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亡国色の王女は打算で敵国に嫁ぐ  作者: 灰銀猫


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罠だと知りながら

 それからは天候に阻まれることもなく順調だった。王都を出立してから四日目、私たちは小さな宿場町に到着した。ここで街道から逸れて問題の町へと向かうことになる。ここから近い駐屯地から派遣された補給部隊とも合流し、部隊の規模は一気に倍以上になった。今夜はここで野営をするという。


 近くに川があると言われたので、エリーたちと共に顔と足を洗いに行ったのだけど……


「随分、水が少ないのね」


 話に聞いていたのとは違い、水流は干上がりそうなほどに細く弱々しかった。


「これでは顔はともかく足を洗うのは申し訳ないわね」

「そうですね。足を水に浸けるのは諦めましょう」


 顔を洗った後、水筒に水を満たして川縁で足に水を流した。天幕の方に戻るとジーク様が手招きしている。どうやら部隊長の天幕に向かうらしい。後を追うとラーシュたち部隊長三人と騎士が二人待っていた。ジーク様がすぐ隣を叩くのでそこに座る。


「アリー、顔は洗えたか?」

「ええ。ですが、川の水が殆どなくて……」

「水がない?」

「はい。川幅などからしてもっと水があってもよさそうなのですが……」


 そう告げるとジーク様がラーシュと顔を見合わせた。


「あの、何か?」

「よく気付いたな、アリー。その異変は斥候が拾ってきたものの一つだ」

「斥候が?」


 そうだったの? どうして……それが意味する可能性を考える。


「……もしかして、上流で水を堰き止めて……」

「我が妻は優秀な参謀になれそうだな」


 ジーク様が破顔したけれど、ちょっと大袈裟過ぎない? この程度のことならラーシュやレオだって気付きそうだけど。そう言いたかったけれど斥候からの報告が続いたので言葉を飲み込んだ。調査によると目的地でもある反乱軍に占領された町はバールといい、ここから丸一日の距離にあるという。町は閉鎖されて商人どころか住民も町に入れないらしく、斥候が中の様子を探っているという。


「他は?」

「川ですが、住人を脅して堰き止めているそうです」

「住人を脅して、か」


 斥候の話では、バールの町は林業が盛んでその手の職人が多いらしい。


「私たちが通りかかる時間に合わせて堰を壊し、洪水を起こす。手間はかかりますが有効ではありますね」


 ラーシュの指摘にジーク様が顎に手を当てて眉の間に皺を刻んだ。ラーシュの言う通りだわ。


「この先の地形は?」

「馬で二刻半ほど先が谷になっております。住民の話では、堰が造られているのはそこからさらに一刻半ほど上だそうです」

「一刻半か……」


 水が流れる速さはどれくらいのものかしら? 水が来るまでに谷を通過出来ればいいけれど……五千の部隊、しかも大半が補給部隊では難しそうね。


「標高差があるので堰を壊されたらあっという間に流されるでしょうね。向こうも最大の効果を狙って仕掛けてくるでしょうし」


 その様子を想像して背中が冷えた。水の力は恐ろしい。ヴァイラントでも毎年雪が川を堰き止めたりして洪水が起きている。大きなものだと村が丸ごと一つなくなることもある。いくら我が国の精鋭でも洪水を止めることは出来ないわ。


「別の道はあるのか?」

「あるにはありますが、獣道のようなものだとか。馬はまだしも物資を運ぶ荷馬車は難しいかと」


 そうなると手も足も出ないわね。騎馬だけで進んでも補給がなければ戦えないもの。どうしたらいい? このまま進んでも水責めに遭うのは確実だし、かといって放っておくことも出来ないわ。堰がある限り下流の人たちは水不足に陥ったままだし、水を貯め過ぎて決壊したら下流に多大な被害が出るかもしれない。待って、どちらに転んでもジーク様は責任を問われるのでは……


「ジーク、どうする?」


 レオの問いかけに皆の視線がジーク様に集まった。空気が重い……行っても引いても解決しないことは一目瞭然。ジーク様の失脚が目的ならこのまま戻った場合、洪水を起こし、それをジーク様が民を見捨て堰を放置したと糾弾するのでしょうね。民を巻き込むなんて、なんて卑劣なことを……


「予定通り進む」

「ジーク、だが……」

「堰の位置と敵の数を確かめろ。堰を占拠する」

「はっ」

「そうこなくっちゃな」


 前半は斥候に、後半はレオにそう命じると、それぞれに是の意を示した。レオは楽しんでいるわね。そういう意味では彼にぴったりの役目ともいえるわ。


「レオの案内役が必要だな。山に詳しい民はいないか?」

「話を聞いた猟師がおります。案内には最適かと」

「よし。直ぐに連絡を取れ。謝礼は弾んでやれよ」

「はっ」


 ジーク様の命令に斥候の一人が天幕を出て行った。猟師なら案内役にはぴったりだけど大丈夫かしら? 裏切ったりしない?


