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3章 空白⑧血染めの聖堂

前回のあらすじ

ラピス教国の教皇サフィラスと対面したリヒトたちは、ヴィールが儀式の失敗によって生まれた副産物であると聞かされる。カタリーナはこの地の人々の解放を訴えるが、サフィラスは冷たく拒絶した。やがて彼女は、アトルサとの和平と引き換えにリヒトを差し出すよう迫る。過去を知りたい思いと、皆を救えるかもしれないという誘惑に揺れるリヒト。しかしカタリーナとローザに引き止められ、彼は過去ではなく今を選ぶ。申し出を拒まれたサフィラスが力を見せた直後、彼女の腹部を何者かの手が貫いた。

 飛び散る鮮血。持っていた長い杖が静かに地面を叩き、サフィラスの身体が仰け反る。彼女の腹部から木の枝のような細い手が見え、それが引き抜かれると彼女は膝から崩れ落ちた。予想もしない状況にリヒトたちが呆気に取られている中、マリークが声を荒げて駆け寄る。


「サフィラス様!」


 地面に倒れ込む寸前の身体を抱き抱える。未だ瞳を揺らし、身動きが取れないリヒトはなぜか鼓動が速くなっていた。


 うねるような混沌とした空気が辺りを包み込む中、腰の曲がった紫色ローブを着た人物が血塗られた手で地面に転がった杖を拾い上げる。拾い上げられた杖は一瞬強く煌めいた後、いつもの明滅を繰り返した。

 

「サイノ!貴様!」


 睨みつけたマリークが彼に向かって、紫紺の光のエネルギー波を放つ。

 凄まじい衝撃波。轟音。

 地面を抉ったそれは奥の壁に風穴が開け、この空間に生暖かい風が流れ込んできた。


 湿度の高い風のせいで額に滲んだ汗が乾かない。マリークはすぐさま、浅い呼吸を繰り返すサフィラスの腹部に手を翳す。ラベンダーのような柔い紫光に照らされた傷が、少しずつ修復していく。やがて、流れ出る血が止まり、滑らかな褐色の肌を取り戻した。


 突如、静寂を破るように太い笑い声が響き渡る。どこか愉快そうで、それでいて嘲笑ったような男の声。すると、後ろからざわめきが広がり始めた。振り向いた先には、あの杖を握った白い装束を着た老人が立っていた。マリークの攻撃は彼を捉えていたはずなのに、彼は何事もなかったかのようにその場に佇んでいる。


 直後。赤いローブの人間たちが一斉に彼を取り囲んだ。


「よくもビリア様を!」

「サイノ卿。気でも狂ったか!」


 怒号が老人を覆う。息を合わせたように彼らが両手を翳し、手のひらに紅を宿す。暗い部屋の中で、脈打って見える血のようなそれ。場全体に熱が溜まっていく。


 次の瞬間。無数のエネルギー波が老人に襲いかかった。

 眩い閃光。空気が押し潰されるような圧と熱。

 リヒトは反射的に顔を腕で覆う。砕ける音と紅の光が、泡のように弾けて散った。


 粉塵が巻き上がる白く濁った視界の中、この張り詰めた空気に捉われない、自由気儘に宙を踊る何か。リヒトは目を凝らす。白い羽根だ。その一枚がゆっくりと梵がれて静かに降り、音もなく地面に触れる。


 粉塵の奥には輪郭がぼやけた人影があった。次に何が起きるのかも分からないまま、リヒトはその影だけを見据えていた。



 胸騒ぎを増長するような沈黙の中、突如すさまじい風圧が粉塵を薙ぎ払った。遮るものがなくなった中心に、光沢のある黒い装束に身を包んだ長身の男がいた。呆気に取られていると、どさりと重いものが落ちる音が耳に飛び込んできた。赤いローブを着た人間たちの切り離された上半身が地面に伏せ、下半身から赤の血柱が吹き上がる。


 狂気のパレードのその中心で、月光を反射したようなプラチナシルバーの長髪が静かに揺れていた。彫りの深い顔立ちに均整の取れた輪郭。作為的なほど整っているのに、不思議と冷たさより先にその完全なる異質が目につく。人の形をしているのに、人ではないことを肌で感じ取れた。

 

「サイノ……。僕に何をしたかわかってるのか」


 唖然とするリヒトたちの前にサフィラスが割って出た。傷は塞がっているが、まだ息が浅い。仲間割れ、そう単純な話ではないことだけは理解できる。


 リヒトはただ目を凝らし、華奢な背中と奥の男へ交互に視線を送った。やがて、男が杖先で地面を叩く。たった一度だけなのに、その音だけでこの空間を支配した。彼の結ばれていた口元がゆるやかに弧を描いた。


「今日までご苦労であった。やはりお前を選んで正解だった。我が使途――ビリアよ」

「やめろ!」


 突如溢れてしまったような叫び声。ビリア。あの夢に出てきた少女、女性と同じ名。彼女と目が合った。何かを堪えるように張った顔、揺れる黄色の瞳。何かを言いたいのに、言葉が出てこない。

