寝首を掻いていいですか?
「出立!」
殿下のよく響く声と共に討伐隊はラルセン領を目指して進んだ。私は殿下のすぐ後ろをフロイデと共に駆ける。周りにはラーシュ殿やレオ、フリーダにミア、そしてエリーが私たちを守る様に囲む。まずは西にある騎士団の駐屯地を目指し、そこで本隊と合流する予定。さすがは殿下が選んだ精鋭、馬の動きも卒がなくて統制が取れているわ。頬を撫でる風は冷たく冬の気配を含んでいるけれど、一月前にヴァイラントを出国した時と変わりない。それだけこちらは温かいのね。
立て続けの外出にフロイデの機嫌がいい。人見知りが強い子だから心配していたけれど、幸いにも殿下やその部下たちを厭う様子もなく、他の馬たちと喧嘩することもない。そのことにほっとするわ。ヴァイラントでは人とも馬とも喧嘩していたのよね。主に兄とその関係者だけど。
「アリー、これから向かうのは西の駐屯地だ」
「駐屯地?」
「ああ、王都に騎士を置いておく場所がないからな。王都の四方に駐屯地を設け、そこで編隊してラルセンに向かう」
「わかりました」
なるほど、確かにその通りね。王宮や王都を守る騎士はまだしも、過剰に騎士を置いても場所がないわ。聞けばその四方も常駐する騎士は少なく、何かあった時にあちこちに配置している騎士を招集するのだという。十年余り続いた内戦で騎士の数は減り、そのやりくりに苦労しているのだとレオが教えてくれた。
駐屯地に着いたのはお昼の休憩から一刻半ほど走った頃だった。秋の短い日はゆっくりと夜を目指して傾き始めている。駐屯地は町から少し離れた場所にあり、騎士らが寝泊まりする官舎や馬場、そして広い訓練場が見える。その訓練場にはいくつもの天幕が張られ、数か所に分けて馬が繋がれていた。彼らが共に向かう騎士たちかしら。
「今夜はここで休む。アリーはフリーダらと同じ部屋を……」
「ああ、ジークは姫さんと同じ部屋な!」
殿下の言葉を遮ったのはレオだった。周りからギョッとした気配が上がった。もちろん私もその一人だった。えっと……殿下と同じ部屋?
「何を言っている?」
「ええ~だって夫婦だろ? 別室にしたら不仲なんじゃないかとか言い出す輩が現れるだろ?」
「式までは別でいい」
「何を言っているのですか、ジーク。アリッサ様と仲良くするのを見せておかないと、アリッサ様をお連れになった意味がないでしょう」
ラーシュ殿の言葉に殿下が押し黙った。確かに彼の言う通りで、今回も殿下が私を王宮に一人残すのは心許ない、傍に置きたいと我を通したことになっているのよね。だけど……
「まだ早いと仰るならどちらかがソファか床で寝ればよろしいでしょう」
「だが……」
「部屋がねぇんだから諦めろ。官舎があるのに王太子とその妃に天幕なんか使わせられねぇよ」
「そういうことです。せっかくなのでこの機会に親睦を深めてください。これからはそういう時間はなかなか取れないでしょうから」
そう言うとラーシュ殿はフリーダたちに私たちの部屋の準備を命じ、フリーダとミアはあっという間に行ってしまった。皆、仕事が早過ぎるわ……呆気に取られて見ているしか出来なかったけれど、ふと殿下を見上げると目が合ってしまった。途端に言葉に出来ない恥ずかしさが込み上げてきた。
「すまない……」
「い、いえ……」
謝られてしまったけれど、これって決定事項ってこと? いえ、レオは部屋がないって言っていたわね……
「こ、こっちだ」
殿下が背を向けて歩き出してしまったので慌ててその後を追った。心なしか殿下の耳が赤い気が……いえ、私も頬も赤くなっているわよね。さっきから熱いもの……
向かった先は官舎の二階にある一室だった。確かに司令官が使うような重厚で相応な内装の部屋ね。広くはないけれど、手前に居間があって左奥に扉があるからあの先が寝室のようね。右奥の扉は化粧室かしら。
「湯浴みの用意をさせよう。俺は騎士らの状況を確かめてくるからゆっくりしてくれ」
「は、はい」
そう言うと殿下は出て行ってしまった。エリーと二人残されてしまったけれど……
「本当に、同室なのかしら」
「そのようですねぇ。まぁ、こんな状況では何もなさらないでしょう。慣れる訓練だと思われては?」
何もって……いえ、理解しているわ。私の最大の役目は後継の男児を産むことだって。だけど、こんなに急に同じ部屋だなんて、心の準備が……
「ちょっとばかり早くなっただけですよ。あまり気負わなくていいのでは?」
「そうかしら」
「少なくともアリッサ様が嫌がることはなさらないでしょう」
そうかしら。そうあってほしい。今まで意識したことのないことが目の前に突き付けられて心臓が落ち着かない。殿下と二人きりだなんて……緊張して眠れないかもしれない。
どれくらい経ったか、外はあっという間に夜闇に染まっていた。さすがに秋は日が暮れるのが早いわね。殿下が戻ってきたのはそんな時分だった。
「アリー、食事にしよう」
そう言って殿下が入ってきた。その後ろからミアがワゴンを押して入って来る。そういえばお腹が空いたわ。お昼に食べたっきりだったわね。殿下がソファの空いている部分を叩いた。そこに座れってこと? もう一度叩かれたので少しだけ間を開けて隣に座った。き、緊張する……殿下が手を振るとミアが部屋を出て行ってしまったため、エリーもその後を追った。ふ、二人きり……?
