幻想が崩れ去った日
ジーク様の宣言に会場内から音が消えたけれど、突然ジーク様に肩を抱かれて足元がふらつき、身体を預ける形になってしまった。途端に会場に黄色い悲鳴が上がり会場内にざわめきが戻ってきた。一部の貴族たちの表情が険しいものになっているわね。彼らは自分が、もしくは娘を第二妃にと狙っていた者たちかしら。
「どうやら王女殿下はお疲れのようだ。部屋に戻られて休まれるがよかろう」
「この寿ぎの場を乱して申し訳ございません。妹を部屋に送って参りますので、暫し退席いたします」
「うむ」
国王陛下の言葉を受けて兄が深々と頭を下げ、令息たちに下がるよう命じる。エルリカはまだ呆然とジーク様を見上げていた。それは拒絶されたことへと驚きか、それとも……あの子の考えはわからないわ。
兄に立ち上がらされ、肩を抱かれたエルリカは力なく兄に身を委ねていた。もう言葉を発する気力もないらしい。今まであの子の希望が通らなかったことがなかったのだから。このまま退場してくれる、そう思っていたのだけど……
「や、やはり、わたくしにはあなた様しかおりませんわ」
とある男性の前を通り過ぎようとした時、あの子は兄の手を振り切った。向かった先にいたのは艶やかな黒髪を後ろで一つに束ねた涼やかな美貌を持つ青年だった。あの方って……
「第三公子か」
「では、あの方が」
エルリカの本当の初恋の方。でも、あの子は彼を人違いだと一蹴したのよね。わざわざヴァイラントまで訪ねてきてくださったというのに。
「フランツ様、私は勘違いしていたようです。私の初恋のお方はあなた様でしたわ」
上目遣いで彼の手を取り、その足元に跪いて縋る姿に会場内からまた様々な声が上がった。頭が痛いわ……あの子、たった今ジーク様に拒絶されたばかりなのに……厚顔無恥もここまで来ると一種の才能なのかもしれないわね。どうしたらあんなことが出来るのか、理解出来ないわ……
「エルリカ、いい加減にするんだ」
「お兄様、ですが彼は私の初恋の……」
「違うと言ったのはお前だ。ロスラー公子、申し訳ございません」
格下の国の、しかも後継者でもなんでもない第三公子に頭を下げるなんて、兄にとっては屈辱でしょうね。だけど、意外にも嫌々やっているようには見えなかった。
「お、お兄様、待ってください。私はフランツ様を……」
「王女殿下、申し訳ございませんが手を離していただけますか? 今の私の手は我が婚約者を支えるためにあるのです」
「え? 婚約、者……」
「はい。ご紹介します、私の婚約者のエミリア嬢です」
そう言って婚約者を見つめる公子の目は柔らかく、そこには親愛の情が見えた。確か彼もエルリカを想い続けていたのよね。だけどいい加減に婚約しろと言われてエルリカ会いに来た。その背を押したのはあの婚約者だったと聞いたわ。公子は実際にあの子に会って吹っ切れたとも。
「彼女は幼馴染で、私の気持ちを知りながらもずっと傍で支えてくれたのです。彼女の献身の尊さを理解した今、彼女以外に私の伴侶はあり得ません」
やんわりとあの子の手を外し、きっぱりとフランツ様があの子の申し出を断った。あの子の手が行き場を失い彷徨うけれど誰もその手を取ろうとはしなかった。自分が拒まれるとは思っていなかったようで、呆然とフランツ様を見上げている。
「エルリカ、さぁ」
兄が肩に手を置き、立ち上がらせようとしたけれど……
「う、そ……嘘よ、わ、わたくしが、拒まれるなんて……そんなの……」
「エルリカ?」
「さ、触らないでっ!!」
突然エルリカが兄の手を振り切って立ち上がった。
「ど、どうしてですの? どうして皆様、そんな冷たい目でわたくしを見るのです?」
いつもは張りのある声も今は虚ろだった。その目も。どうやら立て続けに拒絶されたことが受け入れられないようね。だけど周囲からの冷たい視線は変わらなかった。そのことにショックを受けたのか、呆然と立ち尽くしている。
「エルリカ姫、お疲れのようですね。少しお休みになられた方がよろしいですよ」
一人佇むエルリカに声をかけたのは、意外にもディアーク様だった。一つ年下の穏やかな風貌の彼にそう言われて、ようやくエルリカがハッと我に返った。
「さぁ、エルリカ、部屋に戻ろう」
近付いてきた兄に肩を抱かれ、今度こそエルリカは会場を後にした。会場内にあった妙な緊張感がようやく消えて肩の力が抜けて行った。こうならないようにと手を尽くしたのに結局はそれが悪手になってしまったわ。さっさと手を打っていたらあの子の名誉は守られた。だけど……
「アリーが気にすることじゃない。この先の人生を思えば、今のうちにあの腐りきった性根を叩き直した方が本人のためだ」
