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2章 残照⑥檄

前回のあらすじ

リヒトはプラウドに囚われ、薄暗い部屋で脱出の機会を窺っていた。そこへ現れたプラウドは、カタリーナの頭部に見えるものを取り出し、リヒトの怒りを煽る。リヒトは鉄格子を破壊して飛び出し、プラウドを殺しかけるが、直後に本物のカタリーナの声で我に返る。頭部はマネキンだった。安堵も束の間、非常警報が鳴り響く。外へ出たリヒトたちが見たのは、アトルサを囲む透明な膜へ群がる無数のヴィールだった。プラウドは逃走し、ローザは迷いを振り切る。リヒト、カタリーナ、ローザはアトルサを守るため、オベリア基地へ向かって駆け出した。

 リヒトたちとは逆方向へ、街の住人たちが必死な形相で駆けていた。悲鳴混じりの怒号が飛び交い、石畳を踏み鳴らす無数の足音が大通りを揺らしている。街には緊急用の地下シェルターが点在している。人々は誰かにぶつかろうが、転ぼうが構わず走り続けていた。リヒトたちが混雑する大通りから離れようとした、その瞬間だった。悲鳴が上がる。一方向の濁流のような人の流れが弾け飛ぶように崩壊した。

 群衆の真ん中に黒く歪な肉塊が降り立つ。それの咆哮が轟いた瞬間、人々の顔から恐怖、そして生の諦め。

 

 腰を抜かす者。膝から崩れ落ちる者。街は一瞬で恐怖と混沌に飲み込まれた。その時だった。一筋の青白い閃光が空気を裂く。

 轟音。

 ヴィールの身体に風穴が空き、その巨体が石畳に崩れ落ちた。ローザだった。硝煙を漂わせるバルムガンを片手で下ろしながら、彼女は目を伏せた。


「ここまで来ているのか……。私は基地に戻らなければいけない。リヒト、頼めるか」


 息の混じった低い声で、バルムガンとバルムセイバーを差し出してきた。リヒトは一瞬戸惑った。武器を受け取れば、彼女は丸腰。しかし、彼女の引き締まった顔を見たリヒトはそれを黙って受け取った。


「隊長。ディノスはまだ生きているかもしれない。道中のヴィールにも気を付けてください」

「任せろ。私はあいつにだけは勝ち越しているんだ。何かあってもまた私が勝つさ」


 ローザは口の端を上げ、腕っぷしを見せた後、基地の方へ走っていった。リヒトは彼女の背中が見えなくなるまで見つめながら、受け取った武器を握りしめていた。視線を巡らせる。怯え切った人々の顔。啜り泣く声。崩れた日常。リヒトは息を吐き、表情を引き締めた。


「まずは民間人の避難が優先だ。ヴィールが現れたら即座に討伐。いいな」


 背筋を伸ばしたカタリーナは「はい」と小さく頷いた。


 人々を避難させる最中、ヴィールと遭遇する回数は徐々に増えていった。悲鳴が上がり、人の流れが止まる。その度にリヒトかカタリーナが戦闘。討伐。そして、人々は怯えた顔のまま再び走り出していく。――ようやく。最後の住民が地下シェルターに避難した。カタリーナが胸に手を当て、息をつく。額に滲んだ汗を袖で拭った。


「ひとまず全員シェルターに避難できたようですね」

「そうだな。やっと自由に戦える。ついてこれるか」

「もちろんです。伊達に訓練してたわけじゃありませんから」


 カタリーナは意気軒昂の表情を滲ませ、両手で握ったバルムガンを掲げてみせた。リヒトは目を街に向ける。思い出が増え始めていた街だった。それなのに今は。未だにヴィールたちが溢れてくる。白い紙に黒いインクをぶち撒けられたみたいに。抜力した後、バルムセイバーを握り締める。


 「行くぞ」


 低く呟き、地面を蹴った。自然豊かな街並みは今やヴィールの死骸で埋め尽くされていた。黒い血が地面を汚し、風が鉄臭い匂いを運んでくる。リヒトはヴィールの懐へ踏み込み、バルムセイバーを振り抜いた。間髪入れず次の一体へ向かう。


