3章 空白④ほどかれた手
前回のあらすじ
悪夢に惑わされなくなったリヒトは、カタリーナや仲間と共に戦う日々の中で、自分一人が強ければいいわけではないと少しずつ理解し始めていた。任務後、ローザから部隊全員に第一会議室への集合が告げられる。そこで映し出されたのは、元副隊長にしてラピス教枢機卿となったプラウドからの映像だった。彼の背後には教皇サフィラスと、バイオレットの髪をした女マリークの姿。サフィラスはオベリア部隊をラピス教国へ招待すると告げ、マリークは命が惜しければ無粋な真似はするなと警告する。しかし言葉の途中で映像にノイズが走り、通信は不穏な余韻を残して途切れた。
映像が途切れた後、空調の低い駆動音だけがやけに大きく聞こえる会議室。真っ黒なモニターから視線を外せない部隊員。窓から差し込む陽光が微かに陰り、外の世界との照度の差がなくなっていた。
リヒトは握った手を口元に寄せ、目元を引き締めた。状況から見て罠に違いないはずなのに、そうとは思えない。あの褐色の教皇からは、敵意とは別の意図が滲んでいた。リヒトの深く潜った思考は壇上へ歩く音で途切れる。
ローザは演台の前へ立つと最初と同じように会場全体を見渡し、マイクを手に取る。一拍。吐息がマイクを通して小さく響いた。
「私はもう一度ラピス教国に行こうと思う。交渉できるのなら、こちらが有利になるように交渉する。これは願ってもみないチャンスだ」
誰になんと言われようと、そんな硬さのある声色。しかし、会議室の空気は違った。誰かが小さく声を漏らすと、それをきっかけに、ざわめきが広がっていく。
「……希望する者だけでいい。さすがに敵の本丸に飛び込むのは危険すぎる。出発は一週間後とする。みんなよく考えて結論を出してくれ」
彼女の言葉に再び会議室にしんと冷えた静寂が襲う。リヒトは大きく息を吸い、背もたれに深く身体を沈ませた。自然と視線が前方のカタリーナに向く。彼女はきっと希望する。誰かのためになるなら、困っている人がいるなら自分から踏み込んでしまう。
リヒトは胸の奥の重さを吐き出すように嘆息をつく。出来ればここに残ってほしいという空の言葉を吐くように。
「以上で解散とする。リヒト。少し話があるからここに残ってくれ」
顔を上げると、何人もの視線がこちらに向いていた。
ローザの合図を皮切りに、部隊員たちがぽつぽつと席を立ち始めた。リヒトは人の流れを消えるまでその場で待っていた。ざわめきが遠ざかり、足音が消える。――やがて広い会議室は空調の低い音だけを残して静けさを取り戻した。
ローザ以外誰もいなくなったことを確認すると、リヒトは立ち上がり、段差状になった通路を大股で降りていき、壇上横で待つ彼女の前に立った。
「隊長。話っていうのはなんですか?」
「まぁ本題に入る前に……。その……。あの後、どうなった?」
誰もいない会議室なのに、ローザは口元に手を添えて声を潜めた。その意味に気づいたリヒトは一瞬だけ目を逸らす。
「あの後って……。何もないですよ」
「そうか。いやぁ。邪魔をするつもりはなかったんだが。すまない」
頭を下げるローザに、リヒトは手を挙げて小さく首を振った。逆にローザがいなかったら、と思うと自分でない何かが出てきそうで少し怖かった。
気がつくと、ローザはいつもの凜とした顔つきに戻っていた。
「さて本題に入ろう。プラウドからお前宛にメッセージが届いている。私も見ていない。今お前に転送したから確認してくれ」
同時にリンクギアに通知が届く。表示された件名。
――探し物は探しているうちは見つからない。パスワードはキューブ。
リヒトは口を噤み、目を細めた。そしてパスコードの入力画面に指を伸ばした、その時だった。肩を軽く叩かれる。顔を上げると、ローザが真顔のまま後ろを指差している。奥の扉、半分だけ閉じた隙間から桃色の髪が見え隠れしている。
こちらを覗く空色の瞳と目が合うと彼女がぴたりと止まる。数秒そのまま固まっていた。軽く息を吐いたリヒトはローザとアイコンタクトを取る。ローザはどうぞと言わんばかりに眉を上げた。
リヒトが手招きをすると静かに扉が開き、カタリーナが軽く跳ねるような足取りでこちらにやってきた。自然と頬が緩むと、再び肩を小突かれる。
「席を外そうか?」
「いや。隊長も一緒に確認してください」
リヒトは少し眉尻を下げて答える。やがて、カタリーナはリヒトの横でぴたりと止まった。
「プラウドから俺宛のメッセージだ。見るか?」
彼女は二度、小さく頷く。名前を聞いた瞬間、表情が引き締まった。リヒトはパスコード欄にキューブと入力した。
