第29話 忘れる筈のない笑顔
秋の日は釣瓶落としと言うけれど、冬が間近に迫った近頃では辺りが暗くなるのも予想以上に早い。
夕食の前に汗を流してサッパリとした僕達は美味しかった昨夜の料理を思い出しながら、今夜のメニューについてあれこれと想像しては楽しい時間を過ごしていた。
そして予想通りの満足感を覚える美味な夕食を済ませた僕達が部屋に戻ると窓の外には王都カラミティが誇る壮大な王宮が煌々と照らし出されており、その明かりを頼りにしてテーブルの上に置かれているランプに火を灯す。
暫くの間、僕達は美しい王宮に見惚れていたが、どちらともなく窓辺から離れるとベッドの上へと腰を落ち着ける。
「ねぇ、ミレル。 さっき朱雀館の支配人さんが墓地で見かけた女の子の事をライリ様って呼んでたよね。 それって亡くなったアンさんの息子さんの奥さんと同じ名前だったけど偶然かな?」
僕は頭の片隅に残る名前を口にしながら彼女の悲しげな後ろ姿を思い出していた。
「まさか、女性なら15歳にならなければ結婚出来ないのはマオだって知っているでしょう? 単なる偶然よ。 あの子はどう見たって10歳くらいだったもの、そうでなければ辻褄が合わないわ」
ミレルの言う通りだよね、僕の思い過ごしなんだと思う。
でも何か不思議な感じのする女の子だった。
「ライリさんか……」
僕はゆっくりと背後に倒れ込みベッドの上で寝転ぶと天井を見つめながら、少女の名前を呟いていた。
「い、痛い! 何するの、ミレル」
ぼ〜っとしていた僕の頬を不満そうな表情を浮かべたミレルが抓って来たのだから堪らない。
「愛する女性が隣にいるのに別の女性の名前を呟くとか最低よね……」
うっ、確かに僕は何を考えていたんだろう。
こんなにも愛しいミレルが隣にいるのに。
「ごめんなさい! 僕が馬鹿だった。 何か不思議な感じがする女の子だったからなんて言い訳だよね。 僕には誰よりも大切なミレルがいつも側にいてくれるのに」
飛び上がるかのように身体を起こすとベッドに額を擦り付けながら必死に謝る僕。
それを見たミレルが我慢出来ずにクスッと笑うのが分かって思わずホッとする。
「しょうがないわね、許してあげる」
僕に向けて苦笑いを浮かべるミレル。
「ミレルの機嫌も良くなった事だし、そろそろ寝ませんか?」
明日はパープルトン子爵領へと向かわなければならないし、今夜は早めに寝ておきたいと考えていた。
「そうね…… 私が喜ぶ事を言ってくれたら今夜は大人しく寝てあげる」
ええっ、ミレルが喜ぶ事?
まるで僕に甘えるように身体を擦り寄せて来るミレルに戸惑いながらも喜ばせるために言うべき言葉を思い浮かべる。
「ミレルは甘えん坊で可愛いね」
こんな感じかな?
チラッとミレルを見たけど僕へ向けて不満げな表情を浮かべていた。
「まだまだマオが足らないわ」
ポツリと呟くミレル。
一体どうしたんだろう? 普段のミレルとは何かが違う気がする。
「今夜のミレルは何だか変だね」
色々な事があって疲れてるのかも知れない。
今夜はゆっくり休んで貰わなきゃ、明日からは数日間は馬車に揺られる旅になるんだから。
「ふふっ、そうかも知れないわね」
微笑を浮かべながら僕を真っ直ぐに見つめるミレルに少し戸惑いを覚える。
何か雰囲気がいつもと違う。
「きっと疲れてるんだよ、明日にしよう」
今夜も僕を求めているのかと慌てて彼女を寝かせようと軽く肩を押す。
「今がいいの、今聞きたいの」
僕の気持ちなんて分かってる筈なのに口にしなければ安心出来ないのかな。
女性の不安定な心の中を垣間見た思いがした。
ミレルは肩に置かれた手を優しく包み込むように握り締めると、その手を自分の頬へと導き擦り寄せる。
そして上目遣いに熱を帯びた瞳で真っ直ぐ僕を見つめていた。
そんな僕がミレルに言うべき言葉は決まっている。
「愛してるよ、ミレル」
「……うん。 知ってる」
漸く満面の笑みを浮かべたミレルに僕もホッとして笑みを返す。
いくら心が通じ合っていたって口に出して欲しい事はあるんだって改めて気が付く。
僕がランプの火を消すと部屋の中を王宮の灯りが淡く照らし出す。
ベッドの上で横たわるミレルの隣に腰を下ろすと向き合う形で横になる。
「おやすみなさい、マオ」
「おやすみ、ミレル」
そこが自分の定位置かのように自然な感じで僕の腕の中に収まったミレルの頭を優しく撫ぜながら、いつの間にか眠りに落ちてしまう。
どうやら僕も疲れていたみたい。
今日は朝から二人で王都を走り回ってタイザンさん達を探していたんだもん。
「ねぇ、マオ。 いつか白百合の騎士になったら、この私と結婚する約束を忘れては嫌ですわ。 もしも忘れたりなんかしたら許しません事よ」
えっ、誰? 金髪縦ロールな美少女が恥ずかしそうに僕を見つめていた。
「忘れたりする訳ないじゃないか! 聖女ウルスラ様に誓うよ。 僕はアリエルを生涯大切にするから」
僕の口から自然と出た彼女の名前。
アリエル? 彼女がアリエル・ヴァレンタイン! それってドロシーさんから聞かされたウルスラ王国…… いや、今はヴァレンタイン公国で僕を待っていると言う女性の筈。
「絶対の絶対ですのよ! うふふっ、私ったらマオが約束を破る事なんてしないのを分かってる筈なのに恥ずかしいですわ」
その恥ずかし気にしながらも満足そうな笑みを…… 僕は覚えている。
そうだ! 忘れてなんかいない。
馬鹿な僕を許してくれた誰よりも大切な女性の笑顔なんだから。
「ア、アリエル! 僕は……」
飛び起きるように上半身を起こした僕は全てを思い出す。
ウルスラ王国百合騎士団の入団試験を間違って受けてしまった事やアクバル帝国との戦いの最中に火を放った小屋の爆風に吹き飛ばされた事を。
「う、う〜ん…… どうしたのマオ?」
僕の腕の中で寝ていたミレルが跳ね飛ばされる形になって目を覚ます。
「ミ、ミレル…… 僕は…… 全て思い出した。 何で記憶を失ったかも全部」
一体僕はどうすればいいの?
記憶が無かったとは言えども結婚の約束までしたミレルを連れてウルスラ王国に戻った僕は、アリエルにどんな顔をして会えばいいんだ……
「マオ…… 大丈夫?」
記憶が戻って困惑する僕を心配そうに見上げるミレルに気付いて笑って見せる。
「大丈夫、大丈夫だから……」
それはミレルにだけじゃなく自分に言い聞かせる言葉でもあったんだと思う。




