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2章 ④失意の向こう

前回のあらすじ

夕暮れの広場に呼び出されたリヒトは、プラウドと穏やかな時間を過ごしていた。会話の中でカタリーナの存在について問われ、最初は打算だった関係も、今は一緒にいることを心地よく感じていると自覚する。記憶を失っていても、今の自分の気持ちを大切にしたい――そう思えた矢先、突如襲撃を受ける。拘束された先で刃を向けていたのはプラウドだった。彼は生まれた時からラピス教の信者であり、自らの目的のためリヒトを排除しようとしていた。さらに監禁先で現れた軍総司令官ディノスは、リヒトの力の秘密を示唆し、自分たちの側へ来るよう要求する。そして拒絶するリヒトに対し、カタリーナの命を取引材料として突きつけた。

 リヒトが姿を眩ませてから一週間が経過した昼過ぎ。ローザはカタリーナの部屋の前で、扉を叩こうとして拳を持ち上げていた。しかし寸前で止まり、ゆっくり下ろす。もう一度だけ拳が浮く。が、結局届かない。ローザは行き場を失った手を見つめ、小さく息を吐いた。


 当初はオベリア部隊が総出でリヒトを探したが、痕跡すら掴めなかった。プラウドに話を聞いても、「先に戻ると言われた」と繰り返すだけだった。


 カタリーナは訓練が終わるたび、リヒトを探しに出た。しかし、誰も彼の行方を知らない。昨日は捜索範囲を広げて、東側の街まで足を運んだが、軍の息のかかった地域では誰も話を聞こうとしない。その結果だけが、彼女の心を削っていた。


 ローザは厚みのある胸を弾ませるように叩いて気合を入れる。私がしっかりしないでどうする。マルクスならこういう時こそ前を向くはずだ。自分にそう言い聞かせ、強めに扉をノックした。


 少し間が空き、「はい……」と返ってきた声は予想よりも弱々しかった。


「私だ。今日は北のエリアに行ってみよう。あそこは私の出身地だから何か教えてくれるかもしれん!」


 嘘だ。出身地など分からない。物心ついた時には、施設で育っていたのだから。それでも空気を軽くすべく、明るく言い切った。やがて扉がゆっくり開く。仮面のような笑顔だった。持ち上げた口角は小さく震え、淡い隈が浮かぶ目元には力がない。


「ありがとうございます。でもローザさんも忙しいでしょうし……。もし大変だったら……私一人で行きます」


 視線が落ち、遠慮するような声。ローザは唇を引き締めた。


「隊員の一人が行方不明なんだ。どれだけ忙しかろうが捜索を優先する。私は隊長だからな!さぁ支度が済んだら行くぞ。あいつを見つけて説教してやらんとな!」


 わざとらしいほど胸を張って見せた。少しでもカタリーナが笑えばいい、そんな期待を込めて。


 背中を押して彼女を部屋に戻す。中に入った瞬間、つんとした甘酸っぱい匂いが鼻を掠めた。視線だけ歩かせる。机の上。皿にコロッケパンが二つ置かれていた。丁寧にラップをかけられているが、恐らく傷み始めている。


「あれは、ずっと置いてあるのか?」

「はい。二人で食べようって約束していたので。私だけで食べても……美味しさが半減してしまいますから」


 カタリーナは寂しそうに目を伏せる。結局、ローザは彼女の縮こまった肩に手を置くことしかできなかった。


 その時、リンクギアに通知が入る。表示された名前を見た瞬間、ローザは弾かれるように顔を上げた。急ぎで彼女の身支度を整えさせ、手を掴むと、部屋を飛び出した。階段を下る足音が慌ただしく響く。


 一階に降りるとそこにはディノスが腕を組んで立っていた。彼は靴先を打ち鳴らし、じろりとした視線を向ける。

 

「ディノス!頼む!リヒトを探してくれ。お前ならなんとかできるだろう!」


 ローザはディノスの丸い肩を掴み、激しく揺さぶった。リヒトが消えた日から何度もディノスに連絡を取っていたのだ。彼なら国の監視システムへアクセスし、リヒトの足取りを掴めるかもしれない。今はその可能性に縋るしかなかった。


