いやぁ―!! 来ないで―!!
その夜、私たちは静かにエルリカとカトリーナ嬢が動き出すのを待った。あの二人の様子は既にジーク様の部下が監視しているし、ブレンメ公爵に協力を乞うて公爵家の部屋の様子を逐一報告してもらったおかげでその動きは手に取るように分かったわ。
ジーク様の部屋があの子に狙われているため、ジーク様は湯浴みと着替えを済ませて私の私室でお過ごしだった。今夜は私たち夫婦の寝室でお休みになるという。私室と夫婦の部屋を隔てる扉の鍵は掛けてあるから、あの子たちが入ることは出来ない。慣例で夫婦の寝室を使うのは婚姻式の後と決まっているから、誰もそこにジーク様がいらっしゃるとは思わないでしょうし。そして今、まだ寝るには早いからと私の居間でお茶を飲みながらあの子たちの動向を窺っている最中だった。
「本気で夜這いなどするのでしょうか」
いくらジーク様を慕っていると言ってもまだ十五歳、さすがにそこまで大胆な行動に出るかしら? 常識的に考えればそんなことをしてもあの子が私と入れ替わるなんてあり得ない。だって既に私の籍はファーレン王家にあって今更替えようもないのだから。万が一夜這いが成功しても、他国の王太子の部屋に侵入した不審者として捕らえられ、最悪命を狙っていたと言いがかりを掛けられて処刑されても文句は言えない。
「そのつもりなんだろうな。しかし、清純そうな顔をして随分と大胆だな。本当に十五か?」
「ええ、そこは間違いありませんわ」
そうは言ったものの、あの子が純潔なのかとの疑問すら湧いてくる。さすがに一線を越えてはいないと思うけれど、こうなってくるとそれも心許なく思えてくるわ。
「ははっ、入ってきたらどんな顔をするだろうな。この目で見られないのが残念だ」
「悪趣味ですわ」
「なんだ、アリーは見たくないのか?」
「いえ、そんなことは言っていませんけれど……」
見たいけれど相手が実妹だと思うと見たくない。何もせずに部屋に戻ってほしいと願ってしまう。そうしてくれればかかなくていい恥をかかずに済むのだから。そう思っていたのだけど……
「きゃぁああああ――!! いやぁ―!! 来ないで―!!」
近くで女性の悲鳴が上がった。確かめなくてもわかるわ、あれはエルリカのもの。悲鳴を聞きつけて騎士たちが駆け付ける靴音が廊下に響く。
「随分と大きな声を上げたな。あれでは余計に恥をかくだけだろうに」
「でも、気持ちはわからなくもないですわ」
そう、ジーク様の部屋に忍び込んだあの子が見たのは軍用犬だった。とはいっても、小型犬に分類されるものだけど。あの子がブレンメ公爵家の部屋で身を隠している間に犬が好む臭いをつけてもらったのよね。その状態であの部屋に単身突入したおかげで、今頃は犬に追われ揉みくちゃにされているはず。小さいけれどこれまで犬と触れ合ったことのないあの子にとっては恐怖でしょうね。小さいし、人を傷つけないよう躾けてあるから怪我をすることはないらしいけれど。
「ちょっとやり過ぎでは……」
「いいや、これでも甘すぎるくらいだと思うが? だが、これに懲りれば明日は大人しくしているだろう?」
そう願いたいわね。さすがに心配になって様子を見に行こうかと思ったけれどジーク様に止められたわ。
「ラーシュが仕組んだことだ。任せておけばいい」
「ですが……」
「アリーが出て行ったら悪者扱いされるぞ。それに、わざわざ嫌な思いをしに行くこともない。明日は俺たちの婚姻式、アリーには気持ちよく過ごしてほしい」
そんな風に言われてしまったら何も言えなかった。確かに顔を出せば私が仕組んだと言い出しそうよね。そういう知恵は回るから。
「王太子の部屋に忍び込んだんだ。本来なら死罪になっても文句は言えない立場だぞ。怖い思いをさせておけばいい。自分が特別だなんて思い上がりをへし折ってやればいいんだ」
ジーク様は容赦がなかったけれど、死罪に比べれば犬に絡まれるだけで済むのだから恩情ともいえる。それにラーシュなら最大限の恐怖を与えた上で、今日だけは不問にするといって恩着せがましく諭しそうね。それで大人しくなってくれるならいい。それに、あの子のことで煩わされるのはもうこれで終わりにしたいわ。
暫くするとフリーダがやってきて概要を教えてくれた。
「首尾は? うまくいったか?」
「はっ。王女殿下は犬に追い回されて魂が抜け落ちている風に見受けられました。犬たちの回収が終わる頃には立ち上がる気力もないご様子で。犬は人懐っこく優しい気性のものだけを集めましたので、怪我などはございません」
怪我はなかったのね。だったらいいわ。少しは痛い目に遭わないと自分のしたことが非常識だと理解しないでしょうし。
「ラーシュ殿がヴァイラントの王太子殿下をお呼びして説明し、御身をお渡ししました」
「王太子はなんと?」
「すまなかったと、後で謝罪に伺うと仰せでした」
「そうか」
兄が謝罪を……あの子のことになると正気を失っていたけれど、現実に目を向けることが出来るようになったようね。だったら大丈夫かしら?
