ファーレン貴族たちの前で
混乱したまま王族席へと向かった。殿下に言われたこと、カトリーナという女性のこと、そして敵国人として向けられた敵意。予想していたこともあるけれど、そうじゃないことの方が頭にこびりついて上手く笑顔を保てているのか自信が持てないわ。動揺を悟られないようにと思えば思うほど口元に力が入ってしまう。たくさんの人の目が向かってくるのはわかっていたからその準備をしていたのに、これじゃ台無しだわ。変に思われていそう……
歩みは陛下の近くで止まった。殿下の兄君とその夫人、第三妃と第四王子の姿もある。晩餐会で顔合わせをしただけの相手、まだ親しく会話を交わすだけの関係はない。そのことと幸いなのは悪意を向けられたせいで冷静になれたわ。顔の赤みも消えているはず。
そんなことが頭を占めている最中、陛下がゆったりとした動きで立ち上がられた。耳が痛くなるほどの歓声が一気に沸き上がり、「国王陛下万歳!」「ファーレン王国に幸いあれ!」との寿ぎで会場が埋め尽くされる。その物凄い熱量に圧倒される。
方々に手を振り歓声に応えた陛下が手を止めると、示し合わせたように会場が静まり返った。その落差と向けられる視線の多さに途方もない不安が込み上げてくる。
「皆の者、今日は喜ばしい知らせがある」
決して大きくはない声だったけれど、それは会場の端にまで届くだけの力があった。僅かに置かれた間に緊張が募る。この先に来るのは、私たちの紹介。それは当初から予定されていたもので何度も頭の中で挨拶の練習をした場面だったけれど、その瞬間を迎えると、失敗は許されないと思うとすべて頭から抜け落ちそうだった。
「我が息子であり王太子を務めるジークベルトが婚姻した。相手は同盟国ヴァイラントの王女アリッサ殿だ」
陛下の紹介を受け、殿下が私の手を取ったまま前に進んだ。会場内の視線が集まっているのを目の当たりにして緊張が高まる。ここで失敗は許されないわ、母国のためにも、殿下のためにも、私自身のためにも。
「この度同盟国ヴァイラントの王女アリッサ殿を妻に迎えた。これは我が意である。妃を蔑ろにする者は俺を蔑ろにするものと受け止める。異議がある者は名乗り出ろ。今声を上げない場合は了承と受け止める。今後異議を唱える者は王家の決定に異を唱えるものと見なす」
いつもよりも低く圧を感じる口調が会場に響き渡った。まるで威嚇しているようにも見えるわ。そこまで言わなくてもいいのに。これでは余計な反感を持たれてしまわないかしら。
「おらぬようだな。皆の忠誠心に感謝する。妃は我が最愛、つまらぬことで煩わさないことを願う」
「王太子殿下万歳!」
「アリッサ妃万歳!」
直後に声を上げたのはブレンメ公爵とフォルツ公爵だった。二人の公爵の寿ぎに他の貴族が追従する。お二人とも殿下とつながりの深い方だから、あのお二人の支持を得たと想っていいのかしら? だったら心強いわ。
殿下が私の手を掲げるのを合図に前に一歩進み、今出来る一番の礼を取った。この国のしきたりで私自らここで挨拶の言葉を述べることはしない。ただ礼をするだけ。頭を上げると大きな歓声と拍手が沸き上がった。どうやら及第点は取れたようね。僅かだけと肩の荷が下りた。
その後は王族のダンスが始まり、殿下と共に踊った。陛下は腰を痛めていらっしゃるとかで踊らず、ダンスに輪に加わったのは殿下の兄君お二人とその夫人で、第四王子はまだ婚約者がいないとかで見送られた。衆目の中を殿下のリードで踊る。ヴァイラントでも踊ったけれど殿下は体幹がしっかりされているようでブレがなくて踊りやすい筈なのだけど、さっきの告白があったせいか意識してしまう。恥ずかしくて顔を上げられないわ。それでなくても身長差があるからこの距離で目を合わせるためには見上げなきゃいけないのだけど。
「アリー」
名を、愛称を呼ばれた。心臓に悪いわ。それでも無視することなんか出来ず、「はい」と答えて見上げると紺碧が真っ直ぐに見下ろしていた。それだけなのにドキドキして目を逸らしたくなるけれど、人目があるからそれも出来ない……
「さっき言ったことは本当だ」