「おい!やめろって!そんなこと言われても無理だ」

「無理なことがあるか!お前は軍の総司令官だろ。それぐらいできなくて何が総司令官だ!」


 声に焦りが滲む。掴んだ手に自然と力が入り、指先が肩に深く食い込んでいた。ディノスは露骨に顔を顰め、鬱陶しそうに肩を振り払った。弾かれた手が宙を彷徨う。ローザは唇を噛み、行き場が失った手をゆっくりと体の横に納めた。


 するとカタリーナが、縋るようにディノスに駆け寄る。


「お願いします……。何か手がかりが一つでも欲しいんです。お願いします……」


 切羽詰まった声だった。息継ぎも忘れたように言葉を重ね、そのまま深々と頭を下げる。ディノスは片眉を上げると、後ろに流したアッシュグレーの髪を乱暴に掻いた。そして、面倒事を押し付けられたように深くため息をつく。


「仕方ないな。どうせ今日終わるし、見せてやるか」


 ディノスは気怠そうにリンクギアを操作した。次の瞬間、この場で最も大きなモニターに映像が映し出される。


 ローザは息を飲んだ。そこに映っていたのは薄暗い部屋の壁に背を預けるリヒトだった。肩は重たそうに落ち、顔色も悪く、隈の浮いた目元には隠しきれない疲労が滲んでいた。


「なんだ……。これは……」


 目を見張り、掠れた声が漏れる。


「何って……。お前たちがリヒトを見たがってたから見せてやってるんだろ」


 まるで他人行儀な口調だった。震えた瞳を向けると、彼は腕を組み、片足に体重を預けている。


「違う!なぜリヒトがこんなところにいるのかと聞いているんだ!」


 激昂したローザはディノスを鋭く睨みつける。しかし彼は眉一つ動かさない。そしてローザの怒声など最初から耳に入っていないかのように、冷え切った目をカタリーナに向けた。彼女は目を見開いて、口元を両手で覆っていた。


「なぁ。嬢ちゃん。お前、ラピス教徒だったんだろ?なんで信者をやめたんだ。」


 ディノスは抑揚のない声で問いかける。まるで感情が削ぎ落とされたみたいな、冷え切った声色だった。


「ディノス!今はわたしの質問に答え――」

「うるせぇよ。今は俺が喋ってんだから、黙ってろ」


 低く吐き捨てるような声。いつもなら鬱陶しいほどの熱を感じる男だ。だが、目の前の男は違う。冷え切った瞳を向けられ、ローザは息を止めた。

 

「なぁ。なんでだ……」


 カタリーナが視線を落とし、拳を握りしめた。その間、ディノスは何も言わず、眉間に皺を寄せたまま、じっと彼女が動き出すのを待っているようだった。


 静寂が落ちる中、カタリーナは何度か深呼吸した。動揺を落ち着かせるように。そして、胸に手を当て、ディノスへ体を向けた。澄み切った空色の瞳が真っ直ぐディノスを見据えた。


「生を受けた時から何かを信じ込ませる。それは間違いだと気付きました。人が人である所以は尽くしたいと思えるものを自分で選べる。私がそうしたいと思ったからです」

 

 淀みのないまっすぐな声色。迷いは感じられなかった。


 ローザは瞬きを忘れたように、瞳孔が膨れるように大きくなった。彼女は守らなければ壊れてしまう人間だと思っていた。だが、違った。思い過ごしだった。彼女は今、自分の意思で立っている強い人間だ。

 

 その空気を濁らせるようにディノスが背を丸める。ぶつぶつと何かを呟いていた。聞き取れないほど小さな声が耳に纏わりつく。

 

「そうかぁ……。お前もやっぱり駄目だぁ。愛が足りないよ。愛が」


 木を軋ませたような細く高い声。震える手で顔を覆う姿は、壊れたものを無理やり繋ぎ合わせているようだった。


 ローザの背筋を薄寒いものがゆっくり這っていく。やがてディノスは気怠そうに顔を上げると、懐から小さな箱を取り出した。中に入っていたものを指先で摘み、こちらに見せつける。それは薄紫色に輝く、小さな四角いの石だった。ローザは瞳を揺らし、拳を握りしめた。力が入りすぎて、拳は震えている。唇を噛み締めると、口の端から血が滲んだ。


