ファーレンの第一夜
周囲が戸惑う中、第三妃がゆっくりとこちらに向かって来た。殿下が私を隠すようにさりげなく前に出る。ここは攫われた気弱な姫君を演じるべきかしら? そんなことをしても直ぐに本性は知られるとは思うけれど。でも、殿下と第三妃の関係性がはっきりしないから下手に口を出さない方がいいわね。
「義母上、勝手に出てこられては困りますな。顔見せの機会は後日設けたでしょう」
「まぁ、つれないことを仰るのね。殿下は義理とはいえ息子、敵国からお戻りと聞いて駆け参じましたのに」
にこやかに朗らかにそう告げる言葉に嘘はなさそうに見えるけれど、私がいるとわかって敵国と言ったのはわざとかしら?
「ヴァイラントは同盟国ですよ。発言には十分気を付けていただきたい」
「まぁ、申し訳ございませんわ。長きに渡り対立していたもので、つい……」
「ははっ、ベルツに比べれば短いものですよ」
「まぁ……」
殿下も容赦ないわね。そりゃあ、確かにファーレンとベルツは昔から敵対していたし、第三妃との婚姻はその終止符を打つためのものだったと聞いているけれど。
「それで、そちらが殿下のお心を射止めたお方ですの? ふふっ、多くの令嬢が泣いておりましてよ」
にこやかな物言いだけど私への当てつけかしら? 多くの令嬢が……そうよね、殿下はファーレンの英雄、お慕いする令嬢は多いわよね。
「紹介しよう。ヴァイラント王国の第二王女であるアリッサ殿だ。かの『ヘデラーの戦姫』の令孫でもある」
渋々ながらも殿下が私の前から引いて第三妃に紹介した。ここで祖母の名を出す必要はないと思うのだけど……
「まぁ、あの『戦姫』様の。確かにヘデラー王家のお色ですわね。ですが、随分と大人しそうな方ですのね」
にこりと首を傾げるけれど、どういう意味なのかしら? 地味と言いたい? それとも御しやすいと思われた? そう言われると言い返したくなるのだけど……
「ヴァイラントから参りましたアリッサでございます。お会い出来て光栄にございます。ふふ、大人しいだなんて初めて言われましたわ。嬉しゅうございます」
あえて満面の笑みで返してみると目を丸くしたわ。横から「おい」と小さな声が下りてきたけれど、出過ぎたかしら? でも、ここで舐められたらずっと侮られるわ。
「ほほ、意外にも活発な方のようね。ファーレン国王陛下の第三妃ウィルマです。ようこそファーレンへ。歓迎しますわ」
「ありがとう存じます」
余所行きの笑顔で答えたら何故か驚かれたわ。何かおかしかったかしら? 普通にお礼を言っただけなのに。
「ほほ、アリッサ様は明るい方でいらっしゃるのね。落ち着きましたらお茶でもいたしましょう。では、私はこれで」
そう言うと満足そうな笑みを浮かべて優雅な足取りで背を向けた。思っていたよりもずっと穏やかで拍子抜けするくらいだし、侍る者たちからも悪意は感じ取れなかった。何を考えているのかしら? それとも私が神経質になりすぎているだけ?
「殿下……」
「部屋で話そう」
そう言うと私の手を取って歩き出したのでそれに続く。第三妃の態度が気になるけれどこの場で尋ねるわけにはいかないわね。どこで誰が見ているかわからないから迂闊なことは口に出来ない。
案内されたのは階段を上がった先の一室だった。ここでこれから暮らすのかしら? 大抵の国は王や王妃、王太子や王太子妃の部屋が最初から定まっている。ここも今は亡き王妃様がお使いになったお部屋だったのかしら?
「この階は王太子とその家族のための場だ。俺の側近が警護しているし、父上であっても俺の許可なく入ってくることはないから安心してくれ」
それはありがたいわ。だったら第三妃でも入ってこれないのよね。
「ありがとうございます。それなら安心ですわ」
「ここがアリッサ殿の部屋だ」
殿下が自ら濃い色の重厚な扉を開けて私を誘った。扉の向こうは明るくて眩しい程だった。与えられた部屋は母国の私の部屋の倍の広さはあり、置かれている調度類は明るめの色で揃えられている。特に目を引いたのは窓で、ヴァイラントの倍以上はあるわ。
「窓が……大きいのですね」
「そうか?」
「ええ、ヴァイラントでは雪で割れるから小さく造るんです。本当に、雪が降らないのですね」
「ああ、なるほど。窓が小さいとは思っていたが、ちゃんと理由があったのだな」
こんなところも土地柄が違うと変わってくるのね。窓が大きくて外がよく見えるわ。そのせいか広く感じるし日差しが入って明るいわ。
「もし気に入らないところがあったら遠慮なく言ってくれ」
「まぁ、気に入らないだなんて。とても素敵ですわ」
母国の部屋は時折エルリカが気まぐれにやってきて、気に入ったものがあると「ちょっと貸して」と持っていったまま返ってくることはなかった。だから必要以上に整えることもしなかったせいで殺風景だったけれど、ここは何十倍も素敵だわ。
「よかったな、ジーク。悩んだ甲斐があったじゃないか」
「レオ、余計なことを言うな!」
「ええ~隠さなくてもいいだろ。なぁ、姫さん」
「……殿下が、この部屋を?」
お忙しいのにわざわざご自身で? 思わず見上げたら目が合ったけれど、すぐに逸らされてしまった。殿下が顔を手で覆っているから表情は見えないけれど……耳、が赤い?
