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3章 空白②夢より近くの

前回のあらすじ

悪夢に苛まれるリヒトは、桃色の髪の女性を殺したかもしれないという感覚から逃れられずにいた。カタリーナの空色の瞳を見るたび、血に濡れた光景が脳裏をよぎり、彼女を避けるようになる。任務では命令を待たず単独でヴィールを討伐し、身体を動かしている間だけ夢を忘れようとしていた。そんなリヒトを見かねたローザは、第三会議室へ呼び出し、カタリーナを避ける理由を問いただす。最初は口を閉ざしていたリヒトだったが、ローザの不器用な優しさに促され、ついに胸の奥に抱えていた恐れを語り始める。

 リヒトは吐き出すように全てを話し始めた。桃色の髪の女性が死ぬ悪夢と血に濡れたナイフ。彼女を殺したのは自分かもしれないという感覚。話している途中、何度か息が詰まった。その度に瞼を閉じて呼吸を整え、胸に塞ぎ込んでいたものを一つずつ外に押し出すように語り続けた。


 全部話し終え、気がつくと下を向いていた。いざ口に出してみると馬鹿げたことだ。夢だと言われればそれまで。それなのに自分の心に深い傷を刻んでいた。リヒトは自嘲気味な微笑を浮かべ、顔を上げた。


 目が見開き、瞳が揺れる。映ったのは、口を引き結んで涙が頬を伝うローザ。混乱し、思考が止まる。彼女からしばらく目が離せなかった。ローザは一度目を閉じ、ゆっくりと息を吸うと、結んだ口を開いた。


「すまなかった。お前がそんなに苦しんでいるのに……私は気づいてあげられなかった」

「いや。隊長は何も悪くないです。夢なんかに踊らされる俺が悪いんです」


 リヒトは目を伏せた。一人で塞ぎ込み、周りに心配や苦労をかけて、避けて、逃げている自分が情けなくて。しかし、ローザは首を横に振った。その拍子に目に溜まった涙が宙に零れ落ちる。


「すまない」


 乱暴な手つきで涙を拭った目元は少し赤くなっている。落ちた陽の光が木床に鈍く反射し、この薄暗い部屋を少しだけ明るくした。


「よく話してくれた。ありがとう」


 彼女は小さく頭を下げる。変な軽さはなく、彼女から受け取った。そう言われた気がした。リヒトは手を上げ「いえ」と短く返すが、それ以上言葉が出てこない。顔を上げたローザは目元を弛ませた柔らかい笑みを浮かべていた。


「それだけカタリーナのことが大切なんだな」


 反射的に手が上がるが、その手を静かに下ろした。嘘をつきたくない。目の前にいるローザにも。そして、自分にも。


「そう……ですね。大切なんだと思います」


 言葉にしてみるとすっと胸へ落ちていった。なんの抵抗もなくするりと。


「いつからだ?」


 ローザの問いにリヒトは腕を組んで、首を傾げた。彼女は少し笑った。


「いつから彼女が大切だと気付いた?」


 彼女との日々を思い出すが、明確にどのタイミングだかわからない。咄嗟に脳に浮かんだ言葉が口から出た。


「気づいたら、ですかね」


 口にしてからあっ、と思う。きっかけはプラウドたちに軟禁された時だろう。あの時の彼女を失う感覚だけは二度と味わいたくない。でも、それより前からだった気もする。彼女と過ごした日々が少しずつ積み重なって、いつの間にか今になっていた。だから結局、その答えが一番近い気がした。


