親に言い辛いしね
家に帰ると、当然のように佑介がダイニングでくつろいでいた。それはもうまるで我が家にいるかのようにくつろいでいる。
母さんが佑介に留守番を頼むのは珍しくないのだが、今日だけはいないで欲しかった。いや、予想はしてたんだけど。
「あ、万次おかえりー。梔子さんと部長もいらっしゃい」
「…おう」
「お邪魔します…?」
「え? ここって誰んち?」
四十万が入り込んでいるだけで、この家は木庭家の持ち家です。
とりあえず2人をダイニングに通す。佑介が昼食はどうのと聞いてきたので、急に腹が減ってしまう。補習と、部長との会話と、数学の特別講習会と色々とあったせいで昼飯を食べてなかった。佑介はキッチンに立って、何やらきゅうりを切り始めた。
きゅうりは浅漬けが美味いと思う。
「…なぁ、これを聞くの、ずっとためらってたんだけど…」
部長が声を潜めながらそんなことを言う。聞かなくても、彼女が何を言いたいのか分かった気がするが、一応聞いておく。
「お前ら、結婚してんの?」
「…色々とすっ飛ばしてるのは気のせいっすか?」
ある程度予想通りの内容だったが、表現は想像を超えていた。日本では同性婚は認められていません。佑介と結婚するくらいなら、鈴先輩にプロポーズして振られる方を選ぶぞ。…それ結局佑介と結婚しそうだな。
「…色々と噂になってたし…」
「噂は噂っすよ。第2演劇部だってあんな噂があったのに、翼先輩しか不良はいないし、かつあげももっと酷いこともされないっすからね」
ふと入学直後のことを思い出す。あの頃は梔子と積極的に関わろうとも、第2演劇部がこれほどまでに居心地の場所だとも思っていなかった。あれからもう3ヶ月近く経つんだな…。
光陰矢のごとしだ。
「翼も別に不良じゃないだろう。校則守らないだけで、クソ真面目だし」
ケロケロと笑う部長。あなたももう少し真面目になってくれれば、タケちゃん先輩の負担も減るのですが…。
それから部長と他愛ない話をしながらダイニングでくつろいでいると、キッチンの方から佑介が俺を呼ぶ声が聞こえた。
「もう、万次。この暑い中歩いてきたなら、2人にお茶くらい出したらどうなのさ」
「え? あぁ…何にも考えてなかった」
俺は椅子から立ち上がって、佑介から盆を受け取る。…麦茶か。夏っぽいよな。別に冬に飲んでもいいんだろうけど、我が家では夏場しか作らない。
佑介は麦茶をじっと見ていた俺を見て、突然笑い始めた。…あぁ、今日は部長と梔子が一緒にいるからな。機嫌がいいわけか。気持ち悪い。
テーブルに麦茶を運んで、テーブルで待っていた2人に差し出す。
「…ありがとう」
「あぁ、どういたしまして」
俺も座って麦茶を飲む。それと同時に扉が開く。
そして、口に含んだ麦茶を吐き出すかと思った。
「…あれ? 何か女の子がいる…」
姉貴だ。昨日は夜中の3時過ぎに帰ってきた姉貴が約12時間の睡眠を経てついに覚醒した。
…頼むから変な事は言わないでくれよ…。
佑介が姉貴に2人を紹介すると、部長が優雅な所作で立ち上がった。…部長?
「お邪魔してます。2年の春日井 遥です」
…一瞬誰かと思った。
席を立って礼儀正しく一礼する部長からは、いつものズボラさが一寸も感じられない。俺は驚きながらも、背後から聞こえる湯きりの音に、腹を減らす。めっちゃ腹減った。
「…万次君と同級生の、梔子です」
水の音を聞きながら、昼飯の完成を今か今かと待つ。そんな俺を他所に、姉貴が軽く頭を下げた。
「ご丁寧にどうも。えっと、大学生の木庭 万里です。万次の姉です。今は大学生で、万次の姉…言ったっけ?」
「万里さん寝ぼけてる? シャワー浴びてきたのに目が覚めてないのかな」
「姉貴…俺、何か今無性に恥ずかしいんだけど…」
キッチンへと向かった姉貴。その背中を見てから、俺は部長に頭を下げた。
「すみません、部長。うちの姉貴変な人で…」
「そうか? あんまりそんな風には見えないけど」
あ、そういえばこの人も変な人だった。
佑介が俺の総資産額と同じくらいの借金を背負っている間に、日は沈み夕食の時間が近づいてきていた。といっても、ついさっき昼食を取ったばかりだから腹は空かない。
俺は夕食どうしようかなと考えながら、玄関で靴を履く梔子と部長を見ていた。今日は姉貴のせいで色々と迷惑をかけたので、その内何かお詫びをしなければならないな…。
件の姉は、俺の背中でブーブー言っている。
「えー? もう帰っちゃうの? 佑介くんは泊まっていくのに…」
「あはは。また機会があればその時に」
部長が立ち上がってそんなことを言う。止めた方がいいですよ、この人本気にしますから。
挨拶をして扉から出て行く2人を追って、俺も靴を履いて外に出る。とりあえず駅までは送ろう。外暗くなってきてるし。
そんなことを考えて、2人に声をかけようとしたその時。
空が白く輝き、轟音が鳴り響いた!