「ははっ、ジークの野郎、照れてやんの。首まで赤いぞ」
「うるさい!」
殿下が怒鳴り声をあげた。こんな大きな声を出されるところ、初めて見たわ……
「レオ、黙れ」
「怒ってもその顔じゃ怖さ半減だぞ」
「ほぉ……いい度胸だな。ちょっと付き合え」
地を這うような声が静かに響いた。剣呑で肌が粟立つ……本気でお怒りになった?
「うわっ! 真に受けて切れるなよ。ちょっと揶揄って……」
「なるほど、そのつもりだったんだな」
殿下が二歩踏み出したらレオが五歩下がった。どうやら殿下は本気のようだけど……
「え? あ、ちょ、待て! 待てって!! 姫さんの前だぞ! 落ち着け!」
「ああ、ジーク、レオの言う通りです。アリッサ様が驚いていますよ」
ラーシュ殿の言葉に殿下の歩が止まって、ゆっくりとこちらを見た。目が合ってしまったけれど……なんなの、この恥ずかしさは? 目を逸らしたいけれどそれはそれで失礼な気がして外せない。待って! 私の顔まで赤くなりそうなのだけど……!
「あ……す、すまない」
「い、いえ……お気になさらず。こ、こんな素敵な部屋をありがとうございます」
殿下が目を逸らしてホッとしたけれど……何なの? この痒いようなこそばゆいような変な感じは。なんだか恥ずかしい……
「疲れただろう? 少し休んでくれ」
「は、はい。ありがとうございます」
嫌だわ、意識してしまって口が上手く回らない。
「今日は特に予定はないから好きに過ごしてくれ。侍女の紹介は明日にしよう。フリーダとミア、決してアリッサ殿から離れないように」
「はっ!」
二人の返事に頷くと、殿下は「ではまた」と言って行ってしまわれた。途端に部屋に満ちていた妙な緊張感が一気に解放される。な、何だったの……嫌だわ、頬が熱い……手を当ててみたらいつもよりも熱く感じた。赤くなったかしら?
「殿下でも照れることがあるんですねぇ……」
「ミアったら不敬よ。でも、確かに珍しいものが見られたわね」
殿下が去った扉を見つめながらミアがしみじみとそう言うと、フリーダも同意していた。
「殿下って、もしかして、アリッサ様のこと、本気だとか?」
エリーが興奮してフリーダたちに食いついた。彼女、この手の話が大好物なのだけど、相手は王太子殿下だし、ここはヴァイラントではないのよ。
「エリー、そんなこと言ったら不敬よ」
「でもアリッサ様、あんなに動揺している殿下、初めてじゃないですか? 耳どころか首まで赤くなっていましたよ!」
「エリーったら。殿下はああ見えて繊細なんです。直接尋ねたりしないでよ」
「ええ~フリーダさん、私そこまで強心臓じゃないです。さすがにご本人に直撃はしませんよ」
エリーが胸を張ったけれど、ちっとも威張れないわよ。それに顔はにやにやしたままね、絶対面白がっているわ。
「それで……アリッサ様はどうなんですか?」
「ど、どうって……エリー、私たちは既に夫婦で、これは絶対に覆らないのよ?」
「わかっていますって。そうではなく、アリッサ様のお気持ちですわ」
ずいと詰め寄られたけれど、何なの、エリーのその圧は……
「き、気持ちって……私たちの婚姻は同盟のためなのよ。そこに個人的な感情なんて……」
「ええっ、アリッサ様、それ、本気で思っています? それじゃ殿下が報われないじゃないですか……」
なんだか可哀相な子どもを見るような目を向けられたけれど、報われないってどういうこと? それじゃまるで殿下が私に気がある様に聞こえるけれど。でも、あちらは八歳も上なのよ。小娘の私にそういう感情を持つなんて……あり得ないわ。それに出会ってからそんなに時間も経っていないのよ。そんな感情を持つほど親しくなれたかしら?
その日の夜はあまり眠れなかった。きっと環境が変わったせいよね。決して殿下の顔がちらついて落ち着かなかったわけじゃないわ。それに殿下が私を好きになるなんて、そんなはずはないわ。私なんかよりもずっと大人で、あんなに素敵なのよ。恋人が居たっておかしくないはず……
ふと、第三妃の言葉が思い出された。私を連れ帰ったせいで多くの令嬢が泣いたといっていたけれど、もしかしてその中に殿下の想い人がいた? その可能性をまったく考えていなかったけれど、あのお年で今まで婚約者がいないなんてその方がおかしいわよね。私のように冷遇されていたならともかく、殿下は内乱を治めた英雄だし、恋人がいてもおかしくない……
もしかして私のせいで添い遂げられなかった女性がいたのかしら? だけど、国のために私と結婚しなければならなくなって別れることになったと。それでも殿下は誠実な方だから私と歩み寄ろうとしていらっしゃると……目の前の夜闇が一層暗く感じられ身体の中心がすっと冷えていく……朝が途方もなく遠く感じられた。




