51 事由
「ねえ、步生くん」
「ん?」
「お兄ちゃん帰ってきたら、どうしようか」
明子が言った。
どうやら、すこしばかり不安になってしまっているらしく、步生は彼女の顔を覗き込んでから、ため息をひとつついた。
「まず、いろいろ話し合おう。たとえば、好きな食べ物はなにかとか、好きな酒はなにかとか、そういう他愛のないことから話し合おう。そして、ちゃんと明日のこととかも話し合いたいな。明子ちゃんも、ちゃんと彼のこと知りたいだろう?」
「……うん。知りたい。ちゃんと知って、ちゃんと話し合いたい」
兄のままでいいから。せめて兄に戻ってほしい、と。
明子はそう願った。
步生はこれまでに集めた大滝守道の情報をすべてノートにまとめると、机のなかにしまいこんだ。
早く帰ってきてほしい、というのはどういうわけかどいつもこいつも思っていることだったが、行方不明者届は誰も出そうとはしなかった。
どうやら彼が本気で行方不明になっていると思っているものはいないらしく、明子でさえも「こうして新聞とかで露出しているうちは、きっとなんやかんやと元気だよ」と言っている。
しかしたまに、「これは大怪我しちゃうだろ」というようなところにも躊躇いなく飛び込んでいっているようで、そういうのをみていると、さすがにこれはダメだろうというような空気感が流れる。
つまるところ、大滝守道という男は、そういう人間であった。
周囲を巻き込みつつ、自分をさらにその前に押しやって、勝手に孤独になってしまうような男で、どうもそれは生まれついての性分という難しい要素も含まれており、步生は「難しい人に入れ込んでしまったなぁ」と頭を悩ませた。
要するに、步生も大滝守道を想っていた。
「…………」
しかし、まあ、とりあえずはこの気持ちはなかったことにしておくつもりで、親が人殺しだからだとかそういうのではなく、あとからやってきて全部を奪おうと考えるのは、それは大滝兄妹にたいしてあまりにも不義理なのではないかと考えたがゆえの決断である。
恋をしたことがないわけではない。
結ばれない恋の辛さには人並み程度には慣れているつもりだから、大丈夫だろうと踏んでの決意である。
とりあえずは、「はやく会いたいね。こっちでも探すけど、明子ちゃんのほうでも探そうね」というようなことを、理屈として口から吐き出す。
まるで自分を騙しているような気がして、まるで明子をはぐらかしているような気がして、なんだか気が引ける。
たまにめまいがするけれど、こんな勝手なことは許されない。
この心の正解がわからないけれど、いまは自分が思うことを間違いだと思うので忙しい。
「あの人、ちゃんと明子ちゃんの前に帰ってくるよ」




