そっちは随分白熱していたようね
雨音は益々勢いを増し、雨粒が部屋の中に飛び込まんばかりに窓を叩く。
暗い空に風も強くなってきている。この調子ではまだまだ電車は動かないだろう。
今は午後8時。母さんは結局職場の近くのホテルに宿泊することになったようだ。姉貴がさっき電話で話していた。
俺は大きく息を吐き出すと、目の前に広がる惨状をかつ目した。
緑色の盤面が黒く染まっている。
俺が石を置く場所はない。
更に盤面が黒に染まる。
俺の石はまだ置く場所がない。
「…佑介」
「何?」
黒い石を淡々と置いていく親友の顔は、能面のように無表情だ。…もう今日は色々ありすぎてパンクしているのかもしれないな。
「さっきのボンビーのこと怒ってんのか…?」
「別に」
結局それ以降俺が白い石を置くことはなく、盤面の8割近くが黒く染まっていた。俺はリバーシに限らず、この手の運が介在しないボードゲームでは佑介に勝てない。ちなみにポーカーやこいこいでは佑介にはほぼ負けない。…麻雀なら勝てるかしら。
「…今夜は久しぶりに万次の部屋で寝ることになりそうだね」
「そうだな」
もう勝負の付いた盤から石を取ってケースに入れながら、風呂場から聞こえてくる楽しげな声に耳を傾ける。我が家の広いとはいえない風呂では現在、美少女2人、姉貴1人が入浴中だ。姉が無理を言ったようで申し訳ないが、部長が楽しそうで何よりです。もう1人の美少女、梔子の声は、何だか抵抗するような響きのものしか聞こえてこないが。
…姉貴が何かしているのでは。
…。
……。
………。
いかんな。妙な妄想は止めよう。このままでは佑介の仲間入りをしてしまう。俺には別に百合趣味などないのだ。
俺は深呼吸をしてリバーシの石をケースに詰め込む作業に没頭する。1枚ずつ丁寧にやろう。とにかく、何かしてないと落ち着かない。
正面にいる佑介も同じことを思っていたのか、天井を見つめながら静かに呟いた。
「ねぇ、万次」
「何だ」
「さっきからさ…何かこう、胸がドキドキして仕方ないんだけど…」
「奇遇だな。俺も今、あの素っ気無いはずの風呂場が気になって仕方ない」
佑介は無表情のままリバーシの石を指でトスしている。仕方ないよな。姉貴はともかく、自分が普段よく使う風呂に美少女が入っているというだけでも緊張するのに、この後1つ屋根の下で寝ることになるなんて緊張しない方がどうかしている。寝る部屋は流石に違うんだけどな。
「端的に言って、覗きたい。普段万里さんのお風呂なんてそんなこと考えないのに、3人で入っているってだけでまったく違う存在になっている気がする」
「もうすでに、今夜眠れる気がしないわ…徹夜でゲームでもするか?」
「今夜は寝かせないぜ? とかそういうノリ?」
「お前相手に言うかよ」
「2人には言うんだ?」
「…台詞はともかく、行為自体はしたい」
「正直で好感が持てるけど、いくら僕が美男子だからって、僕に変な事しないでよ?」
「お前が美少女だったら、多分中学くらいで我慢できなくなってるな」
「…そういえば、避妊具は万里さんが持ってるだろうから人間関係以外は問題ないよね」
「そういうこと言うなよ。本気にするぞ」
「本気になるのはいいけど…酷いことしないでよ?」
「それは…まぁ、分かってる。…というか、しないって」
リバーシのセットを片付けながら佑介と会話をする。…今日、こいつと寝るんだよな。今夜に限って言えば、お互いに1人になりたいと思っているに違いない。佑介は部長と梔子が同じ場所で泊まるというシチュエーションが、俺は自宅に家族以外の女の子を泊めるという状況が、それぞれ妄想を加速させる。
…ぶっちゃけ、むらむらしている。性的な意味で。
これはもう性欲の処理を行う以外にこの甘い苦しみから逃れる術はない。しかし、今晩は佑介と2人で同じ部屋で寝ることになるから、それも難しい。
佑介が1人になるのは早くて明日の昼ごろ。俺は明日も補習に出かけるのでそれが終わってから。その頃にはもう落ち着いているかもしれないが、今晩はこの興奮から醒めることはないかもしれない。
「お前と一緒じゃ流石にできないしなぁ…」
「…僕は万次としてもいい気がするけど、万次が隣にいる状況で興奮できるかが問題。多分無理だね」
俺とするってなんだよ。2人で一緒にって意味だよな? 2人で1つにって意味じゃないよな? いや、心情的にはどっちも大差ないけど。
「やっぱ、気を紛らわせるしかないな」
俺はテーブルの隅に置いてあった新聞を手に取って、一番後ろの番組表を見る。夏休み特番とかなんか面白そうなのやってないのか。えっと、クイズ番組、衝撃映像、…あ、この前梔子と見た映画と、同じ人が監督をやっている映画が地上波で放送されるらしい。いつもならボロボロ泣きながら見るけど、今晩は部長がいるので却下。
他には面白そうな番組はない。
