ。そして、部屋の隅に立てかけてある柄が黒く汚れた鍛錬用の木刀を握り、自室を出たのであった。

 


 基地の外へ出ると、眩しい朝の光がこの地を明るく照らす。その眩しさにローザは手を翳し、目を細める。徐々に視界が慣れてくると、一つ嘆息をつき、訓練場に向かって足を進めた。


 むしっても生えてくる雑草付着した露が大地の上で煌めいている。視線を落として歩いていると、人の気配にローザは足を止め、息を飲んだ。


「……こんな朝早くから稽古とは生がでるな」


 当たり障りのない言葉が口から零れ、真っすぐ見てくるリヒトの視線に耐えきれず、視線を逸らした。


「隊長。準備が終わったら打ち合いをお願いします」


 重みのある響きに一瞬戸惑いの色を滲ませたローザだが、目元を緩ませ、小さく頷いた。彼は手に握っていた木刀を木に立てかけて走り始めた。


 彼から大切なものを奪ってしまった。その憤りを晴らせるなら喜んで受けよう。それが私が犯した——罪なのだから。


 どこか落ち着いたローザも手に持った木刀を木に立てかけ、ウォーミングアップを始めた。周囲を走っていると、凝り固まった筋肉がほぐれ、徐々に汗ばんでくる。息が少しずつ熱を帯びていく。


 

 ——そして。木刀を構えたローザはリヒトと対峙した。温かい日の光に包まれる中、ローザは胸裏の軋みを堪え、真っ直ぐにリヒトを見据えた。全てを甘んじて受け入れると覚悟したように、木刀を握る手にきゅっと力を込めた。


 

 リヒトが先に動いた。地面を強く蹴って懐に飛び込み、切り上げる彼の先行パターン。


 「早いな」とローザは呟き、彼の切り上げに木刀を振り下ろす。

 短く固い衝撃。

 鍔迫り合いには自信があったが、押し込まれる。

 顔を歪め、後ろに後退し、ふぅっと長く息を吐く。


 リヒトは構えたまま動かない。一寸の隙もないその構えにローザはどこに攻撃していいのか、わからなかった。喉をごくりと鳴らし、考えあぐねる最中、彼が痺れを切らしたように連続で打ち込んできた。


 以前の彼とは違う、迷いのない太刀筋と猛攻。長年の経験で凌げているが、打ち込まれるのは時間の問題。


 成長が早いな……。私とは大違いだ。と心の中で呟く


 初めて剣を握った時、その重さに上手く振れなかった。それでも剣を振り続け、ようやく人並み。


 ローザはリヒトの猛攻を受け続ける。当たりどころが悪ければ、木刀でも致命傷になるというほど激しく撃ち合っている時。リヒトの切り上げにローザの腕が跳ね上がる。そして、彼は木刀を脇に構える。

 

 そうだ、それでいい。これでお前の怒りが収まるかわからない。それでも、私にできることは……。


 ローザは静かに目を閉じた。が、何も起こらない。想定していた痛み、衝撃が襲ってこない。ローザがゆっくり目を開けると、突如、衝撃のみが頭を襲う。リヒトが手刀でローザの頭を叩いたのだ。ローザは頭を抑えてぽかんと口を開けた。叩かれた場所が不思議とじんわり温かく感じた。


 嘆息をついた彼は呆れたように片眉を上げていた。ローザは我に返ったように目を見開いた。


「何をしている!」


 前につんのめるように身を乗り出したが、リヒトは木刀で肩を叩き、口を尖らせていた。

 

「……何をしているって言われても困りますよ。なんですか今のは。俺は隊長から『訓練では手を抜くな』と嫌と言うほど聞かされてきましたけど」

「手など――抜いていない」


 ローザは顔を俯き、眉間に皺を寄せ、木刀が震えるほど強く握った。するとまた頭に小さな衝撃。再びリヒトが手刀を繰り出した。さっきよりも優しく、いつの日かマルクスにやられたときのように。


「だからそれをやめろ!」

「やめませんよ。隊長の、その腑抜けた面が治るまで俺は続けます」

「腑抜けた面だと……」


 ローザは飛ぶように後退し、木刀が風を切り、構えた。リヒトも合わせるように木刀を構える。奥歯をぎりりと鳴らしたローザが飛び出し、木刀を振り下ろした。カンッと乾いた音。手に衝撃が感じないほど、綺麗にリヒトは受けた。彼の微笑を見たローザは強く木刀を押し込む。