 隣ではカタリーナが光撃を放ち、ヴィールを撃ち抜いていた。


 呼吸が熱い。汗が頬を伝う。それでも身体は軽かった。以前なら、ただ目の前にあるものを壊すだけだった。しかし、あの頃の沸き立つものとは違う。じんわりとした温かさが心を満たしてくれる。リヒトは地を強く踏み締め、前に進んだ。


 救難信号を頼りにリヒトたちはヴィールを討伐しながら国の中心に向かっていた。街には絶え間なく悲鳴が響いていた。中心部にはオベリア以外の軍も多数駐留しているはずだった。それなのになぜ……。


 視界の端では白い軍服を纏った軍人たちが地面に伏している。耳に飛び込むのは乱雑に響く重火器の発砲音。統率が感じられない。恐怖に駆られ、やみくもに撃っているだけだとすぐに分かる。


「リヒトさん!あそこ!」


 カタリーナの指す方。アトルサ軍の本部基地。強化ガラスで覆われた近代的な巨大建造物。しかし今、その周囲には夥しい数のヴィールが群がっている。まるで黒い濁流のようだった。所々ガラスが割れ、ガラス越しに軍人たちが必死に応戦しているのが見える。しかし、彼らは戦意喪失しかけているように後ずさる背中が見えた。このままでは持たない。


「先に行く。カタリーナはこの辺りのヴィールを倒してくれ。いけるか?」

「任せてください!誰に訓練をつけてもらってると思っているんですか」


 狼狽えなど微塵も感じさせない力強い声。リヒトは微笑を滲ませ、地面を強く蹴った。

 景色が一気に流れる。

 迫り来るヴィールにバルムセイバーを振り抜く。止まらない。次の一体を斬り捨て、そのままその身体を踏み台に飛翔。風が頬を叩く。三階相当の高さまで一気に飛び上がり、割れた窓へ身体を滑り込ませた。


 

 建物内は、侵入したヴィールたちが床に転がる死体へ群がり、肉を引き裂く湿った音が響いている。濃い血臭と腐臭が入り混じり、空気が悪い。


 リヒトが進むと、足元のガラス片が乾いた音を立てて砕けた。その瞬間、ヴィールたちの首が一斉にこちらへ向く。ぎらりと光る牙と爪。獲物を見つけたヴィールたちが咆哮を上げながらリヒトへ殺到した。しかし、リヒトは動じない。静かな足取りのまま前へ進む。迫ってきた個体に一閃。


 コアを断たれたヴィールが崩れ落ちるより早く、次の個体に刃が走った。迷いはなく、呼吸も乱れていない。


 リヒトは無言のまま刃を振るう。黒い血がペンキをぶちまけるように壁へ飛び散った。階段を上がる。行く手を塞ぐヴィールを斬り捨てる。その作業を何度か繰り返した時だった。


 えんじ色のカーペットが敷かれた長い廊下の奥。複数のヴィールが壁へ張り付くみたいに群がっていた。リヒトは訝しむように目を細めた後、壁を強く蹴った。鈍い衝撃音が明かりがちらつく廊下に響き渡る。が、ヴィールたちは振り向きもしない。扉に爪を立て、何かを探るように蠢いている。


 リヒトは眉間に皺を刻んだ。近づくにつれ、扉の奥から声が聞こえてきた。怒鳴り声。悲鳴。焦燥に濁った叫び。


 リヒトは小さくため息をつき、躊躇なく踏み込んだ。一閃。黒い血が飛び散り、ヴィールたちの身体が次々と崩れ落ちていく。最後の一体を斬り伏せると、続けて扉へ刃を振るった。甲高い金属音が響く。厚い扉が斜めに切り裂かれ、ゆっくり崩れ落ちた。その瞬間。


「貴様!」


 男の怒鳴り声が飛んできた。室内には白い軍服を着た軍人たちが身を寄せるように集まっていた。怯え切った顔。震える銃口。荒い呼吸。割り込むようにはち切れそうなほど太った男が姿を見せた。鼻下には申し訳程度の黒ひげ。脂汗を浮かべたその男は、脂肪の重なる顎を震わせ、リヒトを睨みつけている。


