修学旅行〜3日目ノ肆・輝の傷
悲しい思い出はモノトーンで滲んでいく。
けれど、それを消すことは難しい。楽しい思い出がそれを上から塗り替えたとしても、灰色に滲んで、それは消えることはない。
その時、希良のスマホが鳴った。
「えーなんだよ〜。実行委員、緊急集合だって。」
スマホの画面を見ながら、希良が面倒くさそうに言う。
「そりゃ、仕方ないな。行かないと。お土産は、また、でもいいじゃん。ってか、帰ってからでもいいけどな。」
オレは、そんなこと言って、希良の背中を押した。
「かがや?」
「うん?」
「どうかした?」
希良がいなくなって、振り返ると、輝がさっきと変わらず、固まってた。
「うん、ちょっと、思い出したこと、あって。なんか…。」
輝の目から、涙が溢れて、慌てて、ジャージの袖で拭いていた。
「え、大丈夫?オレがなんかした?シャーペン、イヤだった?」
輝の隣に座り直して、肩を抱いて、顔を覗き込むと、輝は首を振りながら、また涙を拭った。
「さっきの、きらの話聞いて、きっときらは、今もあのシャーペン、持っているんだろうな。大事にして…って思うと…ちょっと…。
オレ、持ってないんだ。
みずきがくれたのに、3人、お揃いだったのに。」
そう言うと、またポロポロと涙を流して、黙ってしまった。
こんなに泣くほど、ということは、ただ無くしたんじゃなくて、何かあって、もう手元に無いということなんだろう。
でも、それを、聞くことも出来ず、肩を抱く手に力を入れた。
「前に、彼女がいたって、話したの、覚えてる?」
しばらくして、落ち着いたのか、輝がポツリと話しはじめた。
「あー、うん。F女のお嬢様だって言う彼女?」
「そう、その子。その彼女に、海に投げ捨てられたんだ。」
え、と思ったけど、オレは何も言葉が出なかった。
なんでそんなことに?と、聞き返すことも出来ない。
「そう、だったんだ。悲しかったな、それは。」
やっと、それだけ言うと、腕を伸ばして、輝の頭を抱き寄せて、いつも輝がしてくれるように、唇を近づけて、右耳を噛んだ。
「みずき…?」
「かがやが、辛く無くなるように、おまじない。
古いシャーペンなんて、無くても、大丈夫。ほら、そう思って、新しいヤツ、買ってきたから。」
「うん、さすが、みずき、気が効くじゃん。」
涙を啜り上げながら、やっと輝がオレの顔を見て、力なく、それでも、笑った。
「だろ?」
そんなこと言って、ふざけて、お互いの額を、軽くぶつけ合い、体を、強く抱きしめた。
抱きしめられて、瑞稀の体温を感じながら、オレは心の中で瑞稀に、ごめん、と謝っていた。
こんな話、聞かせて、ごめん…と。
思い出すのは、冬の終わり、春まだ浅い海辺。
卒業前で、高校入学前の、中学生が出かけるにしては、まあまあの遠出だった。
そして、それは、オレにとって、ケジメを付けるための、大事な、決意の日でもあった。
希望の高校に受かって、本当なら、お祝いで彼女と2人、楽しい時を過ごす約束だったけれど、もう、そうではないことは、彼女も感じていたんだろう。
ターミナル駅で待ち合わせて、会った時、
「久しぶりだね。」
と、せめてもの笑顔で言ったオレの言葉に、彼女は、
「そうね。」
ひと言、不機嫌に答えただけだった。
彼女と会うのは、数ヶ月ぶりだったし、その間、なんの連絡もしていなかったのを、彼女が不満に思っていることは、オレも分かっていた。
そこから、海辺に向かう途中の、電車の中でも、海辺の駅で降りて、歩いている時も、2人とも、何も話さなかった。
駅前のファーストフード店で、ハンバーガーとポテト、温かい飲み物を買って、海に降りる階段に腰を下ろして、それを食べた。
「なんで、何も言わないの?もう、終わりって、私に言わせるの?
