3 蓄積
幼少の頃から声が聞こえた。
人には聞こえない声だ。
その声を、どうにかしたくて、鼓膜をつぶそうと考えたこともあったが、怖くてできなかった。
二十歳になって、金銭的に余裕もできて、オートバイクを乗るようになってから、頭に響くその声に従うようになった。
時折、人が人を傷つける。
時折、自然が人を殺し潰す。
オートバイクを走らせるたびにそれを見てきた。苦痛でしかない。目の前で命が散っていく。目の前で涙が消えていく。
こんな消え方は望んでいない。
こんな消え方は自分の望みなんかではない。
声が聞こえるだけでその声を拾ってやることはできないのか、そんなのは残酷ではないか。
なんのための、運命か。
そう思いながら…………そう思いを馳せながら…………ただ、ただそこにあるだけの……自分を、呪う。
力のない自分の腕を、憎しむ。
憎しみが、頭と心に蓄積されていく。人の悪い心から弱い人々を守りたい。理不尽な現実から弱い人々を守りたい。
守れる力が欲しい。
力が欲しい。
力。力。力。力。力。力。力。力。力。
ブトトトト……と、オートバイクがとまると、守道の目の前に広がる景色は、まるで異常だった。それはどうにも蛸のように見えるが、人間の身体をしている。
蛸男、とでも呼ぶべきそれは少女を締め上げていた。
「ああ、あああ……」
自分でどうこうできるものじゃ、ない。
「ああ……」
怖かった。自分には力がないし、なによりも根性がない。口先だけで何かを言って、いつもふわふわニコニコと笑っているだけの怪人。
それでも、無理矢理身体を動かした。
地面に落ちていたガラス片をつかんで、蛸男に突きつけた。しかし、奴は鼻で笑うと、守道の腹を太い触手で弾いて飛ばした。
「ゲェーッ。グコッ、オッ、オッ……ハッハッ……」
痛い。痛い。逃げ出したい。
けれど、頭に、頭の中に、少女の悲鳴が止まらない。
助けたいと思う心が、止められない。
もう少し、自我の強い人間だったら良かったのに。
もう少しだけでも心の強い人間だったら、流れに身を任せることなく、自分の考えでここまで来られたのに。
「その少女を離せ……!」
蛸を殺さないといけない。この蛸を殺さないとならない。殺すための力が欲しい。気に食わないものを殺せる力が欲しい。殺意が欲しい。怒りのために拳を握る力が欲しい。
闇になりたい。
影になりたい。
恐怖になりたい。
「その少女を……離せ……!!」
「断る。こ、と、わ、る」
「だったら……もう……死ね……!!」
人生で死ねといったのは、これで五度目だった。
これは、自認ではなく事実である。
一度目は小学校で読んだ戦争漫画に書いてあったセリフを読み上げる際。二度目は中学時代、クラスで喧嘩をしていた女子たちの間に入り「死ねだなんて言うな」と言った際。三度目はテレビでやっていた漫才番組であまりにも強すぎるツッコミに対して「死ねは言い過ぎでしょ」と笑った際。
自分の意志で、誰かに向かって、その「言葉」と「殺意」を放てる人間だったという──驚愕。
守道は道の脇に邪魔にならないように重ねて置いてあったアスファルトの破片を掴み上げて、蛸男に殴りかかった。




