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2章 残照①隣の足音

前回のあらすじ

緊急任務は終結した。しかしその代償として、オベリア部隊はウルスラを失う。彼女の死は大きく語られることなく、静かに弔いだけが行われた。街で彼女を知る人々に訃報を伝えた後、リヒトとカタリーナは花を手に墓地を訪れる。墓前でリヒトは、最後に残された「ありがとう」の意味を考え続けていた。そんな彼にカタリーナは「生きていてくれてありがとう」と伝えたかったのではないかと語る。その言葉をきっかけに、リヒトは初めて押し込めていた後悔や無力感を吐き出した。誰かを失った悲しみと、誰かに生きていてほしいと願われていた事実。その両方を胸に、彼の止まっていた心は僅かに動き始めたのだった。

 蒼天の下、木陰に腰を下ろしていたリヒトはカタリーナとローザの打ち合いを眺めていた。ここに来たばかりの頃は動きもぎこちなく防戦一方だったカタリーナ。それが今ではローザの剣をまともに受け、時には打ち返せるほどになっている。汗に濡れた桃色の髪が揺れるたび、陽光がきらりと反射した。教えたことをそのまま吸収する素直さが彼女をここまで成長させたのだろう。


「なんだろう。なぜかわからないけど、カタリーナから目が離せない。この胸の高鳴りはなんだ。まさか……。これは恋!?」

「……プラウド。うるさいぞ」


 隣から聞こえてきた芝居がかった声にリヒトは呆れて目を細めた。木陰で胡坐をかくプラウドはいつもと変わらず薄い笑みを浮かべている。


「いいじゃないか。毎日、稽古稽古稽古。それだけじゃ味気ないだろ?人生には彩りっていうのが必要なわけ。わかる?」

「俺には必要ない。あの二人の稽古が終わったら泣かせてやる。覚悟しろよ」

「えぇ~?泣かせてやるだって?それは僕に一度でも勝ってから言ってほしいなぁ。ほら。今泣いてあげようか。え~ん。え~ん」


 わざとらしい泣き真似まで始めたプラウドにリヒトは小さく鼻で息を吐いた。オベリア部隊の中で最も強いのは間違いなくプラウドだ。恐らく今の自分とカタリーナが二人掛かりでもまだ届かない。しかし、そんな彼にも勝てない相手がいたらしい。ふと脳裏に浮かんだ名前。リヒトは視線を稽古場に戻したまま、口を開く。


「少し聞いていいか。言いたくなかったら別に構わない」

「……どうぞ?」

「マルクスってどんな人だったんだ」


 風に揺れていた木漏れ日の温度がわずかに変わった気がした。横目で見たプラウドは笑ったまま。しかしピクリとも動かない彼の表情が逆に気になる。葉擦れの音だけが耳に届く中、リヒトは無意識に言葉を継ごうとしていた。


「やっぱりいい。今の質問は――」

「マルクスはね。僕たちの幼馴染だよ」


 遮るように返ってきた声はいつもより抑揚が薄い。軽薄さを演じる余裕がほんの少し欠けている気がした。


「太陽のような男だったさ。馬鹿みたいに人が良くてね。……少し暑苦しいところはあったけど」


 彼は体を反らすように後ろへ倒れ、地面へ手をつく。笑みだけが綺麗な形のまま残っている。プラウドがゆらりとこちらを向いた。


「君が知りたいのはこれだろ。なぜみんな彼の話を避けるか」


 リヒトはわずかに息を呑んだ。話の続きが気になったのではない。彼の顔つきだ。いつもの軽薄な笑みが今だけはどこか違って見えた。その表情の奥に何か暗いものが沈んでいる気がした。うまく掴めないが、見てはいけないものを一瞬だけ覗き込んでしまったような感覚だけが胸に残った。


