義理の父とその息子
入口で騒いでいるのは兄の妻の父親のヘンゼルト公爵だった。我が国に五家ある公爵家の一翼を担う彼は野心家で抜け目のない人物で、次代の外戚を狙って数多いる候補を押しのけて娘を兄に嫁がせていた。一方でエルリカを溺愛する兄のことは苦々しく思っていると言われているわ。表立ってはそんな素振りは一切見せないけれど。
「あれは?」
「ヘンゼルト公爵です」
「ああ、彼が」
どうやら王太子殿下はご存じらしい。いえ、当然よね、我が国の内情も調査済みのようだし。兄が即位した後、ヘンゼルト公爵は宰相になるとも言われているから、彼の動向を軽んじることは出来ないでしょうし。
「話を聞こうか」
「よろしいのですか?」
「構わん。この国の有力者と顔を繋げるのも今回の目的の一つだからな」
そういうことなら私も止める理由はないわ。押し問答をしている三人の元に向かった。
「おお、これはアリッサ王女殿下。御尊顔を拝し奉り光栄にございます」
私の姿を認めると、ヘンゼルト公爵は恭しくその場で頭を垂れた。頭頂に丸い肌色が見える。豊だった金髪は減り白っぽくなってしまったわね。
「ご無沙汰しておりますわ。どうなさいまして?」
「はい。ファーレンの王太子殿下にぜひご挨拶をと思いまして」
「まぁ、そうでしたの。よろしいですわ。どうぞこちらへ」
そう告げるとフリーダとミアが驚いた表情を向けてきたので笑顔で頷く、それだけで殿下の意向が動いているとわかってくれたのか彼を通すと、再び入口に立った。
「ファーレンの騎士は優秀ですなぁ」
「王太子殿下はお厳しい方ですから」
「おお、それでは礼を失しないように気を付けねば」
皮肉かと思ったけれど、表情は至って真面目だった。本気でそう思っているのか、歩きながらも胸に飾った勲章の位置を整えていた。
「殿下、兄の妻の父、ヘンゼルト公爵です」
「ヘンゼルトにございます。ファーレン王国の王太子殿下に拝謁を賜り恐縮至極にございます」
恭しく頭を垂れるけれど卑屈さはなく堂々としていた。よくない噂もある人だけど、悪意は感じられないわ。まだ信用出来ないけれど。
「ファーレンのジークベルトだ。貴殿の名はファーレンにも聞き及んでいる。何用だ?」
「我が領はファーレン寄りにございますれば、これから良き取引をお願いしたく」
「なるほど、私も同盟を結んだからには交易も積極的に行っていきたいと考えていたところだ。互いの利になるのであればこちらに否はない」
ファーレンは交易の国だから同盟が成ればそう考えるわよね。そしてさりげなく不利な交易はしないと釘を刺すこともお忘れではない。公爵が笑みを浮かべたわ。殿下の力量を感じ取ったからかしら?
「そう仰っていただき僥倖にございます。我が領では酒造に力を入れております。王太子殿下にも是非味わっていただきたく」
「酒か、それは無下に出来んな」
「お許しいただければ滞在中の離宮にお届けいたしますが」
売り込みが上手いわね、さすがだわ。でも、ヘンゼルト産のワインは飲みやすいと評判がいいのよね。
「いいだろう。期待している」
意外にも殿下は申し出を受け入れた。相手は王太子妃の、いずれは王妃の実家となる家。無下にするよりは取り込んだ方が得策よね。兄との関係が微妙な分、こちらも付け入る隙がありそうだし。
「有り難き幸せ。王太子殿下は懐が大きくていらっしゃる。さすがはファーレンの英雄と誉れ高きお方だ」
「褒めても何も出ないぞ」
「決してそのような意図はございません。お気を悪くされたなら謝罪いたします。英雄がいらっしゃるファーレンを羨ましく思ったまででございます」
それって、暗に兄よりも殿下の方がいいと言いたいのかしら? だけど、同じ王太子だけど能力の差は一目瞭然よね。羨ましく思うのは当然かしら。兄のお義姉様の扱いを苦々しくお思いでしょうし。
「アリッサ!」
和やかな空気の中、鋭い声が通り抜けた。それだけで肩が揺れそうになる。振り返った先には、フリーダを押しのけてこちらにやってくる兄の姿があった。さすがに兄を止めることは出来なかったのね、でもその判断は正しいわ。側近や護衛を引き攣れて胸を張ってやって来た兄だけど、ヘンゼルト公爵の姿を認めると僅かに顔を歪めた。
「ヘンゼルト公爵、何故ここに」
義理の父への声は固かった。お義姉様は一緒ではなかったけれど公爵は変わらず笑顔のまま。兄は気まずいでしょうね。
「王太子殿下にご挨拶申し上げておりました。孫にファーレンの英雄はどのような方かと尋ねられましてね」
