55 出発
気がつけば建物には誰ものこっていなかった。ふたりの兄弟げんかが終わったのは、午後四時頃だったので、つまるところ要するに三時間ちかく殴りあっていたことになる。二人とも気を失い、霊力が回復したので、互いの邪視が二人を治癒し叩き起こしたのだ。
「し、信者の遺体がない……起きろバカタレ。信者の遺体がない」
「どっかのクマとかが持ってったんだろ。あんな奴らの死体を食うなんてな、頭いかれてる。腐ったものが好きなんだな。はは」
「き、きさままだ言うか!」
「言うね。何度でも言ってやる。あんな奴ら死んで当然だった」
「こ、い、つ……!!」
二人は目眩を感じたので、しばらく休んだ後に、取り敢えず山をおりようということで、道中に停めていたオートバイクのところまで戻った。とぼとぼとヘルメットを被りながら、仙骨はひと呼吸おいたあと、橈骨にむかって「これからどうするつもりだ」と言った。
「なに、これからだと」
「異態で居続けるつもりか」
「当たり前だ。俺は異態橈骨。邪視の男だぜ」
「……浅見耕助に戻れ」
「なに? いま有り得ない事言ったか?」
「お前の得意な霊術は治癒霊術らしいな」
「それがなんだ。人の為に使ってると思ってるのか? 自分が世の中のセオリーだと思うのも大概にしろよ、お前。俺は俺のためにしか使わねぇのよ。……俺のためにしかさ」
一拍の沈黙で返して、仙骨はオートバイクに跨った。
「おたくが悪人になるのは、無理だよ」
「なんだと? なりたがってると?」
「なりたがってるだろ」
「のたまいなさる」
「ちがうのかい」
「違うね。俺もお前も、悪なのさ。身体の中にひそむ邪視が証拠だよ。こんなものを宿していて善人であろうと思う方こそがおかしいだろうに。そんなことも分からなくなってしまったか?」
「本気で言うのか」
「冗談で言うことでもなかろうに」
「悪は俺だけだ。俺はお前とは違う。お前は俺とは違う。それがどういう意味か、ちゃんと理解したほうが自分の為になる。お前は善人じゃないのかもしれないが、悪人にもなれないと思う。なら、善人になれ。格好だけでも善人で居続けろ」
「かたくなだな」
「耕助」
「橈骨だ」
「浅見耕助」
「異態橈骨」
「浅見。浅見耕助」
「だから──……」
「耕助。耕助、耕助。……耕助、善人になってくれ。そして、たくさんの人に囲まれて生きてほしい。俺がどうにかなったら、後を頼む」
「はぁ?」
仙骨は橈骨に手帳を投げ渡して、オートバイクで去っていく。
そこにはいろいろな名前と電話番号、あるいは住所だったりが書いてあり、いちばん新しいページには暮明薫という名前と、「此奴に力の使い方を教えてやってくれ」というメッセージが書いてあった。
「死ぬつもりか……?」




