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第七章 此方の余白

志帆は翌日、勝彦に頼んで古地図をもう一度見せてもらった。明治期の略図、昭和初期の集落図、戦後の地籍図、現在の住宅地図。縮尺も測量の精度も違うため、道路の交差点と動いていない拝所を基準に、慎重に位置を合わせた。透明な紙に空き地と石垣の線だけを写す。すると、別々に見えた七つの空白が、奇妙な輪郭を作り始めた。

不規則な楕円に似た形だった。長さは百五十メートルほど、幅は広いところで七十メートル。集落の中央から森の手前までを占め、その外縁に沿って家々が並んでいる。楕円の片側には細く伸びた部分があり、御嶽への道はそこを大きく迂回していた。古い池や沼の跡かとも考えたが、土地の傾斜や水の流れと一致しなかった。

「これ、何の形に見えますか」

勝彦は老眼鏡をかけ、紙を何度か回した。

「昔の池じゃないですか」

「私もそう思ったんです。でも地形に合わないんです。それに、池が消えたとしても、どうして何世代もそこを避けるんでしょう」

「慣習として残ったんじゃないですか」

「その慣習に、幽世の人たちも従っていたんです」

勝彦は顔を上げた。志帆は道あけの夜、石柱の向こうで見たものを説明した。現れた家々は、空き地の外側にはあっても、この輪郭の内側には一軒もなかった。灰色の髪の女性も、そこを避けるように志帆の腕を引いた。

「それじゃ、私が叩いた戸は、あちらの家のだったんでしょうね」

「たぶん。けれど、どちらの世界でも空いている場所があるんです」

勝彦はしばらく黙ったあと、図を指した。

「御嶽がここにあるのは、偶然ですか」

志帆はその指を見た。拝所は楕円の細く伸びた先端に接するように置かれている。祭祀の順路を図に書き込むと、唱えの途中で三人が立ち止まった場所も、輪郭のすぐ外側だった。あの女性が何もない方向に拝んでいた理由が、初めて具体的な位置として見えてきた。

カメの家へ行って図を見せると、老婆は老眼鏡越しにじっと眺めた。

「へえ。こんな形になってるの」

「集落の家が建っていない場所と、道の曲がり方をつないだんです」

「そうねえ」

「何かに似ていませんか」

「さあ。何だろうね」

カメは図を返し、膝の上で豆の筋を取り始めた。志帆は尋ねた。

「この中に、何かがいるんでしょうか」

「いるとは聞いてないよ」

「でも、真ん中には入らないように教わったんですよね」

「そう。あけておく場所だから」

「何のために?」

カメは豆を一つ手に取って、少し考えた。

「家でもねえ、荷物を置きすぎたら困るさ。人が通るところまで物を置いたら歩けんでしょう。だから、あけておくの」

あまりに普通の説明だった。志帆が黙っていると、カメは昔聞いた言葉を思い出したように顔を上げた。

「母ちゃんが言ってたよ。空いてるからって、そこに何もないと思ったらいけないって」

「誰かの場所なんですか」

「誰のかは知らんさ。自分のものじゃない場所もあるでしょう」

夕方、志帆は最後に御嶽を訪ねた。森は湿っており、重なった葉の下では昼間でも薄暗い。拝所の前から、カメたちが歩いた順路をたどる。左へ曲がり、広場の端で止まり、再び左へ進む。地図の輪郭を頭に描くと、道が何かを囲んでいるのではなく、その外側をなぞっていることが分かった。

志帆は女性が何もない空間へ向かって拝んだ場所に立った。足元には落葉が積もり、小さな虫が動いている。木々の間から光が差し、遠くで鳥が鳴いた。何もおかしなところはない。録音機を取り出してカメのグイスを再生すると、低い声が森に流れた。家族の無事を願い、日々の暮らしへの感謝を伝える言葉。そして十八秒の沈黙。

その間を、志帆は以前とは違う気持ちで聞いた。誰かからの返事を受ける間だったのかもしれない。けれど、必ずしも返事を求めているとは限らない。自分たちの言葉を止めて、ほかのもののために時間をあけておく。そう考えると、道あけの禁忌と同じ形に思えた。祈りは何かを動かす呪文ではない。ただ、見えない相手を踏みつけずに暮らすための、身についた所作でもあったのだろう。

そのとき、足元の落葉が動いた。風に舞うのではなく、地面に広がった葉が中央から押し分けられた。見えるものは何もないのに、その場所だけがわずかに形を変えた。動いた範囲は数十センチほどだったが、志帆には、隣に何か巨大なものが身じろぎしたように感じられた。息が止まる。身体は動かなかった。

生き物なのか、地形なのか、それとも形という考え方自体が間違っているのか。人間は分からないものにも、自分の知る姿を当てはめようとする。あの楕円が何かの胴体に見えるのも、そうした思い込みにすぎないかもしれない。志帆は足を引き、輪郭の外側へ下がった。何も見えない場所に向かって、ゆっくり頭を下げた。なぜそうしたのか自分でも説明できなかった。

落葉は静かになった。志帆はもう一度だけ頭を下げ、来た道を戻った。森を出るまで振り返らなかった。

宿に戻ってから、調査ノートを整理した。道あけの日には現世と幽世が重なり、互いの生活が部分的に知覚できる。空き地や道の配置は、別の世界の生活空間との衝突を避けるために残されたのかもしれない。しかし、両方の世界が同じ場所を避けている理由は分からない。志帆は第三の領域を、仮に「常世」と記した。島民がそう呼んでいるわけではない。むしろ、調査で得た証言に収まらないものへ、便宜上つけた名だった。

『第三の領域について形状、性質とも不明。集落の空白は、その占有域を示す可能性がある。』そう書いて、古い地図と現在の地図をもう一度並べた。輪郭の細い先端は、明治期には御嶽の手前で止まっている。現在は拝所のすぐ近くまで伸びているように見えた。測量誤差か、石垣を積み直したためかもしれない。だが志帆は、二つの線のずれから目を離せなかった。もし、そこにあるものが何百年もの間、ほんの少しずつ動いていたとしたら。

書き足そうとして、ペンを止めた。ノートの右側にはまだ余白がある。いつもなら疑問や仮説を書き込む場所だった。志帆はその白い部分を、初めて空いたままにしておいた。


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