懲りない妹
「ファーレン王国王太子ジークハルト殿下、およびにヴァイラント王国第二王女アリッサ殿下の御入場です!」
騎士が朗々とした声で告げるのと同時に目の前の扉が開くと、煌びやかさが拍手と共に大波のように襲い掛かってきた。会場となった大広間のシャンデリアの輝きに目が眩みそうになるのを耐えて笑顔を保つ。王太子殿下の固くて太い腕にも緊張感が増しているだけに、今日は余計に眩しく感じられた。
殿下の動きに合わせて歩を進める。いつもよりもゆっくりだと感じるのは私への配慮かしら? 目が慣れると会場内の視線がこちらに向かっているのが見えた。これだけ注目を浴びるなんて滅多にないから居心地が悪い……
殿下と共にゆったりとした足取りで父王の下に向かうと、その周りに家族の姿があったけれど……どうして悪い予感ほど当たるのかしら。あの子ったら、殿下の瞳の色のドレスを着て殿下に見惚れているわ。誰も諫めなかったの? 姉妹のどちらかが婚約したら、同じ色のドレスは避けるのが暗黙の了解なのに。会場内のざわめきはそれも影響していたのかもしれない。
「一同、今日はこの寿ぎの日によく集まってくれた。礼を言う。我が国の良き隣人であるファーレン王国のジークハルト王太子殿下と、我が娘アリッサの婚約が正式に決まったことを報告する。この良き知らせに両国が一層手を携え、繁栄へと繋がることを切に望む!」
殿下と共に壇上に上がって父王の隣に並ぶと、父が力強く宣言すると会場内がワッと湧き、拍手と歓声が会場内を埋め尽くした。「国王陛下万歳」「ヴァイラントとファーレンに幸あれ」との声があちこちから上がる。そのことに僅かだけど父の言葉に安堵を感じた。父はエルリカの味方というわけではないようね。いえ、心情はエルリカに向いていても王として表立って応援することは出来ないのかもしれないけれど。でも、殿下は何度かエルリカの振る舞いに苦言を呈したと仰っていた。だったら父は交換を受け入れる気はないとみていいかしら。
「ああ、ダンスか」
音楽が流れてきた。王族のダンスが始まる合図ね。いつも最初は両親と兄夫婦が踊るけれど、今回は国賓として招かれている王太子殿下と婚約者の私も一緒に踊るように言われている。両親や兄と共に踊るなんて初めてのことだから緊張が増すわ……
「大丈夫だ。俺に任せておけばいい」
小声だけど力強くそう言われて少しだけ緊張が緩んだ。二日前に軽くダンスの練習をしたけれど、殿下は騎士なだけあってお上手で問題はないと思ったけれど、これだけの人の前で踊るとなると緊張が先に立ってしまう。それにしても、この人、どうしてほしいと思う時に言葉をくれるのかしら。心を読まれているようで落ち着かない……
色々と考えていても音楽は流れ身体は動く。手に汗をかいていないかと心配になるけれど、リードがお上手で踊りやすい。ターンした時、エルリカの姿が見えた。早くも仲のいい令息たちに囲まれているけれど、表情は冴えないわね。この後何も……しないわけはないわね。あんなにも挑発的なドレスを着ているのだから。少し浮上していた心がまた沈んでいった。
「諦めていないようだな」
「……申し訳ございません」
「謝らなくていいと言っただろう」
そう言ってくださるのはありがたいのだけど、頭が痛いのよ。こんな振る舞いはあの子の評価を下げるだけだから。どうして母は放っておくのかしら? あの子を大切に思っているのなら何としてでも止めるべきだったのに。それとも母もあの子の味方なの? 王妃としてではなく母親としてあの子の望みを叶える方を選んだと?