「その服――オベリアだな!今まで何をしてた!この化け物と戦うのはお前たちの仕事だろう!」


 唾を飛ばしながら怒鳴る男。そして、同じ白い軍服を着た連中が二十人ほど。胸元には勲章が並ぶ。リヒトは眉を寄せた。どれだけの兵が死んだのか。どれだけの人間が喰われたのか。それなのに、こいつらは安全な部屋に閉じこもっている。リヒトが冷めた視線を向けた、その時だった。


 奥のガラスが砕け、悲鳴が上がる。ヴィールが侵入してきた。軍人たちが我先にと逃げ惑う中、リヒトは無言でバルムガンを構えた。銃声。ヴィールの頭部のコアが吹き飛び、その巨体が床に崩れ落ちる。割れた窓から強い風が吹き込み、机の上の書類が宙へ舞い上がった。震えていた太った男の視線が鋭くなり、それが再びリヒトに向けられた。リヒトはため息混じりに彼へ歩み寄る。そのまま男の首根っこを掴み、抵抗し、暴れる身体を引き摺った。


「な、なにする!やめろ!うわぁ!」


 リヒトは割れた窓の外に男の身体を吊るし上げる。水風船のような身体が宙で跳ね、短い手足が空を掻く。リヒトはグッとその醜い身体を揺すった。


「この光景をよく見ろ。お前たちは何のためにいる。何のためにその服を着ている」


 眼下には崩壊した街が広がっていた。煙。炎。崩れた道路。逃げ惑う人々。その中で黒い服を纏ったオベリア部隊だけがヴィールと対峙している。一方、白い軍服は隅で震えたり、背を向けて逃げているだけ。リヒトは男を室内へ放り捨てる。柔らかいソファに丸い体が沈み込み、男は脂汗を浮かべながらリヒトを睨み返した。


「くそ……!半端物の分際で我らに歯向かうなど――!」


 リヒトは他の連中にも視線を送った。どれも同じような顔。視線を切り、バルムガンを腰元のホルスターに戻し、そのまま男へ歩み寄る。一瞬だけ男の肩が跳ねるが、すぐに虚勢を張るように胸を張った。


「や、やるならやってやる。おい!銃を持ってこい!」


 その声には誰も反応しない。息を飲むような張り詰めた空気の中、リヒトは無言のままソファの背もたれを踏みつけ、男に顔を寄せた。男の額から脂汗がだらりと垂れる。視線が忙しなく泳いでいた。リヒトは睨みを利かせる。


「いいか。俺たちオベリアはヴィールを倒すのが仕事だ」


 低い声がしんと静かな室内に落ちる。


「お前たちの仕事は――何だ」


 真っ直ぐに熱のある視線をぶつける。しかし、男とは目が合わない。それでも――。


「この国を守ることがお前たちの仕事だろうが。その白い軍服に袖を通したのなら、最後まで国を守るために戦え」


 ソファの背もたれから一度足を離し、強く踏みつけた。ひっと小さな悲鳴が上がる。リヒトは佇んだまま、目元を強く引き締めた。


「……俺は俺の仕事をするだけだ」


 微かに熱を帯びた息の混じる声。吹き込んでいた風が止み、宙を舞っていた書類がひらひらと床に落ちていく。紙が床へ触れる音すら聞こえそうなほど、室内は静まり返っていた。


 リヒトはため息をつき、そのまま部屋を後にした。


 物品が散乱した廊下を歩いていると、背後から走ってくる足音が。


 「ま、待ってください!」


 振り返ると、白い軍服を着た比較的若い男が駆け寄ってきた。目尻の吊り上がった男だ。彼はリヒトの前で立ち止まると、乱れた呼吸を整え、すぐに背筋を伸ばし、機敏な動きで一糸乱れぬ敬礼。


「アトルサ軍参謀、ローベルトです。この度は命を救っていただき、ありがとうございました!」


 安心感のある低い声。唇の端が微かに震えているのは、未だヴィールへの恐怖が拭えないのだろうか。


「感謝される覚えはない」リヒトは眉を寄せる。「軍の人間だってヴィールの倒し方を知らないわけじゃないだろう」


 ローベルトの視線が僅かに落ち、傷一つない綺麗な拳を握り締める。


「我々に……できるでしょうか」

 