「っ…!」
「…びっくりした。どっかに落ちた…?」
雷だ。この大きな音は、どこか近くに落ちたのかも知れない。
俺は暗い空を見上げて、異変がないかを探す。当然、雷が落ちた場所は分からなかった。…暗くてよく分からないが、これ曇っているのか。雨が降り出す前に駅まで送らないといけないな。
「雷ってちょっとテンション上がるよな」
「子供っすか…」
はしゃぐ部長を他所に、俺は一応傘を3本玄関の傘立てから持ってくる。急ぐつもりではあるけど、途中で雨が降るかもしれないからな。
そして、蹲っている梔子を見つけた。
「…梔子?」
「…だ、大丈夫よ」
彼女はそう言いつつも、おずおずと立ち上がる。…もしかして、雷が怖いのか?
俺は梔子の背中を押して家の門を通り抜ける。空が光を放ちながらゴロゴロと大きな音を立てる度に、梔子の背中はビクッと震える。…怖いんだな。
「何だよ、夢見。お前雷怖いのか?」
前を歩いていた部長が、ニヤニヤと笑いながら振り返る。
「こ、怖くないです。その…ちょっと眩しいと思っただけで…」
「ほー。怖いんだったら、手でも繋いでやろうかと思ったけど、その必要もなさそうだなぁ」
「ひ、必要ありません!」
そう言いながらも、梔子の歩行スピードはいつもよりもずっと遅いままだった。…まぁ、雷は別としても今、かなり暗いしな。
俺は、梔子の左手をそっと握る。
「うひゃぁ!? 何!? なに?!」
「暗いから1人で歩くと危ないぞ」
「ぇっ、ぅ、ぁ…ぅん…」
ゴロゴロと音を立てる空を見上げながら、夜道を歩く。…手、柔らかい。何これ。普段何してるとこんなんなるの? 柔軟剤は何使ってますか?
「…」
「お熱いねぇ。お2人さん」
「部長も繋ぎますか?」
「両手に花なんてお前にゃ早い」
「…で、何で3人で戻ってきたの?」
佑介からタオルを受け取って、ぐちゃぐちゃに濡れた脚を拭く。傘持っていかなかったら風邪引いてたかもな。靴下までびちゃびちゃで気持ち悪ぃ…。
「ああ、電車が止まってた」
「なるほど、今風すごいもんね」
佑介が下駄箱に寄りかかりながらそんなことを言う。確かに今の暴風雨の中、電車は動かなかったかもしれないけど、電車が止まっていた原因は他にある。
「いや、そうじゃなくてさ、さっき雷落ちただろ? あれ、電車に直撃だったらしい」
「…え?」
「んで、電車は線路の上で立ち往生。復旧の見通しは立ってないとかだから、とりあえず俺んちに避難しにきた」
ふぃー…とんでもない目に遭った。紳士ぶって見送りなんてするんじゃなかった。家の中でも雨が激しく窓に叩きつけられる音が響いている。大体、何で急に雷落ちるかね。さっきまで雨も降ってなかったのに。
俺がダイニングに足を踏み入れると、姉貴がスマートフォンで何かを見てる。後ろから画面を覗くと、列車の運行状況が表示されていた。
「うーん…こりゃお母さん帰って来れないかもなぁ」
「親父は? 今日は車で出勤してたじゃん」
「出張中でまだ帰ってこないんだって。家族で唯一雨雲の外にいるよ」
そりゃまた大変だこと。母さんが帰ってこないなら、何か夕食を作らないと…いや、もう今日は食べなくていいか。
「こりゃ電車は動いても夜中ね。帰宅ラッシュにどんぴしゃだから、鉄道会社に非難轟々だろうなぁ」
姉貴の話を聞きながら、冷蔵庫から牛乳を取り出してマグカップに注ぐ。…姉貴がぐびぐび飲んだから2人分しかねぇわ。仕方ないので俺はカップを2つ電子レンジに放り込むと、スタートボタンを押した。
それとほぼ同時に、タオルで髪の毛を拭きながらダイニングに入ってくる影。梔子だ。その後ろでは部長がどこかに電話をかけている。
3人の中で、一番雨に濡れたのは梔子だった。日傘使いベテランのくせに、雨傘の使い方は下手だった。どうやったら傘を差しながら頭の上まで濡らす事ができるのか。
「2人ともどうするの? うちに泊まってってもいいよ。丁度よくお母さんとお父さんがいないから、寝床は人数分あるし」
姉貴の提案に、梔子は首を横に振った。
「いえ、車を呼ぼうと思っています」
「そっかそっか。まぁ、男の子の家にお泊りって、親に言い辛いしね」
ピーッピーッと調理完了を知らせる電子レンジの口を開けて、中からマグカップを2つ取り出す。俺はテーブルにそれらを置いた。角砂糖のビンも同じ場所に置いて、梔子に着席するように促した。
「ま、これでも飲んでゆっくり待ってるんだな。…ところで、部長はどこに連絡取ってんの?」