「気づいたら……か」


 息の混ざる穏やかな声と共にローザは顔を緩ませた。


「恋なんてそんなものだよな。私はリヒトも一丁前に男なんだと知って安心したぞ」

「恋……ですか。自分にはよくわかりません」

「……恋だ。私も、同じだった」


 一拍置いてそう言った彼女はどこか遠くを見るような顔だった。初めて見る、何か懐かしいものを見ている顔。


「リヒトはマルクスを知っているか」

「はい。オベリア部隊の前隊長ですよね」


 ローザの幼馴染。あの薄ら笑う男はそれ以上は教えてくれなかった。緩やかな弧を描くローザの口元が気になる


「マルクスは私の恋人だったんだ」


 心臓が強く打った。それでもローザは笑ったまま。


「すいません」


 思わず口から出た心苦。ローザはふふっと鼻から笑みを漏らし、何度か手を振った。


「謝るな。あいつは立派に仕事を成し遂げた。いつまでもめそめそしてたんじゃ、何を言われるかわからん。だから……いいんだ」


 夕暮れを背負った彼女の笑顔は少しだけ寂しさが混じっているように見えた。


「だからお前の気持ちを少しわかってあげられると思う」


 彼女は少しだけ勢いをつけるように、椅子の背に身体を預けた。


「そんなに苦しんでいるんだ。お前はカタリーナのことが好きなんだよ」


 答えを押し付けるわけでもなく、からかうわけでもなく。またもや彼女の言葉はすっと胸の中に落ちていく。

 

「どうだ?自分の気持ちに気づいたか?」


 少しだけ意地悪そうに眉を吊り上げていた。リヒトは瞼を閉じて、息を吐く。彼女の笑った顔が映る。手を取った時、隣を歩いた時、名前を呼ばれたとき。思い出すたびに、胸の奥に溜まっていた重苦しさが少しずつ溶けていく。冷えて凍えた手を暖炉で温めるように。下がっていた口の端がいつの間にか上がっている。


「俺はカタリーナのことが好きなんだと思います。大切な……人なんです」


 簡単なことだった。大切だから失いたくない、彼女がいない世界が嫌だった。だから逃げようとした、がそれでは何も変わらない。隊長に話したみたいに、彼女にもちゃんと話そう。そう思った。


 そんなリヒトを見ていたローザは、大きな悪戯な笑みを浮かべる。


「だから!」


 突然、ローザが勢いよく立ち上がる。彼女に弾かれた椅子がからからと軽快に鳴る。仰け反ったリヒトが目を見張っている間に、彼女は胸を張って部屋の隅に向かい、勢いよくロッカーを開いた。


「こんな可愛いやつに寂しい思いをさせるお前を! 私は許してやらん!」


 ローザは顔を真っ赤にしたカタリーナを引っ張り出した。そして逃がさないと言わんばかりに彼女を抱き締めた。リヒトは面食らったように固まった。


「ずっとそこにいたのか……」


 思わず声が漏れる。カタリーナは誤魔化すように笑い、目を泳がせている。


「えっと……。今日こそはガツンと言ってやるからここに入ってろってローザさんが……」


 言いながら少し縮こまる。そんな二人を交互に見るローザは満足そうに頷くと、カタリーナに回していた腕を離す。そして、両手を腰に当て、大きく胸を張った。


「あとは二人で好きにやってくれ! 私は用事を思い出した! あぁ忙しい。忙しい」


 ローザはかいていない汗を拭ってみせると、手足を大きく動かし扉へ。勢いよくドアノブを回す。ガチャガチャと乱暴に音を鳴らす。


 一瞬静止。「あっ。鍵か」と小声で呟く。ローザは咳払いをすると何事もなかったように開錠し、勢いよく扉を開けた。半身だけ外へ出て、目を半月にしながら。そして、ゆっくりと扉を閉じた。

 


 なんともむず痒い静寂がこの部屋を包み込む中、リヒトは扉からゆっくり視線を戻す。目に映るのは胸の前で指先を丸めたカタリーナ。


「すいません。盗み聞きをするつもりはなかったんですけれど」


 おどけるように笑った彼女の目元は赤みを帯びていた。リヒトは胸の奥が少し痛んだ。


「泣いていたのか……。すまない」

「違う。違います!もう!なんで謝るんですか!」


 カタリーナは地団太を踏んだ。床を叩く軽い音が会議室に短く響き、その勢いのままリヒトに飛び込んできた。突然のことで身体が固まる。胸元に柔らかな重みを感じる。服越しに伝わる体温は思っていたより温かくて、少し震えていた。


「なんでそんなにリヒトさんは……」


 言葉が途中で揺れる。リヒトのインナーを両手で掴むと、皺が寄る。謝るべきかと少し迷ったが、もうそれは違う気がした。彼女の肩の震えが少しずつ落ち着いていく。しばらくして近くから小さな声がした。


