53 接触
八月二十一日・木曜日。
岩手県盛岡市某地区。
一時半を過ぎた頃に公園の東屋で横になって煙草をふかしていると、突然悲鳴が聴こえてきたので立ち上がり向かおうとすると、また悲鳴。そして、悲鳴がいくつも連なって、数秒後にはまるで地獄に落ちてしまったのではないかと勘違いしてしまうような、悲鳴が頭の中を支配した。仙骨がいったいなんなんだと慌ててオートバイクに向かっていくと、頭にこれまでとは全く違う、全く異質の声が響き渡った。その声は助けを求めているようではなく、まるで楽しいおもちゃを見つけた子どものような声色で、仙骨に対してくすくすと笑いながら「自己紹介をするよ。私は陸天。そろそろ、二人で遊ぼう」と言った。
「なんだ……なんなんだ……!? お前は、陸天……!? 陸天!? 大昔の、大昔の……!! 七十年ちかく昔の人間だろう!?」
仙骨は周囲のことも見ずに、おもわず空に向かって叫んでいた。しかし、彼の声は陸天には響いていなかった。陸天はどこかで笑っているのだろうか。とてつもなく遠いところにいるのかもしれないし、もしかしたらすぐ近くにいるのかもしれない。それは彼にはわからない。仙骨にはそれを知る術なんていうものがなかった。だからこその一方通行。陸天はこのやり方が「異態仙骨にとって一番ダメージのはいるやり方」だとわかっていたのだ。なんとまぁ、性格が悪いことをする男である。
日が昇った頃、声のした方に行ってみると、そこはおそらく愛星友の拠点になっていたビルなのだろう、山奥にある城のような見た目をしたビルに、大量の死体があった。信者の集団自殺などではない。決してそういうものではなく、何者かに殺されたのだ。その何者かというのは、考えずともわかる。陸天だ。この大量の……千人はいるだろう信者は、全員陸天に殺されてしまったのだ。仙骨は目眩を感じた。
「こんなことが……こんなことが許されて良いのか?」
「いいんじゃないか?」
いつの間にか橈骨がいた。仙骨は、橈骨と言ったことが最初理解できなくて、「いいってなにがだ」と少しだけ呟いて、自分の目の前にある千人単位の信者の遺体を見て、「いいんじゃないか」と「信者の大量殺害」がようやく結ばれると、「は?」と怒りの沸き上がるのを抑えきれなくなって橈骨を睨みつけた。
「だから、『いいんじゃないか』って言ったんだよ。『は?』じゃねぇんだよ。異態仙骨ゥ、こいつらの所業はもうお前も知っているはずだ。こいつらは人を人とも思っていない。たくさんの人間を殺してきた。自分たちの、くだらない幸福のために、だ。お前だってそれはわかっているはずだろ。お前も俺も、こいつらの教祖の新しい身体になるために生み出されたんだからな。知ってるか?俺たちが邪視に覚醒した頃から三年以上前にはすでに教祖は新しい器に乗り換えていたんだとよ。信じられるか? 何のために生まれたのかわからんよなあ」
「人が死んで、殺されて、それが『いい』だと?」
とてもじゃないが、信じられないというような目を、仙骨は橈骨に向けていた。橈骨はそれをわかって、「人の話は聞こえるか?」とからかうように言ってみせた。
「聞いてるよ。それはとても許されるべきじゃない」
「だったら、『いい』だろ。死んで困る命じゃない」
「ふざけるなよ、貴様」
「はぁ?」
「彼らにも、彼女らにも、生活はあった……このれんじゅうに、人の子の親がいたらどうする……!? 親が死んだんだぞ、子供は孤独になる! ひもりぼっちだ!! き、きさま孤独を知らんのか」
「俺も独りだよ。愛星友のせいだ。はは。これは最近知ったんだけどな。だからどうした。俺を不幸にしたれんじゅうが死んでせいせいしたってのは、間違った感情か!?」
「間違ってる。ああっ!! 間違った感情だ!! 断言してやる、断固として間違っている!! 他人の不幸を喜ぶ暇があったら自分を幸せにする努力をしろ! バカタレ!!」
橈骨はここでようやく確信に至る。目の前の、異態仙骨という男についてである。自分と仙骨はおなじ邪視を宿した教祖の器として生み出された。異態橈骨と異態仙骨。おなじ目的で、同じ物を宿して、同じ存在として生み出されたはずなのに、目の前のこの男はずっと孤独で、しかし温かい家族に囲まれて生きてきた。自分は真逆だった。家族に愛されたことなんかない。……そこから違っていたのだ。育ってきた環境が違うから、価値観ももちろん違ってくるのだろう。とてつもなく腹が立つ。
