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2章⑦震える手の先に

ヴィールの大群がアトルサを襲撃し、街は恐怖と混乱に包まれた。オベリア基地へ向かう途中、リヒトたちは住民の避難を優先しながら各地でヴィールを討伐。ローザは基地へ向かい、リヒトとカタリーナは市街地の防衛にあたる。アトルサ軍本部では軍人たちが戦意を失い籠城していたが、リヒトは彼らを叱咤し、自らの役目と国を守る責務を突きつけた。その言葉は参謀ローベルトや兵士たちの心を動かし、やがてアトルサ軍は再び立ち上がる。オベリアとアトルサ軍は共闘してヴィールを殲滅し、街にわずかな安堵が戻った。しかし戦いの終息を喜ぶ間もなく、バルムンド博士から「緊急、基地へ戻れ」との連絡が届く。不穏な胸騒ぎを抱えたまま、リヒトとカタリーナはオベリア基地へ向かった。

 リヒトとカタリーナはオベリア基地へ向かって走り続けていた。通り過ぎる街では兵士たちが軽快に駆け、残存するヴィールを駆除している。すでに国が安堵の息をつく勝利を噛み締める中、リヒトの胸には拭えない何かがへばりついていた。空を見上げる。黄金色の空が血に鮮やかな紅が侵食していく空。美しい、と不気味だった。


「バルムンド博士から連絡はないか」

「ありませんね。緊急って……いったい何が」

「中型か。特殊個体か――」


 リヒトは目を細めた。

「……もしくはそれ以上に厄介な何か」


 肌に張り付くような生暖かい風がリヒトの頬を掠める。脳裏にラピス教国で遭遇した中型ヴィールの姿が浮かんだ。信者を生贄にして生み出された怪物。人間の延長線上にヴィールが生まれているのだとしたら。リヒトは眉間に深い皺を刻んだ。


「ヴィールには決定的な弱点がある。どう思う」

「え〜。なんでしょう。コアが剥き出しのところですかね」

「違う。もっと致命的なものだ」


 リヒトは前を見据えながら、速度を変えずに進み続ける。なんの意味もなく、地を駆け回り、目の前の獲物を食らうことしかできない生命体。それがヴィールの常識。

 

「知能だ」


 リヒトたちの頭上を覆う空が、血塗られたように真っ赤に染まっていく。カタリーナが表情を曇らせる。

 

「でも……そんなことあり得るんでしょうか」


 自分の知らない場所で何かが動き始めているような、そんなざわめきが胸の中で疼く。

 

「もしもの話だ」短く答えた。ただの仮定であることを願って。

 


 リヒトは視線を鋭くし、さらに速度を上げた。押し固められた地面を掘り起こし、砂が宙を舞う。前に進むたびに、胸中のざわめきが、じわじわと輪郭を持ち始めていた。その時。

 轟音。

 視線の奥で背の高い木々が連鎖するように倒れ、地面が大きく震えた。揺れる視線の先。深紅の長い髪が激しく揺れている背中が向かってくる。ローザが地面を抉るように足を滑らせて後退。地面には深い二本の線が刻まれた。


「隊長!」

「ローザさん!」


 二人が駆け寄ろうとした瞬間。


「お前たち!下がっていろ!」


 ローザは叫び、手を翳した。直後、木々の隙間で巨大な影が動く。木々が悲鳴をあげ、薙ぎ倒される。


 リヒトがくっと声を漏らす。視界に映った無理やり人型を保っているような赤黒い塊。全身には脈打つ血管のような筋が走り、粘ついた体表から黒い液体が滴り落ちていた。そして胸部。そこだけ異様に膨れ上がり、埋め込まれている巨大なコアの中の人影。


「なんだ。リヒトか。生き残るなんて運がいい野郎だ」


 膜越しに響くような、濁った野太い声。コアの中でディノスが縦に顔を歪めて笑っていた。赤黒い怪物の口元が彼の動きと連動するように歪む。リヒトは小さく舌打ちし、得意げに片眉を上げているコアの中の彼を睨みつけた。


「カタリーナ。こい」


 二人は膝をついているローザの前へ割って入った。彼女を一瞥すると、やはりローザは武器を持っていない。リヒトは目を細め、歯を食いしばるローザを見つめた。荒い呼吸を繰り返すローザは地面の土を拳で握り込んでいた。


「不甲斐ない。結局……私は……」


 絞り出すような声。深紅の髪の隙間から覗く顔は可憐な花が萎れているように垂れて見えた。リヒトは迷わず口を開く。


「あの時、俺に武器を渡してくれたおかげで多くの命が救えました。隊長の判断は間違っていません」

「……そうか」


 それ以上、彼女は何も言わなかった。誰よりも責任感が強い彼女がいたからこそ、この化け物を街に向かわせなかった。かつての友。惨事の元凶。だからこそ――。


「隊長。誰かの背中を追うのもいいですけど、その人だって隊長にはなれないんです。隊長は……自分らしくいてください」


 リヒトは後ろを振り向くことなく、前を見据えていた。


「俺は隊長だからついてきたんです。今は……少しだけ休んでいてください」


 息が混じるような声。それを断ち切るように、うねりを上げる、低い笑い声が響き渡った。


「部下に慰められるなんて惨めだな」


 覆の肉塊が小刻みに震えている。

 

