王都に来てみたら・・
馬車を飛ばして四日。
昼下がり、シオナが乗った馬車は、王都の邸宅に到着した。
王都のコトナギ公爵邸は、国境の城塞とは違って、他の貴族の邸宅とは広さ以外に一見変わったところはない。武術の訓練場は充実しているが、そういう屋敷はここだけではない。
召使たちの出迎えを笑顔で受けて、解散させると、シオナは執事に確認した。
「手紙は届いた? ファレア殿下をお訪ねする前触れは?」
「はい。昨日午前に届きました。指示通り、昨日の内に、明日お訪ねしたいとの前触れを出し、殿下よりお待ちしているとのご伝言を頂戴しました。」
レンデ・リクラン彼は三十一才。領地の執事より、はるかにシオナの年代に近い。彼も武術の心得が無いから、彼に対して腕力に物を言わせること禁じられている。瞳は緑だが、細い目をしているから、良く見ないとわからない。茶色の髪はサラサラだ。
「ありがとう。」
王都生活の滑り出しは上々だ。
家族のリビングに入り、ソファに落ち着くと、すぐさまお茶が出てくる。
メイドがいなくなると、執事のリクランが言った。
「お嬢さま、僭越ながら申し上げますことをお許しください。」
何事かとシオナが首を傾げると、リクランが微笑んだ。
「ご婚約の解消、良ろしゅうございました。」
シオナは苦笑いをするしかない。
「解消を、誰も惜しまないところが、いっそ凄いと思うわ。」
ガイが哀れになって来る。
「そうでもございませんよ。」
「ガイの兄夫婦とか?」
「いいえ、賭けに負けた者達です。」
「賭け?」
リクランが頷いた。
「はい。コトナギ領と王都との認識の違いですね。コトナギ領では皆、多少身分違いでも騎士同士なら夫婦になるのは、そう奇異に感じません。他の武家の領地でもそうでしょう。それでも、公爵家ご令嬢と子爵家次男の結婚を、身分違いだと思う者は少なくありません。王都ならなおさらです。お嬢さまと元婚約者殿との事は、貴賎結婚だと思われていました。」
貴賎結婚。
確かに王都にいる時は、他の貴族から、そうほのめかされ続けてはいた。しかし、シオナは王女のために王都に来ていたから、社交の範囲は狭い。大して気にしていなかった。
「『自領の常識は、他領の非常識』って聞いたことがあるわ。私の想像以上に、私たちは不釣り合いだと思われていたのね。」
「賭場での賭けは、毎月行われていたようです。今月中に公爵令嬢の婚約が破談になるかどうか。」
「五年間、ずっと?」
少し驚いた。自分の結婚が他人の関心をこんなに引いていたとは思わなかった。
「公爵家は、リカル王国に三家しかございません。その公爵家のお嬢さまのご結婚は、注目されて当然です。」
「しかも、貴賎結婚だと思われていたなら、なおさら婚約破棄の可能性は高い、ということね。」
「はい。今夜あたりには、次の婚約者は誰かという賭けが行われるでしょう。」
淡々と当たり前のことのように告げるリクランに、シオナは驚く。
「今夜? 早過ぎない? 婚約解消から、まだ五日しか経ってないわよ。もう王都で噂になっているの?」
「商人たちは早耳です。私たち使用人は、破談の理由を聞かれれば、『ここだけの話』として、ガイ・ナバル殿が王女に求婚を宣言されたためと、答えています。」
いずれはわかることだから、口を噤んでしまうよりはいい。シオナには何の落ち度もないのだ。
民が知っているなら、貴族社交界でも、すでに噂は蔓延しているだろう。
ため息が出た。
「シオナ様は公爵令嬢ですから、衆目が集まるのは仕方ありません。」
考えを読み取ったかのようにリクランに言われ、シオナの頭に浮かんだ言葉があった。
政略的婚約再編成。
ガイと結婚するつもりでいた。だから誰もが、シオナのことは「コトナギの一人」として認識していたはずだ。
だがその枠が外れた今、シオナは、北の大貴族コトナギ公爵が溺愛する一人娘だ。
そのことに思い至らなかった自分の愚かさに、シオナは腹が立つ。
公爵息女は、王女には及ばないが、リカナ王国の勢力図を変える可能性のある駒のひとつだ。危うい状況を生む存在だと思われる可能性もある。
表情を変えないよう気をつけて、シオナはカップを静かに置いた。
