第三章 空いた土地
島の古い地図は、集会所の奥にある資料室に保管されていた。資料室といっても、普段使わない会議室の一角である。段ボールには運動会の記録や会計書類が詰まり、その下から昭和二十年代の土地台帳と、さらに古い集落図が出てきた。自治会長の新垣勝彦が、机いっぱいに紙を広げる志帆を眺めた。
「こんな古いもの、まだ使えるんですか」
「場所の名前や道の位置を調べるには、こういう資料が助かるんです」
「道なら今もありますよ」
「形が変わっていることもありますから」
志帆は昭和初期の集落図と現在の住宅地図を比べた。住人が減って空き家になっても、屋敷の位置はほとんど動いていない。珍しいことではない。気になったのは屋敷と屋敷の隙間だった。石柱のある空き地は明治期の略図にも同じ形で描かれ、ほかにも六つ、まとまった空白がある。どれも道に面し、家を建てるには十分な広さがあった。
「この土地は誰のものですか」
「共有地だったはずです。ずっとそうですよ」
「何かに使っていたんでしょうか」
「いや、特には。草を刈らないとハブが出るから管理はしますけど」
もっともな答えだった。しかし、空き地の一つには道がつながり、別の一つには入口を示すような石柱が残る。志帆は古図を写してから現地を歩いた。石柱の奥には踏み固められた土地が続き、十メートルほど進むと石垣に突き当たる。何の役にも立たない行き止まりに見えるのに、中央の土だけが硬かった。靴先で薄い砂を払うと、下から古い石畳が現れた。
別の空き地を管理する老人にも話を聞いた。
「ここには昔、家がなかったんですか」
「小さい頃にはもう空いていたね」
「どうして使わないんでしょう」
「使わんほうがいいからでしょう」
「理由はありますか」
「道だからさ。家を建てたら通れんでしょう」
志帆は足元を見た。幅のある空き地は石垣で塞がれ、通り抜ける先もない。
「誰がここを通るんですか」
「さあねえ。今は誰も通らんよ」
老人にとっては矛盾ではないらしい。志帆は礼を言い、地図の隅にその言葉を書き留めた。七つの空き地を赤鉛筆で塗ると、道がそれらを避けて曲がっていることが分かる。石垣も、土地の境界というより空白を囲うために積まれたように見えた。
夕方、カメの家で御嶽の順路を教わった。カメは手ぬぐいを机に広げ、指で道をなぞった。
「まず下の拝所で拝んで、上に行く。ここで一度止まって左へ回る。奥の石の前でもう一度拝む」
「右から行くことはないんですか」
「ないねえ」
「何かあるんでしょうか」
「何もないよ」
「何もないなら、通ってもよさそうですが」
「通らんでもいいでしょう」
カメは不思議そうに志帆を見た。カメは本当に不思議そうだった。何もないところを、どうしてわざわざ通りたいのか。そう聞き返されているような気がした。
帰り際、座敷の写真が目に留まった。白黒の集合写真には十人ほどの女性が御嶽の前に並んでいる。一番右の女性だけが正面を向かず、画面の外へ身体を向けていた。
「右端の方は何を見ているんでしょう」
「ああ、そこは拝む場所だから」
「御嶽の奥ではなく?」
「うん。あっちにも拝むところがある」
「何が祀られているんですか」
「何もないよ。今は三人しかおらんけど、昔はもっと大勢で拝んでいたねえ」
志帆は写真の女性の立ち位置を写し、調査ノートに書いた。『島民は空白の土地を避け、何もない方向へ拝む。理由を問うと「何もないから」と答える。』その下に、初日の老人が自転車で空き地を迂回したことを記した。何もないから通らない。何もないから拝む。どうにも話が噛み合わない。こちらの聞き方が違うのだろうか。