「はい」
「改めて話がしたい」
「わかりました」
人目があるから多くを話すことも出来ないわ。唇を見て何を話しているか読み解こうと言う者がいるかもしれないから。
「今日は俺に合わせてくれ」
合わせる、ってどういう意味かしら? だけど、何かお考えがあるのよね。だったら否はないわ。
「はい」
人目を考慮して簡潔に答えるに留めた。疑問に思っても今日は殿下に合わせるわ。それに後日話す機会を設けてくださるのなら、その時に聞けばいいわよね。
今すぐ答えを出さなくてもいいと言われて少しだけ気が楽になった。本気って、想い人って、好きって意味で合っているのよね? そんなこと言われた経験がないからわからないわ。こんな時、どう振舞ったらいいのかも。それに、そんな風に言われたらまた頬が熱を持ち始めてきた。やっと冷めてくれたのに……
ダンスを終えて輪から離れると貴族らが周りに集まってきた。あっという間に身動きが取れないほどの人に囲まれ、身構えていると殿下が私の肩を抱いた。突然のことに声が出そうになる。止めてほしいわ、心の準備が……
「王太子殿下、ダンスを踊ってくださいませ」
「わたくしもですわ。ずっとお姿を拝見出来ず寂しゅうございました」
寄ってきたのは着飾った女性たち。どの方も女性らしい曲線美に恵まれていてちょっと、いえ、かなり羨ましいわ。だけど香水の香りがきつすぎる。ファーレンではこれが普通なのかしら?
「ああ、悪いが今日は妻の初めての舞踏会だからな。傍を離れる気はない」
肩を抱く手に力を込めて一層引き寄せられると、高い悲鳴が上がった。女性たちが上げたものだけど、そのせいで密着することになって殿下の逞しい筋肉を感じる。その途端、顔から火が出そうになった。男性とこんな風に身を寄せる経験がなかっただけにドキドキして頭が真っ白になってしまいそう……
「殿下が、そんな風に仰るなんて……」
栗毛の髪の女性が声を震わせた。濃い青色のドレスが似合う色っぽい方ね。私よりも少し年上かしら。
「ああ、こういうのを一目惚れと言うのだろうな」
殿下が笑顔でサラッと凄いことを仰った。途端にざわめきが広がったけれど、そうなの? どこにそんな要素が……
「ひ、一目惚れ? 今までどなたにも靡かなかった殿下が?」
栗毛の女性が呆然と立ち竦み、周囲からも戸惑いの目が向けられた。どういうことだを言わんばかりの視線が集まって来るけれど、私に訴えられても困るわ。
「ああ、自分でも意外だとは思ったが、離れ難くてな。離れている間に誰かに奪われてしまったらと思ったら居ても立っても居られずヴァイラント王に申し出ていた」
涼しい顔をしてそう仰った殿下に女性たちが信じられないものを見るような目を向けていたけれど……私も同じ気分だわ、そんな要素はどこにもなかったわよ。まさか、さっき俺に合わせてほしいと仰っていたのって、これのこと?
「俺は心が狭いらしい。嫌がらせをした者は俺への宣戦布告と見なす」
からっとした笑顔でそう仰ると、女性たちが顔を引き攣らせて頷いたけれど、冗談ですよね、宣戦布告だなんて。殿下が仰ると洒落にならないと思うのですが……
「おやおや、殿下は随分と心が狭いようですな」
声をかけてきたのはブレンメ公爵だった。隣にいるのは夫人かしら? だったらこの方が殿下のお母様の妹に当たる方?
「叔父上か」
「殿下、令嬢たちにまで威嚇とは、余裕がおありでないようですな」
「当たり前だ。これほどに稀有な存在もいなかろう?」
そう仰ってまた肩を引かれたけれど、殿下、何を仰って……
「仰る通りですが、あまり度が過ぎると嫉妬心も増しますぞ」
「知るか。そんなことを気にして彼女に愛想を尽かされては意味がないだろう」
愛想を尽かすって……そんなことはしませんが。多分……
「やっと手に入れたんだ、最善を尽くすのは当然のことだろう」
「なるほど、殿下らしゅうございますな」
そう言って公爵が笑ったけれど、周囲の女性たちは納得できていないようにも見えた。大丈夫かしら? かえって反感を買って面倒なことにならなきゃいいのだけど……