「…ゲームでもやるか。なるべく激しいのやろう。集中するほど気が紛れる」
「賛成。僕、音だけでそろそろ起ちそう」
「…それはねぇわ」
「ありがとう。その言葉で下半身が冷静になってくれた」
『You are winner!』
『いっただっきまー…じゃなかった! 危ない危ない…』
「っだー! 負けた。…お前やっぱ、カーニー使ってる方が強いぞ」
「そうかな。ミゾレの方が使いやすいんだけど」
綺麗にしゃがみ蹴りが入って決着した画面を見ながら、佑介に率直な感想を述べる。まぁ、カーニーよりはミゾレの方が可愛いけどな。
俺たちがプレイしているのは『沙羅双樹』という若干人気2D格闘ゲームの第3作目、その名も『沙羅双樹 参』。プレイアブルキャラは総勢27名。キャラの強さのバランスを崩しがちなシステムを色々実装している、盛者必衰の格闘ゲーム。
初代アーケード版ではあまりにキャラの相性が強く出るので、ゲーマーの間では金を払ってジャンケンするようなものとまで言われていた。2代目と3代目も、キャラではなくプレイヤーがシステムをどの程度使いこなせるかで勝敗が決まるので、前作の強者が今作の弱者になるなんてことがあって、まさに盛者必衰の理を表している。
俺と佑介は、このゲームを2作目からプレイしていた。ストーリー性、というかキャラ同士の掛け合いが多い作品なので、最初はとっつきにくかったのだが、今ではそこそこのファンである。多分、設定とか完璧に理解してる勢。
「うーん…ハイビーでも使おうかな。見た目だけは好きなんだけど、補正強過ぎてコンボ火力低くなりがちなんだよね」
「ハイビーは俺が唯一400コンボ超えるキャラだからな。あれでコンボ補正入らなかったら紛れもなく最強キャラだぞ。あと、拘束力強過ぎてうざいから止めろ」
俺がレイピアを持った司祭の男を選択して、コントローラーを手放す。結局、佑介は悩みに悩んだ上で、ハイビーでもカーニーでもないキャラクターを選択した。
さて、ステージを自動選択にして、試合開始だ。
「ファンを使っている限り、ヨーボクには負ける気がしないな」
「ファンとヨーボクって2作目はアレだったけど、3作目は言うほど相性悪くないんだよ?」
「知ってる。でも設定から考えると、相性は最悪だろう。ストーリーでも勝っても負け確定だし」
俺が無駄話をしながら試合開始直後にバックステップをすると、それを読んでいた佑介が発動の遅い遠距離技を繰り出した。
当然のようにガードをして佑介の中距離コンボをしのぐ。
しかし、悪くない距離だ。この距離はこっちの最速レイピアが刺さるし、向こうの中距離技は発動が遅く、判定もくせが強くて扱いにくい。
「…最初の行動読んでたんだけど、ここからどうするのか考えてなかった」
「むしろお前も距離取った方が良かったんじゃないのか?」
攻守逆転して一方的に攻める俺のキャラクターの挙動に合わせて、上下ガードを使い分ける佑介。
『光よ! 連撃です。はぁ! 耐えられますか? 上ですよ? 連撃です。耐えられっぐはっ』
調子に乗って攻めていたら、隙を突かれて無敵時間の長い技で反撃される。しかし佑介もここからコンボを繋ぐのは無理だろう。受身を取って開いてしまった距離をつめる。
「っ…蹲っていればいいものを」
「そんなわけにいくかよ」
設置技をしかけていた佑介を、出の早い攻撃で止める。ちょっと迂闊だったんじゃないのー? レイピアで刺して、浄化の光で焼く。このラウンドはもらったぜ!
『耐えられますか? 上ですよ? 光よ!』
「お? 入るか?」
ピキーンと画面が暗転して、司祭が持っている聖書がパラパラと捲れる。
『悪しき者に断罪を!』
光の柱が佑介のキャラクターを貫く。よし、綺麗に入った。
「うわ…万次手加減してよ」
「さっきの勝負では僅差で負けたから、今回容赦しないぞ」
ゲージ技ぶち込んだ結果、佑介の体力はもう一度同じコンボを決めればギリギリ死ぬところまで減った。対して俺は牽制技を一発もらっただけだ。
「うわ、死ぬよー。蜘蛛の巣張らないと死んじゃうよー」
…まだ負ける気はなさそうだな。ここまで不利なら1ラウンドくらい落としてもいいと思う。こいつ言動に出ないだけで負けず嫌いだからなぁ。
受身を取った佑介は、設置技を使ってこちらの接近を阻止する。…あ、まずい。この展開はまずい。こいつ魔法使えるくせに遠距離技がないんだよ。得意な中距離で相手を圧倒しないと死ぬ。
『ひれ伏しなさい!』
「…やっぱ届かないよなぁ」
あわよくば本体にも当たるかと思って、リーチの長い攻撃を使う。こちらからの攻撃で設置技を解除して特攻を仕掛けるが、時既に遅し。
「反撃じゃー」
『お願いっ。消えて。ダメね。これでっ! ここかしら…?』
滞空時間の長い飛び道具のオンパレード。ろくに接近できない。だーっ! 蜂と蝶がうっとうしい!
