熱い爆弾発言と冷たい囁き
それからも似たような日が続いて私の神経は髪の毛ほどにまで擦り切れていった。慣れない笑顔に顔が攣りそうだし、高い踵の靴をずっと履いているせいで靴擦れまで出来てしまったわ。たおやかな王女を演じることにそろそろ限界を感じていた時、それはやってきた。
「すまないな」
「いえ、元はと言えば家族の無礼が原因ですから」
今日は王家主催の舞踏会、それも社交シーズン最後を締めくくる会でもある。そのため国中の貴族が集まるらしいけれど、そこで私のお披露目をするという。本来はなかった話だけど、殿下が非公式に連れ帰ったことは周知のことで無視するわけにもいかず、かといってそのための舞踏会を開くわけにもいかないためこうなったのよね。元々は母国の非常識な振る舞いが原因だから謝られるのも申し訳なくなる。
それで私たちは今、控室でお茶をいただきながら呼ばれるのを待っているところ。私は先日国境の砦での儀式で着るはずだったドレスに身を包んでいる。深い青に白と金のレースや刺繍は施されて上品で清楚な印象のもの。光沢のある生地は柔らかくて着心地がいい。その上で殿下から贈られた青玉の宝飾品の数々で飾られ、すっかり殿下色ね。妻とはいえちょっとやりすぎじゃないかと思うのだけど、フリーダたちが「これくらい必要です!」と力説されてしまった。
一方の殿下は黒に近い濃紺の正装姿。光の加減で黒とも紺とも見える生地が素敵だわ。それに、殿下の精悍さが増してとてもよく似合っている。剣を振るう姿も雄々しくて素敵だったけれど。きっとたくさんの女性が殿下を慕っているわよね。想い人がいらっしゃるのかしら? 聞いた方がいい? 会場でその方に会って失礼なことを言ってしまったら……きっと嫌な思いをさせてしまうわよね。だったら……
「あの、殿下」
右往左往してもいい結果など転がり込んでこないわ。そう決心して呼びかけた。心臓が落ち着かない。しっかりするのよ、私!
「アリッサ殿、その殿下はそろそろ止めないか?」
「……え?」
思いがけない言葉に思考が止まった。殿下をやめるって、何? 王族を出るってこと? ええっ?
「殿下、何を……」
「私たちの婚姻は成立している」
「え、ええ、そうですわね」
「なのに、いつまでも殿下呼びでは他人行儀過ぎないか?」
他人行儀、って……ああ、そういうこと? 嫌だわ、早とちりし過ぎていたわ。恥ずかしい……
「そ、そうですね。では、ジークベルト様?」
「……ジークでいい。長いだろう?」
「別に長くはありませんが」
そう答えたら殿下が眉間に皺を刻んだけれど……なにか変なことを言ったかしら? 特に長くないと思うけれど。
「俺のことはジークと」
「では、ジーク様?」
「様はいらん」
「ですが……」
さすがに他国の王太子を愛称で、しかも敬称なしで呼ぶのは難しいわ。だけど殿下は不仲だと思われては同盟に影響すると仰って譲らなかったので、私のことも呼び捨てか、一般的な愛称でもあるアリーと呼んでほしいとお願いしたら笑顔が浮かんだ。えっと、それでよかったの? いえ、王族を愛称で呼べるのは特別なことだから光栄だけど。
「では、ジーク。一つ、お尋ねしたいことが」
「その硬い口調もそろそろやめないか?」
「……すぐには無理です。時間をください」
周囲の目もあるからいきなり崩すのはどうかと思うわ。反感を持つ人が現れるかもしれないし。もう、さっきから話が進まないわ。はぐらかされているわけじゃ、ないわよね?