 「そういえば昔はよく泣いてたっけ。ほら。今も泣いて見せろよ」


  ディノスが身を乗り出し、嘲笑うように口角を吊り上げる。コアの中で歪んだ笑みを浮かべた顔はただのヴィールよりも醜悪だった。刹那。リヒトの目つきが変わる。刃のような鋭い目。燃えるような朱の光が、地上に降り注ぐ。


「ディノス。お前は勘違いしている」


 目の前の醜い男は笑いを止めない。リヒトは赤黒い巨体を真っ直ぐ見据える。胸の奥の灯火が言霊に滲み始めた。


「隊長は強い。痛みを知った人間は人一倍優しく、強くなれる。本当の強さって言うのは自分のためじゃなく、誰かのために戦う覚悟なんだよ」


 ディノスの嘲笑が煙のように消え、残ったのは冷たく、湿った顔つき。中のディノスと共に、巨大な爪がリヒトを指す。


「お前だけは全く気に入らない。サフィラス様に身も心も捧げなければいけないはずのお前が、なぜ俺たちの前に立ちはだかる」


 低い波のような抑揚の中に、唸り声が混じる声色。赤黒い肉塊が鼓動のようにびくびくと脈打つ。


「そのサフィラスってやつが誰か、俺は知らない。なんせ記憶がないもんでね」


 リヒトは肩を竦ませ、彼の言葉を断ち切るようにバルムセイバーを振った。軽い口調だが、鋭い眼光はディノスを捉えている。一拍置いた沈黙の後、目の前の赤黒い肉塊が腕で自分の身体を抱え、大きく震えた。


「サフィラス様だぁ……」ぐちゃりと肉が軋む。二つの顔が覗き込むようにリヒトに向く。「敬称をつけろ……。お前なんぞがあの方の名を口にするな!」

「……お前って使い捨てにされてるんじゃないのか」


 静止。音をどこかに置き去りにした静寂。肉塊、コアの中の男が力んで震えている。


 静寂を破ったのはリヒトの鼻を鳴らす音。

 直後。

 「黙れ!」と凄まじい怒号。突風のような衝撃波がリヒトの青みがかる黒い髪を激しく揺らす。重々しい空気がじわじわとこの地に広がっていく。


「俺はビリア様を愛している。必ず俺のことも愛してくれるはずだ」

「じゃあなんでお前は未だこの国にいるんだ。見放されている証拠じゃないか」


 相手の怒りを助長させるような煽り口調と、小さく掲げた手。目の前のそれが大きく息を吐くと、紫色の息が顔のような部位から溢れた。

 

「減らず口を!お前たち二人諸共ビリア様に献上してくれるわ!」


 巨大な影が空を覆う。赤黒い巨体が砲弾のような勢いで飛びかかってくる。


「カタリーナ!隊長を安全な場所に避難させろ!いけ!」


 リヒトは叫ぶと同時に前に出た。


 振り下ろされた巨大な腕を青白い刃で真正面から受け止める。轟音と突風。衝撃で地面が沈んだ。関節が軋み、腕へ鈍い痛みが走る。リヒトは歯を食いしばったまま一歩も退かない。生身の人間と巨大な化物の押し相撲。


「なんだリヒト。達者なのは口だけか?」


 ディノスが獰猛に笑う。リヒトは微笑を滲ませ、低く吐き捨てた。


「抜かせ。バイオリモデルから逃げたビビりに負けるわけないだろ」


 ディノスの顔が引き攣る「うるさい!」怒声と共に圧力がさらに増した。


 リヒトは刃を滑らせ、その力を逃がす。重心が崩れた瞬間、後方へ跳ぶ。地面へ着地すると再度、距離を詰めた。ディノスは苛立ったように拳を乱暴に振り回す。リヒトは鋭く目を細め、紙一重に、攻撃を最小限の動きで躱していく。ディノスはまるで羽虫に翻弄されているように、腕を振り回し、足で踏みつけるが、一向に攻撃は当たらない。


「小癪なぁ!」


 怒号と共に、ディノスが両腕を思いっきり振り下ろした。刹那。大地が爆ぜる。轟音と共に地面が砕け、土砂と木片が宙に吹き飛んだ。


 砂塵の中、リヒトは静かにディノスを見据えている。大地を強く蹴る。一瞬で懐へ潜り込むと、飛翔。青白い刃を巨大なコアに振るった。が、突如コアの周りの肉が蠢き、剥き出しになっているコア全体を盾のように覆い塞ぐ。硬い感触。刃が深く通らない。


 リヒトは小さく舌打ちをし「逃げんなよ」と低く吐き捨て、距離を取った。ずるりとコアの表面から肉を垂れ落としたディノスは怒りに任せるように咆哮を轟かせた。森が震え、木々の葉が激しく揺れる。


