心を添わせる夜
夜が明けてからも私たちが休む暇はなかった。明るくなれば手分けして反乱軍の残党がいないかを一軒一軒調べ歩いて町の安全を確かめ、制圧直前に呼び寄せておいた補給部隊が住民に炊き出しをして食事を与えた。彼らが家に帰ることが出来た頃には日が傾いていた。
私もジーク様と騎士からの報告を受け、状況に応じて指示を出すなど忙しく、食事もままならなかった。それでもここに来る前の緊張感に比べたらずっと気は楽だったわ。それにしても……
「王太子妃殿下にアシェリア様のご加護がありますように!」
「我らの女神に祝福を!」
「王太子ご夫妻万歳!」
住民を解放しに行く際、何故かジーク様が私を連れて行ったのだけど、どうやら先頭に立たされたことで住民たちに私の印象が強く残ったらしく、すれ違う度に声を掛けられるようになってしまった。この国では色の濃い髪を持つ人が多い上日が昇って明るかったのもあって、この水色の髪が一層目だったらしい。この国の神々の中で水色の髪はアシェリア様だけなのもあって、私がその化身のように見えたのかもしれないけれど……
(ジーク様、絶対わざとですね?)
住民に向けて我が妃だと肩を抱いて紹介するジーク様。やけ気に減がよく見えるけれど、住民が誤解するように仕向けていますよね。いえ、敵国の王女というだけで反感を持たれているからこの反応はありがたいのだけど、私は女神様のように清廉潔白ではないし慈悲深くもないわ。あまり持ち上げられても後でがっかりされそうなのだけど……
凡その仕事を片付けて天幕に戻れた頃には制圧してから丸一日経っていた。既に夜は深い闇に沈み、住民の家からも灯りは消えていた。エリーに手伝ってもらって顔と身体を拭き、下着と足に巻いていた布を交換する。走り回っていたから足の裏が痛いわ。幸いなのは涼しいというよりも寒いくらいで雨がなかったことね。夏だったらきっと汗をかく量も相当だったでしょうからきっと耐えられないわ。
「アリッサ様、何か食べられますか?」
その申し出はありがたいけれど、準備をお願いすればエリーが休む時間がなくなってしまう。
「いえ、いいわ。まだ気が昂っているのか食欲がないから」
「そうですか? 無理していませんか?」
「していないわよ。それよりも今は横になりたいわ」
それも本当。丸一日休みなしで動き回ったからさすがに限界だわ。
「エリーも休んでいいわよ。外に護衛はいるのでしょう?」
「そういうわけにはいきません。殿下がいらっしゃるまではお側にいます」
きっぱりと言い切るエリーに、だったらここで清拭と着替えを勧めた。普段なら許されないことだけど緊急時の今ならいいわよね。そう思ったのだけど、エリーは清拭だけで着替えは自分の天幕ですると言う。殿下が来たら直ぐに動けないからと。確かにそうね。実際、彼女の言う通り清拭が終わった頃にジーク様がお戻りになった。後ろには食事が載ったトレイを手にした従僕の姿があった。
「アリー、腹は減っていないか?」
さっきエリーに空いていないと言った手前、頷くのも憚れたのだけど……悲しいことに美味しい匂いに釣られたのか、お腹から情けない音が立った。何てこと、こんな時に。エリーがやっぱりと言いたげな顔をしている。
「さぁ、食事にしよう。俺も腹が減った」
何もなかったかのようにジーク様が私の前に座し、従僕がトレイを私たちの間に置いて下がった。
「エリーも下がっていい。しっかり休め」
「ありがとうございます」
ニヤニヤしながらエリーが出て行った。最近ジーク様と二人になるとこうなのよね。もう、なんなのよ……
「今日はよく働いてくれた。皆も驚いていたぞ。途中で倒れるんじゃないかと心配している者もいたし」
「元気だけが取り柄ですから」
「そんなことはない。あなたは武術だけでなく所作も知性も申し分ない。元気も取り柄だが、それ以外のことも十分誇っていい」
パンを手にしていた手が止まった。こうも褒められると却って嘘くさく感じてしまう。そりゃあ武術はお祖母様からこれでもかというほど仕込まれたけれど、それ以外は普通だわ。そりゃあ、母やエルリカに負けたくなくて必死に学んだけれど。
「ジーク様は私を過大評価し過ぎです」
「そんなことはない。あなたはもっと評価されるべきだ」
真剣な表情で言い切られてしまったけれど、本気で仰っているから困るわ。持ち上げすぎて後でやっぱり……なんて幻滅されそうで怖いのだけど……そう思う横でジーク様は干し肉を摘まみお酒まで飲み始めてしまわれた。こんな時にお酒なんか飲んで大丈夫なのかしら? そう思ったのだけど、さっきから、いえ、あのディックが亡くなった後からいつもの覇気がない。彼はそれほどに近しい方だったのかしら?