 

「貴様……。何者だ」


 互いに逸らせない視線を遮るように、二人の間に割って入るマリーク。男は返答を急ぐ素振りすら見せず、銀髪を波打つように優雅になびかせた。

 

「我はオルフェニア。この世を統べるものである」


 オルフェニア——ラピス教が崇める神と同じ名。疑問が次々の脳裏に浮かんでは沈み、そのどれもが形を成さない。手に持った杖、先端に浮遊するキューブを宝石でも愛でるように恍惚と眺めているオルフェニア。


「もう十分に溜まった。お前たちは用済み。後、必要なのは——」


 そこで言葉が止まり、男の醸し出す優雅な雰囲気が禍々しく変わる。鳳凰を思わせる鋭い眼差しが、真っ直ぐこちらへ向けられた。


 視線が交わった。そう認識した瞬間、彼の姿が消えた。風が遅れて通り過ぎ、空気が裂ける音と共に、視界の端でマリークとビリアの身体が弾かれている。後ろから聞こえてくる呻き声。リヒトは振り返った先に目を見張った。


 段を登った先、一番高い場所でオルフェニアは腕の中にカタリーナを捉えて佇んでいた。彼女は顔を歪め、肩を捩り、拘束から逃れようと必死にもがいている。それを見た瞬間、それまで頭の中を埋め尽くしていた疑問や混乱の一切が音もなく途切れた。


 考えるより先に地面を蹴っていた。しかし段に足をかけた瞬間、リヒトの動きがぴたりと止まる。胃を裏返されるような焦燥、目の前の光景を、脳が拒む


 理解は一拍遅れてやってきた。オルフェニアの手が、カタリーナの腹部を貫いていた。飛び散った鮮血が赤く散る。その一滴一滴がやけに鮮明だった。


 オルフェニアが腕を引き抜くと、支えを失ったカタリーナの身体が前へ傾く。消えた表情。揺れる桃色の髪。瞼で閉ざされた空色の瞳。気がつけば、リヒトは段を駆け上がっていた。ただ目の前で落ちていく彼女の姿だけが視界を埋め尽くし、身を屈め、手を伸ばした。


 刹那。凄まじい衝撃が身体に襲い掛かる。景色が何度も反転。すぐに身体を前に出ようと足を踏み出す。その途端、遅れて焼けるような痛みが追いつく。肺に酸素が入っていかない。咳き込むと、熱い液体が喉を焼き、口元から赤が垂れる。胸を抉るように穴が空いていた。理解した瞬間、身体から力が抜けていくが、段の下で横たわるカタリーナが視界に映る。その瞬間、沸き立ちような怒りが倒れることを許さなかった。


 段の上からまるで虫でも眺めるように見下すオルフェニア。リヒトの中で、何かが弾ける。


 全身に青白い光が全身に纏う。血に濡れた裂けた肉が繋がり、胸に空いた穴が閉じていく。背中が膨らむように息をし、足りなかった酸素が身体に満ちていく。


 その瞬間、オルフェニアが初めて表情を歪め、口元を手で覆った。


「なんだそれは。我はそんなこと……。いや、まさか……」


 長い睫毛が伏せられ、視線だけが何かを追うように宙を滑っている。


 納得のいかぬ顔のままオルフェニアが一歩、段を下りた。

 刹那。

 地面に横たわるカタリーナの身体が、陽の光を思わせる暖かな色の膜に包まれる。血に濡れた身体を外敵から守るように。


 足を止めたオルフェニアは伏せていた目がわずかに見開かれ、口の端を釣り上げた。そして、一段。また一段。オルフェニアはゆっくり段を下りていく。


 リヒトの呼吸が早まり、視界の端が狭くなっていく。苛立ちが増し、脳がチリチリと焦げ付くような何かで瞳孔が鋭くなる。最後の段を下りた後、オルフェニアがカタリーナに手を伸ばした時。


「触るな!」


 リヒトは叫んだ。声というより溜まり切った熱を吐き出したようだった。同時に、空気が焼け、肉を炙るような嫌な音が聞こえた。光の膜に触れたオルフェニアの指先から白い煙が立ち上る。彼はゆっくりと身体を起こし、焼け爛れた皮膚を遠い記憶でも辿るみたいに眺めている。そして、その掌は音もなく修復されていった。


「カタリーナから離れろ!」


 オルフェニアが視線だけをこちらに寄越した。


「誰に向かって命令している。身の程をわきまえろ死にぞこないが。誰のおかげでお前はこの地に再び生を受けたと思う」


 彼の言葉など耳に入らず、感情を露わにしたリヒトは野獣のように凄みをある顔を向けていた。行けと言われれば、すぐにでも襲いかかる。僅かに残った理性だけが、血塗られた脳を抑えていた。

読んでくださりありがとうございます。

敵の敵が本当の敵みたいなストーリーが好きです。

次回、リヒトが全て思い出す。目を塞ぎたくなるような現実。


感想や評価をいただけると、今後の執筆の励みになります。よろしくお願いいたします。白モン

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