それはきっと夕日のせい
散々泣いたせいで目が腫れぼったい。殿下―いえ、ジーク様が濡れたタオルを用意してくれたおかげで随分ましにはなったのだけど、それよりもエリーの生暖かい目が気になった。何も言わないけれど、絶対に何があったか知っているわよね。その上で何も言わずに面白がっているに違いないわ。何も言わないのはきっとジーク様が傍にいるせい……
もっとも、現状は反乱軍の討伐に向かう途中だから、私の目の腫れごときで進軍を遅らせるわけにはいかなかった。周りの目が気になるけれど無視して何もなかったように振舞う。そうしないと恥ずかしさで悶絶しそうになるから。本当に人前で泣くなんてとんでもない失態だったわ。あのことはなかったことにしてほしいし、何ならジーク様やエリーたちの記憶から消し去ってほしい……
「アリー、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です……」
あれからというもの、ジーク様は事あるごとに私を気遣うように声をかけてこられるようになった。その度に気恥ずかしいというか、面映ゆい思いに駆られて身悶えしそうになる。どんな顔をしたらいいのかしら……向けられる笑顔がこれまでになく優しくて困ってしまうわ……
そんなことを考えている間も馬は目的地へと駆ける。反乱軍の町までは馬で五日ほどだとか。夜は通り道にある貴族家の屋敷に泊まるか、町の傍に野営をする予定。今回は戦争ではないから物資は最低限だけ持ち、補給は効率の面から目的地の最寄りの駐屯地から派遣されるという。その方が進むが早いし無駄が少ないのだとか。
「効率がいいですね」
「戦争が長引いて騎士も補給も十分じゃなかったからな。ただ余裕がなかっただけだ」
ジーク様はそう仰ったけれど、効率を上げて悪いことはないと思うわ。時間も物資も無駄に出来ないし、今は復興に向けてどこも人で不足だから騎士に志願する者も少ないらしいし。
二日目の夜を過ごしたのは、街道沿いにある小さな町の傍だった。この辺りにはこの人数を留めることが出来る貴族家の屋敷はないからで、町の外れの平地に天幕を張って一夜を過ごすという。騎士たちが慣れた手つきで天幕を張っていく。火を焚いて湯を沸かす者や食事の準備をする者もいるわ。皆自分の役目を理解してよく動いている。さすがはジーク様の部下、こんなことも手際がいいわ。
「ジークとアリッサ様はこの天幕な」
レオが当然とばかりにそう言って親指を後ろの天幕に向けた。他の天幕より少し小さめだけど頑丈そうなそれは司令官用だという。そこで私と一緒に?
「わ、私はエリーたちと一緒で十分ですが……」
「警備の点からもジークと一緒にいてくださった方がありがたいんですよ。なぁ、ラーシュ」
「左様ですね。ついでにこの機会に親睦を深めてくだされば尚よろしいかと」
親睦って……昨夜のことを知ってて言っているのよね? 待って! それじゃ、また同じベッドに……?
「ああ、寝袋は一人一個ありますから。それとも二人で一個の方がいいですか?」
「二つお願いします」
レオったら何てことを言うのよ。まさか気を遣っているつもり? だけど二人で一個だなんて……ジーク様は大きいから入りきらないじゃない。
「アリッサ様、頑張ってくださいね」
エリーが手をひらひらさせながらフリーダたちの元に向かった。私の専属侍女なのに……職場放棄もいいところだわ。隣にジーク様がいるとわかっているけれど、どんな顔をしていいのかわからなくて気まずい……視線を向けられないけれど、無視も出来ないし、困ったわ……
「アリー、俺と一緒は嫌か?」
「いっ、いいえ。そういうわけじゃ……」
「休めないようなら俺は他所で寝る」
他所でって……でも、そんな余裕があるのかしら? ラーシュやレオの天幕に行っても追い返されそうだけど……それに、警備する側に余計な負担をかけてしまうのよね? 着替えている時は外に出てくださるし、凄く気を遣ってくださっているから不快なことは何もないから、追い出すようなことはしたくないわ。それに、この隊の最高責任者はジーク様で、その重圧を思えば私こそが出ていくべきなのだけど……エリーの様子からして絶対に追い返されるわよね。
「いえ、大丈夫です。それよりも私がいてはジーク様の気が休まらないのでは……」
「そんなことはない。あなたが傍にいるだけで活力が湧いてくる」
「そ、そうですか……」
その気持ちは、ちょっとだけならわかるかも、しれない……私も、ジーク様が傍にいると心の奥が温かくなって気分が上がる気がするから。って……待って、私。それって、もしかして……
「どうかしたか?」
「ひゃい? な、何でもありませんわ」
「何でもないというには顔が赤いが?」
「ゆっ、夕日のせいですよ、きっと」
そうよ、そうなのよ、そういうことにしておいて……! 動揺を誤魔化すように天幕の中へと逃げ込んだ。変に思われたかと心配になったけれど、ジーク様はそれ以上何かを言ってくることはなかった。
程なくしてラーシュ殿が料理を運んできてくださった。エリーたちは騎士たちに交じって食事をしているという。あの子も腕が立つし、言いたいことははっきり言う性格だからこの環境で怖気づくことはないみたいね。馴染んでいるならよかったわ。私の侍女というだけで軽んじられて辛い思いをするんじゃないかと心配していたから。
今日の食事は固めのパンと肉の串焼き、具がいろいろ入ったスープだった。美味しそうな匂いが天幕の中に満ちるけれど、嫌だわ、二人きりだと思ったら意識してしまって、昨夜の失態を思い出してしまったじゃない……何を言っていいのかわからなくて、食べることに集中する。
「アリー」
「は、はいっ」
思わず声が裏返ってしまったわ。見上げると目が合ってしまった。気まずい……変に思われてしまったかしら?