 その時、張り詰めていた空気が僅かに揺れる。ディノスの視線がリヒトの後方へ流れた。軽やかに地面を蹴る音。近づいてくる呼吸の音。リヒトは口元に小さく弧を描く。視界の端に桃色の髪が流れた。


「リヒトさん!お待たせしました」

「隊長は?」

「体力の消耗はありますが、外傷は酷くありません」

「カタリーナ。コアを狙おうとしても肉が邪魔だ。――あれ、頼めるか」

「もちろんです。合わせますよ」


 リヒトは姿勢を低く落とし、バルムセイバーを構えた。二人を見下ろしているディノスは苛立ったように両腕を広げる。火花を散らすように視線がぶつかり合った。


「雑魚が一人加わったぐらいで何が変わるか。ぶち殺してやる!」


 空気が一層張り詰める中、二人は同時に散った。


 リヒトが正面から距離を詰める。切り上げ。続けざまに連撃。襲いかかる鋭い刃物のような爪との撃ち合い。突如、リヒトは彼の穿を宙返りで躱した。刹那、ディノスの叫び声を上げ、巨大な身体が仰け反った。背後へ回り込んでいたカタリーナが連続で斬撃を叩き込んでいる。


「このっ!」


 ディノスが苛立ちを剥き出しにしながら大地を踏み砕くように彼女の方へ身体を向け、豪快に腕を振り上げた。リヒトは鋭く目を細める。滑り込むように、バルムセイバーで赤黒い足首を切り裂いた。肉が裂け、巨体が大きく揺れる。乱暴に振るわれた腕が空を切った。


 ――やがて。激しく疲弊しているようにディノス、とその外側の肉塊が地面に膝をついた。肩を上下に動かし、荒い呼吸を繰り返している。


「おい。大したことないな」


 リヒトは口の端を微かに上げた嘲笑を向けた。その瞬間。ディノスの怒気が爆発する。轟く咆哮と共に、赤黒い肉体が膨張するように脈打った。怒りに駆られたまま、飛びかかってきて、驟雨の如く猛攻を叩き込んでくる。ひらり、ひらりと。リヒトは最小限の動きでそれを躱し続け、地を踏みしめた。

 飛翔。バルムセイバーを振りかぶる。


「バカが!お前に攻撃は届かないんだよ!」


 瞬時にコアの表面が肉で覆われる。だが次の瞬間。暖かなオレンジ色の光が。コアを覆っていた肉がぼろぼろと崩れ落ちていく。


 「な、なんだと!」激しく顔を歪めたディノスと対面し、そこへ。

 穿つ。

 リヒトの刃の先が剥き出しになったコアを深く貫くと、その中のディノスは目をひん剥いた。全てが赤く染まり切る燻んだ空にディノスの悲鳴が吸い込まれていく。



 世界が息を潜めたような静寂の中、リヒトはゆっくりとバルムセイバーを引き抜いた。赤黒い巨体がぐらりと崩れ、ディノスは膝をつき、肉塊と共に身体を震わせていた。崩れ落ちた肉が地面を汚し、その欠けた部位がぬるりと再生していく。コアの中のディノスは口から血を流し、貫かれた腹部を押さえていた。リヒトはそんな彼を一瞥した後、振り返り、カタリーナを見つめた。


 視線だけで十分だった。カタリーナは小さく頷くと、すぐさま駆け出していく。


「リヒトてめぇ。中途半端に刺しやがって。殺すなら……さっさと殺せ」


 呻き声にリヒトが視線を戻す。口から血を流し、額から玉のような汗を噴き出すかつて仲間だと思っていた男。とうにそんな気は失せているが、リヒトはじっと彼を見ているだけで、動かない。

 

「お前を殺すのは俺じゃない。黙ってそこで回復してろ」


 ディノスの傷口は薄い膜を張るように塞がり始めていた。

 

 ――そして。背後から足音が聞こえる。ゆっくり、力強く地を踏み締める足音。リヒトが目元を引き締め、振り返ると、深紅の髪を風に揺らしながら、いつもの凛とした顔つきのローザ、がいる。ちらりと一瞥したディノスの目は大きく見開かれ、片方の口の端が吊り上がると共に、絶望の底へ沈みかけていた瞳に再び怪しげな熱が灯っている。


「ローザァ」


 喜びを噛み締めるような震えた声。リヒトは鼻から息を抜き、ローザの元へ歩み寄ると、バルムセイバーを差し出した。


「後はお願いします」


 ローザは何も言わず、黙って武器を受け取った。その手はもう震えていない。そしてカタリーナと共にローザの後ろへ。身体の横で拳を握り締めている彼女の背中を真っすぐに見つめる。最後を見届けるために。


 燻んだ赤色の空が足元の影を引き伸ばす中、リヒトは腕を組み、その時を待っていた。

読んでくださりありがとうございます。

いかにも逞しそうな人が精神的に追い込まれた時に誰かに助けてもらうという展開はいいですね。強い女性なら尚更いい。

次回、決着。ローザはかつての友人に何を思うのか


感想や評価をいただけると、今後の執筆の励みになります。よろしくお願いいたします。白モン

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