「抱きしめてください」

「……こうか」


 恐る恐る腕を回す。少し力を入れれば壊れてしまいそうなほど細い腰。ふわりと甘く柔らかな香りが届く。するとカタリーナも静かに腕を回してくる。背中に触れた指先は少しだけ躊躇って、それから服を掴むように握った。


「違います。もっとこう! ぎゅっとしてください!」


 顔を埋めたまま、彼女の耳がいつの間にかはっきりと赤くなり、声も少しだけ上擦っている。


「わかった! わかったから。苦しかったら言えよ」


 そう言いながら腕に力を込めると彼女も同じように応えた。二人の距離が近づく。胸元に伝わる弾力が増す。彼女の呼吸が一瞬止まった気がした。熱を含んだ吐息が服を通して伝わってくる。自分の鼓動が少し速い。伝わっていないだろうか。


 ――やがて。腕に込められていた力が落ち着き、二人の鼓動が少しずつ揃っていく。


「全部聞いてしまいました。最初から最後まで」

「そうか。避けるようなことをして悪かった。俺が弱かっただけだ」

「そりゃ急に素っ気ない態度を取られたら悲しいです。悲しかったです。でも話してくれなかった私にも責任があります。ごめんなさい」


 尖らした口で喋っているような声だった。服を掴んだ指先が少し震えていた。やがて彼女の腕の力が緩む。リヒトも合わせて腕を解いた。体温が離れ、一歩下がった彼女は柔和な笑みを浮かべていた。その顔を見た瞬間、肩の力が抜けると共に、物足りなさを感じた。さっきまでそこにあった温度をまだ覚えている。


「もう……いいのか」


 思わず口から漏れる。カタリーナは一瞬目を丸くし、それから少しだけ目尻を下げた。


「リヒトさんがしたいならどうぞ」


 彼女は迎え入れるように両手を広げる。白い頬は桜色の染まり、空色の瞳が真っ直ぐこちらを見つめている。リヒトは小さく息を飲み、彼女に踏み出す。その腕の中に静かに。艶のある桃色の髪が陽の灯りで煌めいていた。


「これはびっくりです」

「……嫌ならやめるが」

「いいえ。リヒトさんからしてくれたことも、私のことを大切だと言ってくれたことも。全部が……嬉しいです」


 細い腕が背中に回る。確かめるように、逃がさないように、強く抱き返してくる。服越しに伝わる体温と息が先よりも熱い。


「リヒトさん」


 呼ばれて顔を向ける。赤く染まった頬。潤んだ瞳にわずかに開いた艶のある唇。少し顔を落とせば、触れられそうなほど近くに。


「現実の私はここにいます。だから今の私を……」


 そこで言葉が止まる。リヒトは喉を鳴らした。その直後、廊下の向こうからガタンと何かが倒れる音がした。


 リヒトは目を細め、じっと扉の奥を見る。そして勢いよく扉を開いた。そこには壁際に追い込まれるように身を縮こませたローザがいた。どこかぎこちなく、口角だけを無理やり上げたような笑み。


「あぁ……。続きをどうぞ?」


 そっぽを向いて窄めた口からほとんど息のような口笛を吹いていた。


 リヒトは顔を手で覆い、嘆息をついた。背後から、堪えきれなくなったように吹き出した笑い声が聞こえる。目を向けると、カタリーナが両手で口を隠しながら肩を震わせていた。


 静かな廊下に漏れる笑い声は妙に柔らかく、気付けばリヒトも笑っていた。呆れているはずなのに、不思議と悪い気分ではなかった。そうして、先ほどまでの熱を帯びていた空気は、穏やかな温度だけを残して緩やかに戻っていった。

読んでくださりありがとうございます。

結局、胸のモヤモヤを鎮めてくれるのって、誰かに話した時だったりするんですよね。

次回、プラウドたちからのメッセージ。彼が伝えたかったこととは。


感想や評価をいただけると、今後の執筆の励みになります。よろしくお願いいたします。白モン

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