 プラウドは小さく吐息を漏らし、視線を空へ逃がす。


「色んな理由はあるけどね。核心の部分は僕の口からは話せない。すまないね」


 穏やかな声色だ。しかし、その先に踏み込ませない固さを感じた。


「いや。わかった。それだけでも十分だ。」


 リヒトが事を返すと、プラウドはただ薄く笑っていた。


 普段なら冗談の一つでも挟むはずなのに、今は違う。恐らくマルクスと言う人はもう――。そこまで考えかけた瞬間だった。


「リヒトが人に興味を持つなんて珍しいね。やっぱりカタリーナちゃんのおかげかな」


 先ほどまでの空気を変えるようにプラウドがいつもの調子で口を開いた。あまりにも自然な声色だったせいで、逆にリヒトは言葉に詰まる。


「……前にウルスラも似たようなことを言っていたが。何か前と違うか?」


 プラウドの鼻で笑った声が聞こえた。彼は未だ空を見上げている。


「そうだね~。自分の変化なんて――なかなかわからない。ただ、周りの人は意外と気づくものだよ」


 プラウドは細い目を閉じ、時折吹き抜ける風を受けながら、どこか心地よさそうにしていた。そんな彼の横でリヒトは頭を捻る。自分でもわからないことを、他人が気づけるのだろうか。考え込むリヒトをよそにプラウドはゆっくりと立ち上がった。そして体を捻り、側屈し、固まった筋肉を伸ばしている。


「人間って言うのはね。自分だけでは変われないんだ。いい方にも悪い方にもね」


 遠くを眺めながら、いつもと同じ軽い口調で語るが、リヒトは言葉を返さなかった。やがてプラウドはふっと片方だけ口角を上げ、大きく息を吸い込んだ。


「カタリーナちゃん!ちょっとこっち来て!」


 プラウドの声に彼女はローザとの稽古を止め、こちらに駆けてくる。桃色の髪は汗で束になり、顎を伝った雫がぽたりと地面を濡らす。彼女は息を切らしながら目を丸くしていた。


「なんでしょう?交代ですか?」

「違う違う。今からこの副隊長直々に任務を与えよう!リヒトとカタリーナちゃんは街に行って、『ブロカンムッシュ』の特製デニッシュを買ってきて。追加があるかもしれないからリンクギアを忘れないでね」


 プラウドは得意げに腕を組み、胸を張った。一瞬、何を言われたのかわからずリヒトは無言で瞬きをした。任務。デニッシュ。頭の中で変な言葉が行きかう。


「……は?」


 ようやく口から漏れたのは間の抜けた一言だった。プラウドはそんな反応すら面白そうに眺めてくる。片眉を下げたリヒトは勢いよく立ち上がり、彼の肩を掴んだ。


「まだ稽古の途中だろうが。くだらないこと言ってないでさっさと打ち合いをするぞ」

「だめ~。はい、だめで~す。さっさと着替えて準備をして街に行ってくださ~い。その服はだめね。ちゃんと私服に着替えること。いいね」


 わざとらしく身振り手振りを交え、畳み掛けるような勢いで言われたリヒトは思わず言葉に詰まる。何を言っても無駄だ。この男がこういう調子の時は逃れられない。しかもなぜか楽しそうなのが腹立たしい。リヒトは彼の肩から手を離し、頭を抱えて、ため息をついた。


 結局、流されるようにカタリーナと共に基地へ戻る。その途中、背後から騒がしい声が聞こえてきた。振り返るとローザがプラウドと何やら言い争っている。遠目には子供の喧嘩のようだったが、次の瞬間、ローザの拳骨。まともに喰らったプラウドが地面へめり込んだ。土煙が舞っている。


 リヒトは何も見なかったことにして前へ向き、歩き進めたのだった。


 

 街に人が多く行き交う時間。あの時買った服に着替えたリヒトと白いワンピースを着たカタリーナはタイルで舗装された道をただ無言で歩いていた。いつもならここにもう一人いる。他愛のない話をして、勝手に笑って、途切れかけた会話を自然に繋いでいた彼女はもういない。彼女の墓に花を添えて以来、こうして二人だけで出かけることはなかった。何か話そうとは思うが言葉がうまく浮かばない。頭に浮かんでくるのは結局、稽古のことばかり。


「隊長との打ち合いはどうだった。何か掴めたか?」

「そうですね。ローザさんは力が強いので、私が打ち合っても適いませんから。どうしたらいいと思いますか?」

「今はまだ細かいことを考えなくていい。隊長の胸を借りる意味でもしっかりと打ち込め。細かい動きは俺との時にすればいい」

「わかりました。リヒトさんがそういうのなら次は――真正面から行きます!」


 カタリーナは力強く刀を振る真似をした。その動きに合わせ、頭の高い位置で束ねられた桃色の髪が揺れる。そこで初めて気づいた。髪を結っている。普段より首元が見えていた。


「髪型……。変えたのか」

「えっ。はい。せっかく久しぶりに出かけるので張り切ってみました!おかしくないですか」


 言い終えると、カタリーナはわずかに顎を引いた。返事を待つように目だけがこちらを追っている。リヒトは言葉を探した。おかしくはない。しかし、それをどう言えばいいのかわからなかった。返答を色々考えると余計に口が重くなる。


