1章 灯り⑩白いワンピースと知らない温度
前回のあらすじ
カタリーナがバイオリモデルを受けてから三ヶ月。オベリア基地ではリヒトたちが穏やかな日々を過ごしていた。訓練を通して成長していくカタリーナと少しずつ人間らしい表情を見せ始めたリヒト。その姿を見守るローザは、自分が隊長として正しい道を歩めているのか思い悩んでいた。しかしプラウドの言葉に背中を押され、彼女は再び自分らしく前へ進むことを決意する。そして訓練後、ウルスラに半ば強引に誘われたリヒトたちはいつものように街へ出かけるのだった。
ウルスラに「ゆっくり支度してきて」と言われ、リヒトは一度部屋へ戻った。少しだけベッドに体を預けてから、いつもの厚手のミリタリージャケットと細身のカーゴパンツに着替えた。任務中も、訓練中も、街に出る時もこの服だ。動きやすく、無駄がない。
頃合いを見て、リヒトは基地の外に出る。昼の陽光が白く地面を照らし、乾いた風が道の砂をさらっていく。街へ続く道の入り口で待機していると、弾むような足音が聞こえる。二人の姿を見たリヒトの動きがピタリと止まる。
ウルスラはふんわりと広がる白いワンピースを着ていた。袖や裾には細かなフリルがあしらわれており、動くたびに軽やかに揺れている。丈はやや短めで、細い脚がよく見えていた。足元には黒いサンダル。焦茶色のツインテールにはトレードマークのピンクと水色のリボンが結ばれていた。
そしてカタリーナ。彼女は膝下まで丈のある白いワンピースを纏っていた。柔らかな布地が風を受けて、穏やかに揺れている。腰元は細い茶色のベルトで軽く締められており、すらりとした体つきが自然に際立っていた。胸元には小さな刺繍が入り、落ち着いた雰囲気がよく似合っている。桃色の長い髪も今日はいつも以上に柔らかく見えた。足元には茶色のフラットサンダル。飾り気は少ないのに不思議と目を引く。まるで晴れた日の風景へ自然に溶け込むような姿だった。
リヒトは二人の前で茫然と立ち尽くす。その様子を見たウルスラが不満そうに頬を膨らませる。
「なんかいうことあるんじゃない?」
「……動きにくくないか?」
「ばか!リヒトのば~か!こういう時はね!可愛いとか!似合ってるねとか!言ってほしいの!」
ウルスラは両腕を上下にぶんぶん振り回している。焦茶色のツインテールまで一緒に暴れていた。リヒトは口を閉ざしたまま、固まっている。するとカタリーナがくすりと笑い、ウルスラの肩に両手を置いた。そして少しだけ首を傾げ、上目遣いで覗き込んでくる。
「リヒトさん。今日のために二人で選んだんです。似合ってますか?」
昼の風が吹き抜け、桃色の髪がふわりと揺れた。真っ直ぐ向けられる空色の瞳。リヒトは一瞬だけ言葉に詰まる。
「……あぁ」
驚くほど短い返事。気の利いたことの一つでも言えればよかったのだが、結局それしか言葉が出てこなかった。目の乾きで瞬きを忘れていたことに気づいた。カタリーナは柔らかく目を細める。
「さて。それじゃあ行きましょうか」
満足そうに微笑んだカタリーナはウルスラの手を取り、二人は並んで街の方へ歩き出す。白いワンピースが昼の陽射しを受け、風の中で軽やかに揺れていた。
少し前を歩くその背中を眺めながらリヒトは小さく息を吐く。なんだか妙に気が張っている。
オベリア基地から一番近い街では、アトルサの中でも一般庶民が多く住んでいる。碁盤の目のように真っ直ぐ道が交差する街並みが特徴的で、灰白色の石畳が続く街には、焼き菓子の香りと人々の話し声が満ちていた。白や薄茶の建物が並び、窓辺の花壇や揺れる洗濯物が生活の温度を感じさせていた。
遠くを覗けば、国の中央付近にはガラスを多用した近代的な高層建築がいくつも立ち並び、その無機質な輪郭が青空に突き刺さっていた。しかしこの辺りはどこか生活感が残っている。子供たちが路地を走り回り、店主が店先で談笑し、忙しなく人が行き交っていた。