「そう、ですわね」
いつかあの鼻っ柱が折れてよかったと思える日が来るわよね。もうどうにでもなればいいと思っていたのに気になるなんて……厄介なものね、肉親って。痛い目に遭って気が晴れると思っていたのに、今は空しさが勝る。そんな中、フォルツ公爵が壇上で咳払いをした。皆の目が彼に集まる。
「少々騒ぎがありましたが、ジークベルト殿下とアリッサ妃殿下の婚姻式を続けます」
その一言で会場内にいる者たちは本来の目的を思い出した。そうだったわ、今は婚姻式の最中、感傷の相手をしている暇はないわ。それから式が仕切り直された。
「ファーレン王太子ジークベルトとヴァイラント王女アリッサの婚姻をファーレン国王の名において認める。共に手を取り合い国と民のためにその身を捧げ尽くすことを望む。我がファーレンの若き後継者に幸あらんことを!」
陛下が厳かに祝辞を述べられると、会場内が大きな歓声で満ちていった。ゆっくりと頭を上げ、振り返って壇下の臣下に向けて手を振ると歓声が一層高まった。
「王太子殿下ご夫妻万歳!」
「我らが守護神に幸あれ!」
「アシェリア様のご加護がありますように!」
あちこちから祝福の言葉が上がってくる。ブレンメ公爵やフォルツ公爵たち重責を担う者たちが上げる祝辞に参加者は異を唱えることなど出来るはずもなく追従し、幸いにも表立って疎む者はいないように見えた。今はそれで十分だわ。慣例を無視して入国した私に眉を顰める者もいると聞いたから。
その後は他国の王族などからの祝辞が続いた。ジーク様と並んで立ち、寿ぎを受け取る。ドレスが重くて肩が凝りそう。後でダンスも踊るけれどちゃんと踊れるかちょっと不安になってきたわ……そんなことを考えながらも笑顔を浮かべ、時間が経つのを待った。
永遠に続きそうな祝辞もいつかは終わりを告げる。最後は会場内にも辟易した空気が流れていたわ。祝辞が短いと本心から祝福していないと言い出す輩が一定数いるせいでどうしても長くなってしまうのだけど、そんな慣習はいい加減に終わってほしいわ……
「アリー、少し休むか?」
「いえ、さすがにそういうわけには参りませんわ」
ジーク様が気遣ってくださると疲れも霧散していった。何度見てもかっこいい……その隣の立てるのだから文句なんか言えないわ。それに私は途中で退席する予定だから今離れるわけにはいかないわ。ここで下がってしまったから私まで我儘な王女だと言われてしまうかもしれないもの。
それからは延々と挨拶に来る貴族たちの相手が続いた。取り入ろうとする者や私たちの仲を探る者、善意も悪意も様々に入り乱れて気の許す間など一瞬もなかった。特にジーク様が私以外の妃を娶らないと宣言したことで釣り合う年の令嬢を持つ家からの視線は険しく、居心地のいいものではなかった。それでも表立って貶める者はいなかったのだけど……
「お二人とも、おめでとう存じます」
ディアーク様を連れて第三妃が声をかけてきた。相変わらず仲がいいわね。いえ、第三妃がディアーク様を離さないのでしょうけれど。
「驚きましたわ、アリッサ様の妹姫様があんな方だったなんて……」
最初は他愛もない話だったのだけど、さらっとエルリカのことを口にしてきた。今まではジーク様を憚って誰も口にしなかったけれど、私たちの失脚を狙う彼女にとっては絶好の機会よね。
「母上、今日はそのようなことは……」
「でも、皆様、気になっていらっしゃるようですわ。ヴァイラント王家の教育は大丈夫なのか、我がファーレンはこの先どうなるのかと、たくさんの方がわたくしに尋ねて来られましたから」
もっともな意見に返す言葉もないわ。実際にその通りだし、貴族たちが懸念するのも仕方がないもの。それにさっきからそのようなささやきは何度も耳に届いている。さっきの顛末を見れば心配になるのも当然よね。
「心配には及びませんよ。アリッサはあの妹のせいで母国では冷遇されていたのです。おかげで彼女は慎み深く聡明で、他者の痛みに寄り添う優しさを持つに至った。彼女の優しさは我が国の民にも惜しみなく注がれるでしょう」
自信たっぷりにジーク様が胸を張られたけれど、私はそこまで出来た人間ではないのですが……そう思ったけれど反論するのも野暮なので黙って笑みを浮かべるに留めた。
「まぁ、殿下ったら。すっかりアリッサ様にご執心ですのね。ですが、過去には寵姫に溺れて国を傾けた事例もございます。度が過ぎる寵愛は国を乱す元となり兼ねませんわ」
第三妃の言葉に、これまで私たちの会話に聞き耳を立てていた周囲がざわついた。どうあっても貶めようと必死なのね。だけど、エルリカがやらかした後では不安に思われても仕方がないのだけど……




