社交という名の戦場へ
「まぁ、完璧ですわ!」
「ええ、さすがはアリッサ様、よくお似合いです」
「まったく。この重さに負けないなんて素晴らしいです」
一刻ほど後、侍女たちに揉みくちゃにされて気力が尽きそうな私の横で、ファーレンの綺麗どころの侍女たちが歓声をあげていた。実際、着飾って化粧を施されて鏡の前に立つ私は、別人だった。凄いわ、こんなにも変われるものなのね。私の原型など髪色くらいしか残っていない気がするわ……
ドレスはファーレン風にふんわりと広がり、スカート部分は繊細なレースが幾重にも重なっていて、見た目に反してかなり重い。それに、これほどに白い生地はなかなかお目にかかれないわ。さすがは王族の婚姻ね。兄の時だってここまで白くはなかったもの。それに金や銀、王家の色でもある紺碧色の刺繍が贅沢にあしらわれているし、ところどころ小さな宝石が散りばめられている。何度も言うようだけど、重いわ……これで踵の高い靴を履くなんて苦行かと思ってしまう。鍛錬をしていなかったらまともに歩けないのではないかしら。
「アリッサ様、少しだけでもお腹に入れておいてください」
そう言ってエリーが持ってきたのは焼き菓子とお茶だった。今日は内蔵が出てきそうなくらいコルセットをこれでもかと締められているから、まったく食欲がないのだけど……
「もう少し緩めてくれないと、さすがに無理よ」
「今日だけは我慢してください」
期待していなかったけれど、私の願いは一蹴されてしまったわ。いえ、今日は私が主役だから少しでも見栄えよくと皆が頑張ってくれたのはわかっているのだけど……さすがに苦しいわよ?
「だったらこちらを。果実を少し加えた水です。すっきりします」
フリーダが出してくれた水を口に含んで……驚いた。
「本当だわ。すっきりしていて、気持ち悪さが消える気がするわ」
「バハロという木の実を擦って絞ったものを加えてあります。栄養もあるので食べられないならこれだけでも飲んでください」
「ありがとう」
さっぱりした味が息苦しさを抑えてくれる。これなら焼き菓子も少しなら食べられそうだわ。ゆっくりと、少しずつ焼き菓子をかじった。
「そういえばフリーダ、エルリカはどうしているか聞いている?」
さすがに懲りてもうジーク様に絡んでこないとは思うし、そう思いたいけれど、実際どうなのかしら?
「昨夜は離宮にお戻りになってから湯浴みをされてお休みになられたようです。今のところ欠席の連絡はございません」
「そう。だったら出席する気なのね」
「おそらくは」
このまま式も欠席してくれたらよかったのだけど。さすがに今日は婚姻式当日なのだから、公の場でジーク様に迫ったりしないわよね。大人しくしてくれることを祈るしかない。
「殿下がヴァイラントの王太子殿下に釘を刺されておりました。王女殿下が騒ぎを起こしたら王太子殿下自ら連れて下がるとお返事があったそうです」
「兄が?」
意外、ではあるわね。だけど他国の王族もいる中で放っておくなんて出来ないわよね。騒ぎを起こせばあの子の将来が潰れてしまうから。あの子のことを思うなら欠席させるのが一番なのだけど、甘いからそこまでは出来ないでしょうね。
「アリッサ様、殿下がお見えです」
兄妹のことを考えていたらジーク様がいらっしゃった。いよいよ式が始まるのね、緊張感が一気に高まった。気を引き締めなければとの思いと共に扉に視線を向けて……息を呑んだ……現れたお姿に目が釘付けになる。な、なんて凛々しくて、素敵なの……
今日の衣装は真っ白な生地に金と黒の差し色で刺繍が施されたもので、胸元には数々の勲章が重たげに存在を主張している。青みがかった黒髪は香油で艶を増して後ろに撫でつけられているし、普段は剃り残しが見られる髭も今日は一本の取りこぼしがなく鋭利なあごの線が露になっていた。背が高くて雄々しい体格のせいか優美さに凛々しさが加わって、まるで男神のようなお姿だわ。こんな素晴らしい方が、私の夫だなんて……
「アリー?」
瞬きをするのも忘れて魅入っていたけれど、名を呼ばれて我に返った。少し力の抜けた笑みはいつものジーク様のもので、その緩さになんだかホッとする。でも、そんな表情もかっこいい。私に絵心があったら、このお姿を絵に残しておけるのに……
「なんて綺麗なんだ。アシェリア様がご降臨したのかと思ったぞ」
「な……お、大袈裟すぎです。むしろジーク様の方が男神のようにかっこよくて素敵です……」
甘い笑顔がいつにも増して甘くて心臓に悪いわ……何故かしら、気恥ずかしい……