リヒトは大通りを歩くのが、あまり好きではない。視線が多いからだ。しかし、この二人はなぜか大通りを、それも堂々と真ん中を歩きたがる。白いワンピースを揺らしながら並んで歩く後ろ姿はやけに目立っていた。すでにオベリア部隊の一員だと知られているのに。
最初の頃は街に来るたび、冷たい視線を浴びていた。まるで厄介者でも見るような目。露骨に舌打ちをされることもあった。
しかし不思議なことにいつの間にかそう感じることも少なくなっていた。完全に受け入れられたわけではない。時折難癖をつけられることもある。ただその回数も以前より減ってきている気がする。理由はよく分からない。ウルスラが人懐っこく話しかけまくっているせいか。あるいはカタリーナが誰に対しても柔らかく頭を下げるからか。リヒトには判断がつかなかった。
服屋を何件か周り、飲食店で食事をした後、目についた店へふらりと入る。それが最近の流れだった。軽快な足取りの二人についていくと案の定、服屋へ辿り着く。しかし今日はいつも行くような女性向けの店ではない。ガラス越しに中を覗くと、並んでいるのは男物の服ばかりだった。黒や灰色を基調にしたジャケット。無骨なブーツ。革ベルトや銀細工のアクセサリー。店の外観もどこか重厚で壁面には深い木目が走り、大きなガラス窓の向こうでは、暖色の照明が落ち着いた光を灯している。
嫌な予感がした。リヒトが踵を返そうとした瞬間。
「はい!レッツゴー!」と背中を押され、つんのめるように店の中に入れられた。
途端に鼻をくすぐるのはスモーキーな革の匂いと磨かれた木材の香り。吹き抜けの高い天井から柔らかな陽光が差し込む。店内は想像以上に広かった。無骨なジャケットやブーツが整然と並び、革と木材の匂いが漂っている。
呆気に取られながら辺りを見渡していると店の奥から重たい足音が響いてくる。リヒトは反射的に身構えた。現れたのは見上げるほど大柄な男だった。筋骨隆々という言葉がそのまま形になったような体格。黒いシャツの上からでも分かる分厚い胸板と腕。髭の生えた厳つい顔はまるで戦場帰りの傭兵みたいだ。リヒトは無意識に重心を落とし、彼の一挙手一投足を逃さないように鋭い視線を向けた。
「おっちゃ~ん!今日こそこっちの店にきたよ~!」
ウルスラが弾む足取りで男の元へ駆けていき、その大きく分厚い手に思い切りハイタッチした。乾いた音が店中に響く。そのまま彼はウルスラに何かを耳打ちし、リヒトを控えめに指差す。
「なるほど。こら!リヒト!おっちゃんを怖がらせたらダメでしょ!」
「いや……。どちらかと言えばその人の方が……。」
リヒトは真顔で答える。しかし当の本人はなぜか少し落ち込んだような顔をしていた。
この男性こそ、この服屋の店主。ウルスラとカタリーナがよく通う服屋を経営している社長の旦那らしい。新しく男性向けの服屋をオープンしたとのことで、「今度絶対来てね!」と前々から約束させられたようだ。
そして今日ようやく連れて来られたのである。リヒトは店内をもう一度見渡し小さく息を吐いた。どうやら簡単には帰れそうにない。
「今日はリヒトさんのお洋服を買いに来たんですよ。何か気になるものはありますか?」
「気になるものというか。特にない。この服で十分だ」
「わかりました。いえ、わかっていました。そんなこと言うリヒトさんのために、私たちがいるんですから。覚悟していてくださいね」
カタリーナがにこやかに微笑んだ。その笑顔を見た瞬間、リヒトは嫌な予感がした。最近、彼女の言動や話し方が隊長やウルスラに似てきている。
リヒトが口を開くより早く、「はい!これ!」「試着室こっちです!」と腕を引っ張られ、そのまま奥へ連行された。それからだった。地獄が始まったのは。
「これ絶対似合う!」「いや派手すぎるだろ」「こっちの黒もいいですね」「暑い」
「リヒト!次これ着て!」「まだ着るのか……」
気づけば完全に着せ替え人形だった。試着室に押し込まれ、出てきた瞬間には次の服が待機している。休む暇がない。しかも三人ともなぜか真剣だった。
ウルスラは「あとちょっと足りない!」と唸り、カタリーナは目を輝かせ、店主は職人みたいな顔で頷いている。