「どうにか帰る手段がないか母親に聞いているみたい。共働きで両親が家にいらっしゃらないそうよ」
ほー。部長の親は共働きか。アメリカ人とドイツ人ってことしか聞いたことがないので初耳だ。…電話の言葉は日本語だな。
梔子は角砂糖を2つマグカップに入れて、ティースプーンで中身をかき混ぜる。俺はスティックシュガーの方が溶かしやすくて好きなのだが、我が家では父親の趣味で角砂糖が主流だ。味なんてどうせ変わらないんだから、便利な方使えばいいのに。父曰く、風味が違うのだとか。…知ったかぶりではないだろうか。
「…ダメかー。夢見。乗せてって」
通話を終えた部長が席に座りながらそんなことを言う。少し多めに砂糖を加えた梔子とは違って、部長は砂糖をまったく入れずにホットミルクを口へと運ぶ。
見た目とは裏腹に、部長の食の趣味は色々と渋い。
紅茶よりも緑茶や烏龍茶が好きだし、刺身のツマとか、付け合せのパセリなんかを喜んで食べるらしい。渋いというか、そこまでいくと変人の領域な気がしてならないが、好きらしい。
「構いませんよ。では、電話してきますね」
梔子は電話をかけるためにダイニングを後にする。…あいつが家族と話しているところなんて想像付かないな。
ザァザァと降り注ぐ雨音にかき消されて、すぐそこの廊下で電話しているであろう梔子の声は聞こえてこない。この雨じゃ運転も大変だろうな。免許とってもこんな日は運転したくない。
「…雨の日、止まる交通手段、絶海の孤島…大雪のペンション並みに殺人事件が起きるわね」
「孤島どっから来たんだよ…」
自分の家を勝手に絶海の孤島にされてはたまった物ではない。それにこの場にいないのは佑介と梔子だけだ。片方が死んだら犯人確定じゃないか。
「殺人といえば、最近は殺人事件のニュースを聞いてシュンちゃんを思い出すこともなくなってきたわね」
「…佑介の前で言うなよ。未だに引きずってんだから」
「分かってるわよ」
スマホを弄りながら、窓の外をじっと見つめる姉貴。…幼馴染、しかも同い年の女の子が殺されたって、どんな気分だったんだろうな。まぁ、シュンちゃんは姉貴よりも俺と佑介と仲が良かった変な奴だったし、姉貴はむしろ俺の心配をしていたような印象がある。
「…あ、そういえば部長には言ってなかったっすね」
俺はホットミルクとずびずびと飲み干す美少女に向き直る。あの話は梔子にしかしていない。今思えばあの時は、随分と淡々と語っていた。少なくとも、面白くはなかっただろうな。
部長が片目だけで俺を見つめる。
「…アルバムに写ってた女の子か?」
「気付いてたんすか」
いや、佑介があれだけ動揺してればアルバムに何かあると思うのは当然か。
「まぁ、佑介にとっては初恋の相手だったっすからね。今は覚えてても、あと数年、あれから10年も経てば嫌でも忘れてくるでしょうよ」
忘れても、立ち直るとは限らないけれど。
最後の一言を飲み込んだのは、件の佑介が扉を開けたからだった。
「いやー、スゴイ雨だね。僕も荷物取りに帰れないや」
「夕立だからその内止むんじゃない? 止まなくても、万次の服でいいでしょ」
「万次のじゃサイズが合わないんだよ」
佑介は俺の隣に腰を下ろすと、ちょんちょんと袖を引っ張る。まさか、さっきの話聞いてたとか、そういうことを伝えようとしているのか? …まぁ、聞かれても困りはしないんだけど。
しかし、佑介の耳打ちは俺の予想とはまったく違っていた。
「…梔子さんが廊下で呼んでる」
…え? なんでこの内容で小声なんだ? 極秘に会いたいってこと?
何やら分からないが、秘密にしたい事情があるらしいので、怪しまれないように佑介に返事をせずに立ち上がる。さもトイレにでも行くかのように立ち去ってやろう。
…あ、別に梔子が便器とかそういう意味じゃなくてね?
暗い廊下に出ると、梔子がスマホの画面をじっと見つめていた。…通話が終了したことを伝える表示が出ているだけだ。通話相手は“自宅”とだけ書かれている。
「…何か呼んだか?」
「…うん…」
梔子がゆらりとこちらに向き直る。その瞳は虚ろで、彼女はいつも以上に危なげな雰囲気をかもし出していた。
俺は知らずの内に拳を握り、喉を鳴らす。
そして、梔子がゆっくりと、その口を開いた。
「…車が、出せないって…」
「え? あ、何だそんなこと…………え?」
俺はその言葉が意味することを知って、その場に固まった。