「アリーが気に入ってくれるのなら、堅苦しい格好も我慢した甲斐があるな」
笑い顔はいつものものなのに、いつも以上に素敵に見える……こんなお姿、他の女性に見せるなんて危険すぎる……嫌だわ、また女性が言い寄ってきそう……エルリカが変な気を起こさなきゃいいけれど……
「本当に綺麗だ。ファーレンの婚礼衣装がよく似合っている。ああ、こんな姿を他の野郎共に見せなければならないなんて……いっそこのまま式を中止に……」
「馬鹿なことを言わないでください」
間髪容れずラーシュが咎め、その後ろでレオがやれやれと言いたげに頭を掻いているけれど、二人とも正装でこちらも三割増しで素敵に見えるわ。だけどジーク様には及ばないわね。威厳というか、存在感が違うもの。
「はぁ……こんなに綺麗なアリーを見たら絶対に惚れてしまうだろう?」
「人様の妻だとわかっているのに横恋慕などしませんよ」
「何だと! お前はアリーのこの愛らしさがわからないのか?」
ジ、ジーク様、どうなさったのですか? さすがに言い過ぎだと思いますが……
「何を仰っているのです? 愛らしいなどと言ったら怒る癖に」
「当たり前だ! アリーは俺のだからな!」
そう言って肩を抱かれた。は、恥ずかしいわ……そんなに褒められると居たたまれないのだけど……
「殿下、アリッサ様にあまり近付かないでください! 衣装が乱れます」
「あ、ああ、すまない」
パッと肩に置かれていた手が離れた。皆の笑顔がなんだか生暖かい……
「そ、そういえば、エルリカやカトリーナ嬢は出席するのですよね?」
顔が赤くなっていそうで、これ以上赤くしたくなくて話題を変えた。もっとも、あの二人のことはさっきから気になっていたのだけど。
「ああ、二人とも式も舞踏会も出るそうだ。妹御は王太子が目を離さないと約束してくれたし、カトリーナも公爵が人をつけて見張っている」
「そうですか」
だったら大丈夫かしら? 諦めてくれているのならいいのだけど、この素敵なジーク様を見たらまた恋心が再燃してしまいそうだわ。
「また、何かする気でしょうか?」
「さぁな。だが妹御はさすがに昨晩のあれで懲りただろう。俺は愛犬家で、部屋に犬を連れ込んでいると彼らの耳に入るよう噂を流しておいた。犬が怖ければ押しかけてこないだろう」
なるほど、昨日あれだけ怖がっていたからそこは大丈夫かしら? あんなに可愛いのにね。カトリーナ嬢も公爵が目を光らせているなら動けないわよね。今日の式は何の瑕疵もなく終わらせたいから、今日だけでも大人しくしていてほしいわ。
「第三妃はいかがですの?」
「今のところ大人しいようだ。アリーが商会に手を回したのが功を奏したのか、ドレスが届かないと昨夜は大騒ぎだったらしい」
だったら陰謀を考える余裕はなかったかしら? ベルツ王太子もあれから離宮に引きこもったままだというし。どうやら父親である国王陛下が怖いみたいだし、このまま大人しくしていてほしいわ。侍従がやってきて、そろそろ時間だと告げた。
「愛おしい妻よ、俺に美しいあなたをエスコートする栄誉をお授けください」
お道化たような台詞と共に手を差し出された。そんな姿も様になるなんて反則だわ。だけど、この手を他の誰かに譲る気はない。
「よろしいですわ」
笑顔で答えると、鋭さが際立つ目が細くなって目尻が下がる。二人で噴き出した後、笑顔で見つめ合った。たったそれだけのことで胸の中に温かいものが満ちていく。
「入場のお時間にございます」
ラーシュが改まった口調でそう告げる。太く逞しい腕に手を添え、共に入場用の扉に向かった。この先は舞踏会なども行われる大広間。扉越しにもざわめきが伝わってきて、人がたくさんいるのだとわかる。緊張してきたわ。ここから先、失態は許されないと気を引き締める。
「アリー、大丈夫か? この先は戦場も同じだが……」
「はい。抜かりはありませんわ」
社交という名の戦場が待ち受けている。婚姻式という晴れの舞台だけど、私たちが失態を犯さないかと皆が鵜の目鷹の目で探してくるでしょうね。僅かも気は抜けないわね。
「同じ戦場なら、剣を手にしている方がずっと気が楽そうです」
「ああ、俺もそう思う」
むしろこういう場は苦手なのよ。だけど逃げるなんて、敵前逃亡なんてもっと嫌だわ。
「答えにくい質問があれば俺に任せろ。可愛い妻を守るのは俺の、夫の役目だ」
「ありがとうございます」
その言葉が嬉しいわ。だけど私も共に立ち向かう。誰かの影に隠れて守られるだけなんて性分じゃないもの。