「……いいんじゃないか」


 ようやく絞り出したその言葉に、カタリーナは目を細め、口元が小さく緩んでいた。結んだ桃色の髪だけが軽く揺れている。


「……買い出しのついでに行きたいところとかないのか。少しなら寄ってもいいぞ」

「そうですね。私は……今リヒトさんの行きたいところに行きたい。そんな気分です」


 リヒトはまたもや口をつぐんだ。視線を逃がすように林へ向ける。風が葉を揺らし、乾いた土の道にまだらな影を落としていた。隣の足音だけが耳につく。その時、沈黙を破るようにピロンと電子音が鳴った。リヒトは半ば逃げるようにリンクギアの通知を確認する。


 ――リヒトへ。僕のデニッシュの他に何か甘いパンを買ってきてください。そうしないとローザの機嫌が直りそうにありません。夕方ぐらいに基地に戻ってくることをお勧めします。理由は聞かないで。プラウド。


 リヒトは小さく鼻で笑った。恐らくプラウドはローザの稽古に付き合わされているのだろう。あの拳骨のあとだ。無事で済んでいるとは思えない。先ほどまで胸の中にあった息苦しさが薄れ、不思議と肩の力が抜けた。


「どうされました?」

「いや。なんでもない。とりあえず『ブロカンムッシュ』に向かおう。」


 リヒトはパン屋へ足を進めた。街の商店が並ぶ通りに足を踏み入れる。三人で出かけた時、彼女たちは服屋や美容品が売っている店に目を輝かせ、あちこち吸い寄せられていた。リヒトはそんな二人を少し離れた場所から眺めているだけだった。

 

 だが今日は違う。カタリーナはリヒトの横を並んで歩くだけで、どの店にも入ろうとしない。服屋の前を通っても足を止めない。前なら足を止めていたはずなのに、そのまま通り過ぎる。装飾品の並ぶ店先で一瞬だけ視線が留まるが、またすぐに歩き出した。以前なら「あれ見たいです!」と袖を引っ張ってきただろうに。


 そんなことを考えていると古びた本屋が目についた。その周りから少し浮いた店構えが少し気になったが、足を止めることもなくそのまま素通りした。そして二人はパン屋に到着した。


 入口の上に深い焦げ茶色の木看板が掲げられている。『ブロカンムッシュ』。大きな窓の向こうに焼き立てのパンが並び、柔らかな橙色の灯りが外へ零れている。店先へ置かれた黒板には本日のおすすめのパン――デニッシュ、アップルパイ、揚げパン等が白いチョークで丁寧に書き込まれていた。


 店先から漂う小麦の香ばしい匂いが鼻をくすぐる。その時だった。ぐぅ、と間の抜けた腹の虫の音が響く。音のした方を向くと、カタリーナが口を紡ぎ、目を見開いたまま固まっていた。


「腹がすいたか?」リヒトの問いに、カタリーナは潤いのある唇を尖らせ、わざとらしくそっぽを向いた。

「気、気のせいじゃないですか。べ、別に私は、お腹なんて空いて――」


 ぐぅぅ、と。今度は誤魔化しようもない音が響いた。カタリーナは慌てて両手で腹を押さえた。恥ずかしそうに顔を俯かせ、耳がじわじわと熟れた桃のように赤く染まっていく。リヒトは思わず鼻を鳴らした。


「な!今笑いましたね!」

「いやっ……」

「そうですよ!お腹が空きました!だって今日はまだレーションしか食べてないんですよ!」


 むっと頬を膨らませるカタリーナにリヒトの口元が僅かに緩み、もう一度鼻を鳴らした。


 ガラスに映る彼女は未だ子供のように頬を膨らませたまま。目が合うと、慌てたようにまたそっぽを向いた。さっきまで感じていた気まずさがいつの間にか薄れていた。息をつくと、肩の力が少しだけ抜けていく。


「中で食べられるスペースがあっただろ。先に休憩しよう」

「――はい!」


 さっきまでの拗ねた様子はどこへ行ったのか。カタリーナはぱっと表情を明るくした。

読んでくださりありがとうございます。

2章が始まりました。この章は物語がぐっと動き始めます。

次回、穏やかな時間を過ごす二人をお楽しみください。次々回が少しシリアスになるので。


感想や評価をいただけると、今後の執筆の励みになります。よろしくお願いいたします。白モン

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