手紙に記されていたこと
それからも緩やかに日々は過ぎ、反乱軍の討伐から三月も経つと窓から差し込む日差しが冷たい部屋の温度を温めるようになった。ヴァイラントよりも温かいファーレンでは結局雪を見ることは一度もなく、木々の先端には早くも小さな新芽が姿を現し、初春の新芽が土を押し上げる。世界はゆっくりと温かみを増していた。春の予兆が世界を覆う中、私たちは久しぶりに王宮へと戻った。
「アリーの部屋も綺麗になっただろうな」
ジーク様のエスコートで自室へと向かった。私の部屋は代々の王太子妃の部屋で、以前はジーク様の兄君でもある第一王子の妻がお使いになっていた。でも兄君が大怪我を追ってその地位を返上したため、この時期に改修が行われていたのよね。最初はそのままでもいいと思ったのだけど、第一王子妃よりも私の身分が高いこともあってそのままというわけにはいかず、私の希望に沿って室内は明るめの内装へと変えられていた。
「ふふ、楽しみです」
前の部屋も綺麗だったけれど正直言うと華やかだけどゴテゴテした装飾はあまり好みではなかった。凹凸の多い調度品はドレスが引っ掛かったりして動きにくいから。
「さぁ、どう変わっているかな」
扉の前に立つと護衛騎士が恭しく一礼して扉を開けた。窓から差し込む光が眩しいくらだわ。
「まぁ、素敵です」
私好みの若草色を基調とした室内は明るく軽く、それでいて落ち着きのあるように整えられていた。嬉しい、こんな素敵な部屋でこれから暮らせるのね。母国の部屋とは大違いだわ。
「気に入ってくれたか?」
「ええ、もちろんです。こんな素敵な部屋をありがとうございます」
頬が緩んで嬉しい思いを抑えられない。まるで宝物が一つ増えた気分。王妃になるまではここで暮らせるのね。色々と頭の痛い問題はあるけれど、今は目の前の幸運を堪能したいわ。
「ああ、それから……」
急にジーク様が口調を改めた。どうかなさったかしら? 手を離すと部屋の奥へと向かう。その先にはもう一つ扉があった。あれって……
「この先は夫婦の寝室だが……婚礼まではこちらから鍵を掛けておいてくれ」
言われた言葉に頬が熱を持つ。そ、そういえばそうよね。いえ、もうすでに夫婦だけど……
「よ、よろしいのですか?」
「俺としてはいつでも構わないが、さすがに婚姻式で花嫁が妊娠していては外聞が悪いだろう?」
そ、それはそうだけど、式まで一月もないわ。だったらあまり関係がないような……いえ、そうじゃなくて……
「アリー、顔が赤くなっているぞ」
「ええっ?」
思わず頬を両手で覆った。閨のことを考えてしまったせいかしら? 嫌だわ、はしたないと思われた?
「愛らしいな。我が花嫁が初心でいらっしゃるとは僥倖。だが安心されよ。式が終わるまでは手を出すつもりはないから」
「そ、そうですか……」
か、揶揄ったのね。だけどこの手のことはよくわからないから反論も出来ない。
「そうそう、妹御のことだが……」
「エルリカが何か?」
「長くなるから座って離さないか?」
「え、ええ」
何かしら、嫌な予感がする。というか嫌な予感しかしない。エリーにお茶を頼んで真新しいソファに二人で腰を下ろした。距離が近いけれどもうすぐ式なのだから慣れなきゃいけないけれど……ジーク様があんなことを仰るから意識しちゃうじゃない……
私好みのお茶の香りが真新しい部屋の匂いに加わる。窓から差し込む光は明るいのに気分が晴れないわ。
「それで、エルリカに何か?」
「ああ、例のロスラー公子の件だが、妹御は断ったそうだ」
懐から取り出した手紙を渡された。そこにはあの子の初恋の相手に関することが記されていた。調べてくださったの? いえ、今はジーク様にも関わることだから当然よね。それにしても……
「断ったのですか?」
あんなに初恋の人との再会を願っていたのに? いえ、違うわね。ジーク様と比べて見劣りがしたからというのが本当のところかしら。
「妹御が初恋の相手と出会った時期、公子が公妃と共にヴァイラントに滞在していたのは確からしい。公子が天使に会った、彼女をお嫁さんにしたいと言っていたことを公妃が確認しているし、その頃から釣書を送っていたようだ」
「まぁ、そうでしたの」
では、その公子が本物なのは間違いなさそうね。
「ヴァイラント側は初恋の相手だと認識していなかったため返事をしなかったらしい。大公家も公子も自国より国力の大きい国だからと諦めていた。だが、初恋の話が大公家に伝わった。公子は会えばわかるかもしれないと一縷の望みを頼りにヴァイラントを訪れ、切々と妹御に説明したらしい」
「でも、妹は断ったと」
ジーク様が頷く。胃が痛くなりそうだわ、きっとあの子のことだから相手の外聞など配慮もせずに断ったのでしょうね。そんな気がする……まぁ、その方が公子も目が覚めるからいいとは思うけれど。
「問題なのは、俺たちの婚姻式には王太子と妹御が来ると言っていることだ」
「あの二人が?」
待って、兄が来るのなら連れて来るのは妃であるお義姉様じゃないの?