輝くんは、そこまで、ズルくなっちゃったの?」
ハンバーガーを半分残して、彼女が言った。
ブライドの高い彼女は、泣きそうではなく、やっぱり、不機嫌で、怒っているようだった。
「ごめん。そんなつもりはなかったんだ。でも、せめて…。」
「せめて、何?今日一日、楽しく?そんなの、もう無理だって、分かっているのに?」
「ごめん…。ずっと、連絡しなくて、ホントに、ごめん。悪かったって、ホントに思っているんだ。でも…、そうだね。もう、終わりにしよう、オレたち。」
やっとの思いで、彼女の顔を見て…絞り出すように言って、すぐに下を向いた。
「あの子、S校に受かったんですってね。」
吐き捨てるような、彼女の言葉に。思わず、顔を上げた。
「あり得ないって、二中にいる友だちが…。」
「なんだよ、それ?誰が、そんなこと!」
思わず、感情的になってしまい、慌てて、口を噤む。
その、一瞬、後だった。
オレのリュックのポケットに差してあった、瑞稀がくれたシャーペンを、抜き取った…と思ったら、彼女は一目散に海に向かって走り出した。
オレはすぐに、立ち上がって、追いかけて、捕まえようとしたけど、それより、ほんの一瞬早く、彼女が手に持ったシャーペンを、海に向かって、投げた。
「なんで?あの子の事になると、そうやって、怒るの?私の事は何も、怒ってくれなかったのに。おかしいよ!
でも、もう、いい。サヨナラ。」
それが、最後の言葉だった。
海辺にひとり、残されたオレは、彼女の姿を、目で追うこともせず、ただ、シャーペンが消えていった海の表面を、波の崩れていく様をじっと、見ていた。
オレが悪かったんだ。
全部、分かっていた。
瑞稀を好きだと、そう気付いた時から、ずっと、怖くて、自分の気持ちを認めたくなくて…。
自分が、自分じゃなくなるみたいで、どうしたらいいか悩んでる時に、塾で隣の席だった彼女に告られて。
何も考えずに、そこに逃げ込むように、付き合い始めた。
最初は良かったんだ。彼女といて、楽しかったし、安心することができた。
彼女が出来た、って、瑞稀と希良に話した時、2人とも、すごく喜んでくれて、良くわからないけど、とにかく、応援する!と言ってくれたのを覚えてる。
でも、その楽しい時間も、安心感も、長くは続かなかった。
彼女は、部活の後、放課後に、毎日でも会いたがったし、土日も一緒に出かけたいって、言ってきた。
オレも、最初のうちはもちろん、付き合っているなら、当たり前だと思って、彼女の望む通りにしていた。
でも、そうなれば、それまでみたいに、部活の後、瑞稀と寄り道することも、土日、3人で集まって、一緒に勉強することも、出かけることも、出来なくなった。
部活のない放課後、希良と瑞稀に見送られて、彼女との待ち合わせ場所に行くこと。
昨日、希良と2人で図書館で勉強して、それから、いち兄の車でラーメン屋に行ったんだ、と、楽しそうに話してくれる、月曜日の瑞稀を見ること。
その全てに、追い詰められて、苦しくなって行った。
瑞稀と一緒にいたくて、いつでも会いたくて。
一緒にアイスを食べて、いち兄の車の後部座席で3人、ワチャワチャしながら、ラーメンを食べに行きたくて。
もう、どうしようもなくなるまで、大した時間はかからなかった。
ちょうど、その少し前から、瑞稀が、本格的にS校を目指すと決めて、猛烈に勉強し始めた頃で、オレも希良も、その瑞稀の力になりたくて、一緒に勉強することが多くなった時期だったこともある。
だから、彼女といる時も、オレが瑞稀の話をすることが多くなって、それは彼女を不機嫌にさせて、一緒にいる時間が、だんだん気まずくなった。
そのうち、その気まずさと、彼女の不機嫌な様子に耐えられなくなったオレは、部活の後も、勉強があるから、と言って、放課後に会う日が減って、土日も、どちらかは、会えないと言うようになって。
2年の秋に付き合い始めたオレたちは、3年になる頃には、オレが受験生である事を理由に、会う回数が目に見えて少なくなっていった。
そんなある日。
オレと彼女の仲を、決定的に壊すような出来事が起きた。
理由は忘れたけど、希良がいなくて、週末、オレと瑞稀が2人で、図書館で勉強していた時だった。
そこに、偶然、じゃなくて、彼女がオレに会いたかったと言って、やってきて、瑞稀がそれに気を使って、帰ろうとした。
「オレ、そろそろ帰るから。2人で、どっか行けば?」
そう言って、机の上に広げていた参考書やノート、シャーペンなんかを片付け始めたのを、オレが止めたんだ。
「いいから。帰るなよ、みずき。
悪いけど、今日は会えないって、言ったよね。
後で連絡するから。今日はごめん。」
そう言った時、彼女は机の上のシャーペンを、じっと見ていた。瑞稀がくれた、お揃いのヤツが2本、並んでいるのを。
