重なる熱と鼓動
フリーダたちが去った部屋は妙に広くがらんとして見えた。初めて入った寝室は思った以上に広かったせいかもしれないけれど……どうしたらいいの? わからなくてその場に立ち尽してしまった。本当にこういう時どうしていいのかわからない。ソファに掛けるの? それとも寝台? だけど寝台に掛けたら花が潰れてしまわないかしら? って、いつの間にか花は一部を残して床を彩り、綺麗な刺繍が施されていた飾り布だけになっていた。あの二人、いつの間に……仕事の早さに一層途方に暮れる。
「アリー」
「ひゃい!」
急に名を呼ばれて心臓が止まりそうになった。ジーク様、いつの間に? まったく気付かなかったわ。侵入を許すなんて……とんだ失態だわ。それに、焦ったせいで噛んでしまった。恥ずかしい……嫌だわ、意識し過ぎているとばれてしまったかしら? き、期待しているわけじゃ……これは務めだから必須なのよ……頭の中に色んな考えが暴れまわって目が回りそう……
「少し、話そうか」
「は、はいっ」
いやだわ、声が上ずってしまった。ジーク様に手を取られ、その手の大きさに思わず身体が跳ねた。い、いつものことじゃない。落ち着かなきゃ……変に思われなかった? 焦る私を嬉しそうに見たジーク様が一層甘い笑みを向けてきた。し、心臓が、負けそう……
「少し、呑むか?」
「……え? あ、はい」
とにかく落ち着きたくて申し出を受けると、ジーク様はテーブルに用意されていた酒瓶とグラスを取り出された。
「アリー、お酒は?」
「えっと、それなりに」
滅多に呑まないけれど、呑むのは嫌いじゃない。もっともヴァイラントでは気が抜けないから酔うほど呑めなかったけれど。
「意外と強い?」
「どう、でしょうか。エリーほどには飲めないので、普通かと」
「なんだ、エリーはいける口か」
「ええ。彼女はかなり強いです」
マルクも強くていくら飲んでも平気だからあれは血筋でしょうね。あまり強いと悪酔いするかもしれないからと、私の杯には度数の低い果実酒を注いでくれた。これで少しは緊張が解れるかしら? そう願いたいわ……
「あの、第三妃とカトリーナ嬢は……」
「二人とも貴族牢にいる。今日の取り調べは終わっただろう。すべては明日からだな」
「そう、ですか。素直に、応じるでしょうか」
「どうかな。カトリーナは素直に応じていたらしい。だが第三妃は何も言わなかったと聞いた」
「黙秘ですか」
そうなるわよね。だけど、それだとディアーク様はグレーデンに行ってしまわれる。第三妃にとってはどちらも受け入れ難い。かといってベルツとの関係を思えば彼女を大っぴらに罪に問うのも難しいわ。被害者は実の息子だし知る者も少ないから、陛下は外聞と外交を考慮して表沙汰にはなさらないでしょうね。病気療養の名目で生涯軟禁、かしら。両国の名誉は守られるからベルツも文句は言わないでしょうし。
「後味の悪い結果に、なりましたね」
どう転んでも二人はこのまま無罪放免とはいかないわ。我欲に囚われなければ平穏に暮らせたでしょうに。
「アリーが気にすることはない。あいつらが自重していれば起こらなかったんだ」
「そう、ですね」
気に病んでも仕方ないわ。自分のしたことは自分で責任をとるべきよね。果実酒に口をつける。甘いけれど、さっぱりして呑みやすい。やだ、美味しい……
「それが気に入ったか? タージャの実から作った酒だ」
「タージャから? 甘すぎないのがいいですね」
「ははっ、それはレオの実家が作っている酒だ」
「レオの実家が?」
意外だわ、妹のフリーダも騎士だから武の家門だと思っていたけれど、ミューエ家は酒造もやっていたのね。
「あいつも強いぞ。エリーと競わせてみたいな」
「まぁ、そんなこと仰ったらエリーがその気になってしまいますわ」
それはそれでどうかと思うわ。だけど、酔いつぶれたエリーなんて見たことがないから、ちょっと気になるかも……
「ああ、こっちはロシュ酒も女性に人気だぞ。フリーダのお気に入りだ」
渡されたグラスを受け取る。少しつんとした癖のある香りがするわね。口をつけると、タージャよりも酸味が強いけれどさっぱりしていた。これはこれで美味しいわ。
「ふふっ、こっちも美味しいです」
なんだか楽しくなってきたわ。さっきまでの緊張感がお酒のお陰で緩んだせいかしら?