完全に逃げ場がない。途中、限界を感じたリヒトはリンクギアでプラウドに助けを求めた。
しかし返ってきたのは、――ローザとの稽古を代わってくれるならいいよ。という短い文章。彼からのメッセージは見なかったことにした。
もう何時間ここにいるのだろう。最初は抵抗していたリヒトも途中から徐々に怒る気力すら削がれていった。
もはや虚無である。まだヴィールと戦ってる方が楽かもしれん。
本気でそう思い始めた頃。
「決まったー!」
ウルスラの歓声が店内に響いた。鏡の前には濃紺のジャケットとパンツのセットアップを着たリヒトの姿。
黒髪に近い深い紺色が自然によく馴染み、無駄のない細身のシルエットが彼の体格を際立たせている。中には肌触りの良い無地の白シャツ。足元には焦げ茶色のローファー。派手さはない。しかし不思議と洗練されて見えた。リヒト本人だけが魂の抜けた顔をしている。
「似合ってます……!」
カタリーナが嬉しそうに両手を合わせる。店主も満足げに深く頷いている。結局その一式を購入することになった。会計を終えた後、リヒト以外の三人はなぜか清々しい顔を浮かべ、互いにがっしり握手を交わしていた。
理解できない達成感に包まれている中、リヒトはソファに深く腰掛けたまま遠い目をしていた。激戦を生き延びた兵士みたいな顔だった。
もう……帰りたい……。慣れないことを長時間やらされたせいでリヒトはすっかり疲労困憊だった。主に精神的に。
フラフラとした足取りで店を出てそのまま基地へ帰還しようとする。しかし次の瞬間。ぐいっと腕を掴まれた。
振り返るとカタリーナが少し困ったように眉を下げている。
「頼む。疲れたから帰らせてくれ」
リヒトは本気で懇願した。戦場でもここまで弱った顔はなかなかしない。
「私も盛り上がっちゃってすみません。でも今日はもうちょっと……。ウルスラちゃんのためにもお願いします」
最近あまり見ない表情だった。どこか思い詰めたような空気が引っかかる。リヒトは小さく息を吐いた。結局断れなかった。
それからはいつもの流れだった。二人の行きたい服屋についていき、彼女たちが満足するまで外で待つ。店内へ入るたびウルスラとカタリーナは楽しそうに服を見比べ、時折こちらに手を振ってくる。リヒトは店の壁に寄りかかり、人通りをぼんやり眺めていた。今日はなぜか視線が多い。しかも女性ばかりな気がする。
カタリーナが店内で会計をしている時、ウルスラが小走りで駆け寄ってきた。焦茶色のツインテールを揺らしながら、満足そうな笑みを浮かべている。
「新しい服で出かけるのもいいでしょ?」
「なんだか周りの視線が気になるが……。悪い気分ではないかもしれない」
リヒトがそう呟くとウルスラは一瞬だけ目を丸くした。それからふっと口元に弧を描く。
それから彼女はこちらを真っ直ぐ見つめてきた。いつもの無邪気な笑顔ではない。柔らかな光を宿したサファイアブルーの瞳が真っ直ぐリヒトを映していた。
「リヒトは昔のことを知りたいんだよね。もちろんそれも大切なことだと思うけど……今を生きるって言うのも同じぐらい大切だと思うよ」
風が通り抜け、ウルスラのリボンが小さく揺れる。
「今を楽しく生きてさえすれば、もし昔のことを知った時……。それが大切な思い出になるんだからさ」
その言葉は不思議なくらい自然に胸へ落ちてきた。リヒトは返事を忘れたようにただ彼女を見つめていた。ウルスラはそんなリヒトを見て、いつもの調子に戻るように笑みを咲かせた。
「ま!あんまり悩まないこと!」
そう言って踵を返し、服屋から出てきたカタリーナの元へ弾むような足取りで駆けていった。リヒトはその後ろ姿をぼんやり見つめる。胸の奥に、今まで知らなかった温度が残っていた。
読んでくださりありがとうございます。
リヒトが着せ替え人形のようになっているシーンは結構お気に入りです。
次回、少しシリアスなシーンがあります。買い物の後、ウルスラに連れられて着いた場所とは。
感想や評価をいただけると、今後の執筆の励みになります。よろしくお願いいたします。白モン