ダンスが終わると懸念は早々に訪れた。
「ジーク様、わたくしと踊ってくださいませ!」
頬を薔薇色に染め、母を伴ってエルリカがやって来た。凪いでいた心に波が立ち、急に人目が怖くなった。私のドレス以上に殿下の色に近いそれは繊細なレースやフリルが重なって華やかで愛らしく、あの子によく似合っている。だけど、公の場で姉の婚約者の色を纏い、親しげに愛称を口にする姿は、会場内に小さなざわめきを生んでいた。口元を隠して眉をひそめる夫人方の姿が見える。
「エルリカ王女殿下、私はアリッサ殿と婚約した身だ。誤解を受けるような真似は控えていただきたい」
言われた側が揺るぐことはなかった。丁寧だけど確たる意志を持ったそれは纏う雰囲気もあってか強い拒絶に映り、そのことにざわついていた胸が僅かに凪いだ。
「そんな……酷い……」
途端に晴れやかだった表情が曇り、瞳の潤いが増した。その動作は美しく可憐で、周囲から同情を引き出すには十分だった。
「これは異なことを。余計な誤解を招く方が問題ですよ。連日協議の場に急にやってきたり、家族でも婚約者でもない者の愛称を呼んだりしては御身の名誉を傷つけかねない。そうお思われぬか、王后陛下?」
「え、ええ……」
諭すように告げられた言葉と、その後に続いた母への問いかけは、エルリカに傾いていた天秤をこちら側に戻す効果があった。言われた方は驚いた表情で殿下を見上げているけれど……どうしてそこで驚くのかしら? 殿下もあの子の振る舞いに辟易されていたせいか容赦がない。ここまで言われては母もエルリカを擁護出来ないでしょうね。
「だけど……ジーク様は私の初恋の方なのです。十年近くも想い続けて来たのに、簡単に諦めるなんて出来ませんわ」
決死の表情で訴える様は美しくも悲壮感に満ちて一枚の絵画のようだったけれど、会場から上がったのは戸惑いの声だった。それもそうよね、殿下とでは年が合わないもの。
「何度も申しあげたが、王女殿下の初恋の相手は私ではない。私がこの国を訪れるのは今回が初めてだからな」
その言葉にますますざわめきが増した。旗色の悪さを感じ取ってかエルリカが縋るような視線を周囲に投げたけれど……これはさすがに無理があるわ。
「王女殿下はまだお若い。これから精進されればよき縁談に恵まれるだろう」
にこやかな声に反して暗に現状では自分の相手に相応しくないと告げているも同然の言葉に、あの子もさすがにこれ以上我を張ることも出来なかったようで、小さく謝罪の言葉を口にした。母が顔を青くして無礼を詫び、殿下が鷹揚に頷くと張り詰めていた会場内の空気が和らいだ。もしここで殿下が機嫌を損ねたら大問題だものね。この同盟はファーレンからの申し出だけれど、我が国だって強く出られる立場なわけじゃない。周辺国との関係が緊張状態にあるのは我が国も同じだから。
母に付き添われてエルリカが離れていった。結局母とあの子が恥をかいただけで終わったわ。これに懲りて引いてくれたらいいのだけど……そうでなければあの子の価値が下がっていい嫁ぎ先が見つからなくなってしまう。色々と面倒はかけられたし嫌な思いもしたけれど、不幸になってほしいわけじゃないもの。
「大丈夫か?」
「はい」
気遣われてしまったことに心が重くなる。原因が原因なだけに、そんな資格がないように感じてしまう。難しいわね、私のせいじゃないとわかっているけれど、家族というものは切ったつもりなのに完全に切れないなんて。
「少し休むか」
「では、バルコニーはいかがでしょう? 座るところもありますし、ここよりも涼しいです」
まだ日は高いから庭に出ることも出来るけれど、警備の面で不安が残る。まだバルコニーの方が見通しもいいし安全だわ。
人に声を掛けられる前にバルコニーの一つに向かった。幸いにも誰もいないわ。それだけのことなのに心が軽くなった。共に設置された椅子に並んで座る。フリーダとミアがバルコニーの入口で他の者が入ってこないように立ち、ラーシュ殿が近くの給仕に飲み物を頼んだ。程なくして給仕がトレイに飲み物をいくつか載せて戻ってくると、それを受け取ったラーシュ殿が戻ってきた。その間私は殿下の隣で風に当たって火照った身体を冷やした。
「どうぞ」
ラーシュ殿がグラスの中身を口に含んでから殿下に渡した。毒を警戒してのことでしょうけれど、宰相の令息が自ら毒見をするなんて意外だわ。
「王女殿下はなにになさいますか?」
「……では、果実水を」
「私が毒見させていただきますが、よろしいでしょうか?」
「え?」
私の毒見を? 彼女が? さすがにそこまでしなくてもいいのでは……
「アリッサ殿、我が国の慣習だから諦めてくれ」
殿下にそう言われては何も言えないわ。フリーダが毒見したグラスを受け取る。いつもはエリーがしてくれていたけれど、知り合って間もない彼女が口を付けたことに抵抗を感じる。だけど命がけで私のためにしてくれたことを無になんか出来ない。
「美味しい」
冷えた果実水に喉が渇いていることを自覚した。一気に飲みたい衝動を抑えて少しずつ喉に流す。緊張していたみたいね。エルリカのこともあったし、知らないうちに体に力が入っていたらしい。気付かれないように息を吐いたその時だった。
「王太子殿下が休憩されています。お入りにならないでください」
フリーダの固い声が耳に届いた。