「リヒトへ。無事に生き残ったようでなにより。あの時の、君の焦った様子が面白くて今でも思い出すよ。君が欲しかったものはここにあるよ。自分の目で、耳で確かめてみるといい」
何度も読み返した。リヒトは薄い唇を引き結ぶ。胸の奥に沈んでいたものが静かに揺れる。なぜこの男は、いつも欲しいものだけを差し出してくるのだろうか。まるで最初から全部わかっていたみたいに。
「欲しかったもの?」
ローザが語尾を上げた。
「俺の……過去か」
メッセージを開く前からそんな気はしていた。プラウドがラピス教国へ連れて行こうとした理由。そして教皇サフィラス。無関係だと思いたいが、心がそう応じない。あそこには何かがあると。
カタリーナはメッセージを見つめたまま、表情を引き締めたまま動かない。その横顔だけで何を考えているのかわかってしまう。彼女はラピス教国に行く。止めても行く。リヒトは気づかれない程度に目を伏せた。
「カタリーナ。今回の任務……お前はここに残れ」
諭すような口調。できるだけ柔らかく言ったつもりだったが、硬さのある響き。カタリーナは何度か瞬きをした後、静かに首を振った。
「私だってあの人たちに言わなければいけないことがあるんです。私は行きます」
「危険すぎる。待機しろ」
言葉を被せる。今度は少し強い声色で。カタリーナが弾かれるように顔を上げた。
「い、嫌です。絶対に行きます。大体危険すぎるってリヒトさんだって同じじゃないですか。リヒトさんこそ、ここでお留守番していた方がいいんじゃないですか?」
腕を組み、少しだけそっぽを向く。普段なら笑って終わるやり取りだが、今は違う。冗談にできない。彼女を危険から遠ざけたかった。
「俺は死なない。だから危険じゃない」
「そんなのわかんないじゃないですか。死んだこともないんですから。私だって防御壁があります。だから危険じゃありません」
「ダメだ。ここに残れ。俺一人で十分だ」
自分勝手な押し付けで、理屈が通っていないことはわかっている。それでも彼女を守りたい、失いたくない。
「んな。なんでリヒトさんがそんなこと……」
少し強張った表情の彼女がリヒトの方を向く。すると、一瞬目を丸くし、困ったように眉が下がる。それなのに口元は僅かに緩んでいた。リヒトは眉間に深く皺を刻んでいた。今さら誤魔化せない。視線を逸らさず、振り絞るように言った。
「お前が大事だからに決まってるだろ」
言葉が落ちる。広い会議室なのに、その瞬間だけ周囲の音が遠くなった気がした。
カタリーナは何も言わない。代わりに、リヒトの握った拳へそっと両手を重ねた。温かい。包み込むというより、固く握った拳をゆっくり解いていくような触れ方だった。視線は自然とその手に落ちる。そこからゆっくり上に移動していく。そして、カタリーナの優しく笑った顔で止まった。張っていた力が、指先から抜けていく。
「大丈夫です。だって私たちには女神さまがついているんですから」
彼女は包む手と同じような柔らかい口調でそう言った。張り詰めていた空気が静かに形を変えていく。お互いの気持ちを置いて受け取った後のように。穏やかな空気が流れる中、わざとらしい咳払いが聞こえた。
「お~い。私もいるんだけどな」
ローザが気を緩めたような顔で二人を見ていた。その声で、少し止まっていた空気が動き出す。リヒトは徐々に顔に登ってくる熱さを感じ、慌てて手を上げようとしたが、動かない。カタリーナがぎゅっと手を握って離さない。
「お、おい。カタリーナ。一旦手を離せ」
「嫌です!リヒトさんが離せというほど離したくなくなります!」
少し頬を膨らました微かな不満が漏れ出た顔。なぜか、少し楽しそう。腕を振っても、手はびくともしない。その時、ローザの高笑いが響いた。リヒトは目を丸くして顔を上げる。ローザは腰に手を回し、胸を張って立っていた。
「仲がよくてなにより!大丈夫だ!何があってもお前たちのことは私が守る」
安心感のある太めな響き。その声を聞くと、胸の不安が和らぐ気がした。リヒトは静かに息を吐く。ラピス教国へ行く。もう迷いはない。そして何があっても――。カタリーナだけは命に代えても守ると。
窓から差し込む黄金色の陽光が、会議室の床に反射し、リヒトの引き締まった表情を明るく照らしていた。
読んでくださりありがとうございます。
リヒトとカタリーナの二人だけの世界になった時にローザが割り込んでくる感じ好きです。
次回、再びラピス教国へ。怪しげな空気や信者たちにリヒトは何を思うのか。
感想や評価をいただけると、今後の執筆の励みになります。よろしくお願いいたします。白モン




