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こんなのってない! <point of view of Komaki>

 雷が鳴っている。

 止みそうもない雨雲を見ながらあたしは幾度目と知らぬ溜息をついた。…これ、いつになったら帰れるんだろう。

 あたしは今、隣町の大きな本屋からの帰り道だった。本屋を出たのはもうかれこれ3時間も前だが、この大雨の影響で未だに駅から動けていない。傘もないし、タクシーに乗るお金もないし、自宅には誰もいないし…困った。八方塞がりだ。

 タクシーに乗るお金がないのだから、当然ホテル等に泊まるお金もない。友達に連絡を取ろうにも、この付近に住んでいる友達を知らないし、駅前は送迎の車で大混乱。電車に乗れなかった人が呼んだ自家用車で、特別運行しているバスの出発が10分も遅れたほどだ。この中に友達の家の車に来て貰うのは流石に気が引ける。

 大雨の運転も怖いしね。

「しかし、よく降るわねぇ…」

 早くも少しだけ湿気っている気がするページを捲りながら、思わずそんなことを呟く。はっと気がついて周囲を窺うが、ざわついている駅周辺にあたしの独り言を聞いた人間はいなかったようだ。

 このまま帰れなかったら野宿かなぁ。

 …深夜の駅のベンチで寝ている女子高校生がいたら、一般の男性はどう思うのだろうか。

 今までだったらあまり考えてこなかったことだけれど、今年あの部活に入部して1つ学んだ。

 世の中には変態がいるということを。

 まぁ、あれはまだいい人っぽい変態だから許せるし、実際に誰かに手を出すこともないだろう。ただ、あのレベルの変態がいると考えると、変態で、尚且つ悪い人間だってやっぱりいるはずだ。多分寝ている人間のスカートを捲ったりする変態も世の中にいるだろう。

 そういう人間には関わりたくない。実際には会ったこともないけれど。

 そうなると駅のベンチなんてところでは眠れない。しかも今日はこの駅にたくさんの帰れない人がいる。それだけこの集団に悪い変態が含まれている可能性は大きくなる。益々どこか宿を探さねばならないのだが…。

 道行く人に声をかけて、「今晩泊めてください」などと言えるはずもなく、あたしは、もう何度も開いているさっき買ってきた漫画の表紙を再び捲った。

 雑誌で読んでたけれど、やはりファンならば単行本も買わねばなるまい。それに我が家では、雑誌は一年に一度、まとめて処分することが家族会議で7年前に決定されている。読み返すにはどうしても単行本をかう必要があるのだ。

 とはいえ、何度もこう短時間で何度も読み返していると、流石に感動が薄れてしまう。あたしは溜息と共に漫画を鞄に仕舞った。

 …どうしよう。

 あたしがジトッとした空気を吸ったり吐いたりしていると、駅の放送機材から駅員の声が響いてきた。

『下り電車、西駅方面をご利用のお客様にお知らせいたします。本日の下り電車は運休とさせていただきます。本日は大変ご迷惑を…』

 なん…だと…?

 ざわついていた周囲の人間の間で罵声が飛び交う。

 しかし、あたしにその声は一切届いていなかった。

 …まずい。本格的に帰れなくなってきた。




 正直に告白しよう。

 待っていれば、いつかは動くと思っていた。ベンチで寝ることを考えながらも、本当にそんな状況にはなるはずがないと心のどこかで思っていた。

 バスはどこか発生した交通事故による渋滞に巻き込まれたらしく戻ってこない。それがなくとも、懸命に駅間を移動するバスは、臨時で動かしても台数が足りておらず、とても期待できる状態じゃない。

 野宿を回避するには…お金だ。お金がまず必要だ。

 電車とバスが動かない以上、タクシーで帰る他手段はない。しかし、あたしの財布にそんな余裕はなく、家に帰っても誰もないから代わりに料金を払ってくれる人もいない。

 手っ取り早く、何も持っていない状態からお金を稼ぐ方法。しかもこの状況で今日中に稼ぐ方法となると…。

「…」

 あたしはタクシーを待っているサラリーマンの背中をじっと見つめる。…あの人も今日は帰るに帰れなくてストレスが溜まっているに違いない。

 そして、人間は溜まった精神的な圧力を発散させたくなる生き物。

 ということは、あの人のストレスを発散させるようなサービスをすれば、代わりにお金を貰っても別に何の問題もないはずだ。

 …ストレスの発散、か。殴られ屋とか…? 防具をつけていない状況でぶたれるなんて何年振りか分からないが、特別な技能が必要なさそうで、しかもお金が貰えそうだ。ただ、この場でその商売をしたらほぼ確実に駅員が飛んでくるだろう。ただでさえ雰囲気がピリピリしているのに。この案はダメそう。