「いや~でも見物だったぞ。逃げ惑う姫さんを子犬みたいなのが尻尾振って追っかけているんだからな。あいつら、人懐っこくて気性もおとなしいんだがな。ただ、顔は怖いから女子どもは怖いか」
そうだったのね。それは、ちょっと私もその場に交じってみたかった。犬は好きだから。よくお祖母様と野営したけれど、必ず軍用犬を連れて行っていた。あの子たちはもっと大きくて人と同じくらいの大きさだったけれど、勇敢で忠実でいい友達だったわ。
暫くすると靴音もやんでいた。人の動く気配がするのはジーク様の部屋の片付けをしているからかしら? 程なくして掃除が終わったと騎士が報告に来た。
「ジーク、どうする? 部屋に戻るか?」
「いや、まだカトリーナが押しかけてくる可能性もあるし、予定通り夫婦の寝室を使う」
「ああ、その方がいいだろうな。まぁ、さっきの騒ぎを耳にしていたら来ないとは思うが」
レオはそう言ったけれど、ジーク様は来るかどうかわからない相手を気にして寝るのでは気が休まらないと言った。確かにその通りよね。
「では、俺はこれで。アリーも早く寝ろ。明日は忙しいからな」
「はい。ジーク様もゆっくり休んでくださいね」
「ああ」
立ち上がる直前、顔が近付いてきて額に唇を落とされた。一気に熱が頭に上る。な、なにを……
「ははっ、顔が赤いぞ」
「ジ、ジーク様っ!」
「お休み、アリー。しっかり寝るんだぞ。明日は眠れるかどうかわからないからな」
そういうと上機嫌で夫婦の寝室へ消えていった。あ、明日って……向かった先と今の言葉に益々血が昇り、頬が熱を持った。
「殿下の仰る通りですわ。アリッサ様、もうお休みになってください。明日は長丁場ですよ」
「わ、わかったわ」
エリーまでなんてことを言うのよ。そうは思ったけれど言い返したらもっといろいろ言われそうだから言葉を飲み込んだ。今のやり取りのせいで眠気が飛んでしまったじゃない。そう思いながらベッドへと向かった。
「眠れない……」
何度寝返りをしたかわからないわ。ジーク様やエリーがあんなことを言うものだから眠れなくなってしまったじゃない……あ、明日は初夜、なのよね……何をどうするのか今一つピンとこないのだけど、大丈夫なのかしら……エリーに聞いたらジーク様に任せておけばいいって言うばかりだし。痛いし血が出ると聞いたけれど、どれくらい痛いのかしら? それなりに鍛えてはいるから痛みには強い方だと思うけれど……血が出るのはどれほどの量? 血止めの薬草を用意してもらった方がいいのかしら? いえ、その辺りは侍女たちが用意してくれているわよね。だけど、エリーだって具体的なことは知らなさそうだから、ちゃんと準備してくれるのかしら?
こんな時、母親と仲がいい人が羨ましいわ。口に出すには憚られることも相談出来るから。お祖母様が生きていらっしゃったら相談も出来たのに……
そういえばエルリカはどうなったのかしら? ラーシュが仕組んだことだから卒なく終わらせて兄の元に送り返してくれたとは思うけれど……まったく、眠り薬でもあの子を止められなかったわ。あそこまで自由に振舞えるなんて、ある意味才能なのかしら? 私なら周りの目が気になって控えようと思うけれど。どこからそんな自信が湧いてくるのか、まったく理解出来ないわね……
いつの間にか眠っていたけれど、それでも何度か夢を見て目が覚めてを繰り返したわ。十分に寝た気分になれないけれど、不思議と目覚めはよかった。
「アリッサ様、お目覚めですか?」
「ええ、目が覚めてしまったわ。早過ぎたかしら?」
「いえ、そろそろ起こしに伺おうと思っていたところでした」
だったらもう起きてしまえばいいわね。今日はジーク様との婚姻式、準備にはいくら時間があっても困らないもの。
「さぁ、アリッサ様、準備を始めますわよ」
顔をたらいの水で洗って寝室を出ると、フリーダを先頭に侍女が五、六人待ち構えていた。何かしら、一歩下がりたくなるほどの気迫を感じる……
「さぁ、皆。今日は髪の毛一筋も乱れのないよう、しっかりお願いね!」
「はいっ!」
ミアの掛け声に侍女が応え、あっという間に侍女に囲まれたわ。身ぐるみ剥がされて……婚姻式の準備が始まった。