「なんで?その子が帰るって、そう言ってるのに、なんで私を帰らせるの?」
決して大きくはない声。でも、はっきりと怒りの籠った、言葉だった。
「かがや、いいから、オレ、帰るし。」
立ち上がろうとしている瑞稀の腕を掴んで、オレは何も言わずに、じっと、彼女を見つめた。
オレはその時、彼女が、「その子」と、アゴで瑞稀のことを指して、バカにしたように言ったことに、腹を立てていたのを覚えている。
彼女は少しの間、オレと見つめ合って、それから瑞稀の事を、すごい顔で睨んで。
「わかった。もう、いい。」
そう言うと、オレの顔も見ずに、出て行った。
その日の夜、さっきは悪かったと謝って、今度の週末には会えるからと、書いたオレのメッセージに、既読は付いても、返信はなく、それに対して、オレが何かすることもないまま、連絡はますます、少なくなって。
夏期講習や、補習を理由に、夏前にはオレから、しばらく会えない、と伝えて…。
文化祭に来たい、と言われて、それでも、待ってるよ、と返したけれど、実際には、オレらと瑞稀を取り巻く、騒ぎのせいで、会うことはなかった。
それから連絡したのは、S校の試験が終わった時と、合格したという報告の他は、1、2回だったと思う。
そして、そのまま、今日になってしまったのだった。
(最悪だ。みずき、ごめん、シャーペン、無くなったよ。)
その時でさえも、オレが考えたのは、瑞稀のことで。
彼女に悪いという気持ちはあっても、思いはそこには行かなかった。
「おーい、そこで、何やってんだ〜?かーがや。」
薄暗くなり始めた頃、車の中から、そう、兄貴が声をかけてくれた。
彼女が帰った後、オレはもう、動くことさえ出来なくなって…。
『兄ちゃん、助けて。動けない。』
そう、メッセージを送って、いつもなら、天敵と、嫌ってるヤツに、縋ったのだ。
「兄ちゃん…。オレ。」
もう、涙も出なくなった、情け無い顔で、よろけながら、立ち上がった。
「大丈夫。帰ろうな。心配ないぞ。兄ちゃんがいるから。」
車を降りてきた兄貴が、オレの肩を抱いて、背中を撫でながら、そう言ってくれた。
「オレ…全部、オレが、全部悪いんだけど、だけど、シャーペンが…。」
車に乗って、暖かさにホッとすると、また涙が溢れてきた。
「シャーペン?」
「みずきがくれたんだ。きらと3人お揃いで、受験のお守りで…それを、彼女が、海に…。」
「捨てられたのか?」
無言で頷く。
「そうか。それは、悲しかったな。泣け、こういうときは、泣いていいんだ。」
オレの頭をぐしゃぐしゃに撫でながら、兄貴がそう言った。
「それにな、お前が全部悪い、なんてことも、ないんだぞ。
恋愛については、どっちかが一方的に悪い、なんてことは、絶対に、ないんだ。例え、お前たちみたいな中坊でも、だ。」
いつもなら、オレをからかって、威張ってばかりの兄貴が、優しくて、暖かかった。
「ただ、オレがお前に言いたいのは、ひとつだけだ。
もう、逃げるな。みーくんから。お前の、自分の気持ちから。
わかるよな?
何かあれば、オレが、ついてるから、いいか。逃げるなよ。」
「なんで?なんで知ってんの?オレの…?」
涙を拭いながら、兄貴の顔を見た。
そう、オレは、瑞稀への気持ちを、兄貴にも、誰にも、話したことはなかったはずなのに。
「お前のこと、生まれた時から、見てんだぞ。兄ちゃんは、なんでも、お見通しだ。そして、誰よりも、お前の味方なんだからな。」
「そうなの?」
「ああ、そうさ。」
「いつもは、あんなんなのに?」
「そう、いつもは、あんなでも、だ。」
「ホントかよ。信じられねー。」
オレが、泣きながら、悪態をついて、笑う。
「なんだよ、今、ここにいること、それだけでも、十分だと思うけど?」
ぐしゃぐしゃにした頭を、今度は撫でながら、抱きしめてくれた。
「確かに、その通りです。」
そう言うと、もう、オレは兄貴の胸の中で、わけがわからないくらいに、泣いた。
でも。
兄貴に言われて、もう、逃げない、と心に決めた、その数日後だった。
瑞稀がオレのことを、オレと希良のことを、すべて忘れてしまったのは。
そして、何よりショックだったのは、その事に、別れた彼女が、少なからず、関わっていたと知らされたことで。
そのことを知った時、もう一度、兄貴の前で吐くほど、泣いて。
二度と瑞稀から、離れない、絶対に守ってみせると、そう誓ったのだった。
輝くんの悲しい思い出回です。初恋になることすらなく、壊れてしまった輝くんの気持ちを考えると、泣けてきます。彼女のことも、あまり良く書いていませんが、それでもやっぱり泣けてきます。
ここで、輝くんのお兄さんがいい味を出してますが、これからの活躍にも注目してください!