「何だと思う。わからねぇよな。これはな――ヴィールを呼び寄せる餌みたいなもんだ」


 ローザはその石を一度だけ見たことがあった。もう何年も前。国外に遠征し、ヴィール討伐を終えた時だった。彼はその石を地面に落とし、虫でも潰すように踏み砕いた。直後、何もなかった荒野にとてつもない数のヴィールが押し寄せたのだ。当時隊長だったマルクスは、仲間を逃がすため一人で群れに飛び込み、そのまま帰ってこなかった。


「それを使うのは今回が初めて……か」


 喉の奥で怒りを押し潰すようにローザは呟く。しかしディノスは聞いてすらいないように、片目を閉じ、耳をほじっていた。


「初めてかと聞いている!」


 怒号がこの空間の空気を震わせる。喉が割れるほど叫んでいるのに、胸の奥に渦巻く感情は少しも吐き出せなかった。


 指先についた耳垢をふっと吹き、ディノスは不機嫌そうに舌打ちを鳴らし、顎をあげた。


「なんだよ。見てたのか。あのバカがヴィールに食いちぎられる姿は最高だったぜ。心の底からスカッとしたよ。ガキの頃から気に入らなかったんだよ、あいつは」


 嘲笑するように、口角の片方だけが、ゆっくりと持ち上がる。嘘だと思いたかった。ローザは顔を伏せた。もう拳に力は入っていない。手の中から大切なものがするりと抜け落ちた気がした。


「……私たちは友達じゃなかったのか」


 震える声で言葉を絞り出す。


「そんな能天気なのはお前とマルクスだけだよ」


 奥歯を噛み締めると、くっと息が漏れる。もう一人の顔が脳裏を過る。マルクスが死んでから、抜け殻のようにだった自分を支えてくれたのは彼だった。裏切り者だなんて……認めたくなかった。

 

 ローザが現実を拒否するように顔を俯かせていると、パンッ!と乾いた音が響き渡る。咄嗟に顔を上げた。


 目に映ったのは、振り切った腕。肩を震わせるカタリーナ。そして、僅かに顔を横に逸らしたディノスの姿がだった。


「あなたがやっていることは最低です。やっぱりラピス教を抜けてよかったと、心から思います」


 ぱっちりとした大きな目を鋭くし、カタリーナはディノスを真っ直ぐ睨みつけていた。しかし、ディノスは動かない。ゆっくりとした動作で懐から赤いひし形の石を取り出し、掌に乗せる。ラピス教の信者を示すアストラ。彼はそれを分厚い両手で包み込むと、祈るように顔を近づけた。


「足りないんだ。足りてないんだよ。この世は、愛が足りてないんだ……」


 ぶつぶつと、抑揚のない小さな声が漏れる。同じ言葉を何度も、何度も繰り返していた。その姿は狂信者というより、壊れた人形のようだった。粘つくような不快な空気が部屋中に広がっていく。


「だからぁ!俺がぁ!」


ディノスが両手を大きく広げた。異様に吊り上がった口元。焦点の定まらない目。


「お前たちに教えてやらないといけないんだ!」


 カタリーナに飛びかかった。刹那。一筋の光がディノスの腹部を貫く。轟音が室内を震わせた。ローザがバルムガンで彼を撃ち抜いたのだ。ディノスの体が地面を叩いた。思い出が脳裏を掠めた。かつての友から目を逸さなかった。針を刺されたように胸が痛む。


 鼓動の音だけが聞こえてきそうな静寂が辺りを包み込む中、ローザは震える指に力を込め、バルムガンを強く握った。静かに長く息を吐いた。直後、無理やり自分を奮い立たせるように、前を向く。


「バルムンド博士!今そっちに送ったデータからリヒトの居場所を特定してくれ。カタリーナ。いくぞ!」


 リンクギアに声を叩きつける。そしてローザは迷いを断ち切るように踵を返し、カタリーナと共に外へ駆け出した。冷たい風が頬を叩く。走りながらも、脳裏には最後に見たディノスの表情が焼き付いて離れなかった。

読んでくださりありがとうございます。

ローザのような姉御肌だけど、繊細なキャラがお気に入りです。頭で考えていることと、心が乖離すると結構しんどいんですよね。

次回、囚われたリヒトがどうやってそこを抜け出すのか。カタリーナと無事出会えるのか。プラウドたちの目的とは。


感想や評価をいただけると、今後の執筆の励みになります。よろしくお願いいたします。白モン

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