「そうね。ありがとう、リクラン。しばらく王都にいるから、行動には気を配ることにするわ。皆にも苦労をかけるわね。」
「コトナギ家にお仕えする者にとっては、喜びでございます。王都コトナギ邸の者はみなそう思っております。」
執事リクランが、キリリとした顔を見せる。
「頼りにしているわ。」
そう言って微笑み、シオナはソファから立ち上がった。
自室では、家政婦長が待ち構えていた。
「明日の謁見のためのドレスはいくつか用意してございます。お嬢さまのお好みでお選びください。」
家政婦長カラ・アリスタは三十八才の未亡人だ。二年前に騎士の夫を亡くした。カラは騎士ではないが、弓は得意としている。
赤褐色の髪に、茶色の目で、優しい顔立ちをしているが、優しそうなのは見かけだけだ。自分にも他者にも厳しい。家政婦長の要である。
「青いドレスをお願い。」
シオナが用意されたものを見ることなく言ったら、カラはにっこり笑った。
「三着とも青色でございます。」
優秀すぎて怖い。
だからシオナに返せる返事はこれだけだ。
「見て決めるわ。」
シオナがお気に入りの一人掛けソファに座ると、カラがメイド達に声をかけた。
彼女たちもシオナを待っていたのだろう。あっという間に目の前に、一着ずつドレスを持ったメイドが三人並んだ。
青がいいと思ったのは、自分が一応、婚約者を失ったばかりだからだ。赤やピンクの華やか過ぎる色は控えた方が無難だろう。けれど、地味すぎてもいけない。婚約者を亡くして二ヶ月の殿下を訪ねるという事も考慮しなくてはいけない。
襟が少し首に沿って立っている形の空色のドレスは、濃い青で花の刺繍が袖と襟に刺されている。スカート部はそれほど広がってはいないが、ひだは多く取られている。ダンスをすると翻る様が映えるだろう。
二着目は、明るい青色で、襟は横に広めに開いていた。スカーフを巻くことを前提にされている。白いレースが胸元を飾っている。スカート部分はふっくらとして見えるが、裾幅は狭そうだ。
そして三着目は濃い青だった。これも襟は少し立っていて、薄い青の糸で刺繍がされている。袖はフリルで飾られていた。スカートはひだがたっぷりととってある。
「一番薄い色のドレスにするわ。」
空色のドレスなら、その気になれば、相手の腹に蹴りを入れられそうだ。シオナが選んだ基準はそれだが、カラの賛同の理由は当然違う。
「まだ冬とはいえ、暗い色ばかりでは気が滅入りますものね。」
シオナはもちろん反論せず、アクセサリーを迷うことなく選んでいく。
アクセサリーの数は多くても、ドレスの色と形、出かける先、会う人、目的、そんなことを考えれば、選択肢はどんどん減って行く。
「さすがお嬢さま。センスがよくていらっしゃいますわ。」
カラは感心してくれるが、消去法だから、センスはあまり関係ない。
さて終わったとシオナが思っていると、メイドを外へ出したカラがお茶を入れ直しながら、静かに言った。
「ご婚約の解消、お嬢さまにはご傷心かもしれませんが、これでよかったのだと私は思っております。」
まただと思って、シオナは少し困って笑った。
「少しびっくりはしたけど、私は大丈夫よ。」
「ご自分で大丈夫だと思っておられても、お心は疲れておられるかもしれません。」
シオナは胸に手を当ててみる。
まぁ、確かに疲れてはいる。馬車で四日の旅をしてきたのだから。
でも、カラは言っているのはそういうことではないだろう。
「自分でも気づかないうちに、心に少しずつ疲れが溜っている事もあるのです。体が疲れている時は特にそうです。ご自愛くださいませ。」
そんなふうになった人を知っているのだろうか。真実味を感じた。
シオナの母の歳に近いカラには子どもがいない。家政婦長、騎士の妻、寡婦、それらの体験から出た言葉かもしれない。
「ありがとう、カラ。気を付けるわ。」
私は大丈夫。そう思ったけれど、反論したらきっと話は長くなる。
それより、疲れきってしまう前にもう一人、今日中に絶対会っておかなければいけない人がいる。この屋敷の警備責任者だ。
「カラ、ステアズに都合がつき次第来るように言って。」
頼んで、シオナはソファに沈んだ。
警備責任者エクリゼ・ステアズは、夕刻、陽の落ちる頃やって来た。