「お前に! 私の気持ちがわかってたまるか!」


 違う……。

 力が拮抗する。


「えぇ。わかりたくてもわかりません。だって俺は隊長のように強くないですから」

「抜かせ!」


 やめろ。私は……強くない。

 

 全身に力を込めて木刀を振り切ると、バランスを崩し身体が流れる。だが、追撃は来ない。ローザは再びリヒトに飛びかかり、がむしゃらに木刀を振るった。何も考えず、胸裏の拭えない憤りを断ち切るように。


 

 気が付くとローザは激しく息を切らし、滝のように汗をかいていた。そして、奥歯を噛みしめて肩を震わせた。


「憂さ晴らしを……しにきたんじゃないのか」

「……いいんですか」

「あぁ。覚悟は出来ている。気が済むまでやれ」


 彼は木刀を構えた。その真っ直ぐな視線が胸に突き刺さる。そんなことをしても彼の気が晴れないことは自分がよくわかっている。ディノスを殺した時、マルクスの仇を討ったと、これで過去は清算されたと思ったが、心の穴が更に広がっただけだった。


 それでも彼の鬱憤が少しでも晴れるなら、と。


 ローザはギュっと目を瞑り、身体に力を込めるが、何も起こらない。ゆっくり目を開けると、彼の背中が見えた。何をしているのかわからず、呆然としていると、理解した。頭を下げている。


「あの時はすみませんでした。隊長の気持ちを考えず、つい口走ってしまいました。自分が未熟なのに、隊長に当たってしまい申し訳ありません」


 淀みのない真っ直ぐな声色。胸が針で刺されたようにちくりと痛む。ローザはかぶりを振った。


「だから俺に力を貸してください! 隊長の力が必要なんです! お願いします!」


 リヒトは頭を上げなかった。ローザは必死に口を噤んだ。任せろなんて、軽々しく言えない。リヒトの背中、彼の覚悟を見てられない。


「無理だ……。私では、また失敗する」

「隊長が失敗したことなんて一度もありません」


 ローザは拳に握りしめた。

 

「私は人の上に立てる人間なんかじゃない! なんでもすぐに出来るあいつらとは違う!」


 昔から不器用だった。何をやっても周りに置いていかれ、勉強も剣も並以下だった。任務の時もマルクスの後ろにいただけ。彼の後を引き継いでも、彼のようにできたかはわからない。


「それでも俺は隊長の手を借りたい。他の人ではなく、隊長だからお願いしてるんです」

「どうしてお前はそこまでして私にこだわる!」


 胸の奥底に溜まった、弱い自分が溢れた。


 リヒトがゆっくりと面を上げた。普段の固い顔つきではなく、柔らかに。


「何度も稽古をつけてくれたのは隊長です。任務で勝手な行動をする俺を諦めずに叱ってくれたのも隊長です。俺が夢で苦しんでいる時、手を引っ張ってくれたのも隊長です。だから俺は一人で苦しんでいるあなたを放ってあげるなんて、そんな器用なことはできません。仕方ないですよね。そう——教わったんですから」


 リヒトの真っすぐな言葉がローザの凍えていた心をじんわりと温めた。溢れてきそうな熱を必死に押さえる。それでも……。


「上手にできるマルクスたちとは違う。私は……」


 またも幼少の頃の苦い記憶が蘇る。勉学も剣もやりたくて始めたはずなのに、後から始めた子達に置いていかれる劣等感。必死に努力してやっと人並み。


「何度やっても、上手くいかない。次こそは、と思っても同じように失敗する。それでも……諦めなければ、次の一回は何か変わるかもしれない。俺はその一回を掴むために生きていたんです。その一回って運よくできた一回よりも価値があると思いませんか?」


 はっと目を見開いた。必死だった。マルクス、プラウドやディノスに置いていかれないように必死に努力した。出来ないことが出来るようになった時の嬉しさと達成感。何事にも代え難い喜び。忘れていた。


 ローザは気付かぬうちに、口の端が上がっていた。


「生意気なやつめ……」


 ローザの紺青の双眸に光が宿っていた。世界に降り注ぐ陽の光で訓練場に残った露が煌めき、踏まれても折れきらなかった草の先で小さな光が揺れていた。


読んでくださりありがとうございます。

苦労してできたこと。最初から上手く行ったことよりも喜びがあると思います。

次回、3章空白の完結。最後に向けて解決すべきことがあと一つ。


感想や評価をいただけると、今後の執筆の励みになります。よろしくお願いいたします。白モン

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