襲撃
予測していた衝撃は訪れなかった。顔の前で構えた腕の向こうには短剣の刀身が陽光を反射して煌めく。
「……どういうおつもりです?」
二打目は訪れない。試されたと分かっていても問わずにはいられなかった。睨みつけた先の瞳が一瞬光を増し、すっと細められた。それだけで背筋に冷水が流れる感覚がした。
「素晴らしい。さすがはヘデラ―の末裔」
帰ってきたのは賞賛の言葉だった。やはりとの思いが増し、一方で悔しいような納得のような感情が胸中で暴れる。彼の向こうに護衛たちの姿が見えた。どちらの側も突然のことに動けずにいる。
「試したのですね」
「なぜそう思う?」
短剣の刃を腕輪で受け止めたけれど衝撃は小さかった。それは寸でのところで止めたと、本気で害する気はなかったということ。
「あなた様に襲われて、無傷でいられるはずがありませんから」
そう答えるとふっと表情を和らげた。刀身は鞘に吸い込まれ、そのまま懐に仕舞われた。どうやらこれ以上続ける気はないらしい。無意識に腕輪を反対側の手で撫でていた。お祖母様にいただいた形見の腕輪。防具なだけあって傷ついた感触はないわね。これは、試されたのは間違いなさそうだわ。
「殿下!」
「アリッサ様!」
僅かに空気が緩むと固唾を飲んで見守っていた護衛騎士がそれぞれの主に駆け寄った。敵国で王女に剣を向けるなんて信じられないわよね。父の耳に入ったら何を言い出すか……これ以上話をややこしくしないでほしいわ。
「あなたたち、今見聞きしたことは胸の内に仕舞っておいて。父の耳に入ったら色々と面倒でしょう? あなたたちの立場に影響が出ては申し訳ないし」
「……かしこまりました」
我が国の護衛騎士たちに釘を刺す。もし父に知られたら王女を危険に晒したと責任を問われ、罰を受けるかもしれない。彼らにも立場があるし、我が身可愛さから口にはしないはず。そのうえで少し離れてくれるように頼んだ。この調子では再び何を言い出すかわからないから。父の耳に入って面倒なことになるのは避けたいわ。
「何が目的です?」
次は王太子殿下ね。とにかくこの場を治めなければ。護衛は口留めしたけれど、また同じことをされたらせっかく結ばれた同盟が台無しになってしまうかもしれない。そのことがわからない人ではないでしょうに。
「すまない。『ヘデラ―の戦姫』と讃えられた王太后陛下に育てられた王女と聞いて、つい」
そう言って頭を下げると護衛騎士たちが息を呑む音が聞こえた。王太子が一介の王女に頭を下げるなんて……矜持はないの?
「罰なら甘んじて受けよう。ただし王女殿下から賜った罰に限るが」
それって、私が罰しないとわかって言っているわね。随分と驕慢ではないかしら? いえ、私も面倒事は避けたいから誰かに話すつもりも罰を与えるつもりもないけれど。でも、このまま見過ごすのも癪だわ。
「随分と勝手なことを仰いますのね。父に知られれば同盟の破棄もあり得る暴挙だというのに」
声が低くなったのは許してほしいわ。だけどそれくらい深刻な事態にもなり得るのよ。もし父たちに聞かれたら何と答えたらいいのよ。面倒事をこちらに押し付けないでほしいわ。
「確かに仰る通りだ。申し訳なかった」
再び頭を下げられてしまった。でも、そんな姿を誰かに見られたら口止めが無駄になるし、あらぬ噂を立てられるかもしれないからやめてほしいのに。まったく、豪胆なのか考えるより先に体が動く性質なのか……軽率であることには変わりないけれど。
「二度はありません。軽はずみな真似はお控えください」
「大変失礼した。アリッサ殿の力量を確かめたくてな」
睨みつけた先で小さく笑みを浮かべた。揶揄われたのね、腹立たしいわ……
「気分を害されたのなら謝罪する。だが、強い者を前にすると確かめたくなるのが武人の性というものでな」
何を言い出すのかしら? 私など、王太子殿下の足元にも及ばないのに。
「私が強いと? なぜそのように?」
そんな素振りは見せなかったし、家族だって知らないはず。
「手だ」
「……手?」
「エスコートで手を合わせた時、普通の令嬢にはない固さを感じた」
それって、剣ダコのことね。確かにあるわ、昔ほどではないけれど。でも、それをあの僅かな間で気付かれたと?
「男はともかく女性は簡単に剣ダコなど出来ん。皮膚が柔らかいからな。となれば相当な鍛錬を積んでいると思うのは普通だろ?」
悔しいけれどその通りね。気付かれないように肌の手入れも欠かさなかったのに。
「それに、武を嗜む者は姿勢に出る。アリッサ殿の動きにはブレがなく、実に美しい」
「褒めても何も出てきませんわ」
「ははっ、手厳しいな。だが、緊張が解けたようだな」
「な……」
何を言っているのよ? そんなことのためにあんな暴挙を? 呆れたわ……
「ああ、そうやってかしこまらない方がずっといい。武人には武人としての付き合い方があるだろう? アリッサ殿もそうしてくれると助かる。俺はずっと男所帯で暮らしてきたせいか気の利いたことは言えんし、気も利かんからな」
それを免罪符にしろと仰るの? いえ、言いたいことはわかるわ。お祖母様もマルクもその父親も、主従というよりも戦友といった感じだったし、そんな絆をお祖父様は苦々しく思われていたと聞いているから。
「それにしても、祖母のことをよくご存じでしたね」
お祖母様世代の方ならともかく、彼だってまだ二十半ばでしょうに。それにお祖母様から手ほどきを受けたのは私だけだったのに、どこで知ったのかしら?
「我が国の情報収集能力を甘く見ないでほしいな」
人も悪い笑みを浮かべてそう言われた。内戦が続いていたから他国のことまで構っていられないと思っていたけれど……逆だったのね。他国と事を構える余裕がないからこそ、他国の動向を探っていたのでしょうね。ファーレンの情報収集能力は相当なもののようだわ。それにこの方もただ武に秀でているだけの方というわけではないと。
「……左様ですか」
「国益のためなら出来る限りの手は打つ。それが王族と務めだからな」
この方は王族としての責任感と強い矜持をお持ちなのね。いえ、だからこそ十年以上続いた内乱を治められたのでしょうね。でも、それなら……
「だったら、花嫁は私ではなくエルリカの方がよかったのではありませんか? 両親も兄もあの子を溺愛しています。あの子を妻に迎えれば父王も兄もファーレンを重視せざるを得ませんから」
それはつまり、私ではあの子ほどの旨味はないということでもある。異国に嫁いだあの子が苦労しないよう、両親も兄もファーレンには最大限の配慮をするのは確実で、それは王太子殿下にとっても悪い話ではないのではないかしら?