「嫌いな奴らだ。死んで当然だ。殺されてしまって当然のことをしたんだよ、そいつらは。わかるだろ、お前だってそう思うはずだ。お前はそいつらの所業を、俺なんかよりも余っ程怒っているはずなんだ! 間違った感情だと? ふざけるなよ、お前は……貴様は! そうやっていつも、綺麗事ばかりを吐かす癖に……自分を幸せにする努力をしろだと!? それが一番できていないのが貴様だろ! 一番できてないのが貴様だ!!」
「俺は幸せにならなくてもいい! 誰かの幸せを守ることができるなら、俺はそれで構わないと思っている! そう認識しているんだよ、だからさ! だからみんなの悲鳴が聞こえれば、助けに向かって、できる限り救いになれるように頑張ろうって言うんじゃないか!」
「それが甘ちゃんだというのが、なぜわからん! そういうことをして、自分を満足にさせていることがなぜわからん! その考えが不健全だということを理解して、初めてお前に人を救う権利が発生するんだよ、仙骨!」
「橈骨、きさま……!!」
腹が立つ。自分が正しいと思いたいが、健全な人間として、どちらが正しい反応をしているのか分かっているからこそ、仙骨は橈骨の主張を認めたくなくて、腹を立てていた。ふたりは、千人単位の遺体を前にして、胸ぐらを掴みあっていた。
「愛か慈しみで人が救われたことがあるか」
「世界中の美談だろうが」
「そんなことが」
「あるんだよ」
「糞を言うな」
「言わないと分からんだろう」
「そういうことを」
二人は胸ぐらを掴み合い、そしていくつかの不明瞭な会話をのこしたあとに、お互い肉体から蒸気を発していた。身体が変化していくのを、互いに睨みつけ合いながら、見つめ合っていた。そして、たがいに変身態担ったのを認めると、拳をぶつけ合った。最初に拳が通ったのは橈骨変身態のほうだったが、仙骨変身態は彼の拳を顔面で受け止めると、腹に膝蹴りをめり込ませた。そのまま吹き飛んでいく橈骨変身態に目もくれず、仙骨変身態は建物から出て白い戦士の後を追う。
橈骨変身態は起き上がると、直ぐ側にあった木を掴み上げ、仙骨変身態に投げつけるが、仙骨変身態は手を蛙の形にして縛絡を召喚し、業轍により赤い変身態になる。炎をまとった刀を作り出すと、飛んできた木をそのまま焼き斬ってしまった。橈骨変身態はそれを隙にして自分も召喚霊術で空をくるくると回る金色の光の輪を召喚した。その怪異は「神座」といった。
こいつを否定しよう、こいつの考え全てを否定して、自分がほんとうに正しいのだということを、知らしめてやろう……と躍起になっているようだったが、それは仙骨にとっても同じことだった。仙骨変身態は刀を二本掴むと、地面を蹴るように走り間合いを詰め、力任せに刀を振るう。橈骨変身態は刀身の赤い剣を二本作り出し、その剣で刀を跳ね返し、仙骨変身態の腹に蹴りを叩き入れた。
『誰にも助けられない苦しみは知っている。だから俺は、誰かが助けてというのならば、それを助けたいと思う。この苦しみは俺の影だ。俺に影があるのは、俺が悪からうまれた悪だからだ。それはお前か教えたことのはずだ。しかし……あちらこちらで助けを求める彼らは、悪じゃない! ならば、影など必要ない』
そんな言葉を思い出した。誰も助けてくれない、という感情は自分も抱いたことのあるものだ。しかし、橈骨は、みんなの「不幸」を願ってしまっていた。そこからもう違っているのだから、こうやって対立になるのは当たり前だ。仙骨があまりにも辛そうなので、仙骨の真似をして人助けをしたが、よくわからない。
こんなことをしているような事態ではないのに、目の前のこいつを片付けてからではないと何も始まらないような気がしてしまった。仙骨のなかの、旧い友人を思う気持ちが、まだのこっていたことの証明であるとでも言うように。
「どうでもいい世の中ならば、とっくにこの世を去ってる」
「なに……」
「俺が不幸なのに、どいつもこいつも幸せそうなのが気に食わない」
「……俺は、そうは思わなかった……」
走り出した。