「あの、ジーク様……」
「なんだ?」
「先ほどの、ディックという方は……」
気になっているのに聞かずにいるのも気持ち悪いし、ジーク様は後でと仰っていたから話してくださるおつもりだったはず。
「ああ、あいつか……」
こちらに向いていた視線が手にした木のコップへと落ちる。明るかった表情はあえてそうしていたのだと感じるほどに精彩を失っていた。
「大切な、方だったのですか?」
「そう、だな。幼馴染だったんだ」
「幼馴染……」
ラルセン公爵家の彼が? いえ、ラルセン公爵家は王家の傍流だし、反乱は十五年前に起きたから子どもの頃に交流があってもおかしくはないけれど。
「あいつは……暗くて見えなかっただろうが、髪の色が紺で目は紫なんだ。両親のどちらの色も持たなかった」
「それって……」
もしかして、私と同じ境遇だったと? いえ、王家やそれに準じる家にとっては色が重要な意味を持つ。それは托卵を防ぐためでもあることは私だって理解している。もっとも、その色から外れた者からすると理不尽でしかないけれど。
「あいつは実子と認められず使用人に育てられていた。それでも五歳の時、俺の遊び相手となる令息を集めた茶会には来たんだ。親父が年が近い奴を名指しで招待したからな。公爵も連れてこないわけにはいかなかった」
視線を落としたまま告げられた言葉は独り言のようで、相槌を打っていいのか悩ましいものだったから頷くだけに留めた。
「一人だけ痩せて貧相でな。福々しい子どもの中でも異質だったよ。怯えた表情で周囲を伺って……俺もその頃はガキだったから「どうして使用人の子が紛れているんだ?」って聞いてしまって……」
上がった視線はどこか遠くを見ているようだった。
「そうしたら公爵があいつのことを殴って言ったんだ。「場違いな者を連れてきて申し訳ありません」と。それで公爵の子だとわかったと同時に腹が立った。それで俺はあいつを側にと望んだんだ」
そんなことが……やっぱりジーク様はお優しいのね。
「それからはあいつを王宮に留めて傍に置いた。その時はあいつが周りから下に扱われるのが嫌ってだけだったんだが、付き合ってみると優しくて実の兄よりも頼りになったんだ」
「大切な方だったのですね」
「ああ。だが、あいつの父親が反乱を起こしたらもう王宮には置いておけなくなった。俺はあいつにすっかり懐いていたから最後まで抵抗したんだが、朝起きたらもうあいつの姿はなくなっていた」
重く沈み切った声が天幕を支配した。その心情は痛いほどわかるわ。私が友人を失った時もそうだったから。だけど、それは仕方がないのでしょうね。反乱を起こした者の子を王宮の、しかも王子の傍には置いておけないもの。
「あれからどうしているのか、それすらもわからなかった。もう生きていないかともしれないとも思っていた。こんな再会なら、二度と会わなくてよかった」
紡がれた言葉は静かだったけれど、それが余計に痛々しさを増しているように感じた。かける言葉が見つからない。きっと何を言っても気休めにもならないもの。カタン、と硬い音と共にコップがトレイに戻された。
「ジーク様……」
項垂れた身体はいつもよりも三割ほど小さく見えた。俯いているから表情はわからないけれどその心情はわかる気がした。トレイをずらして膝で傍に寄る。なんだか泣いていらっしゃるような気がする。そんな風に思うのは失礼かしら? 子ども扱いのようで気分を害される? 様々な思いが交錯するけれど、正解などわからないけれど、そっと大きな身体を抱きしめた。
「……っ」
大きな身体が微かに揺れ、次の瞬間、抱きしめられた。驚きながらも彼が求めているような気がして、大きな背に手を伸ばし片方の手をゆっくり上から下へと滑らせた。肩に押し付けられてお顔は見えないし、声も聞こえない。何と慰めていいのかもわからない。それでも傍にいますと、私は味方ですとの意を込め、微かに震える身体を無言で抱きしめた。