「あの、お聞きしたいことがあるのですが」
「何だ? アリーの質問に答えないなどという不誠実な真似をするつもりはないが」
いきなり愛称呼び? 殿下は堅苦しいのが苦手だったわね。まぁ、私もその方がありがたいけれど。
「それで、何を知りたい?」
「殿下の恋人のことですわ」
「…………は? 恋人?」
長い間の後で、殿下が発したのは間の抜けた声だった。ああ、聞き方がまずかったわね。恋人じゃなくて想い人だったわ。
「すみません、正確には想い人です。どなたかそういう方がいらっしゃるなら先に言っていていただきたくて」
やっと聞けたわ。それだけで満足感が胸に広がったけれど、横でレオが吹き出すのが聞こえた。何なのかしら? そりゃあ少々不躾な問いではあったけれど。
「アリー、私にそんな相手はいない」
「ですが……」
「どこでそんな話に?」
「第三妃が、泣いている令嬢がたくさんいると……」
その中に殿下の想う方がいたのかもしれない。政略結婚は仕方が無いにしても、心の中でくらいは自由でもいいと思う。ファーレンは妃を何人も持てる様だから想う方を第二妃に迎えることも出来るのよね。私が確実に子を産めるとは限らないのだし。
「アリー、この際はっきり言っておく。私にそんな相手はいない」
「隠さずとも……」
「隠していないし無理もしていない。ちなみに想う相手はいるが……」
「殿下、お時間です」
遠慮がちに声をかけてきたのは侍従だった。どうやら私たちの番が来たらしい。
「アリー、待て! 話はまだ終わっていない」
「ですが、もう……」
「いや、ここではっきり言っておかないと勘違いを暴走させそうだ。こんな形で伝えたくはなかったがはっきり言おう。俺が想うのはあなただ!」
「…………え?」
時間が止まった気がした。えっと……殿下は今、なんて……レオが「あちゃー」と言いながら額に手を当てているのが殿下の向こうに見えた。ラーシュ殿がため息をつく姿も。どういうこと? 殿下は今、何て仰った? 勘違いを暴走? こんな形って、どんな形? それから……それ、から?
「あ、なた?」
あなたって……あああ、あなた?
「ああ、あなただ。俺の想い人はアリッサ、あなただと言っている!」
「ええっ!?」
そうとしか言えなかった。あなたって……私!?
「どうしてそこで驚く?」
がっしりと両肩を掴まれてしまった。ちょっと痛いのだけど……
「え……だ、だって……うそ、ま、待ってくださ……」
「嘘ではないし待たない!」
待つ気がないのはわかったわ。だけど……
「そんな、断言されても……」
「断言しなくてどうする? 曖昧にして誤解をされる方が問題だろう?」
そうかもしれないけれど、だからって今、こんな時に言わなくても……
「殿下……」
再び侍従の消え入りそうな声が聞こえた。
「おいジーク、そこまでだ。続きは終わってからにしろ」
侍従に対してレオは遠慮がなかった。殿下の舌打ちが聞こえた。殿下、何気に柄が悪いです……そして肩が痛いのですが……
「アリッサ、念のためにもう一度言おう。俺が想うのはアリッサ、あなただ。わかったか?」
顔を近づけられて念を押された。肩の痛みからは解放されたけれど、息が届きそうな距離に息を呑んだ。向けられる眼光の強さにこくこくと頷くしか出来ない。きょ、距離が近すぎ、です……それに、身長差が……首が、痛いわ……
「行くぞ」
ぶっきらぼうにそう言うと殿下が私の手を取って歩き出した。呆気に取られている間にどんどん進んでいく。み、耳が、赤い……? もしかして照れていらっしゃる? 待って、それじゃ、本当に? 耳の色なんて自由に変えられないわよね? こんな時にこんな話をされても困るわ。どんな顔をしたらいいの? 私の顔も赤くなっている?
「ジークベルト王太子殿下およびアリッサ妃殿下の御入場です!」
騎士の朗々とした声に心臓が跳ねた。ひ、妃殿下って……いえ、その通りなのだけど。どうしてそんなことで驚いているの、私? いえ、落ち着くのよ。今は舞踏会を無事に終わらせなきゃいけないのだから。
混乱したまま王族席へと向かった。絶対今、笑顔が引き攣っているわ。動揺を悟られないようにと思えば思うほど口元に力が入ってしまう。たくさんの人の目が向かってくるのはわかっていたからその準備をしていたのに台無しだわ。変に思われていそう……
歩みは陛下の傍で止まった。殿下の兄君とその夫人、第三妃と第四王子の姿もある。彼らの姿に少しだけ冷静になれたわ。顔が赤くなっていないことを祈るしかないわね。指摘されたら緊張していると言えば誤魔化せるかしら……
「……あの方が、殿下のお心を奪った……」
「まぁ、カトリーナ様がお気の毒で……」
そんな囁きが左側から耳に届き一気に心が冷えた。殿下のお心を、奪った? 今の言い方では殿下と関係があるように聞こえたけれど……ちらと殿下を盗み見たけれど表情は変わらなかった。殿下には今の声は届いていなかった?
「嫌だわ、敵国の女が……」
「ええ」
後ろからそんな言葉が追いかけてきた。敵国の……やっぱりそんな風に思う人がいるのね。突き付けられた現実に胃の底に冷たい泥が詰まっていくような気がした。