 歯切れの悪い口調。リヒトは数秒、彼を真っ直ぐに見つめた。何かきっかけさえあれば、変われる。――だから。


「戦場にはできる、できないの物差しはない」


 抑揚の低い声。


「だから戦うしかないんだ。戦って守るしかないんだ。俺たちの明日を」


 ローベルトは目を見張って、唇を引き締めた。リヒトはそれ以上何も言わず、彼に背を向け、駆けていくのだった。


 

 建物から出ると、周辺に蔓延るヴィールは既に制圧されていた。しかし、一息つく暇はないらしい。視線の奥。再び黒い濁流が迫ってくる。


「リヒトさん!上の人たちは無事でしたか?」


 リヒトを見つけたカタリーナが駆け寄ってくる。軽く息が上がっている程度。目立った外傷はなし。リヒトは小さく頷いた。

 

「ひとまずな」


 と言ってみせるも、眉間の皺が伸びない。

 

「……それにしても数が多すぎる」


 その時だった。耳障りな甲高い音が空へ響く。一瞬、空気が張り詰め、直後、放送が流れ始めた。


「アトルサの軍たちよ。聞け!我がアトルサに害虫が迷い込んだ。奴らはこの地を汚した。尻込むことは許さなれない。民間人の避難が終わった地区に命ずる。一匹残らず殲滅しろ!オベリア部隊に遅れを取ってなるものか!命を懸けて化け物を討伐せよ!この国を我らの手で救うのだ!」


 聞き覚えのある低い声が黄金色へ染まり始めた空に高々と響き渡る。リヒトは一瞬だけ目を細め、それから小さく鼻で笑った。隣ではカタリーナが丸く目を見開いていた。


「おぉ。熱いですね。……なんで毎度私たちを敵視するんでしょうか」

「敵がいた方がまとまりやすいだろ」


 リヒトはバルムセイバーを振るい、微笑を滲ませた。


「悪くない。受けて立つか」

「いいですね。オベリアの実力。見せつけてやりましょう」


 あちこちで鬨の声が昇り始めた。白い軍服の兵たちがヴィールに突撃。恐怖は消えていない。それでも彼らは足を止めなかった。重火器の閃光が街を照らす。

 

「いくぞ」

「はい!」


 二人は同時に地面を蹴った。刃が閃木、銃声が轟く。恐怖に飲まれていた街にようやく戦う意思が戻っていた。押し寄せるヴィールを一匹ずつ確実に討ち倒していく。気づけばリヒトの呼吸も荒くなっていた。汗で濡れた黒髪が額へ張り付き、カタリーナの桃色の髪も束になって揺れている。地面に落ちた汗が熱を帯びた石畳へ染み込んでいった。――やがて。


「もうヴィールはいないな」

「なんとか……。倒しきりましたね」


 リヒトはゆっくりと大きく呼吸をし、茜色に染まり始めた空を見上げた。

 

「いい動きだ。成長したな」

「ありがとうございます。それにしても軍の人たちすごい気迫でしたね」

「国を守りたいって気持ちは嘘じゃないらしい。ちょっと危なっかしいけどな」


 リヒトは長く息を吐き、周囲へ視線を巡らせた。崩れた建物。硝煙の臭い。転がるヴィールの死骸。それでもつい数時間前までとは明らかに空気が違う。白い軍服を着た兵たちは互いに声を掛け合い、生存者を確認している。今なら、戦友と呼べるだろう。気づけば、リヒトの口に微哂が滲む。そんな彼をカタリーナが横目で見つめる。


「……なんだ?」

「いえ。なんでもありません」


 カタリーナは慌てたように視線を逸らした。直後、電子音が鳴る。無機質な音。画面を確認すると、差出人はバルムンド博士だった。そこに表示されていたのは、たった一文。

 

 ――緊急、基地へ戻れ。


 短い。まるで悠長に説明している時間すらないと言われているみたいに。隣のカタリーナはすでに表情を引き締めていた。二人は無言で頷き合い、それを合図に地面を蹴った。二人だけが感じる空気を裂くように、リヒトたちはオベリア基地へ向かって駆け出した。

読んでくださりありがとうございます。

今まで敵対していた勢力と手を取り合うみたいな展開って胸熱です。

次回は、基地へ戻ったリヒトたち。この戦いの終始を打つには。


感想や評価をいただけると、今後の執筆の励みになります。よろしくお願いいたします。白モン

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