「やはり落ち着かないか? だったら……」
「いえ、大丈夫です」
ここまで来て部屋を分けたらそれはそれで色々言われそうな気がするし、騎士たちも不審に思うかもしれない。それに……既に夫婦なのだから慣れなきゃいけないのも確かだもの。
「その……他人と言いますか、男性に慣れていないだけで、嫌なわけでは……」
「ならいいが……無理はしないでくれ。あなたも一国の王女、冷遇されていたとはいえ男性に慣れていないのは当然だ。王女には厳しい貞操観念が求められるからな」
「そ、そう言ってくださると、助かります」
貞操観念……その言葉にふとエルリカの顔が浮かんだ。あの子はいつも若くて見目のいい令息を傍に置いていたし、両親も兄も何も言わなかった。ジーク様やラーシュたちと話をして知ったけれど、他国ではあの子は身持ちの悪い王女として有名だったとか。ジーク様もその話を知っていらから興味の欠片も湧かなかったと仰っていたわ。
「そう畏まらないでほしいな」
そう言って柔らかい笑みを浮かべた。黙っていると機嫌が悪いように見えるお顔だけれど、笑うと目尻が下がって険しさが緩む。それに、よく見ると整った顔立ちをされているのよね。背の高さや服の上からでもわかる筋肉などで厳つく見えるけれど、目元はつり目だけど涼やかでもあるし、鼻筋も通っていて唇も薄いけれど形はいい。黒髪は陽の下では輝いて見えるし、短いからより精悍に見える。男性らしい魅力に溢れていると言えるわ。
「無理はしないでいい。ゆっくり俺に慣れてくれ」
私の気持ちを優先してくださるのね。政略結婚なのだから私情など二の次どころか顧みられないのが普通なのに。嫌だわ、また目の奥が痛む。その優しさが当然になることが怖い……あまり優しくしないでほしいと思ってしまう。
食事を終えた頃、ラーシュ殿が今後のことで打ち合わせをしたいと訪ねてきた。彼の後ろにはエリーとミアの姿もある。
「ああ、ちょっと言ってくる。その間に着替えなどしておくといい」
そう言うとジーク様はまた後でと言って行ってしまった。何故かしら、寂しい様なホッとするような変な感じだわ……
二人に手伝ってもらって身体を拭いて着替えをする。いつ夜襲があってもいいよう身に着けるのは騎士服の下に着るシャツとズボン。こんな町の傍では滅多なことはないと思うけれど、任務中だから気を抜けないわ。
「それでアリッサ様、少しは殿下と距離が縮まったのですか?」
エリーが興味津々で聞いてくるけれど……どうせ聞かなくてもわかっているでしょうに。私の口から言わせたいのね。まったくもう……
「それなりによ。今は反乱軍の討伐が最優先でしょう?」
「ええ~殿下にとってはこんなの、造作もないでしょう? なんせ「血濡れの王太子」ですよ?」
「エリー、ちょっと気安過ぎるわよ」
ジーク様を慕っている騎士たちが不快に思うかもしれない。
「はぁい、わかりました」
「ふふっ、エリーは素直なところがいいよね」
ミアは気を悪くしていないのね。この二人、妙に気が合うようでよく話し込んでいるけれど、エリーにも気心の知れた友人が出来たのならよかったというべきかしら。私のせいで苦労を掛けたからここで幸せになってほしいわ。
「でも気を付けて。殿下に心酔し過ぎてちょっとのことでも騒ぎ出す者もいるから」
「ええっ? なにそれ怖い……」
「それだけ殿下は人気が高いんですよ。殿下のお陰で命拾いした者も多いですし」
ジーク様はたくさんの人に慕われているのね。そんな人が私を……ジーク様を知れば知るほど自分が釣り合っていないように思えてしまうわ。こんなこと、今まで感じたことなんかなかったのに……