 そういえば、適度な運動はストレスの発散になる。…運動か。この場でできる運動…ダメだ。全然思いつかない。

 あたしには人一人の精神状態を改善させることすらできないのか…あー、ダメだ。お金を用意するのは無理そう。もうツケが利くタクシー業者とかいないのか。

 ツケ払いOKと書かれているタクシーを探していると、若い2人組みの男女が抱き合っているのが見えた。…この状況であんなイチャイチャしちゃってまぁ…。見せ付けられる独り身の気分ってのを分かってないのかしら。

 そんな彼らを見て、ふと、あることを思いつく。

 …あ、ストレスの発散って、ああいうのも有効かな。それとも異性と接触するって逆にストレスなのかな。まぁ触れていると幸せな気分になるって、漫画に書いてあったから多分プラスの行為だろう。

 えっと、そうなると抱き締めたり抱き締められたりするのも商売として成り立つわけか…抱かれ屋?

 ………。

 ……。

 …。

 …えっ、援助交際じゃないか!

 ダメだ、ダメダメ! 冷静になれ、あたし!

 そもそもお金が必要なのは野宿を回避するためだ! そんなことするんだったら野宿の方がマシって行為が選択肢に含まれてはいけない!

「はぁ…」

 あたしは溜息と共に携帯電話を取り出して、助けてくれそうな友達を探す。そうは言っても、どこに住んでいるのかも分からない友達ばかりだけれど。

 ポチポチと型番が数年前の携帯電話を操作していると、ある名前に目が留まった。

 “中林 健吾”。

 …そういえば、あいつ何してるかな。

 あたしは去年の部下仲間のことを思い出して、少し気分が落ち込む。今更あたしが助けを求めたところで、あいつは助けてはくれないだろう。喧嘩して以来、会ってない。学校で会っても挨拶もしなくなってしまった。

 次に登録してあるのは、藤林 武彦。今の部活に入部した時に、「何かあったら連絡して」と渡された番号。まだ一度も使ったことはいない。あの優しげな丸顔を思い出して、電話をしてみようかと考える。藤林なら助けてくれるかもしれない。