「どうやら王太子妃に子が出来たらしい。それで、大事を取って訪問を控え、その代わりに妹御が来るそうだ」
「お義姉様に、お子が?」
ちょっと信じられないわ、兄がエルリカを優先するせいで夫婦仲はすっかり冷めていたから。でも、婚姻してかなりの年数が経つのに子が出来ていないのは問題だからヘンゼルト公爵が兄に働きかけたのかしら? それにしても、あの子が来るなんて……思わずこめかみに指を当てていた。
「アリーはどう思う?」
それは、あの子が来る理由、よね。他に問題になる要因はないもの。
「妹の狙いは……ジーク様だと思います」
そう告げると頷かれたけれど、何も仰らない。続けろってことね。
「あの子の性格からして、欲しいと思ったものを諦めるとは思えません。私と入れ替わろうとするための訪問でしょう」
「ああ、俺も側近らも同じ意見だ」
情けないけれどやっぱりそうなるわよね。全く頭が痛いわ……婚姻式にはヴァイラントだけでなく他の国の要人もいらっしゃるのに。まったく、兄も何を考えているのかしら。楽しみだった婚姻式が汚されていく気がする。
「それともう一つ」
「まだ何かあるのですか?」
「ああ、婚姻前に嫌な気分にさせたくはないのだが、あのバールの町の件だ」
「反乱軍の……」
そういえば捜査はずっと続いていたわね。彼の潜伏先や残党の追跡などもあって、離宮でもジーク様はその後始末に追われていた。私たちが交流する時間が少なかったのはそのためでもあったわ。
「裏は取れたのですか?」
「あいつが……証拠をしっかりと記録していた」
「記録を?」
それは……だったら彼は最初から失敗することも視野に入れて? いえ、ジーク様と親しかったのならその実力はご存じだったでしょうから勝てると思っていなかったのかもしれないけれど……
「では、あの時渡された手紙に?」
「ああ、あれに俺への謝罪と隠し棚とその鍵の場所が記されていた」
隠し棚の……では、そこに証拠となるものが収められていたと?
「あの件の裏には第三妃がいる可能性がある」
「あの方が……」
やっぱりとの思いが蘇る。だけどそのためにジーク様の幼馴染を使った理由は? 彼がジーク様を恨んでいると踏んでいたってことよね。
「だが、あいつが残した証拠だけでは足りない。王妃を捕らえるには弱すぎる」
あのディックという男性を唆したのは反乱軍の残党の一人で、彼の兄に従っていた者たちらしい。ラルセン公爵は打ち取ったものの、その息子である彼の父親は他国に逃れ、その消息は未だ不明のまま。彼の父親が今回の件に関係しているのか、本当にディックを利用しようとしたのかまではわからないという。
「あいつはもしかしたら、残党をまとめて俺に討伐させるつもりだったのかもしれない」
「それは……ジーク様のために?」
「ああ。手紙には申し訳なかったと、自分の技量ではこれが限界だったと記されていたんだ」
それでは、本当に……ジーク様があの夜、あれほどお心を乱されていたのはそういう理由だったのね。だったらなんて悲しい……そして残念だわ。彼が側近として今も傍にいてくださったら、ジーク様の負担はもっと少なくて済んだでしょうに。
「俺はあいつを苦しめた父親はもちろん、利用しようとした奴らを許さない。そいつらを滅ぼすことが俺からのあいつへの弔いだ」
強く険しい表情に彼への思慕と罪悪感が見えた気がした。大切な方だったのね。情が深い方だからずっと気にかけていらっしゃったのにこの結末。もしエリーが同じような目に遭っていたら私も許せないし復讐を誓ったでしょうね。だったら私も協力するのみだわ。
「エリー、マルクにこれを渡して」
ジーク様が帰った後、手紙をエリーに渡した。私自身は大したことは出来ないけれど、マルクなら情報を手に入れることが出来るかもしれない。それにエルリカのこともある。これから降り注ぐだろう厄介事を思うと気が重いけれど、ただやられっぱなしになる気なんかこれっぽちもないわ。