「堰を破壊するにも、合図が必要だな」

「裏切り者がいると?」


 裏切り者が……でも、その通りよね。洪水を起こすにしても私たちがその谷を通過している時でないと意味がないもの。


「ああ。ラーシュ、裏切り者を炙り出せ」

「御意」


 どうやって知らせるのかしら。山の中で三刻半先となるとかなりの距離よね。一番手っ取り早いのは狼煙かしら。鳥を使う手もあるけれど……確実性に難がありそうよね。


「ルーカス、裏切り者に偽の合図をさせて進軍しているように装う。直ぐに引き戻せるよう馬の扱いが巧みな者を選別しておけ。数は……そうだな、百もいれば十分だろう」

「御意」


 ジーク様が名指しで指示を出したのはブレンメ公爵の次男だった。年はジーク様より少し上で、ラーシュやレオと共に今回の討伐部隊の部隊長を務めている。


「抜かりのないように頼むぞ」


 ジーク様が次々と指示を出し、部隊長たちが動き出す。指示も早いけれど受けた方の動きも淀みがなくて素早いわ。それに、十を言わなくても理解しているように見える。これがきっとジーク様の強さの理由なのでしょうね。




 翌朝、予定通りバールの町へと向かった。朝霧が立ち込め、髪や顔、騎士服をうっすらと濡らす。霧が出るなら晴れるのでしょうけれど寒々しいわね。マントを羽織った方がよかったかしら?


 道は細くなり、整備が十分でないのか凸凹していた。馬車で通るのは大変そうね。補給部隊の動きが遅れ気味だとの報告を受け、ジーク様は殿を務めるラーシュに伝令を送り、夜までに谷の手前の野営予定地に着けばいいから無理をしないよう命じていた。この街道の先にはバールの町しかなくそこで行き止まりだそうで、すれ違う人の姿はなかった。


 谷の手前に到着したのはお昼を過ぎた頃だった。まだ日は高いけれど、補給部隊の進みが遅いためにここで野営するとジーク様が宣言し、到着した騎士たちが野営の準備を始めた。そんな中、斥候の一人が戻ってきたので直ぐに天幕に呼ばれた。


「堰の場所はわかったか?」

「はっ、この先から一刻ほど先です。支流ではなく本流で、かなりの規模です。そこで働かされているのはバールの町の住人で間違いないと。山に登ってみましたがかなりの水量です。あれが決壊したら下流の町にどれほど被害が出るか……」

「そう、か」


 ジーク様の眉間の皺が深く刻まれ、一同の表情が一層曇った。重苦しい空気が天幕に満ちる。堰を決壊させれば、ジーク様が死のうと生き残ろうとその責任を押し付けて失脚させることが出来る。だけどおかしな話だわ、ジーク様がヴァイラントを訪問中に起きたことなのだから、本来は残った者たちの責任ではないの? そうは思うけれど誰もそのことを言わない。もしかして……ジーク様が国を離れたことも問題視しようとしている?


「レオ、行けるか?」

「もちろん。暗くなったら出る」

「暗くなってから?」


 思わず声が出てしまったけれど……夜に馬を駆ると? 馬は臆病で夜は苦手なのに?


「ははっ大丈夫ですよ、姫様。馬は夜目が利く。それに俺の部隊は夜の奇襲に慣れています。天気もいいし何の問題もありませんよ」


 あっけらかんとレオがそう言ったけれど、本当に大丈夫なのかしら? 夜は狼や猪が出て危険なのに……


「アリー、心配無用だ。レオの部隊の馬は気が強くて夜を恐れない奴ばかりだからな」

「そ、そうですか」


 だったら大丈夫かしら? それに夜に移動して堰を急襲するのは有効な手ではあるわ。相手もまさか夜に騎馬を向かわせるとは思わないわよね。


「裏切り者はどうだ?」

「何人か目星を付けた者が。斥候に見張らせております」

「そうか、頼んだぞ」


 ラーシュが無言で低頭した。仕事が早いわ、もう裏切り者の目星が……それだけこの手の事態に慣れているってことよね。その後もジーク様の指示は続き、終わった頃にはすっかり日が暮れていた。これからが正念場なのね。まだ経験したことのない、これから起こるだろう本格的な戦闘に身震いがした。大丈夫かしら? 剣は人並みに扱えるけれど実戦経験はないから。


 エリーたちを伴って自分の天幕へと入った。身体を拭いて着替える。それだけでもさっぱりしたわ。今が夏でなくてよかった。夏なら水を浴びないといられなかったでしょうから。


 ジーク様が戻ってきたのはそれから少し経った頃だった。ラーシュたちの天幕で身体を清めて着替えも済ませてきたという。そんな気遣いに心が跳ねる。夜でよかったわ、顔が赤くなっていてもわからないもの。


「レオが堰に向かった」

「そうですか」


 大丈夫かしら? レオが失敗したらジーク様の失脚の可能性は一層増してしまう。土地勘のないところで夜に山を駆けるなんて、その上で堰を占拠するなんて、途方もないことだわ。仮に堰を占拠出来ても反乱軍が自棄を起こして堰を壊したら? それに、ここにも裏切り者がいるのよね。ジーク様の計画が漏れていたら? 敵がそれを知って対処してきたら? 考えれば考えるほど悪い想像が膨らんで押しつぶされそうになる……


「大丈夫だ。あいつは何度もこの手の作戦を成功させている」


 ジーク様の声には不思議と勝利の確信が感じられた。ジーク様はレオとご自身の部下を信じていらっしゃるのね。だったら私も信じるわ。必ず成功すると、生きて王都に帰ると。



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