にこにこと目尻を下げる表情は一人の祖父のものだった。彼が孫を可愛がっているのは有名な話よね。まぁ、半分はまだ子も出来ない兄夫婦へ、いえ、お義姉様を蔑ろにする兄への嫌味でしょうけれど。
「そうか」
「はい。騎士に憧れる年頃でして」
完全に公爵に呑まれているわね。だけど彼の後ろ盾を必要としているだけに文句も言えない。馬鹿な人よね、お義姉様をエルリカより優先する、そんな常識的なことで事態は改善するのに。
「ご挨拶は終わりましたので失礼いたします。王太子殿下、また武勲のお話などお聞かせください」
「ああ、孫御によろしく伝えてくれ」
「ありがとう存じます。孫も喜びます」
そんな話はなかったけれど、さすがは公爵、上手く躱したわね。それに殿下も。孫をダシに使われたら兄は何も言えないわね。
「アリッサ、なぜエルリカに恥をかかせた!?」
公爵がバルコニーから去ると、碧眼に怒りを込めた兄が睨んできた。やっぱりその話? 文句を言いに来るとは思っていたけれど、王太子殿下もいらっしゃる場に押しかけてくるとは思わなかったわ。
「そう仰るのなら、なぜあの子を止めなかったのですか? 王太子殿下に対しても失礼ではありま……」
「お前が意地を張るからだろう? あの子が望んでいるのに何故変わってやらない?」
最後まで言い終える前に畳み掛けてきたけれど、どうやら母だけでなくこの人も賛同していたのね。
「ジークベルト殿、頼む。どうかあの子を娶ってほしい」
呆れる私を無視して、兄が頭を下げたのは王太子殿下だった。あのプライドの高い兄が、頭を下げるなんて……
「確かに貴殿はあの子の初恋の相手ではなかった。だが、貴殿を一目見て心奪われて食事もままならない。まだ幼く拙い部分はあるが、明るく純真な子だ。あの子を選んでくれたら私が王になった暁には貴国へ出来る限り融通すると約束する」
提案された内容に言葉を失ったわ。別人だと認め、その上で一目惚れしたというのね。しかも生来的にファーレンを優遇すると。それを約束するならファーレンにとっても悪い話ではないわ。兄はそこまであの子のことを……やっと固まったと思えた足元が揺らぎ崩れていく……どうして……あの子はたくさんのものを持っているのに……
「なるほど」
「いかがだろうか? 悪くない話だと思うが?」
殿下の発した言葉に兄が縋る。確かに悪くないわね。こうなるとあの子は人質だわ。もっとも、兄はそのことに気付いていないようだけど、殿下は……気付かれたわね。目が獲物を見つけた肉食獣のように見えるもの。
「具体的には?」
「そ、それは……」
「私はアリッサ殿を妻にすると決め、彼女に誓いを立てた。ファーレンでは騎士の誓いは一生のもの、簡単に反故に出来るほど軽くはありません。であれば、それを凌駕する具体的な提案を示していただきたい」
誓いって……あの約束のこと? 騎士の誓いが一生のものだなんて知らなかった。そこまでの覚悟であのように仰ってくださったと? 殿下の口調は揺るぎがなく力強かった。そのことが胸を温かい何かで満たしていく……
一方で告げられた方は目を丸くして見上げていた。そんな風に言われるとは思っていなかったらしい。
「一生に関わることを口約束で済ますつもりはありません。公文書で具体的な内容をいただきたい。それを示していただかなければ検討することも出来ませんからな」
殿下は鷹揚に、さも当然と言わんばかりにそう告げた。今の兄には何の権限もない。偉そうにしているけれど父の顔色を窺っているのが現実だし、そんな兄に具体性のある約束を、それも国政に関わる約束を交わすなんて無理じゃないかしら。
「それに、国王陛下はこのことをご存じなのか? 我が父はアリッサ殿が嫁いだ場合に起こりうるあらゆる事態を想定した上でサインした。いくら姉妹であっても相手が変わればまた一からやり直しだ。その膨大な手間に関してはどうお考えだ?」
殿下を見上げた兄が微かに唇を震わせていた。同盟を結ぶためにかかる作業の煩雑さを知らなかったのね。それをもう一度やれと他国の王に要求する意味も。それは殿下が既に国政に関わっていらっしゃることも示していた。よりにもよって次期国王相手に、いずれは自分とやり合う相手に底の浅さを見せてしまうなんて……この人を王にして大丈夫なのかしら? いえ、ファーレンからしたら御しやすくて好都合なのかもしれないけれど。
それにしても……殿下の様子からして言葉からして兄の提案を呑む可能性は低いと思っていいのかしら? そうであってほしい。やっと自分の居場所を手に入れられそうなのだから。