屋敷の警備責任者というのは表向きの顔で、王都中心に諜報活動を取りまとめている。
シオナは、ソファからティーテーブルに場所を移して、彼を正面に座らせた。
黒い短髪に白い物が混じり始めているエクリゼは、四十二歳。コトナギの臙脂の騎士服を着ていなければ、どこにでもいそうな中肉中背の普通のおじさんだ。統率する立場だが、自分でも、街のどこにでも出かけて行く。貴族の集まりにも、庶民の中にも、違和感なく入り込む技の持ち主だ。
短い再会の挨拶の後、ステアズが笑顔で言った。
「破談になって良かったです。」
まただ。
「会う人みんながそう言うから、なんだか複雑な気分になって来たわ。」
「複雑、ですか?」
ステアズは笑顔のままだ。シオナが深刻な顔をしていないせいだろう。
諜報部門の長だから、相手に喋らせるのも上手だ。その手に、シオナは自分から乗って話した。
「私に未練はまったくないのよ。でも、あまりにガイの評判が芳しくないものだから、『それでも私はガイと結婚する気だったのよ』って言えなくなってしまったわ。」
ステアズの笑みが穏やかなものになった。
「これは、私まで失礼致しました。」
冗談めかして畏まり、ステアズは頭を下げる。
「民たちは、シオナ様の結婚がどうなるかと賭けをしていました。しかし我々や使用人たちは、ご結婚が覆ることはないと思っておりましたよ。ですから私は、ご結婚後、全力でガイを鍛え直そうと手ぐすね引いておりました。」
声に残念そうな物が混じったのに、シオナは気づいた。
「父もそんな事を言っていたわ。もしかして貴方の他にもいるのかしら。」
「います。武官たちだけでなく、使用人たちも、公爵家に連なるものらしくして頂くと意気込んでいました。」
ガイは、考えるのはシオナに任せると公言していた。けど結婚していたら、そうとう勉強をさせられることになっていただろう。
「ガイの兄、カザスははっきり言って怠け者でしたが、妻を迎えて、随分と変わりました。それを知っているから、皆、ガイも大きく化ける可能性があると思ったのです。」
そう言ってから、ステアズは軽く肩をすくめた。
「まぁ、前倒しで、とんでもない化け方をした訳ですが。」
王女に求婚するから婚約解消しろと言ったことだ。シオナも肩をすくめるしかない。
「腹が立ちました。バカをやるにも程がある。出来る限りの手助けをしようとしていた自分のやる気をどうしてくれるんだと、思いました。」
ステアズが珍しくため息をついた。
「たぶん、みんな似たような気持ちなのではないかと思います。だから無くなってよかったのだと言わずにはいられないんです。」
たぶんですが、ともう一度付け加えて、ステアズはお茶のカップに手を伸ばした。
心積もりや心構え、そういうものを多かれ少なかれ誰もが持っていた。無くなった事でできた穴を、これでよかったのだ、最初から無理があったのだ、と言葉にする事で埋めているのかもしれない。
大きくため息をついて、シオナもお茶のカップを取った。
シオナは、今回の出来事を喜劇のようだと断じたりもしたけれど、関わりのある多くの人たちの心に傷がついた。やはり、喜劇だなどとは思ってはいけないと考え直す。
さらにため息が出そうだが、聞きたい事の本題は、まだこれからだ。
シオナはお茶を飲んで、気持ちを切り替えた。話は変わるけどと前置きする。
「ファレア殿下のことなの。求婚者は相変わらずいるの?」
「毎日一人は、湧いて出るそうですよ。」
ステアズが笑顔で言った。シオナは苦笑だ。
「湧いて出るんだ・・。誰が本命とかいう噂は?」
「ユキソヨ公爵家の長男、コウル伯爵の次男、ラクトシナ公爵の甥、メドナ侯爵の弟、というところでしょうか。」
普通、本命と呼ばれるのは一人だろう。シオナはエクリゼ・ステアズの目をじっと見返した。
それから、シオナは、ステアズが答えて欲しいのだろう事を言う。
「それって、軍備拡張派はユキソヨ公爵家を、経済推進優先派はコウル伯爵家、現状保守派はラクトシナ公爵、少数の中立派はメドナ公爵家を、それぞれ推してるってことね。確かまだ誰も、殿下に求婚していない。」
満足そうな笑顔を向けられた。