「すまんな、簡単なもので」
「いえ、十分ですわ」
豪奢で堅苦しい食事よりもこんな風に気軽に食べられる方がいいわ。今日は一日馬に揺られていたから食欲もあまりないし……そう思っていたのだけど、香ばしいパンや具だくさんのスープの香りにお腹が鳴った……は、恥ずかしい……ちらと殿下を見たらそ知らぬ顔をしてパンを手に取っていた。聞こえなかったふりをしてくれるの? だったらその気遣いに甘えさせていただくわ。いい香りを振りまくパンを手に取った。焼きたてなのか炙ったばかりなのか熱いくらいだわ。千切って口に運ぶと素朴な味がした。なんだか懐かしいわ。昔、お祖母様に連れて行かれた野営で食べたそれのよう。
「美味しい……」
「だろう? ここのパンは騎士が自ら焼いているんだ」
「騎士が? 大したものです。これだけのパンが焼けるなら騎士を辞めた後も職に困らなさそうですね」
「ああ、俺もそう思う」
殿下が笑うとぎこちなかった空気が和らいだ気がして、こちらまで頬が緩んだ。ちょっと意識し過ぎていたかしら。これから夫婦として過ごすのだから慣れなきゃいけないわよね。
「そういえば殿下、お聞きした……」
「ジークだ」
しまった、忘れていたわ。これは…心の中でもジークと呼んで慣れなきゃいけないわね。ジーク様、ジーク様……いえ、今はそれよりも……
「ジーク様、お聞きしたいことがあります」
どうしても気になって仕方がなかったこと。不躾かとも思ったけれど、それを政敵に利用されて面倒なことになるのは避けたかった。
「何だ? あなたの問いには誠実に答えるつもりだ」
真っ直ぐに向けられる紺碧はろうそくの灯が映えて琥珀色に見えた。
「ありがとうございます。では。カトリーナ様と仰る女性とはどのような関係なのですか?」
覚悟を決めて尋ねると、咀嚼していた殿下が突然胸を押さえて咳込んだ。
「だ、大丈夫ですか?」
「……あ、ああ……」
あまり大丈夫そうではないのだけど。咳は止まったから大丈夫かしら? それとも動揺されている? もしかして聞いてはいけないことだったかしら……
「ど、どこでその名前を……」
「先日の舞踏会です。私に殿下のお心を奪われたと、カトリーナ様が気の毒だと言う令嬢たちが……」
舌打ちの音が聞こえた気がした。殿下、じゃない、ジーク様って何気に柄が悪いわよね。兄がする度に物凄く嫌だと感じたものだけど、不思議とジーク様だとあまり気にならない。
「……カトリーナは、ブレンメ公爵の娘だ」
「ブレンメ公爵の?」
それって……
「もしかして、その方が王太子妃候補だったのですか?」
「そんな事実はない。あいつらが勝手にそう言っていただけだ」
ぶっきらぼうに答える様子からして、ジーク様にその気はなかったと思っていいのかしら?
「あいつは幼馴染としか思っていない。勘違いされると困るからはっきり言うが、俺が惚れて誓いを立てたのはあなただ。周りが何を言おうとも惑わされないでくれ」
がしっと両手を握られて顔を覗き込まれた。ち、近いです……心臓に悪いわ……!
「わっ、わかりました」
「あいつが何を言ってきても気にしないでくれ。本当に女として見たことなどなかったんだ」
そこまで仰らなくても……とも思ったけれど、心の奥で燻っていた言葉に出来ないもやもやが晴れていった。
「そ、そうですか。でも、殿下のお立場なら愛人の一人や二人いても……」
「そんなものは存在しない! アシェリア様に誓って!」
「そ、そうですか……」
神様に誓われたらこれ以上疑えないわね。それに必死な様子から嘘をついているとも思えないし。だったら信じてもいいの? 言葉を貰う度に離れ難くなっている自分を、危険だと思うのにその言葉を信じたい自分が大きく育っていく……
「ジーク様……」
「なんだ? 他にも気になることがあるならいくらでも……」
「裏切ったら……寝首を掻いていいですか?」
「……は?」
ジーク様がこれ以上ないほどに目を丸くして私を見ていた。