「あれ? スティールのコマンドってこうだっけ」
「遠距離投げとかやめろ、マジで」
佑介の不穏な言葉通りに巨大な蚊が飛んで来て、俺のキャラに太い口が刺さる。これガードできないのダメだと思う。ただでさえあのキャラ遠距離で固めるの簡単なのに…。
このまま遠距離からこの戦法続けられるとネガティブペナルティでかなり危ないことになりそうだ。しかし、佑介は俺の心配とは全く別の行動をとった。
「ここから拾える!」
「アホか」
無謀にも接近してきた佑介を出の早い小技で足止めして、華麗にコンボを決める。うっひゃっひゃ、バカめ! 接近すればこっちのもんじゃらほい!
でも、このコンボルートじゃ流石に削り切るのは無理そうだなー、なんて思っていると、コンボに組み込んでいた昇竜が外れる。…えっ?
「あ」
ピキーン。
まるで狙っていたかのように画面が暗転する。それと同時にとんでもない量の黒いイナゴが地面から噴出す。このイナゴは例え雪国の冬だろうと、火山の溶岩の中からだろうと現れるスゴイ奴。まぁ、空中で畳を召喚できるあいつには負けるが。
『さぁ、ご飯の時間よ』
『Counter!』
「やべっ」
ゲージ技って、コンボよりもこういう使い方の方が威力高くて気持ちいいよな。ゴリゴリと減っていくHPバーを見ながら若干現実逃避する。
カウンターで当たってるから着地するまで受身は取れない。困った。非常に困った。
空中で蜂が刺さり、トンボが刺さり、本体のひ弱そうなパンチが当たる。…コンボ上手いなこいつ!
着地したところにも蜘蛛の巣の罠が仕掛けてあり、更にムカデに噛まれて毒状態になる。…あそこで外した自分を呪いたい。
一気に体力は減ってしまい、勝負はまだまだ分からない。こうなると集中力がものを言うようになってくる。いや、格闘ゲームって最初から最後までそういうゲームだけど。
一度のミスが勝敗を決める。
佑介は接近してくることもなく、後退しながら様子を見ている。あのキャラの遠距離攻撃は滞空時間が長い代わりに隙が大きい。この場面では使うのが躊躇されるのだろう。対して俺もこの中途半端な距離では攻めづらい。
…どちらにしろ接近しなければ勝てない。
俺はダッシュで距離を詰めた。
「コントローラーがベタベタなるいい試合だったぜ…」
「くそぅ…あそこで中段見逃した自分が悔しくて仕方ない…」
手に汗握るいい試合だった。久しぶりにこんなに緊張して、しかも最後に勝つという気持ちいい体験をした。これだから格闘ゲームは止められない。
集中しまくった上に、佑介が若干落ち込み気味なのでいったん休憩にする。
そこで振り返った俺は、白い影がこちらをじっと見ていることに気がついた。
「うぉっ!?」
「わぁっ!」
「…何?」
何だ、梔子か。何かと…いや正直に言うと、お化けかと思った。
姉貴のスエットを着ている彼女を落ち着いて見でみると、なんというか新鮮な感じがする。そういえば制服以外を着ている彼女を実際に見るのは初めてだ。写真では何か高そうな私服を着ていて可愛かったが、姉貴のスエットだと別に可愛いとは感じない。オシャレって大事。
「も、もう風呂済んだのか?」
「ええ。…そっちは随分白熱していたようね」
「まぁね。お互いに下手の横好きだし。同じくらいの実力だとつい熱くなっちゃうよね」
「そう」
そういえば、部長はどうしたんだ? 一緒に上がらなかったのかな。…あ、いや、違う。着替えだ。着替えがないんだ。
流石に部長サイズの服なんてうちにないぞ。梔子でさえ姉貴のスエットが若干大きめなのに、部長が着たら何かもうダボダボの可愛い生き物になってしまう。ついでに首元からいけないものがチラチラしそうな気がする。
…見たい、と思えなくなっている辺り、俺も成長している気がする。もしくはあの体験がトラウマになっているのかどちらか。
「それ、もうやらないの?」
俺があらぬ妄想をしているところに、梔子の声がかかる。彼女はそのしなやかな指で、起動しっぱなしになっているゲーム機を指した。
「あぁ、ちょっと休憩しようかと思って…」
「借りるわ」
「え?」
梔子は鞄から取り出したメガネをかけながら、そう言った。