 発信ボタンを押そうとしたところで、あたしはついと指を止めた。

 何故あたしは健吾ではなく、藤林を頼ろうとしたのか。藤林も同学年とはいえ、健吾はあたしの幼馴染でずっと長い時間を一緒に過ごしてきたのに。

 2つの名前を見比べて、そこに感じる印象の違いに戸惑う。

 …あたしは今、演劇部で楽しくやっている。まだまだ自信が足りなくて劇には出ていないけれど、楽しくて優しくて頼もしい仲間に出会った。

 でもそれは、昔の仲間を裏切る行為ではないのか。

 入部してから、ずっとそんな罪悪感が心の隅に巣食っていた。

 あたしは健吾にあんな酷いことを言ったのに、剣道部のためにとか何とか言って、健吾を傷つけてしまったのに、あたしは今、剣道部を捨てて、幸せなのだ。

「っ…」

 スカートに雨粒が落ちる。

 怖い。健吾に会うのも、過去を捨てて今に幸せを感じている自分も、今日これからどうなるのかも。

 あたしは、携帯電話の電源を落として、それを閉じた。

 雨音が、少しだけ強くなった気がした。




『もしもし? 由美ちゃん? こんな時間にどうしたの?』

「…ちょっと、困っているの。助けて欲しい」

『助けてって…何か、あったの…?』

「…今晩、泊めてくれない?」

『泊めてって…あぁ、雨で電車止まっちゃったみたいだからね。いいよ、どこにいるの?』

「…外。あなたの家の前」

『迎えに…え? うちの前?』

 オシャレな新築の一軒家。その道路に面している側の窓の1つ、そこのカーテンが開かれた。…鈴の部屋はあそこだったか。家の場はどうやら記憶通りだったらしい。

 人影がこちらを窺っているのが分かるが、生憎逆光で碌に見えない。多分向こうからも暗い路地に誰がいるかなど分からないだろう。

 しかしすぐにその人影は消えて、代わりに玄関のドアが開いた。

「由美ちゃん!」

「…鈴」

「とっ、とにかく中に入って! 風邪引いちゃうから!」

 雨に濡れることも厭わずに鈴が玄関を飛び出して、慌ててあたしの手を引いて玄関に引き込む。

「今タオル持ってくるから、待ってて!」

 鈴がサンダルを脱いで廊下を駆ける。

 あたしは言われた通りに玄関で待っていた。…鈴に迷惑をかけてしまった。どうしよう。帰ろうかな。

 ポタポタと玄関に滴って汚していく水滴が、他人のことをまるで考えていない自分のようで、どうしようもなく悲しくなった。

「…お姉ちゃん、誰か来たのー? って、うわっ」

 リビングに繋がる扉から中学生くらいの女の子が出てくる。…あぁ、一度会ったことがある。鈴の妹だ。

「こっ、こんばんは…」

「…おじゃまします」

 あたしが挨拶を返すと、妹さんはすごすごとリビングへと戻っていった。

 そこに鈴が戻ってくる。

「えっと、とりあえず頭拭くよ? 髪下ろしても大丈夫だよね」

 あたしが何か言う前に、鈴はヘアゴムを外してすっかり濡れてしまった髪を下ろす。玄関の段差は30cmほどあって、一段低い場所にいるあたしの頭は背の低い鈴でも届いた。

 頭の次は体をさっと拭かれる。服の中までびしょびしょなので、あまり意味がなかったようだが。

「はい、靴脱いで。…もう、どうして傘も差さずにあのどしゃ降りの中を歩こうと思えるの?」

「…ごめんなさい…」

「靴下脱がすよ? …よし、お風呂誰も入ってないから入ってね。あ、お風呂場はね、こっち」

 鈴に導かれるままにお風呂場まで移動すると、彼女はこちらを振り返る。

「…」

「…」

 じっとあたしの顔を見る鈴。

 彼女はしばらくそうしていたが、唐突に服を脱ぎ始めた。

「私もお風呂まだなんだ。一緒に入ろ」




「えへへ、何だか昔を思い出すよ」

 一緒にバスタブに浸かりながら、鈴がそんなことを言い出す。

「昔は絵美里ともこうしてお風呂に入ってたんだけど、最近は入らないからね。誰かとお風呂なんて久しぶり」

 笑顔の鈴と、お湯の温かさを感じて、冷えていた体がじんわりと熱を取り戻していく。

「…絵美里って、妹さんのこと?」

「うん。前に来た時会ったよね。…あ、今日はパパがいるけど、あんまり気にしなくてもいいよ。もうお酒飲んでるから機嫌いいし」

 その後も家族のあれこれを楽しそうにあたしに聞かせる鈴。特別彼女が家族と仲がいいと思ったことがなかったが、とても仲がいいようだ。

 そうやって話している声が聞こえたのか、脱衣所のドアに誰かの人影が映る。

「…鈴? 誰かと一緒なの?」

「あ、ママ。うん。由美ちゃんと一緒」

「そう、じゃあ着替え持ってくるね」

 そう言って人影は脱衣所から出て行った。どうやら彼女は鈴のお母さんだったようだ。

「…ごめんなさい。こんなに、良くしてもらって…」

「ううん。いいよ。どうせ私の身長が伸びたら着ようと思って買った服なんてたくさんあるし」

「それだけじゃない…急に押しかけて、泊めさせろだなんて、厚かましいにもほどが…」

「私は嬉しいよ。由美ちゃんに頼ってもらえて。…だから、そんなに自分を責めないで?」

 鈴の言葉に、あたしは軽く首を振った。

「…誰を、頼ったらいいか、分からなくなってしまったの…藤林や春日井と同じで部員だけれど、鈴はクラスメイトだから、不思議じゃなくて、だから頼っていいなんて、言い訳して…」

「うん…」

 支離滅裂な言葉を、鈴はじっと聞いてくれる。

 …止めて。違う。あたしはこんなに優しくされていい人間じゃない…。

「健吾にっ…ひどいっ、事…言ったのに、あたしは剣道を捨てて、演劇部で楽しんでる…」

「それは…」

「こんなっ、こんなのってない! あたしはどうなっても剣道を続けなきゃならなかった! そうじゃないと健吾に合わせる顔がない…剣道部のためとか言って、あんなに残酷なことを言ってしまったのに、あたしは剣道を捨てて…」

 ザバッとお風呂が波打って、鈴の柔らかな肌があたしの冷えた体と重なる。

 鈴はそのまま腕に力を込めると、耳元でささやいた。

「…ごめんね。私、気付いてなかったよ。由美ちゃんがどれだけ苦しんでるのか。何に苦しんでいるのかを知ってたのに、それがどれだけつらい物なのか分かってなかった」

「っ…」

「ありがとう、話してくれて。でも、もっと頼ってくれていいんだよ」

「あたしは、今の仲間を頼るってことは…」

「ううん。部員とか、今とか、昔とか関係ない。私は由美ちゃんの友達、だよ。…そう思ってくれたから、私の家まで来てくれたんだよね?」

「とも…だち…」

「うん、友達。もしも第2演劇部がなくても、剣道部がどうなっていても、私は由美ちゃんの味方だよ」

 鈴はその日、ずっとあたしのそばを離れることはなかった。



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