心外だ、とシオナは思う。中央の政治に興味はなくても、これくらいは、ちゃんと頭に入っている。
シオナは質問内容を変えた。
「城下の酒場とかで、殿下のお相手には、誰がいいなぁとかいう噂は?」
「どうでしょう。伯爵家以上の、殿下とご年齢の近い方々のお名前は色々出ますが、問題行動についての話が多いですね。だから王女様にはふさわしくない、と結果づけて終わりです。庶民の間で、こんなに貴族の子息の噂が遠慮なくされた事は、今までないでしょう。」
「もしかしなくても、娯楽なのね?」
「仰るとおりです。」
日々の生活に追われる庶民にとっては、貴族の子息が次々に王女に袖にされている事態は愉快な話なのかもしれない。
「ファレア殿下が相手を決めないことへの不満はないのかしら。」
「少なくとも今はありません。次は誰が振られるかと、そちらの方に関心が向いてます。」
「殿下の評判は?」
「同情的です。ロキス・クレワ様が亡くなってから、まだ二ヶ月ですから、女性たちは求婚者たちに冷たい目を向けているようです。」
その同情は、娯楽と紙一重ではないかという気がしたが、シオナは口にはしなかった。
別の事を聞く。
「一応、今回の『政略的婚約再編成』とやらに巻き込まれて、破談になった人のことは把握しているつもりだけど、婚約中の友人に、あなたの婚約者は大丈夫か、なんて手紙を書く度胸はないわ。ステアズは、危機に瀕していそうな私の友人を知ってる?」
「いいえ。私が存じ上げているシオナ様のご友人に関しては。」
隠している交友関係はない。というか彼に隠せる自信はないし、隠す必要も今のところはない。
「つまり、みんな無事に結婚に向かっているってことね。」
シオナが友だちといえる人はそんなに多くない。
とりあえず、大丈夫と知っていれば、気を使わずにお茶会の招待状が出せる。
シオナはもう一度王女の話に戻った。
「エゼイナ王国とコルラン王国からの婚姻の申し入れはどうなった?」
コトナギの情報担当からすでに聞いていた話ではある。
「断ったのは間違いありません。けれど、リカルに滞在しているどちらの国の貴族も、最近活発に社交界に顔を出しています。」
「注意深く見守るしかないわね。」
ため息と共に言ってから気づいた。
「まさか、ファレア殿下のご婚約に関しての賭けなんて、誰もしてないでしょうね。」
シオナは思わず前のめりになったけれど、ステアズは平静だ。
「それは不敬罪に問われます。」
「そうよね。」
少し安心したが、本当に一瞬だった。ステアズが淡々と言ってくる。
「ですので表に出ない分、裏の者達が大金を動かしているようです。王都警護官が取り締まっています。」
リカル王国では、賭博は法によって制約を受けている。特に税と賭け金の上限等について厳しい。裏社会が動かす闇賭博は、税金なんて払わないし、金額の上限も守らない。
「余計に悪い状態じゃない。」
「しかし残念なことに、今後、状況は好転するかと思われます。」
「好転するのに、残念なの?」
首を傾げたシオナは、ステアズが平然とした顔で言った。
「シオナ様のお相手について、賭けが始まるからです。」
シオナは思わず額に手を当てた。
「リクランも同じような事を言っていたわ。今夜にでも始まると。」
ステアズは落ちついた声で続ける。
「リカナ王国に公爵様は三人のみ。そのご令嬢の婚約が破談になったのです。しかも今は、王女様はじめ、多くの未婚の若い貴族のご令嬢がいます。賭場は一つではありません。趣向を凝らした大がかりな賭けも出てくるでしょう。」
ここにも影響するのか、『政略的婚約再編成』。
「名誉棄損は親告罪ですので、シオナお嬢様の件で賭けが始まっても、余程のことが無い限り、王都警護官は放置するかと存じます。表に出ているそちらに、金は流れ始めると踏んでいるはずです。」
ひと息分、間をおいてから、ステアズがシオナに聞いた。
「いかが致しますか。賭けが始まりましたら、名誉棄損で訴えますか?」
王都警護長官ターブンの顔が浮かんだ。
「・・・当面は様子見で。」
天井を見上げながら、シオナは力なくそう答えた。
2017.7.28.病気療養のため、更新を停止させて頂きます。
大変申し訳ありません。