「ああ、呑み過ぎないでくれよ」
「わかっていますわ」
大丈夫よ、これくらいで酔ったりはしないわ。エリーには負けるけれど弱くはないもの。
「ははっ、酔ったアリーも可愛いな」
「ジーク様だってかっこいいです。今日の正装、とっても素敵でした」
式服のジーク様を思い出すだけで頬が緩んでくる。でも本当に素敵だったわ、誰よりも凛々しかったもの。
「そうか? ああいった堅苦しい服は苦手だが、アリーに褒めてもらえるのなら着た甲斐があったな」
「ふふっ、また着てくれませんか?」
「アリーが望むのなら」
本当に? 嬉しいわ、今日だけなんてもったいないもの。
「ジーク様、ありがとうございます。大好き」
嬉しすぎてジーク様に抱き付いてしまった。すっかりなじんでしまったジーク様の香油の香り、今日はいつもよりも強く感じるわ。
「アリー……」
「はい?」
どうなさったのかしら? なんだかお声に、戸惑いが交じっているような……不思議に思ってお顔を見上げたら、戸惑っているジーク様がいらっしゃった。少し、お顔が赤い? なにか、変なことを言ったかしら? もしかしてジーク様、酔ってしまわれた?
「まったく、あなたという人は……」
困惑した表情も素敵だわ。最初は表情があまり変わらなくて不愛想な人だと思っていたけれど、とっても優しいし私には甘いもの。ふふ、嬉しい。こんな方が私の夫だなんて。
ふと、影が差して気が付けばソファに背を預けていた。ジーク様が上にいらっしゃる。ろうそくの仄かな灯りを受けるジーク様のお顔がいつもよりも陰影が濃くて、お顔の彫りがはっきりして見える。綺麗なお顔だわ。それに、やっぱりかっこいい。見惚れてしまう……ゆっくりとお顔が近付いてきて、視界が暗くなったと思ったら唇に柔らかいものを感じた。軽く繰り返されるそれは鳥が啄んでくるみたい。ふふっ、こそばい……
「アリー」
「……ジーク様」
すぐ目の前にある口が私を呼んだ。いつもの甘さが薄れて、なんだか背中がぞくっとした。何なの……って、今、私……頭が答えを見つける前にまた唇が塞がれた。今度は唇を舐められて、何かが入り込んできた。
「んんっ?」
滑らかな何かが口の中に入り込んできて……息苦しさを感じた。な、何が……ふわふわしていた頭が状況を理解して、一気に現実がはっきりした。今、私……ジーク様と、口付け、してる……? 恥ずかしさが全身を包み、思わず大きな身体を追いやろうとしたけれど、大きな身体は重くてびくともしなかった。やんわりと手を取られて指を絡ませられる。息が苦しい……それに、唇から、手から、圧し掛かってくる大きな身体から伝わる熱に、引きずり込まれる感じがして、怖い……
「……っ! まっ、やぁ……」
「アリー」
唇を解放されて空気を吸い込んだけれど……名を呼ぶ声にぞくっと身体の奥が震える。何なの、これ……こんな感覚、知らない……
「ジー、ク様……」
「アリー、あなたが嫌がることはしたくない」
見上げると真剣な表情で私を見下ろしていた。その視線にいつもはない何かが感じられて肌が粟立ったけれど、私への最大限の気遣いも感じた。よくわからないけれど、閨が何をするのか具体的に知らないけれど、ジーク様が私を困らせるようなことはなさらないわ。今までだってずっと、誰よりも丁寧に扱ってくださったもの。
「ジーク様なら、いいです。何をしても」
ジーク様はご存じなのよね、私が何も知らないのを。だったら、きっと最大限に配慮してくださるわ。そこは疑いようもない。
「アリー」
好きな人に名を呼ばれるのは、なんて幸せなのかしら。
「大好きです、ジーク様。私をジーク様の本当の妻にしてください」
閨をしないと本当の夫婦になったと言えないことは私だって知っているわ。ジーク様の妻の座を、誰にも渡したくない。だから、何をされても受け入れるわ。
「アリー、愛している。俺の妻はあなた一人だ」
一瞬の間の後、ふわりと浮遊感に襲われて不安定さに慌ててその身体に抱き付いた。体温と共に早まる鼓動が伝わって、それは私のそれと重なった。




